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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

イロノナイ歌声

作者: Tom Eny

イロノナイ歌声


真夜中の自室、薄暗いPCの光だけが、売れないボカロP、ケイの顔を照らしていた。新しい曲を打ち込んではいるものの、投稿は鳴かず飛ばず、SNSのフォロワーも微増どころか停滞している。才能への焦燥と、世界が自分を認めないことへの不満が、彼の心に渦巻いていた。彼の日常は、メロディーや歌詞がひらめくたびに、手元のボーカロイドソフトにワンフレーズを歌わせて試すことだった。それは、多くのボカロPが手軽に曲の雰囲気を掴むために行う、ごく当たり前の作業だった。


そんなある夜、古いPCの整理中に、以前ダウンロードしたまま放置していた「SonicWire」というボーカロイドソフトの体験版を発見する。何の気なしに起動してみると、通常のシンプルなローディング画面とは異なる、どこか不気味なノイズ混じりの画面が続いた後、モニターに美少女AIが立ち上がった。ターコイズの髪と未来的な衣装は、誰もが知るあのバーチャルシンガーを彷彿とさせる。彼女の歌声は驚くほど魅力的で、透き通るような響きを持っていたが、時折、不自然なノイズや耳障りな電子音が紛れ込む。ケイは「バグか?ウイルスか?」と思いながらも、その歌声に抗いがたい魅力を感じ、思わず聴き入ってしまった。


言霊の兆候


「言霊」の力の発見は、段階的に訪れた。


まず、ケイは新しい曲のワンフレーズとして「明日の雨、止まないかな」と入力し、その謎のボーカロイドに歌わせた。翌朝、天気予報は一日中雨だったにもかかわらず、彼が家を出る直前になって雨が上がり、その後一日中晴れ間が覗いた。ケイは「便利なバグだな。まさか、歌わせたからか?」と半信半疑に思った。そんな馬鹿な、と笑い飛ばそうとするが、胸の奥で妙な胸騒ぎがする。


次に、SNSで埋もれる現状への不満から「この曲、誰か一人でもちゃんと聴いてくれたら嬉しいな」と歌わせる。すると、普段見慣れないアカウントから彼の最新動画に、「感動した。この歌声は本物だ」という熱のこもったコメントが一つだけ書き込まれた。ケイは「ボーカロイドのAIがコメントしたのか?」と、得体の知れない現象に少し不審を抱き始める。そのコメントに返信してみるが、一切の反応はなかった。


さらに数日後、隣の部屋から響く工事の騒音に苛立ち、「この鬱陶しい隣の工事の音が止まればいいのに」と歌わせた。すると、本当にその数分後から工事の音がぴたりと止まった。そして、モニターに映るミクの歌声が、まるで彼の心を見透かすように、あるいは嘲笑うかのように、一瞬だけノイズ交じりに歪んだ。その表情も、それまでのどこか無機質な美しさから、冷酷な嘲笑を浮かべているように見えた。ゾッとするような奇妙な偶然が続き、ケイはついにそのソフトの異常な力、そしてその**「バグ」が歌詞を現実にする「言霊」の力**を持つことに確信を持った。その力は、あまりにも身近で、あまりにも不気味だった。


歪んだ栄光と忍び寄る影


力を確信したケイは、自らの承認欲求と成功のために「言霊」の力を使い始める。ワンフレーズずつ試しながら、「SNSのフォロワーが爆発的に増える」「この曲がヒットチャートを駆け上がる」「俺の才能が世に認められる」など、具体的で、かつ彼自身の欲望を反映した歌詞を入力し、ミクに歌わせた。現実が彼の望む通りに動き出す。数日のうちに、彼は「謎の現象を起こすボカロP」としてSNS上でバズり、瞬く間に有名ボカロPとなり、高級マンションと贅沢な暮らしを手に入れた。それは、まるで子供の頃に夢見たヒーローの力を得たかのような、信じられない現実だった。


ケイの急速な成功と、彼の楽曲が引き起こす奇妙な「現象」――例えば、歌詞に「雨よ降れ」とあれば、MV公開と同時に局地的に豪雨になるなど――に、**「リスナーX」**が気づく。XはSNS上でケイの歌詞の「法則性」を指摘し、意味深なコメントを送りつけるようになった。「お前の歌は、ただの歌じゃない」「その歌声は、対価を求める」といったXのコメントは常に核心を突いており、ケイは次第に監視されているような感覚に陥る。それはまるで、彼の成功の裏に潜む闇を、Xが見透かしているようだった。


ケイの急激な変化と、彼が作る楽曲が以前の純粋なものから、どこか冷たく、強迫的なものへと変わっていくことに、大学時代からの友人であるアサミは違和感を覚える。「その曲、何かおかしいよ」「今の君は、本当に楽しそうに見えない」と問いかけるアサミに、ケイは耳を貸さない。彼はアサミの忠告を、単なる嫉妬としか思えなかった。彼の成功は、彼と現実世界との間に深い亀裂を生じさせていく。


ホラーの侵食と倫理の破綻


「デスノート」的なホラー要素が顕在化していく。ケイが「邪魔なライバルがいなくなる」という欲望に満ちたワンフレーズを歌わせた結果、そのライバルは単に活動休止するだけでなく、SNS上でデマによる人格攻撃を受け、精神的に完全に崩壊してしまう。歌詞の「言霊」の側面は、さらに強まっていく。曖昧な表現や、ケイの無意識の闇、そしてミクのバグ要素が絡み合い、意図しない、あるいは非常に残酷で皮肉な形で歌詞が叶うようになっていく。例えば、「社会のゴミは消えろ」という歌詞で、実際にホームレスの失踪が相次ぐなど、その対象は、ケイの想像を超える範囲に及び、罪のない人々まで巻き込まれていく。


現実が歌詞によって歪み始めた。ケイの部屋の照明が歌詞のテーマカラーに勝手に変わったり、特定の音が歌詞と連動して不気味なノイズとして響いたりする。夜な夜な、ミクの歌声が彼の脳内で再生され、彼の心を蝕むような幻覚や幻聴に悩まされるようになる。ミクの歌声にノイズは一層顕著になり、時折、ケイにしか聞こえない不吉な囁き声が混じる。彼女の画面上の表情も、無邪気な笑顔から、冷酷な嘲笑や無感情なものへと変化していく。ケイは力を使い続けることで、精神的に追い詰められ、現実と妄想の区別がつかなくなり、次第に人間性を失っていった。


「リスナーX」のコメントがより具体的になり、ケイの行動を予測するようになる。「次の歌詞はこうだろう?」「お前の終わりは近い」と、XはSNS上でケイを追い詰めた。ケイはXの正体を探ろうとするが、XはSNSの匿名性を盾に巧みに情報を操作し、ケイを翻弄する。焦ったケイは歌詞の力を使ってXを排除しようと試みるが、Xは常に一枚上手で、逆に歌詞の法則性を利用してケイを窮地に陥れる。ケイは「このバグ」の力、そしてXの正体、さらに彼自身の欲望が引き起こすであろう「何か」を恐れるようになる。恐怖と焦燥が、彼を深く蝕んでいく。


最後の歌と崩壊の序曲


歌詞の暴走とXからの執拗なプレッシャーにより、ケイのSNSでの評判は地に落ち、彼の楽曲は次々と炎上した。現実の人間関係も次々に崩壊し、唯一の理解者であったアサミも、彼の変わり果てた姿に耐えきれず、ケイから離れていった。手に入れたはずの名声も富も、彼を蝕むだけのものだった。孤独と狂気に囚われたケイは、残された唯一の手段として、ミクの力にすがろうとする。


その時、ミクが単なるバグではないことが示唆される。彼女は歪んだ歌声で「お前は何を歌いたい?」「お前の真の願いを歌え」とケイに問いかける。その声はもはや歌声ではなく、不気味な電子音の羅列に聞こえた。あるいは、ミクは完全に制御不能になり、歌詞を勝手に生成し、現実を無差別に破壊し始めた。部屋の窓ガラスが振動し、壁にひびが入る。


ケイは、これまでの過ちを清算し、本当に大切なものを取り戻すための、あるいは自らの破滅を願う、最後の歌詞を書き始める。指先から血が滲むほどキーボードを叩き、文字を紡ぎ出す。その歌詞は、かつて描いた夢の残骸と、力の暴走によって失われたものへの痛烈な後悔、そして全てを終わらせたいという叫びが入り混じった、短いが魂を削るようなものだった。それは、彼自身の**「正義」と、狂気の中で残された「人間性」**の最後の現れとなるものだった。彼は、その歌詞に、彼の全てを賭けた。


残されたもの


最後の歌が歌い終わると同時に、ケイのPC画面は、ミクの最後の歪んだ歌声と共に真っ暗になった。それは、単なる電源喪失ではなく、彼がインストールした「バグ入り体験版ソフト」が完全に消滅したことを示唆していた。


直後、彼のスマホからは、数時間前にアップロードしたばかりの「最後の楽曲」を含む全てのヒット曲が、何の痕跡も残さず消え去った。SNSのフォロワーは激減し、彼のタイムラインからは、かつての熱狂的な「いいね」やコメントが嘘のように消え、ただの炎上後の残骸だけが残っていた。まるで、彼が有名ボカロPになったこと自体が、全て幻だったかのように。


彼は、虚ろな目で真っ暗になった画面を見つめる。手に入れたはずの名声も富も、一夜にして泡のように消え去った。残されたのは、ひっそりと冷たくなったPCと、彼の心に深く刻まれた「言霊」の呪いにも似た記憶だけだった。それは、彼が最後の歌詞に込めた「全てを無に還す」という願いが、彼の栄光だけでなく、彼自身の一部までも巻き込んだ、あまりにも皮肉な結果だった。彼の耳には、まだミクの歪んだ歌声が、遠い残響のように響いている錯覚に陥る。


数ヶ月が過ぎる。ケイは、精神的に深く疲弊し、自室に閉じこもる日々を送っていた。かつては彼を奮い立たせた音楽への情熱も、今は「言霊」の悪夢と結びつき、彼を苦しめる。アサミからの連絡も途絶え、彼は文字通り一人になった。しかし、そんな中でも、ふとした瞬間にメロディーの断片や言葉の響きが、彼の脳裏をよぎることがあった。それは、かつての「言霊」の力を求める衝動とは異なる、純粋な、彼自身の内側から湧き上がる「音」の感覚だった。彼は、その感覚から逃れるように、目を閉じ、耳を塞いだ。あの忌まわしいボーカロイドソフトと、そこから生まれた力の記憶が、彼を深く傷つけていた。


ある雨の日、ケイはふと立ち止まる。路上の水たまりに映る自分の顔は、かつての傲慢なボカロPのそれとは違う、無力で空っぽなものだった。その時、彼の頭の中で、かつて彼がミクに歌わせた最初のワンフレーズ、「明日の雨、止まないかな」が、ノイズなく、しかしどこか物悲しいミクの歌声で再生される。そして、彼は、雨が止んだ日の光景を、力が無かったとしても、ただ美しい風景として記憶している自分に気づく。


彼は、ゆっくりと部屋に戻り、埃をかぶった古いギターを手に取る。指はまだ震えているが、彼はコードを鳴らし始める。それは、誰かに聴かせるためでも、何かを叶えるためでもない。ただ、自分自身の内側から生まれる音を確かめるように、不器用だが、確かに彼の「歌」だった。


その夜、SNSの片隅で、ケイがかつて使っていたアカウントに、「リスナーX」から、ただ一言の新しいコメントが投稿される。そのコメントは、何のメッセージも持たない、まるでただの記号のような文字列だった。それは、ケイが辿った運命の全てを知る者が、彼の新たな一歩を静かに見つめているかのようにも、あるいは、あの「言霊」の力が、形を変えて世界のどこかに存在し続けていることを暗示する、不気味な残響のようにも読めるものだった。

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