34:国王様との対話
正午過ぎ。
昼食を終えた私は、精霊たちを引き連れて宮廷礼拝堂を訪れていた。
精緻な彫刻が隅々まで施されたアーチ型の天井。
柔らかな乳白色に輝く大理石の壁。
陽光を受けたステンドグラスが、床に七色の光を落としている。
正面には《神樹》を象った一枚板の祭壇。
祭壇の両脇には獣神ベスティアと、ベスティアの従者である神獣たちを模した石像が建っていた。
「…………」
清浄な空気に満ちた礼拝堂に立っていると、心までも浄化されていくような気がする。
まるで、この空間そのものが、不安や迷いを受け止めてくれるかのように。
私は緋色の絨毯に膝をつき、胸元で手を組みながら目を閉じた。
――どうか、シャノンの妻になれますように。
――彼と並び立つことを、王や国民に認められますように。
シャノンはエレギアの王子で、私は他国からやってきた人間。
果たして無事に結婚できるのか。
どれだけ祈っても悩みは解消されず、私の胸には膨大な不安が渦巻いていた。
その時だった。
「何をそんなに思いつめているのだ、アンジェリカ」
バロン様の声が聞こえて、私はビクッと肩を震わせた。
振り返れば、礼拝堂の入口付近にバロン様が立っている。
「こ、国王陛下……!」
慌てて私は立ち上がり、頭を下げた。
「そんなに緊張するな。国王ではなく、いまはシャノンの父親として話をしたいんだ。シャノンに聞いたんだが、番になることを承諾したんだってな?」
話の内容に対して、バロン様の口調は軽い。
息子である王太子が結婚相手を決めたのだ。
父親としても国としても一大事だと思うのだが。
「……はい」
一体何を言われるのだろうと、私はびくびくしながら肯定した。
「そうかぁ。あいつは物心ついた頃から度々国を抜け出して、運命の相手である君を探し回っていたが、やっと長年の苦労が報われたんだなぁ。良かった良かった」
バロン様は感慨深そうに頷いた。
「……はい?」
予想外の反応に、私は伏せていた顔を上げ、ポカンとしてしまった。
「どうした? シャノンの番になったんだろう? え、まさか気が変わったのか?」
バロン様の表情が一気に曇り、シャノンとよく似た頭の耳が垂れた。
「いえ、そんなことはありません!!」
たった一晩で心変わりをするような最低女だと思われるのは心外だ。
「そうか。良かった。俺の息子はショック死を免れたようだ」
力いっぱい否定した私に、バロン様は歯を見せて明るく笑った。
「ですが、良いのでしょうか? 私は人間で、彼はエレギアの王太子です。それなのに、番となることをお許しくださるのですか?」
「うーん」
バロン様は困ったように唸り、太い指を顎に当てた。
「許すっつーか、そもそも『許さない』っていう選択肢自体がねえんだよ。そんなことしたらシャノンは一生独身のまま、子孫を残すことなく死んじまう。アンジェリカは人間だからこの感覚はわからねえと思うんだが、獣人にとって、番っていうのは運命の相手なんだ。番以外の異性には興味を引かれないし、性欲も湧かねえ」
《ちょっと。生々しい話をするんじゃないわよ》
赤面した私を見て、ディーネが苦言を呈してくれた。
「ああ、すまん。でも、事実なんだよこれが。番以外の相手と結ばれることは、心も身体も受け付けない。一生探し求めても出会えるかどうかわからない運命の相手に出会えたのに、番になることを許さないっていうのは、飛ぶ鳥を落とすより残酷なことだ。例えば、アンジェリカは『今日から一睡もするな』と言われたらどうする?」
「……死にますね」
考えるまでもないことだった。
人間、眠らなければ死ぬしかない。
ファナリースでこき使われていた頃、私は実際に睡眠不足で死にかけたことがあった。
「そうそう。番ってのは、そいつと似たようなもんだ。睡眠が本能で求めるものだろ? それと同じで、番と結ばれるのは俺たちの生存本能に直結してる。無理にそれを否定されたら、心が死ぬ。生きてても、心だけ干からびちまう。理屈をどれだけ並べても、本能には勝てねえ。だから誰も、番との結びつきを否定したりしねえんだ。許すも許さないもねえよ。親としては、シャノンが運命の相手と出会えたことを、ただ祝福してやるだけさ」
バロン様はニヤリと笑った。
「そりゃもちろん、アンジェリカが人間だから気に食わん! 王子の番には相応しくない! って文句を言う奴はいるだろうよ。だが、それ以上に支持する奴らがいることを忘れるな。俺とベルタはそのうちの二人だ。エレギアに来てから、アンジェリカが亜人のためにどれだけ尽くしてくれたか、俺たちは知ってる。ちゃんと見てたよ」
優しい眼差しを受けて、胸が震えた。
「そのぶっ飛んだ治癒能力と精霊の加護があれば、どこでも楽しく暮らせるだろ。なのに、アンジェリカはエレギアに留まることを選んでくれた。俺たちのために大国の制度を変えようってんだから、まったく、大した人間だ。感謝してもしきれねえよ。国王として、一人の亜人として、礼を言う」
「そんな、お止めください。王が頭を下げてはいけません。お礼のお言葉だけで充分です」
慌てて止めると、バロン様は下げかけた頭を上げ、豪快に笑った。
「アンジェリカは謙虚だな。こんな素晴らしい相手が番だなんて、シャノンは運命の女神にとびきり愛されてるよ。不束な息子だが、どうかこれからもよろしく頼む。アンジェリカが未来の娘になることを楽しみにしてるぞ」
微笑んだバロン様に、私も微笑み返す。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
シャノンの両親である国王夫妻が交際を認めてくれているのならば、こんなに心強いことはない。
いつしか私の中の不安や悩みは、すっかり消えていた。




