表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

第3話 伯爵夫人と、変な執事

そこからの日々はあっという間だった。


まずは、お父様に「ジルを私の専属執事にしたい」とお願いした。

これが難なく通ったのは――ジルが“お父様が一番ご機嫌な瞬間”を見計らってくれたおかげだ。


次に持ち上がったのは、死にそうな伯爵との縁談。

これもまた、すべてジルが取り計らってくれた。。

関係各所に手紙を出し、両親にあることないこと吹き込み、気がつけば円満な縁談が出来上がっていた。


――一体、何をどう吹き込まれたら、十八歳の娘と七十五歳の老人との結婚が円満になるのよ。

貴族の政略結婚は、なんか怖い。


私の結婚はまたたく間に社交界へ広がった。

けれど、爵位が近しく財産の格差もさほどではなかったこと。

そして何より、ジルが広めた“若い身空で老人に嫁ぐ可哀想なオフィーリア”という美談のおかげで思ったほど騒がれずに済んだ。


むしろその噂が根を張ったおかげで、“社交界デビューで紅茶を被った狂人”の評判はいつの間にか消えていた。

……ジルは最初から、そこまで計算していたのだろうか。

だとしたら、本当に恐ろしい執事だ。




***

あっという間に一年が過ぎ、伯爵家に嫁ぐ日を迎えた時には、私は十九歳になっていた。

あれほど恐れていた神託――「オフィーリアは十八歳で破滅する」は、気づけば呆気なく過ぎ去っていた。

いや、もしかすると……


「絶望も、破滅も――すべて私が先んじて払いのけてみせましょう」


あの時ジルが言った、言葉の通りになったのかもしれない。

まあ、考えたところで私には分からないのだけれど。




伯爵とは結婚式を行う事は無かった。

当然だ。相手は寝たきりの老人なのだから。


エドワード・グレイストーク伯爵。

彼に派手な経歴なんてひとつもない、地味な伯爵だった。

若い頃に一度だけ結婚をしたけれど、それも政略結婚。

子供は出来なかったらしい。

それでも彼は、妻を生涯愛し続けたという。

妻を失ってからも再婚はせず、ただ静かに領地を守り続けた。

欲を張らず、目立ちもせず、ただ淡々と。



――そうやって平凡に生きた人生。

それが、私の夫――エドワード・グレイストーク伯爵だった。



輿入れの日、私は伯爵の寝室で初めて彼を見た。

ベッドに横たわる彼を目にした瞬間、胸の奥がひやりとした。

皮膚は薄い紙のようにしわを刻み、白髪は枯れ草のようにまばら。

唇は乾ききっていて、息をしているのかどうかさえ分からないほど。


――これが、かつて一つの領地を背負った男の姿か。


ただ眠っているだけにも見える。

けれど、その胸の上下はあまりにか細く、まるで今にも途切れてしまいそうで……。

残酷なくらいに老いは進み、命の灯火が尽きかけているのが、ひと目で分かった。


私は伯爵の手にそっと手を重ねた。


「ごめんなさい。私はこれから貴方の地位を利用します。

浅ましい女と罵ってくれて構いません。


ですが、これだけは誓います。

貴方が生涯守ったこの領地を、私は何があっても守ってみせる。

それが、この結婚の私なりの誠意だと受け取って下さい」


ただ眠る老人に私の言葉は聞こえていないだろう。

それでも言わずにはいられなかった。


立ち上がって振り返ると、そこには静かにこちらを見つめるジルの眼差しがあった。


「ジル、あんたも協力してね」


「もちろんでございます。

お嬢様が背負われるなら、私もまたその重みを共にいたしましょう。

それこそが――執事ジルバート・ヴァンデンベルグの務めにございます」


「ふふふ……もう“お嬢様”じゃないけどね」


「おっしゃる通りでございます。

では、改めて申し上げましょう――これから先も、いついかなる時もお傍に仕えさせていただきます。

……オフィーリア伯爵夫人」





***

伯爵との顔合わせも終えると私は“私の自室”に通された。

案内された部屋を見渡した瞬間、思わず息を呑む。


壁は淡いクリーム色で、縁にはきらびやかな金の装飾。

床には一面に上質な絨毯。沈み込むほど柔らかくて、思わず裸足で歩いてみたくなる。


中央には、私の背丈よりも高い天蓋つきのベッド。

薄いレースのカーテンが光を受けて輝いている。

……ふわふわしていて可愛らしいのに、まるで牢獄の格子みたいに見えるのは、私の心が歪んでいるからだろうか。


隣には暖炉、壁際には本棚や鏡台。完璧すぎて隙がない。

どこからどう見ても「伯爵夫人の部屋」だった。


……なのに、胸は少しも高鳴らなかった。


ここは私のために用意された部屋。けれど本当の意味で“私の部屋”には思えない。

家具の一つひとつが「今日からあなたは伯爵夫人なのだから」と声なき圧力をかけてくる。

華やかというより、むしろ息苦しい。


ふと窓辺に立つと、整えられた庭や噴水が目に入る。

伯爵が守ってきた領地の一部……のはずなのに

私には「美しい風景」ではなく「逃げ場がまた増えた」という皮肉な安心しか与えてくれなかった。


視線を戻すと、ベッドサイドに小箱が置かれている。

お菓子箱のような可愛らしいデザイン――だが、この部屋に似つかわしくなくて違和感を覚える。


『寝る前のお菓子……? そんなわけないよね』


開けてみると、中には小瓶と丸い宝石。

香水にしては匂いが弱く、むしろ薬に近い。

しかも宝石と一緒に入っている。何これ。


後ろで控えるジルに視線を向けた。


「ねぇ、ジル。この小瓶は何?」


「それは“夜の薬”でございます」


「……は?」


「そちらの石は“世継ぎ祈願の石”と呼ばれます。夫婦の床に置けば男子が授かる――と、貴族社会で囁かれる迷信でして」


ジルが言い終わる前に小箱を投げ捨てた。

壁にぶつかって壊れ、中身が床に散らばる。


――これは、他にもあるかもしれない。


慌てて部屋を探し回ると、本棚やベッドサイドに「夜伽指南」の本がいくつも紛れ込んでいた。

金箔押しで『幸福な夫婦生活の秘訣』。中身は……見事にエロ本だった。


「こんなもの! ただのいやらしい本じゃない!!」


こんなもの作る暇があるなら同人誌でも書いてろっての!

腹立たしくて思わず地面に投げつける。


さらに探すと、クローゼットの隅に子供服や揺り籠まで。

あまりにあからさまな品々に、乾いた溜息しか出なかった。


――この屋敷の人間は、私に“世継ぎ”を求めている。

その無言の圧力に、背筋が寒くなる。


ありえない。伯爵は寝たきりの老人だ。

食事の時以外、ほとんど眼を覚まさないと聞いている。


「いや……どう考えても無理でしょ」


それでも悪寒は止まらなかった。

まるで、老人のしわがれた手が私の背を撫でているかのように。


疲れて豪華なソファーに腰を下ろす。

柔らかい座り心地よりも、隣に立つジルの存在に安堵を覚えた。

思わず弱音が漏れてしまう。


「……ジル、私この部屋怖い。ここにいる間、出来るだけ離れないで」


「承知いたしました。オフィーリア様。

ここはどれほど絢爛に飾られていても、檻にも似た空気が漂っております。

――ですが、どうかご安心を。私は片時もお傍を離れません」


普段は淡々とした声が、今日だけは少し柔らかく聞こえた。

さすがに私の心を察してくれたのだろう。

こんな時ばかりは、ジルがいてくれて良かったと思ってしまう。

……変な奴だけどね。





挿絵(By みてみん)

読んでくださってありがとうございます。

おまけに挿絵を一枚。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ