30.令嬢突撃(「能力主義」に意外な意味がありました)
一応R15とします
残酷な描写がたまにあります。
基本ゆるく行く予定です。
僕は自分の想像に、思わず立ち上がっていた。
あの「薬」の開発には、高位貴族にとっての大義名分が存在することに気付いてしまった。
ものすごく大雑把な言い方だけど、貴族は、高位になればなるほど暗殺の危険が高まる。政敵だけじゃなく身内からもだ。今の帝国では考えにくいけど、敵国の刺客だっている。
勿論、地位にふさわしい守りをしているだろうけど、『亜人』なら、その守りを抜ける可能性がある。少なくとも普通のヒト族に対してよりも警護は困難になるだろう。
あの「薬」は、匂いがひどかったけど、無臭、又は、香として使えるものになったら、それを常時焚くだけで、『亜人』による襲撃は、完全に防げるようになる。
それは、開発を後押しすることになるだろう。
そして、最も暗殺を恐れるのは誰か。それは、皇帝を筆頭にした皇族だ。
それならば、あの「薬」の開発を、皇帝もしくは皇族が主導した可能性だってある。もしそうだったら、対応は不可能、最悪だ。
僕は、真っ青になっていただろう。
「大丈夫よ」
柔らかい声がして、背後から抱きしめられた。
恐ろしい想像に気を取られていた僕は、ブリュテ母さんが立ち上がっていたことにも気付いていなかった。
「ああ。そこは心配いらない。少なくとも次代までは」
兄さんが強く頷いて言った。
僕の考えてる事ってそんなに分かりやすい?いや、それよりも何で大丈夫って言えるの?それも二人揃って。
ブリュテ母さんが宥めるように、僕の頭を撫でた
僕が座っていた二人掛けのソファに座り、手を軽く引っ張るようにして、自分の隣に僕を座らせる。
僕の様子を心配したのか、ユニも僕の足元までやってきて、座り込んだ。
母さんが柔らかい笑顔を浮かべて、軽く首を傾げながら言った。
「ローグは秘密、守れるわよね?」
僕は頷く。
「今からの話は絶対に秘密ね。いい?」
僕の手を握る母さんの力が強くなった。
「私の親友のプリシラの事、覚えてる?」
「はい」
何度か会ったことがあるし、母さんから話を聞いている。学院時代からの親友だということも。
フォクシオン子爵令嬢だったけど、伯爵家に嫁いだ。確か、プリシラ・ド・カミュラニード様だったっけ。それがどうしたんだろう?
「彼女は今、皇后陛下の侍女長をしてるの。常に陛下のお側に付き従ってるわ。その前は、皇太子様の乳母も勤めたわね」
まだ、何が言いたいのかわからない。
「彼女のお祖母様は、狐の獣人とのハーフなの。そして、その事は、皇后陛下は勿論、皇帝陛下もご存知よ」
僕は驚愕した。皇族の身近に、獣人の血を引くものがいるということに。今世の感覚では、へえ、くらいだけど、前世から考えると信じられないことだった。
「で、皇太子殿下の近衛の2番手が、殿下の乳兄弟でもある、プリシラ様の息子だ」
兄さんが、言葉を繋げる。
「ああ、兄さんと同級生のタルケンさん」
彼とも何度か、うちで会ったことがある。とても物柔らかなのに、細剣の使い手としての名声を持つ、近衛騎士の若手筆頭だと聞いた。
「彼が、獣人の血を引くことは、殿下もご存じだ。その上で、次代の近衛騎士長に任じられるおつもりだ」
皇后と皇太子、それぞれの側近に獣人の血を引くものがいるという事は、少なくとも皇族は、獣人を厭っていないという事だし、あの「薬」を近付ける事はないと考えていいわけだ。
最悪を免れた事に、僕は大きく息を吐きだした。
「残念ながら、まだ、『亜人』に対する偏見はある。くだらないことだ。そのために、どれだけ有能な者が道を閉ざされ、無能な者が地位を得ているか。殿下は、そうお考えだ。
帝国学院の校是『能力主義』はお飾りではない。学院創設から50年。その思想は少しずつでも根付き、帝国貴族の考えも変わってきている」
アストン兄さんが真剣な表情で言う。
「本来は隠すべき事でもなければ、そもそも考慮する必要すらないはずの事だ。しかし、現状は残念ながら、そこまで至っていない。だから、ローグ、お前もここだけのことにしてくれ」
僕は、心から頷いた。
しかし、考えてもみなかったけど、「能力主義」を推し進めることと、「差別の撤廃」ってつながるんだ。まあ、端から持てるものと持たざるものには、大きな溝があるけどね。
「さて、ではとりあえず話は終わりだな。後は、尋問結果が出てからでないと動きようがない。ああ、フラウヴェル伯には、父さんから信書を送っていただけるよう私からお願いしておく。お前は、まずは身体を休ませろ。卒業後の帰宅にしては、事がありすぎだ」
兄さんの気遣いが沁みる。
「あ…、ただし、午後のお茶会はしっかり参加してくれ」
微妙に緩んだ表情になって言う。そこは譲れないんですね。分かります。
「分かりました。」
僕は感謝と呆れの混ざった表情で頷いた。
昼食は、ブリュテ母さん、アストン兄さん、僕、そして何故か、オルヒデ・ド・ブリュボレン伯爵令嬢の四人で取ることになった。
あれ?お茶会するんじゃなかったっけ。
「申し訳ございません。都合悪くも馬車が調整に入っておりまして、仕方ありませんので、馬で参りましたら、早く着いてしまいました」
そう言って、昼食前に颯爽と現れたオルヒデ嬢は、乗馬服姿だった。
背の半ばまである艷やかな金髪を後ろでくくり、防寒用の帽子をかぶっている。外套はメイドに預けたみたいだけど、膝近くまであるブーツも相まって、すごく活動的だ。
僕は、彼女のドレス姿かしか知らなかったんだけど、それは、他の家族も同じだったみたいで、驚いていた。
とは言っても、母さんはあんまり変わらない。
「あらあら。そういう格好もお似合いね」と笑っていた。
アストン兄さんは、喜び勇んで出迎えに出たまま、固まっている。
「おかしいかしら?」
不安そうに呟くオルヒデ嬢に対し、兄さんは、すごい勢いで駆け寄って、その両手を取った。
「美しいよ。ドレス姿も美しいけど、そういう君らしい姿もまた素晴らしい。狩りの女神も逃げ出す美しさだ」
オルヒデ嬢の目を見つめながら言う。
オルヒデ嬢が真っ赤になった。
「こんな格好でもよろしいの?」
「勿論だとも。私は馬に乗るのが得意ではないが、君の馬丁になら喜んでなれるよ」
「いやですわ。アストン様に馬丁なんかさせられません。お得意でないのでしたら、私がお教えしますので、是非、今度ご一緒に遠乗りいたしましょう」
一体何を見せらているのか?いや、分かってるんだけどね。相思相愛の婚約者同士の一幕。まあ、好きにしてくれたらいい。
出迎えの一人として玄関まで来ていた僕に、オルヒデ嬢が気づいた。
「まあ、ローグ様!」
パアッと顔を輝かせて、オルヒデ嬢が僕のもとへ駆け寄る。
「ご無沙汰しております。オルヒデ義姉さん」
まだ、正式には義姉ではないが、こう呼ばないと拗ねられるんだよなあ。
「ええ。ええ。本当にご無沙汰だわ。今年なんか、卒業休みの時しか帰っていらっしゃらなかったでしょう。お会いできなくて本当に残念でしたわ」
僕に会えて嬉しいことが伝わってくる。本当に僕に会いたがってくれているんだよなあ。有難い限りだけど、何でこんなに気に入られているのかわからない。
いや、本当にわからないんだから、睨まないでください。アストン兄さん。怖いです。
「食事の準備ができるまで、談話室で軽くお茶でもしましょう。馬を走らせて来られて、お疲れでしょうし」
アストン兄さんが、僕とオルヒデ嬢の間に割り込むようにして言った。
「疲れてはおりませんが、お茶は頂きたいですわね」
「では、参りましょう」
アストン兄さんが、オルヒデ嬢をエスコートして、談話室、先程まで僕達三人が話していた部屋、に向かった。
僕と母さんは顔を見合わせて、苦笑した。
オルヒデ嬢は、談話室の入口から、窓際で寝そべっているユニを見つけると、突進していった。
「ああ、ユニ。相変わらずあなたの毛並みは素晴らしいですわ」
我を忘れているように見えても、ユニに近づく前に勢いを殺し、静かにその脇にしゃがみ込む。そして、ゆっくりとユニを撫で始めた。ユニも好きなようにさせている。いや、毛皮を褒められて、ちょっと機嫌いいかな?
エスコートしていた手のやり場に困ってアストン兄さんが、入口で固まっているのを、ブリュテ母さんがその背を押して、お茶用のテーブルに連れて行く。
僕も苦笑しながら、その後に続いた。ホント自由な人だよなあ。
そもそも、貴族令嬢が、婚約者の家を訪ねるのに馬で来るとかありえない。武闘派で鳴らしたブリュボレン家の面目躍如と言った感じだ。実際、兄さんと婚約しなければ、騎士を目指す予定だったそうだ。
それが、学院でアストン兄さんと出会い、一目惚れして口説きに口説いたらしい。兄さんも、自分にないものばかりに思われる彼女に惹かれるようになり、卒業パーティーでは、婚約者同士として見事なダンスを披露したそうだ。
お茶の準備ができたところで、オルヒデ嬢も満足したのか、兄さんの向かい側の席に腰掛けた。
僕とブリュテ母さんも席に着き、テーブルを四人で囲むように座る。
メイド長のナルテェが、素早くお茶の準備をする。40代のふくよかな女性で、うちには僕や兄さんが生まれる前から勤めているベテラン女性だ。
オルヒデ嬢のために奮発したと思われる、香り高い紅茶を味わった後で、オルヒデ嬢が言った。
「こちらに参る際に、街で噂をお聞きしましたわ。ローグ様、捕物で活躍なさったんですって?」
あ、これ、根掘り葉掘り聞く気満々だ。どこまで話していいのかなあ?
僕は内心で頭を抱えた。