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第2話 観察魔執事、専属になります

それからのジルは早かった。

わずか数週間で、私に見合う結婚相手を探し出してきたのだ。


ある日突然、誰もいない談話室に呼び出されたかと思うと

資料を手渡し、ジルは淡々と説明を始めた。


「エドワード・グレイストーク伯爵。七十五歳。現在は寝たきりの老人です。配偶者はおらず、お嬢様が政略結婚する相手としては充分かと」


あの噴水以来、一度も顔を見せなかった執事。

久々に現れたと思えば、差し出された話がこれ。


「……は?」


突然の事に戸惑う私に、ジルは軽く頭を下げた。


「もしお気に障ったなら、どうかお許しください。

ですが、この縁談はお嬢様にとって大きな好機かと存じます。


お相手はご高齢で、余命もそう長くはないでしょう。

であれば、貴族として政略結婚の務めを果たしつつ、すぐに“自由”を得られるはずです。


束縛は短く、手に入る立場は揺るぎません。

これは、数ある道の中で最も“破滅から遠い選択”ではございませんか」



“破滅”。


その響きに、私ははっとした。

三年間――ただ生き延びるために破滅フラグを折り続けた過酷な日々。

振り返れば、あれほど折りまくったはずなのに――ひとつだけ、手をつけないまま残っていたものがある。


神託――「オフィーリアは十八歳で破滅する」


神も仏もない破滅フラグ折り生活の中で、最も後回しにしていた厄介な一文。

学園を生き抜いた安堵に浸るうち、私はその存在をすっかり忘れていた。


そういえば――私は今、十八歳。


紅茶を頭から浴び、社交界に中指を立てて、屋敷に引きこもる。

そんな真似をしていては、やがて自分で自分の人生を狂わせるだけだ。

このまま胸に絶望を抱えていたら、いずれ本当に“破滅”を迎えるだろう。


――何ということだ。


あんなに折り続けてきたのに、最後の最後で自分から破滅に歩いている。

その事実に気づいた瞬間、激しい眩暈が襲った。


積み上げてきた安心が、音もなく崩れ落ちる。

胸の奥を冷たい恐怖が掴み、足はすくみ、立っているのすら心許ない。


ふらふらと長椅子へ身を沈めると、視界の端に影が差す。

ジルが静かに歩み寄り、音を立てない所作で私の前に膝を折った。


鉄面皮のままなのに、その瞳は妙に温かい。

視線を受けるだけで、不思議と胸のざわめきが和らいでゆく。


落ち着け、私は冷静だ。

現状に気づいたということは、問題の半分は解けたも同然。

ならば考えるべきは――この『絶望感という名の破滅フラグ』をどう折るか、それだけだ。


あれほど足掻いた学園生活を、ここで無駄にしてたまるものか。

帰れるかどうかは後回しにしよう。

今はただ、この破滅の予感から抜け出す道を見つけなければ。


『破滅フラグは、必ず駆逐する』

それが私の処世術であり、支えであり、そして――この体、オフィーリアを守る唯一の方法。


私は顔を上げ、ジルを正面から見据えた。


「この縁談……上手くまとめられる?」


その問いに、ジルの瞳が一瞬だけ光が灯った様に見えた。

だがすぐに、張りついた仮面のような無表情へ戻る。


「……はい、お嬢様。

縁談とは、盤上に駒を並べるようなもの。

置く場所さえ間違えなければ、必ず形は整います。


どうぞご安心ください。

――お嬢様のお望み通りに、私が整えてみせましょう」


真っ直ぐに射抜いてくる瞳。

ただのモブ執事のはずなのに、どうしてこんなに安心できるのだろう。


出会って日は浅く、まともに言葉を交わしたのも一度きり。

それなのに――なぜ。


分からない。

そもそも、この執事に現代知識満載の私の愚痴が理解できたのだろうか。

投げやりにこぼした言葉の裏から、私が絶望へ踏み出していることまで察したというのか、このモブ執事は。


考えれば考えるほど、この男――ジルという存在は謎に包まれていた。


浮かぶ疑問を振り払うように、私は彼を見据える。


「……何で。何で私にそこまでしてくれるの?

私、これでもこの家の厄介者だし、社交界に喧嘩売って謹慎中の駄目令嬢だけど。

何が、あんたをそんなにやる気にさせてるわけ?」


ジルはわずかに目を伏せた。


「……理由は単純にございます。

皆に厄介者と呼ばれる時ほど、人は最も脆く、そして最も美しい。

だからこそ、手を差し伸べる価値があるのです。


――もっとも、本当の理由は別にあります。

少しだけ、私の話をお聞きいただけますか?」


その声音に抗うことはできなかった。

私は小さく頷く。


ジルは一度、深く目を伏せる。

次に顔を上げたとき、その眼差しは驚くほど真剣で――思わず息を呑む。


「実は私……異常なほどの観察魔なのでございます」

「……は?」


観察……魔?

唐突な告白に頭が追いつかず、思わず間抜けな声が漏れる。

けれどジルは微塵も揺らがず、真顔のまま語り出した。






***


「私は三男として生まれました。ヴァンデンベルグ家は下級貴族の家柄で――」


……この話は長いので、ジルの話を要約すると、こうだ。


ジルバート・ヴァンデンベルグは下級貴族の三男。

家督争いからも責任からも外された、末っ子のお気楽ポジション。

その余裕を使って、人をじーっと眺めるのが日課になったらしい。

で、毎日毎日、人を観察しているうちに――それが彼にとって“娯楽”になったのだとか。


……娯楽の少ないこの世界じゃ、まあ当然ね。現代人から見ればちょっと変態じみてるけど。


やがて執事となり、その観察眼を仕事に転用する。

主人の意図を先読みし、先回りして支える。

無表情の裏で人を分析するのは、彼にとってはもはや呼吸と同じ。

要するに――観察オタクがそのまま職業化しただけ。


「ですが、その日々は空虚なものでした。

才を試されることもなく、ただ時間に流されるまま過ごしていただけです」


そう語りながらジルは、当然のように紅茶を淹れてくれる。

ふんわりと香る茶葉に、思わず心が和らいでしまう。

カップを口に運ぶ私を眺めつつ、彼は言葉を続けた。


「その折、私の歩みに転機が訪れました。

――すなわち、オフィーリアお嬢様との出会いでございます」


「……っ!?」


危うく紅茶を吹き出すところだった。よりによって、そこで私の名前が出る!?


ジル曰く、最初に私のことを耳にしたのは“狂った令嬢”の噂。

私の学園生活の間に実家で働き始めたらしく、

直接顔を合わせたのは謹慎帰りのタイミングだったらしい。


見た目は、まあ、自分で言うのもなんだけど“輝くように整った容姿”。

でも虚ろな瞳は「ここに居場所は無い」と訴えていた、とか。


……ジルの観察眼、当たりすぎてちょっと怖い。

学園ならまだしも、ゲームに一度も出てこなかった“オフィーリアの実家”なんて、私にとっては「自分の居場所」じゃない。

確かにあの時、そんな気分で里帰りしていた――そこまで見抜かれていたとは。

やっぱりこいつ、本物かもしれない。


そんな儚げに見えた令嬢が、次に会った時には噴水で生足を突っ込み

大股広げて頬杖ついていたのだから、彼の思考は“人生最長”に止まったらしい。

……悪かったわね。中身が庶民の私に、品格なんてあるわけないでしょ。


「あの光景は、私の観察の中でも最も鮮烈でした。

外見と内面が、これほどまでにかけ離れている方は――お嬢様以外におりません」


「まあ、実際に中身が違うからね……」


「ええ、そのお話もたいへん興味深いものでした。

魂が他人の体に宿る異世界転生のお話や

この世界を『ゲーム』と呼び、破滅を避けようと必死に駆け回った学園生活。

そして、出口のない檻のような現実に気づかれた絶望――まさしく荒唐無稽にございます」


「あんた……私のこと馬鹿にしてない?」


「いいえ、お嬢様。私は決して馬鹿になどしておりません。

むしろ、このお話を私だけに打ち明けてくださったこと――それ自体が光栄なのです」


ジルは真っ直ぐこちらを見つめてくる。

その瞳は真剣……いや、真剣っていうより、ちょっと興奮してない?

この執事、何かテンション上がってる顔してるんだけど。


「私が生涯をかけて鍛えた観察の目は、お嬢様のお言葉が嘘ではなく真実だと告げていました。

そして……その真実を理解できるのは、この世で私ただ一人。

あの時、お嬢様が心を開いて語ってくださったことこそ、私の存在に意味を与えた瞬間だったのです」


存在に意味を与えた瞬間?!

何を言ってるんだこの執事は。


どうやら、『私の言葉を信じる事が出来るのは自分だけ』だと言いたいらしい。

それはつまり、自分が唯一の理解者であり、理解者になる事が自分が存在する意味だと。

……いくら何でも大げさすぎる。


「……いや、私が噂通りの“狂った令嬢“だったらどうするのよ。

妄想を真実だと信じ込んで話してるだけかもしれないじゃない」


「いいえ、お嬢様。それはありえません。

狂気とは周囲を壊し、他人を巻き込むものです。

けれどお嬢様は、ご自分の頭に紅茶を浴びせて、絶望をひとりで引き受けられた。

そのようなお方をどうして狂気と呼べましょう――むしろ慈しみの極みと呼ぶべきです」


そう言うとジルは、またしても私の前で膝を折った。

……なにその姿勢。まるでプロポーズなんですけど!?

現代っ子感覚の私からすれば、恥ずかしすぎて穴があったら入りたい。


胸に手を当てたまま、彼は厳かに告げる。


「私は確信しております。お嬢様こそ、私が生涯をかけて見つめるべき唯一の存在です。

空虚だった日々を終わらせ、お嬢様の傍らに仕えることこそ――私の人生にとっての答え。


どうか、この身をお嬢様の影として、その歩みに寄り添わせていただけませんか」


……つまり今までの話を要約すると、この執事はこう言ってるわけだ。

『お前、観察してると面白いから、一緒にいたい』って。


何なのこいつ。言い方は丁寧でも、内容は完全に「面白れぇ女」じゃない!

モブ執事ごときにそんなレッテルを貼られるとか、腹立つにも程がある!


私は叫びだしそうになる喉を、唇を噛んでぐっと堪えた。

……落ち着いて私、冷静になるのよ。


なぜなら――ここでこの執事を拒絶してしまったら、次にいつ同じように味方が現れるか分からない。

この世界の誰も信じないような話を信じ、それでも私に付いてくると言ってくれる。

ずっと一人で破滅フラグと格闘してきた私にとって、これ以上の味方は他にいない。


しかもジルは、たった数週間で私にぴったりの婚約者を探し出してきた。

……その有能さも、正直なところ“手札”としては絶対に欲しい。


でも……でも……やっぱり腹立つ!


私が悶々と考えていると、ジルが助け舟のように言葉を差し出した。


「お嬢様……迷っておられますね。『信じたいけれど、どうにも腹立たしい』と。

その矛盾こそ、実にお嬢様らしい」


指先で眼鏡を上げる仕草。

その瞳には、なぜか楽しげな光が宿っていた。


「けれど――その迷いを、いつまでも私に観察されるのは、果たして心地よいものでしょうか。

私としては、たとえ苛立ちを抱えたままお選びいただいても構いません。

……その苛立ちさえ、私にとっては楽しみになるのですから」


胸の奥がかっと熱くなる。

こいつ、わざと私を苛立たせて、その反応を観察して愉しんでいる――そんな風にしか思えなかった。

鉄面皮の顔はほとんど動いていないのに、ほんの一瞬、瞳の奥に光が揺れた気がする。

……くそ、絶対に楽しんでる!


「こ、このモブ執事! そんなに人のことばっかり見て! 頭おかしいんじゃないの?!」


「ええ、お嬢様。常軌を逸して見えるほどに、私は人を観ることに執着しております。

ですから最初に申し上げたのです――私は観察魔だと」


ぐ……何も言い返せない。

確かに最初から、そう言われていた。


ジルは、私を見るのが好き。

だからこそ私の傍に居続けようとする。

――この関係を受け入れなければ、きっと今後も一生、味方なんて現れない。


乙女ゲーム『ロザリア・クロニクル』の悪役令嬢オフィーリアは、いつも独りなのだから。


――もう、諦めるしかない。

私は苛立ちも、憤りも、屈辱も……全部飲み込んで長い溜息を一つ吐いた。


「分かった。そこまで言うなら……あんたを私の専属の執事にしてあげる」


私はジルに向けて手を差し出した。握手のつもりで。

何だか憎たらしいけど……すべてを知る味方がいるのは、やっぱり心強い。


「その代わり、私が絶望して破滅しないように……ちゃんと守ってよね」


ジルは、その手をそっと取った。

握手というより、私の手を支えるように優しく包み込む仕草で。


「畏まりました。この命の限り、お嬢様の影としてお仕えいたします。

絶望も、破滅も――すべて私が先んじて払いのけてみせましょう」


そう言って、ジルは私の手の甲に唇を落とした。


――っ!?

突然触れた温もりに、思わず肩が跳ね、耳まで熱くなる。

……だから! こういう“貴族の嗜み”が一番恥ずかしいんだってば!


私の反応を見たジルの口角が、かすかに上がった。

初めは鉄面皮にしか見えなかった顔が、今は少しだけ読める。


……間違いない、こいつ楽しんでる!

私の動揺を観察して心の中でニヤニヤしてるに決まってる!

モブのくせに……この執事、ほんっっっとに腹立つ!!



こうして――破滅の悪役令嬢オフィーリアに、初めての仲間ができたのだった。




挿絵(By みてみん)

読んでくださってありがとうございます。

ジルのラフを描いてみました。

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