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第9話 挨拶地獄と遊び人の罠

そこからは怒涛の挨拶回り。

背後から囁かれるジルの情報を頼りに、私はにこやかに笑顔を浮かべながら言葉を返していく。

情勢がどうだの、趣味がどうだの、果ては最近の天気がどうだの――くだらない話題を延々と。


表情筋はつりそうだし、喉は乾いて砂漠のよう。

それでも貼り付けた笑顔を続けるのが、社交界という戦場のルールらしい。


時折、亡き伯爵の話が出ると、そっと目を伏せて寂しげな表情を作る。

すると相手が気を遣って話を切り上げてくれるので、むしろ楽になった。

……さすがジル。妙に実用的なテクニックを授けてくれるわね。


そんな消耗戦を繰り返していると、会場の一角から華やいだ声がわっと上がった。

分かる。あれは絶対に――奴だ。


群れ集まった淑女たちを従えて登場したのは、ルシアン・フォンタネル。

背中まで伸ばした赤茶色の長髪をなびかせ、軽くウインクを飛ばせば、周囲の女性は撃ち抜かれる。

プレイボーイが二本脚で歩いていたら、まさにあの姿だろう。

左右に淑女をはべらせて、甘い笑みを浮かべながら軽やかに挨拶を交わす。


「ごきげんよう、レディ達。みんな、今夜も綺麗だね」


「あぁ…ルシアン様。今宵も素敵ですわ!」

「ちょっと、今のは私に向けて仰ったのよ!」

「いいえ、私ですわ!」


ルシアンがその甘い笑顔を向ければ、それを取り合って淑女達が争い合う。

学生時代からまるで変わらないその光景に嫌気がする。


彼が進むたびに人だかりが移動して、そこだけアイドルコンサートのような熱狂ぶり。

私はすぐさま群衆に背を向け、扇子で顔を隠した。


「ジル、挨拶回りは一時中断。外に出るわ」


「かしこまりました、奥様」


今なら逃げられる。

皆の視線はルシアンに釘付け。

気付かれないうちに、出口へ――そう思った矢先。


「あれ? そこにいるのは、オフィーリアじゃないか?」


「ひっ!」


甘ったるい猫なで声が、見事に私を捕まえた。

思わず喉から恐怖の悲鳴が小さく上がる。

一斉に突き刺さる視線。会場中から観測されてるんじゃないかってくらい、痛い。見ないで。


ルシアンはモーゼの様に人波を割り、一直線に私の目の前まで来る。

……駄目だ。もう逃げ道はない。


仕方なくドレスの裾を摘まみ上げ、淑女らしく恭しくお辞儀。


「ごきげんよう、ルシアン様。お会いするのは――学園以来ですわね」


「君に会えなくて寂しかったよ、オフィーリア。

 嗚呼、愛しい僕の女神。君は今宵も美しいね」


……はい出ました、ねっとりボイス。

しかも周囲の淑女からの視線が殺意マシマシで痛い。

お願いだから早く会話を終わらせて。


「嗚呼、オフィーリア。君とこうしてまた会えるなんて夢のようだよ」


――こっちは悪夢ですけど?


「君とは積もる話が沢山あるんだ」


――私は1ミクロンも積もってないけど。


「是非今度、我が家に遊びにおいで。君を飽きさせないと約束するよ」


――もうこの会話に飽きてるから無理ね。


しまった。嫌すぎて脳内ツッコミが止まらない。

顔が引きつりそうになるのを誤魔化すように、慌てて扇で口元を隠した。


私の反応が芳しくないことに気付いたのか、ルシアンは探るように私を見てくる。


「君に会いたくて学園を卒業してから何度も手紙を書いたのに……読んでくれなかったのかな?」


「まあ、ご丁寧に……。けれど、私の机に残るのは“読むに値する言葉”だけですの。

 あの手紙を読むくらいなら、領地の税務報告書の方がまだ楽しいですわ」


……やばい。ウザさに耐えきれなくて本音が出た。


ルシアンはゆっくりと口元に手を当て、俯いている。長い髪で表情は見えない。

……もしかして、傷つけた? それなら良い、むしろ早く帰って欲しい。


けれど顔を上げた彼は、にっこりと笑っていた。相変わらず胃もたれするほど甘ったるい笑顔で。


「君は学生時代から変わらず手厳しいな。それでこそ、我が愛しの女神だ」


困った事にルシアンの話は終わる気配を全く見せない。

周りの令嬢達に視線を向けても、帰って来るのは殺意ばかり。


――欲しいならあげるから! 誰かこいつを持って帰って!


そんな時、会場にワルツの旋律が流れ始めた。

タイミングの悪さに神様の悪戯を疑いたくなる。

ホール中央ではペアの男女が次々と踊り出す。


――まずい。この流れ、絶対にルシアンと踊らされるパターンじゃない!


案の定、ルシアンが私の手を取り、恭しく頭を下げた。


「オフィーリア。僕と一曲、踊って頂けますか?」


はい来ました、最悪の展開。

鳥肌が立つ。心臓が冷え切って、逃げ出したいと叫んでる。

周囲の淑女たちからは、悲痛な悲鳴にも似た声が漏れている。

私だって悲鳴を上げたい。誰か、代わりに踊ってよ!


私はそっと、ルシアンが取った手を引き戻した。


「申し訳ありません、ルシアン様」


そう……私は今日のために毎日2時間、マチルダ夫人のスパルタ特訓を受けた。

マメが潰れようが、筋肉痛で立てなくなろうが、練習相手の子犬会計士エディが「もう無理ですぅ」と半泣きで逃げようが――毎日みっちり。

そして、舞踏会前日、マチルダ夫人はこう言ったのだ。


――奥様。当日ダンスに誘われたら、こう仰るのです。


私は深呼吸し、その台詞をそっくりそのままなぞった。


「私は今、喪中の身。故人を偲びながら誰かと楽しく踊ることなど出来ませんわ」


そう、私は間に合わなかったのだ。

夫人の全身全霊を賭けた特訓すら、私の踊れなさに敗北した。

だからこの「喪中シールド」が最後の切り札。

未亡人をわざわざ踊りに誘う無神経な輩なんて、普通はいない。


ところが。

私の言葉を聞いたルシアンは「ふーん」と呟き、じっとこちらを見据えてきた。

その視線は、どこかジルの観察眼に似ていて、不愉快なほど鋭い。


彼は私に近づき、耳元に囁く。


「それは嘘だね、オフィーリア。君は伯爵の死を何とも思っていないだろう?」


「……っ?!」


背筋に冷たいものが走った。

ルシアンの声は甘ったるいのに、その中身はまるで剣先。

私が驚いて固まっている隙に、ルシアンの手が腰に回され――否応なく歩かされていた。


「踊ろうよ、オフィーリア。君が楽しんでいる方が、きっと伯爵も天国で喜ぶだろう?」


なめらかなエスコート。支える手に導かれて、思わず足が勝手に前へ出てしまう。

……くそっ、さすが遊び人、手慣れすぎ。

このままじゃ会場の中央に引きずり出される!


無理無理無理無理! 人前でダンスなんて絶対無理!!


そう絶叫しそうになった瞬間、黒い影が音もなく割り込んだ。


漆黒の執事服――ジルだ。


気付けば、私の手は自然に引き戻され、彼の背中に庇われていた。

あまりにも滑らかで、割り込まれたことすら分からなかったほど。


ジルは正面からルシアンに向き合う。


「フォンタネル卿。そのような誘い方は、舞踏会の礼儀にそぐわないのではございませんか?」


低い声。氷のような響き。

普段は無表情なジルだが、その眼差しは確かに鋭く怒っていた。


ルシアンの顔からも甘ったるい笑みが消える。

一瞬で場の空気が変わった。

冷たい視線を交わす二人――無表情同士の睨み合い。


「奥様はこの後のご予定が詰まっております。ご容赦を」


ジルの声は丁寧。だが、一歩も引くつもりのない硬さがあった。


ルシアンは黙ったまま、じろじろとジルを上から下まで観察する。

そして――ふっと口角を上げた。


「へぇ……そういうことか。執事君、君の名前は?」


「私は一介の執事。フォンタネル卿に名乗れるほどの身分ではございません」


「そうか……じゃあ、執事君。ちょっと耳を貸してごらん」


長身二人が、私の頭上でひそひそと。

距離はこんなに近いのに、内容はまったく聞こえない。


――なのに。


「……っ?!」


ジルが小さく震え、慌てて身を引いた。

驚愕に見開いた瞳で、ルシアンを凝視している。


……あのジルが、こんなに取り乱すなんて?!

一体何を囁かれたのよ!


「じゃあね、オフィーリア。また会おう」


軽い口調と共に、ルシアンは取り巻きの淑女たちを引き連れて去って行った。

背中まで軽やかに見えるのが、なおさら腹立つ。


残されたのは私と――硬直したままのジル。


ジルは振り向いた瞬間、私が問いただすより早く、耳元で低く囁いた。


「フォンタネル卿は……社交界で私たちの関係をバラされたくなければ、来週、オフィーリア様と共に彼の屋敷へ来い、と」


「……は?」


一瞬、耳を疑った。

けれどジルの表情は、冗談や言い間違いの余地もなく真剣そのもの。


――つまり、脅迫。


どうやって嗅ぎつけたの、あの男?!

いや、そこも重要だけど、今はもっと大きな問題がある。


この世界の貴族社会で、執事と関係を持ったなんて噂が広まったら――私は破滅。

未亡人の伯爵夫人が下級貴族の執事に手を出した……?

そんな格好の餌を社交界が見逃すわけない。笑い者どころか、信用を失ってすべてを失う。


貴族にとって信用は命。

信用を失った者と商談をする貴族などいない。

噂一つで人生が瓦解するのが、この世界。


背筋を冷たいものが走った次の瞬間――胸の奥に煮えたぎるものが湧き上がる。


あのクソ女ったらし。

この私を脅すなんて、いい度胸じゃない。


扇を持つ手にギリギリと力がこもる。

歯を食いしばり、全身が震える。


――目にもの見せてやる。


そう心に誓いながら、私は怒りに震えつつ、舞踏会の夜を後にした。


挿絵(By みてみん)

読んで頂きありがとうございます。

今回はクソ女ったらし(ルシアン)を描きました。

描くのは楽しかったです。

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