プロローグ
カーテンを閉め切った薄暗い部屋には、ほとんど外光が差し込まない。そんな閉塞感漂う空間を、机上のモニターが放つ光だけがぎこちなく照らしている。
机の周りにはゲーム用のコントローラーや散乱した空き缶、紙タバコの吸い殻が無造作に転がっており、その混乱ぶりがこの部屋の主・天道レイジの生活態度を物語っていた。
レイジは椅子に深く腰掛け、
中性的な顔立ちを画面に向けている。
長めの黒髪は伸び放題のまま束ねられ、毛先にはやや傷みが目立つ。
肩幅は狭く、身体全体は華奢で細長い――男としては頼りないとすら思える体格だった。
モニターの画面越しに映るのは、VTuber「都姫レイナ」。彼が演じるもう1つの顔だ。
パンケーキモチーフの“甘ふわ”お姫さまVTuber――それが「都姫レイナ」のコンセプト。
腰近くまで伸びるクリーム色のロングヘアは、ホイップクリームのようにふんわりとボリュームがあり、ほんのり金色のハイライトがところどころに混ざっている。頭の上には小さな王冠型のヘアアクセサリーが輝き、先端にはメープルシロップのしずくを模した小さな宝石が揺れていた。
衣装は、パンケーキの生地を思わせる柔らかなベージュが基調。裾に向かってふわりと広がるフリル付きのロングドレスには、ほんのり甘い香りが漂ってきそうなピンクのリボンがあしらわれ、胸元にはシロップに見立てた艶やかな飾りが一際目を引く。
「ふふっ♡ みんな~、見ててね。ここから一気に仕留めるよ!」
彼が得意とするFPSゲームの配信では、その驚異的なスキルが武器となる。画面には敵との激しい銃撃戦が映し出され、レイジはチームを牽引する指揮官として冷静に動いていた。
「右側の建物にスナイパー! 一緒に詰めて、こっちはカバーするよ~♡」
甘い女声とは裏腹に、的確で冷徹な指示が飛ぶ。敵の位置を把握し、瞬時に最適な行動を決めるそのプレイはプロ顔負けだ。視聴者はそのギャップに釘付けになり、コメント欄は歓声で埋め尽くされた。
「レイレイやばい!」「プロレベルじゃん!」「ギャップ萌えで死にそう!」
ゆるふわ系のキャラだが、ゲームの腕は確か。それが彼の売りだった。
「やった~♡ これで決まりだね! どう? 私、ちょっとカッコよかったでしょ?」
リスナーの声援に応じながら、画面越しに笑顔を浮かべる。だがその実、彼の内心は冷め切っていた。
スパチャ読み前に、「ちょっとお花を摘みに行ってくるね〜♡」と言いながら、ミュートにして、レイジはコントローラーを投げ出し、椅子に深くもたれかかった。画面にはスパチャや収益が数字で表示されている。それを見て、「フン、こんなもんだろ。チョロい奴らだよ……」
と言いつつ、皮肉げに笑いながら紙タバコを吸う。
「今日も稼げたな。必死で応援してくれるリスナーには悪いけど、これが仕事だからな」
男でごめんね〜と言いながら冷蔵庫を開け、エナジードリンクを取り出して一気に飲み干す。部屋の床には空き缶やゴミが散乱しているが、そんなことは気にもしない。
彼が気にしてるのは1つだけで、24歳になってもなお、定職につかず、女声でVtuberをやって食っている自分の将来への不安感だけである。
足元には飼い犬のチワワ、マロンが丸まっていたが、その目は主人に対して冷ややかだった。まるで呆れているようなその視線に、レイジは苛立つように言った。
「なんだよその目。俺が稼がなきゃお前のエサ代も出ねぇんだぞ?」
マロンはため息をついたようにそっぽを向いた。
もう1度画面を確認すると、同時接続者数が想定を大幅に上回っていることに気づく。レイジの中で打算が働いた。
「これはメン限に誘導するタイミングだな」
ASMRは普段ほとんどやらないが、その「貴重感」が収益を最大化する武器になる。「天道レイナ」として、彼はメンバーシップによる安定収益を増やすことを常に念頭に置いていた。企業勢には人力や資金力、拡散力で敵わない以上、個人勢としての最適な戦略を取るしかない。
「みんな~♡ お待たせ〜!今日の配信、見てくれてありがとう! そして……ふふっ♡ このあと、急遽ASMR配信をやっちゃうよ~♪ 2年ぶりのASMR、楽しみにしててね?最初の30分は一般公開だけど、その後はメンバー限定だから、まだ入ってない人は今のうちに入ってね♡」
リスナーたちのコメント欄は騒然となり、次々とメンバーシップ加入通知が流れる。
15分ほどで準備を完了させ、次の枠をたてた。
レイジは狭苦しい布団の中で、甘い囁き声をマイクに吹き込む。
「こんなに近くで話すの……久しぶりでちょっとドキドキしちゃうね♡ 」
その声は画面越しのリスナーを癒し、コメント欄は熱狂的な反応で溢れた。
「尊い……」「心臓が持たない!」「延々と聞いてたい!」
「次はシャンプーするよ〜みんなのこと、もっと癒してあげたいなぁ♡」
甘い声で囁きながら、彼の心の中でしたたかに計算していた。だいぶメン限増えたな、、いい調子だ。メン限で収益安定させつつ、この調子でコアファン増やしてけば4ヶ月後に企画している初めてのオンラインイベントの集客数も期待できるかもしれない。同接数と比較してそんなに誤差が出てないから、今の登録者数の1%がイベントに来るとして、。悲観的に見て70%を掛けて、自分への入りの3,000円をかけると、、、ふへへへへ。
定期的に歌枠をとり、個人でオリジナル曲を作成。細々とグッツを販売し、コツコツと準備してきた彼は不敵な笑みを浮かべる。
一般枠が終わる時間を確認すると、再び声を張り上げた。
「ふふっ♡ ここからはメンバー限定だよ~。まだ入ってない人は今すぐ入ってね!」
メン限のいちゃラブASMR配信を終えたレイジは布団から這い出し、高価な耳型マイクを無造作に放り投げた。
「はぁ~、クソ暑いわ!!今日も完璧だったな。Vtuberはきついけど、リスナーはちょろい。」
彼は配信部屋に常備している冷蔵庫からスピリタス、ウォッカ、エナジードリンクを取り出し、ホットケーキミックスを手に取った。そして、部屋隅に置いてあったガスコンロとフライパンを部屋の中央にセットする。
「よし、夜食はこれだな。“徹夜パンケーキ”〜!」
ホットケーキミックスにスピリタス、ウォッカを大胆に注ぎ込み、最後にエナジードリンクを加えた生地は、怪しげな泡を立てている。マロンはその匂いに耐えきれず、部屋の隅に逃げていった。
そこで目に入るのは天井のシャンデリア。いかにも庶民的なこの部屋に無相応であるが、昔、父親が意味不明なテンションで買ってきたもので、無駄にデカイ。
「なんでこんなもん付けたんだか……ま、ひっくり返すぞ〜っと」
フライパンを揺らしパンケーキをひょいと放る。だが思った以上に弾力があったのか、
高く舞い上がった生地はよりにもよってシャンデリアにベチャリと張り付いた。
続いていやな音がして、ズルズルと外れそうになったシャンデリアがグラグラ揺れ――ガシャーン!
まっすぐレイジの頭上へ落ちてきた。
「ぐはっっっ!!……マジか……」
盛大な衝撃にレイジは床に倒れ込む。頭を打たれた痛みで視界がじんわり滲む中、横を見ると、マロンがありえないほどガタガタ震えていた。マロンはそのままパタリと倒れ、ぷつりと動かなくなる。
マロンにも当たっちまってたのか、、?マジですまねぇ……
そのままオレは意識を失った。
部屋は静まり返り、焦げたパンケーキの匂いだけが漂う中、SNSでは「レイレイ最高!」「久々のasmr癒されました」とリスナーたちの声が盛り上がり続けていた。
――――――――――――
次に気が付くと、白い霧のようなもやが広がる空間に立っている。わけがわからず周囲を見回していると、羽の生えた女性――女神っぽい存在が現れた。
ただ、その女神の羽はボサボサ、煌びやかに見える紫髪にはアホ毛を生やしており、眠そうに金色の瞳をまばたかせて、やけにポンコツ感を漂わせている。あまりありがたみはない。
「あー、レイジさんとマロンさん、で合ってるわよね?私は日本バカ死に担当の女神、リーナ様よ。ご愁傷さまー」
肩をすくめて笑う女神は、どこか他人事のように楽しげだ。
バカ死に担当、、、?ってかマロン?
その背後から、ツンとした表情の美少女が姿を現した。透き通るような白い肌に、肩にかかる艶やかな栗色の髪がふわりと揺れ、金色に輝く瞳がきつくこちらを射抜く。非常に小柄な体つきに、ひらりとしたフリルのついたワンピースが映え、どこかおとぎ話の中から飛び出してきたような雰囲気を漂わせている。頭から生えている犬ような耳をパタパタさせているのがとても愛らしい。しかし、その可愛らしい見た目とは裏腹に、態度には明らかに不満と怒りがにじみ出ていた。
「レイジ……! 私がマロンだって、わかる? こんな意味不明な姿にさせられて……犬じゃなくなってるし!」
怒りをあらわにしながらも、どこか迫力のないその少女は、自分がかつてチワワ、マロンであると主張する。
「な、なんでマロンが人になってんだ……!?」
混乱の極みのレイジは、目の前の光景が信じられない。マロンは茶色の髪をふわりとなびかせ、こちらに少し詰め寄った。
「人間になったことを怒ってるわけじゃないの、むしろそれは誇らしいわ――」
マロンは自分の体を改めて見下ろし、さらに顔をしかめた。
「なんで私、こんなにチビなのよ!?」
その怒声にレイジは思わずたじろいだ。
「え、いや……チワワじゃん?」
「私、血統書付きよ! 選ばれた犬だったのよ!? せっかく人間になるなら、もっと堂々としてたいのに、こんな小さいんじゃ威厳もクソもないわ!」
プライドを傷つけられた様子で拳を震わせるマロンに、レイジは半ば呆れていた。
「……まぁ、なんだ、その、落ち着けって。とりあえず状況を整理しようぜ。女神、教えてくれないか?」
そう言いながらレイジが視線を女神に向けると、彼女は空中にホログラム風の映像を映し出した。
「はいはい、これが今回の死因よー。まぁ、ちょっと間抜けっぽいけど、見てて?」
パンケーキの直撃→シャンデリア落下→レイジ圧死、そしてマロンのショック死。コントかな?
「……っていうか、マロンショック死とか、笑えるな、ぷぷっ、」
レイジがこらえきれずプッと吹き出すと、マロンの顔は見る見るうちに真っ赤になり、まるで湯気が出そうなほどに紅潮した。次の瞬間、彼女の拳は稲妻のように空気を裂き、ほとんど残像を残さぬスピードでレイジへ向かって突き出される。
ドゴォン!
レイジはものの見事に吹っ飛ばされ、「ブベラッ!?」という謎の断末魔を残しながらクルクル回転しながら宙に浮かび、頭から白い床にのめり込み、そのまま動かなくなった。
「ちょ、今の一撃でレイジ死んだんじゃないの……?」
冷や汗をかくマロンに、女神は「あ~」と気まずそうな顔でそらしつつ答える。
「うん、死んだわね。でも大丈夫。実はレイジさんには“1000回死ねる権利”を付与してあるから。死にまくっても蘇るのよ。異世界に行ってもらうんだもの。ニートには厳しいとおもうし。」
「……最初にそれ言ってよ。私、完全に殺人犯みたいじゃん」
マロンは呆れつつも、内心ほっとする。するとズルリと地面にめり込んでいたレイジの体がにわかに浮き上がり、ピクピクと震えながらよろよろと立ち上がった。
「おっ……おい……俺、今死んだはずなのに、生き返ったのか? っつーか痛ぇ……」
「なんか文句あんの?」
マロンが腕を組みながら胸を張る。
狂犬か?こいつは?ってかチワワのクセに強すぎんだろ、、、
レイジは再び意識がハッキリすると、マロンを指さして叫ぶ。
「この……クソ犬! いくらなんでも殴り殺すとかやりすぎだろうが!」
「私の死に様をバカにされてたまるか! アンタが悪い! あとクソ犬いうな、美少女に向かって失礼だろ!」
「元は犬だろうが!ってか自分で美少女いうな!女児の間違いだろ!?」
再び口論が始まりそうになる二人を、女神がチョイチョイと宥めるように手を振る。いかにも面倒くさそうな態度だが、続けてぺらぺらと話し始める。
「でね、あなたたちには異世界に行ってもらいたいの。けっこう難易度高い世界だから死にまくるかもしれないけど、そこは1000回死ねるで対応して。で、何をしてほしいかっていうと……」
「!?1000回死ねるってなに?えっ?難易度高い?」
「うっるさいわね!!後でそこの犬にきいて!!この伝説の剣もあげるからっ!」
理不尽すぎるなコイツ、、っていうか伝説の剣を貰えんのか!なんか勇者みたいだな!
女神は悪態をつきながら、どこからともなくゴソゴソと剣を取り出し、レイジに押し付ける。見た目は立派な装飾つきでいかにも“伝説”っぽいが、ポッキリ折れている。というか刃が10cmもない。
レイジは受け取るなり目を丸くする。
「ちょ、まて。どう見ても折れてるじゃん。使い物になるのか? 刃、ほぼないじゃん?」
「それが“伝説の剣”ってやつで、本当なら魔王を倒すのに必須なのよ。でも私が、、、まぁいいや。色々あって折れちゃって……いやー、上司に怒られてちょー怖かったんだから!」
悪びれず、自分が伝説の剣を折ったであろうことも隠す気配ゼロの女神。マロンも呆れ顔だ。ってか女神に上司とかいんの?
「これがなきゃ魔王は倒せない? でも折れてんじゃん? どうしろと?」
「そんなもん知らないわよ!だから異世界で修理法でも何でも探してよ。ついでに魔王も倒して。せっかくバカしか来ない転生サポート役から異動できそうだったのに、倒せなかったら今までの努力がチャラよ!」
「はあっっ?ぜんぶ他人任せかよ!ってかバカしか来ないってどういうことだよ!?」
「さっきからごちゃごちゃうるさいわねぇ。それだからパンケーキなんかで死ぬクソニートなのよ。早速向こうの世界へ転移させてやるわ! 」
「ほらっ!そこのショック死の駄犬もこっちに寄りなさい!」
「こいつっ!!ぶっ殺してやる!!!!」
ハモるオレとマロン。
抵抗虚しく、女神がパチンと指を鳴らすと、レイジとマロンの足元から眩い光が立ち上がる。二人とも訳もわからないまま光に飲み込まれそうになるが、レイジ達は最後に女神へ吠える。
「お前っ! 俺たちだけ行かせてんじゃねぇぞ!!お前も手伝え!パンケーキクソニート呼ばわりしやがって!!Vtuberはニートじゃねぇ!!自営業だっ!」
「そうよっ!このクソ女神ぶっ殺してやるっ!!駄犬呼ばわりしやがって!!私は血統書付きだっ!!」
「はいはいーっ!がんばってね〜」
耳をほじりながらめんどくさそうに返事をする女神。
そうこうしているうちに光がさらに強くなり、やがて二人は眩い世界へと消えていった。
指に息を吹きかけながら、
「大丈夫よ〜、あっちにはドSサイコパスな、あんたのファンもいるしね〜」
そう呟く女神の声は二人には届かなかった。