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02:国外追放なんて怖くない

「顔色が変わったな。女神の敬虔な信徒として厳しく己を律し、誰よりも清純であるべき聖女が巡礼の旅の途中で蛮族に身体を許し、宿で三日も過ごすとは。まさに神をも恐れぬ所業、女神の顔面に唾を吐くにも等しい行為だ。貴様には貞操観念がないようだな。一体どんな教育を受けた?」

 ジルベルト様は緑色の目を細め、はっきりと侮蔑の表情を浮かべた。


「誤解なさらないでください! シャノンが私を抱き抱えたのは私が高熱で倒れていたからです! シャノンが私に触れたのは真実あのときだけです! 宿に三日滞在したのは寝込んでいたからです! 付け加えて言うならばシャノンは同じ宿には泊まっていません! 亜人だからと宿泊を拒否されたのです! 彼は私が回復するまでの間、宿近くの小屋で過ごしました!」

「貴様は何階の部屋に泊まった?」

「……二階ですが」

 質問の意図がわからず、私は戸惑いながら答えた。

 ドナーニは聖王国の北西にある小さな村だ。

 当然宿も小さく、三階建て以上の立派な建物であるはずがなかった。


「二階か。蛮族の身体能力ならば、窓から出入りするのは容易いだろうな」

「な……」

 どうあってもジルベルト様は私とシャノンを辱めたいらしい。


「お言葉ですが、陛下。シャノンは――」

 ――窓から出入りなどしていない。


 これは回復した後で聞いた話だが、シャノンは私の介抱を宿の主人の妻、ローラさんに頼んだらしい。

 シャノンは時折、外からローラさんに私の様子を尋ねるだけで、入るなと言われた宿には決して足を踏み入れなかった。


 シャノンは雨が降る中、私の部屋を見上げていたそうだ。


 ――狼族だと言っていたが、あれはまるで主人の帰りを待つ忠犬のようだったよ。

 あんなに健気にされちゃ敵わないわ、とローラさんは笑っていた。


 ローラさんが私の世話を焼いてくれたのは、間違いなくシャノンのおかげだった。


「ええい黙れ、陛下の御前で蛮族の名を連呼するな!! 汚らわしい女め!!」

 私の台詞を遮り、恰幅の良い大臣が憤怒の形相で叫んだ。


「巡礼の旅にかこつけて放蕩にふけっていたとはなんたること、神への冒涜だ! 国外追放など生温い、陛下、極刑にすべきです!」

 大臣の叫びを皮切りに、非難の声が一斉に噴き上がった。


「大臣のおっしゃる通りよ。信じられないわ。聖女ともあろう者が、よりにもよって、巡礼の旅の途中で蛮族とみだらな行為を?」

「前代未聞だわ。なんて不潔なの。破門になって当然よ」

「一人だけ何故こんなにも帰りが遅いのかと思ったら……最低だわ。恥知らず」


「蛮族と三日も過ごしておきながら『何もなかった』などあり得るものか。蛮族には人間のような知性もなく、品性もない。本能のままに生きるケダモノだ。蛮族は頭ではなく下半身に脳がついておると聞く。三日三晩、さぞ乱れた……おお、なんと悍ましい! 女神よ、どうかお許しください!」

 ケノック大司教は目を潤ませながら天井の女神を見上げ、両手を伸ばした。やけに芝居がかった動作だった。


「…………っ」

 歯を食いしばり、爪が皮膚を突き破るほど強く拳を握る。

 自分のことならまだ許せる。

 でも、シャノンを侮辱されるのは悔しくて仕方なかった。


 ローラさんにお礼を言って村を出た後、シャノンは風の神殿に辿り着くまで同行してくれた。

 それまでずっと一人で心細かったから、護衛役兼話し相手になってくれた彼には本当に救われた。


 風の精霊を従えて神殿から出てきた私を見て、もう自分がいなくても大丈夫だと思ったらしく、彼は別れを告げた。

 遠ざかる背中に向かって、いつか会いに行っても良いかと尋ねた。


 彼は驚いたように頭の耳を立ててから。

「もちろん。待ってる」と笑ってくれた。


 ここにいる人たちは亜人を蛮族だと蔑むけれど。

 ここにいる誰よりも、シャノンは優しい紳士だった。


 ――アンジェリカ。あたしたちは必ず戻るから信じて待ってて。どんなことがあっても負けちゃ駄目よ。


 風の精霊の言葉が蘇る。

 精霊たちの強い眼差しが、その言葉が私に勇気と力をくれた。

 手のひらから力を抜き、すうっと息を吸い込む。


「――国王陛下!!」

 氷の礫のような罵詈雑言を吹き飛ばすべく、腹の底から声を出す。

 圧倒されように、しん……と、謁見の間が静まり返る。

 不愉快そうに眉をひそめたジルベルト様を見上げて、私は胸に手を当てた。


「どうかお聞きください。私があのとき熱を出したのは、連日歩き詰めだったからです。教会が『巡礼の旅』のために用意してくださった馬車は出発早々に壊れ、徒歩を余儀なくされました。教会の関連施設に行っても何故か門前払いされ、馬車を借りることができませんでした」


 これは同じ王妃候補として選ばれた四人の聖女のうちの誰かの仕業だろう。


 他のライバルを出し抜き、いち早く『巡礼の旅』を終えて聖王宮に戻り、ジルベルト様のご機嫌窺いをしようとした者がいるに違いない。

 聖女だって人間だ。

 中には他人を平気で踏みつけ、私利私欲のまま道を外れる者もいる。


「倒れた私を介抱してくれる人は誰もいませんでした。護衛騎士としてつけられた屈強な男性二人は、旅に出たその日のうちに体調不良を訴えました。治癒魔法も効果がなかったため、私は二人を宿に残し、一人で旅をするしかなかったのです」


 精霊の加護を求める『巡礼の旅』の途中、私は何度も窮地に陥った。

 賊に襲われそうになったこともあったし、魔物の群れに囲まれたこともあった。

 シャノンや契約精霊たちがいなかったならば、とうに私は土の下だ。


「陛下はそうした私の旅事情をご存じだったのでしょうか?」

「知るか。貴様の事情など興味もない」

 ジルベルト様の返答はそっけない。

 それでも挫けることなく、私は言葉を続けた。


「不思議ですね。陛下は私の苦難に満ちた旅事情をご存じではない。それなのに、私が亜人に抱き抱えられ、ドナーニの宿で三泊したことだけはご存じです」


 私は玉座の斜め下に立っている四人の大聖女たちを見た。

 気まずそうに目を逸らす者、強気に睨み返してくる者、無言で顔を伏せる者。

 この中の誰かが私を王妃候補から蹴落とすための絵図を描いた。


「一体どなたが陛下に告げ口したのでしょう。遠くから私の動向を逐一監視していた者がいるのでしょうか。私から馬車という足を奪い、護衛という盾を奪い、不名誉極まりない虚偽の事実をでっち上げて汚名を着せる――監視者の雇い主はよほど私を舞台から退場させたかったようですね。私と違って知識も教養もある、上級貴族の美しいご令嬢が、何の後ろ盾もない平民の孤児をどうして恐れたのでしょう」

 聖女や精霊たちから視線を転じて、私はジルベルト様に視線を戻した。


「改めてお尋ねいたします、陛下。申し上げた通り、私はあのとき味方が一人もいませんでした。亜人の手を借りなければ死んでいました。それでも亜人に触られたこの身は不浄である、亜人に触れられることを良しとする女など不要、そのまま死んでいれば良かったと思われるのですか?」

 祈るような心地で玉座を見上げる。


 もしもこれでジルベルト様が考え直し、国外追放という判決を覆してくださるのならば、それで良い。

 聖王国の片隅で静かに暮らしていこうと思っていた。


 ――でも。


「当然だ。蛮族に汚された女など要らぬ。どんな病原菌を移されたか、考えるだけで吐き気がするわ。貴様の顔を見ているだけで不快だ」

 ジルベルト様は、まるで汚物でも見るような目で私を見た。


「……わかりました」

 私は悲しく笑った。

 思いのたけは全てぶつけた。もう何も言うことはない。未練もない。


「それではどうぞ私を国外へ追放してください、国王陛下」

 恭しく頭を下げる。これが今生の別れだというのならば、挨拶はきちんとすべきだと思った。


「ふん。衛兵! 罪人アンジェリカ・コートレットを拘束し、エレギアの森に追放せよ!」

 ジルベルト様が片手を上げた。


 ――エレギアの森!

 私はその言葉に歓喜した。

 ジルベルト様は亜人を野蛮な蛮族だと信じ切っているようだから、嫌がらせのために追放先をエレギアの森にしたのかもしれない。


 でも、願ったり叶ったりだ。

 たとえどこに追放されようと、私はエレギアの森に向かうつもりでいた。


「はっ!」

 ジルベルト様の命に応じ、兵士たちが私を連れて退室する。

 エレギアの森に行けば、またシャノンと会えるかもしれない。

 そう思うと、国外追放も怖くなかった。


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