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六人の殺し屋  作者: 帆高
7/10

揺れる瞳

 雨の中車を走らせていると、明かりが消えたひだまりの前で、椿が空を見上げて立ち尽くしているのが見えた。咄嗟にハンドルを切り、お店の前で車を停めて助手席の窓を開ける。


「え、ルナさん?」

「傘、ないんですか」

「ああ……、ちょっと、忘れちゃって」


 彼は苦笑しながら答えた。


「それなら送りますよ」

「え? いや、そんな、悪いですよ」

「この様子じゃ、いつ止むか分かりませんよ」


 彼は一瞬戸惑いを見せたが、空を仰いでため息をついた。


「じゃあ……、すみません。お言葉に甘えて……」


 椿は「失礼します」と、控えめに助手席のドアを開けると、遠慮がちに腰を下ろした。


「どこまで行けばいいですか?」

「駅までで、大丈夫です」

「分かりました」


 私は慎重にアクセルを踏み、静かに車を発進させた。

 助手席に誰かを乗せるのはいつぶりだろうか。いつもみんなが運転をしてくれているから、最後に乗せたのが誰だったかすら思い出せない。


「……これ、本物、ですよね……?」


 椿の声に視線を向けると、彼はある一点を凝視していた。

 ──しまった。

 慌ててコンソールボックスに置かれた拳銃に手を伸ばすと、彼がぽつりと呟いた。


「触っても、いいですか?」

「え……?」

「あ……、駄目ですよね。すみません」


 彼は眉を下げてあからさまに落ち込んだ様子を見せたが、それに構うことなく拳銃をドアポケットに収めた。


「危険なので。すみません」


 信号が赤に変わり、車を停める。


「……かっこいいですね、警察って」


 私はただ前を見据えたまま、ワイパーが描く弧を目で追った。


「今度、お礼をさせてください」

「お礼?」


 眩しすぎるくらいに真っ直ぐな瞳と、視線が交わる。


「ノートを拾っていただいたお礼と、送っていただいたお礼です。ルナさんが好きなパンって、何ですか?」

「……ひだまりのパンは、どれも好きです」

「じゃあ、今度好きなだけ袋に詰めていってください。もちろんお代はいただきません」

「それは、お得ですね」


 信号が青に変わり、車を走らせながら私は少しだけ口元を緩めた。

 彼の持つ暖かな空気に、任務終わりの凍てついた心が溶けていくのを感じた。


「また、お店行きます」

「はい。ルナさん専用の、大きめの袋を用意しておきますね」

「メロンパンとクリームパンは、絶対に欲しいです」

「たくさん焼いておきます」


 そう言って、椿はふっと笑った。

 このまま、何も知らずにいてくれたらいい。闇の世界など知らずに、暖かいひだまりの中で優しいパンを焼いているままで。

 しばらく車を走らせると人通りが増え、駅の近くに建つショッピングモールが見えてくる。


「北口でいいですか?」

「はい、大丈夫です」


 ロータリーに車を停めると、椿は「本当にありがとうございました」と言って深々と頭を下げた。


「いえ。風邪ひかないように気をつけてください」

「はい、ルナさんも気をつけてくださいね」

「ありがとうございます」

「じゃあ、またお店でお待ちしてます。それじゃ」


 ドアが閉まり、椿は雨の中を小走りで駅へと向かって行った。その背中を見送りながら、私は拳銃を手に取る。

 ──こんな物、彼には似合わない。


****


 重低音の効いたビートが床を揺らし、鼓膜の奥をじわじわと震わせる。照明は赤や青のネオンが交互に瞬き、時折フロアを白く切り裂くストロボが、踊る人々の輪郭を一瞬だけ浮かび上がらせる。

 天井から吊るされたミラーボールが回るたび、反射した光の粒が壁を滑り落ちていった。

 バーカウンターには派手なドレスやスーツをまとった男女が肩を寄せ合い、琥珀色のグラスを手に何かを囁き合っていた。

 甘くて鋭いアルコールの匂いと、汗や香水が混ざり合った熱気に頭が痛む。

 今夜のターゲット、中本良平(ナカモトリョウヘイ)はフロアの中心で女の腰に手を回しながら酒をあおっていた。連日このクラブに入り浸り、裏で麻薬の密売を繰り返している男だ。


「……ルナさん?」


 カウンターの隅に腰を下ろし、中本と接触する機会を伺っていると、聞き覚えのある声に名を呼ばれた。

 視線を向けると、そこにはこの喧騒と毒気に満ちたこの空間に似つかわしくない、純粋無垢な雰囲気を放つ青年が立っていた。


「やっぱりルナさんだ! こんなところで会うなんて奇遇ですね」


 ──椿蒼汰。なぜ彼がここにいる。


「お一人ですか?」


 椿は私の隣に腰を下ろした。明るい声が悪目立ちをする。


「ああ、はい……」

「意外です。こういうところも来られるんですね。僕は友達に連れて来られたんですけど、こういうところ初めてで、なんか疲れちゃって」


 まずい。早く彼から距離を取らなければ。


「すみません。私、今仕事中で──」

「ねえねえ、そこのお姉さん」


 彼から離れるように立ち上がろうとしたその瞬間。後ろから声をかけられて振り返ると、中本が酒で濁った目をこちらに向けていた。


「この人、彼氏?」


 中本は、頭の先からつま先まで値踏みするような視線を椿に向ける。


「いえ、知らない人です」


 私は即答した。

 少しでも関係があると思われたら、椿が危険に晒されかねない。ここで彼を巻き込むわけにはいかない。

 私が返したその言葉に、隣にいる彼が「え……」と小さく声を漏らした。


「そ。じゃあ、ナンパ?」

「僕は、その……」


 目を泳がせる椿に中本は鼻で笑うと、私の腰に腕を回した。


「こんな美人、君にはもったいないよ」


 中本の酒気を帯びた息が、耳元にかかる。


「ねえこんなやつほっといて俺と飲もうよ。二階のVIPルーム、案内するよ」


 そう言われて歩みを進めようとすると、椿が私の左腕を掴んだ。


「はあ? 離せよ」


 中本は顔をしかめて椿を睨みつける。


「あ、あなたが……、離してください」

「チッ、なんだお前」

「絶対離しません」

「お前には釣り合わないって言ってんだろ」

「それでも、離しません」


 その声は震えており、掴まれた腕からも彼の怯えが痛いほど伝わってきた。


「離してください」


 私は彼の手に自分の手を重ね、冷静な声で告げた。

 ──頼むから、今すぐこの場を離れてくれ。

 目で訴えかけるように彼を見つめると、ゆっくりと手の力が緩められた。腕から、彼の熱が消えていく。


「行きましょう」


 中本を促すように一歩踏み出すと、彼は「いや」と顎に指をあて、何かを思案するような素振りを見せた。


「……ちょうどいいや。お前も一緒に来い」


 ぞっとするような笑みを浮かべながら、彼は椿に視線を向けた。


「待って。私一人じゃ不満ですか?」


 私は一歩前に出て中本の視線を引き戻す。

 しかし中本は、獲物を見つけた獣のように目を細めた。


「俺もっと楽しいこと思いついちゃった。だから、こいつにも来てもらうよ」


 中本は強引に椿の腕を掴み、そのまま引きずるようにして階段を登る。


「ルナさん……」


 弱々しく名を呼んだ椿の瞳は、子どものように怯えていた。


「大丈夫です」


 そう静かに告げると、彼は唇を噛んで俯いた。

 VIPルームは、ガラス越しにフロア全体が見渡せるようになっていた。

 下からは一切見えなかったはずだ。マジックミラーか。


「お姉さんは、あそこに座ってて」


 中本は中央のソファを顎で指す。私は静かにそこへ腰を下ろした。


「お前はこっち」


 そして椿を部屋の隅に置かれた椅子に座らせると、棚から取り出してきた縄で手足を強く縛りつけた。椿の顔が歪む。

 どうする。今撃てば、流れ弾が彼に当たるかもしれない。それだけは避けたい。

 私は太もものホルスターに手を伸ばし、拳銃を静かに抜き取った。背中に隠して呼吸を整える。

 

「やめてください! 何するんですか!!」

「うるせえな、暴れんじゃねえ!」


 必死に抵抗する椿に、中本は容赦なく拳を振るった。


「……っ!」


 鈍い音が響き、椿の口の端から血が流れた。

 体が熱くなり、ひどい怒りを覚える。


「そうそう、そうやって黙ってりゃいいんだよ。今からおもしれえもん見せてやるからよ」


 中本は、興奮したように息を荒くして髪をかきあげた。嗜虐的な笑みを浮かべながら、こちらへ歩み寄って来る。


「……実は俺、ずっと寝取りプレイしてみたかったんだ」


 その目は、すでに正気を失っていた。


「まあ残念ながら彼氏ではないみたいだけど? 君に気があることは確かみたいだから」

「何、する気ですか……」


 椿の声が、掠れる。


「この美人が俺に壊されてくとこ、見たくない?」


 中本が私の頭を撫で、嘲るように椿に問いかける。


「やめてください……!」

「さ。お注射、しよっか」

「ルナさん逃げて!」


 中本はポケットから注射器を取り出し、にやりと口元を歪めた。


「やめろ!!」


 椿の叫びが響いたのと同時に、私は中本の脳天を撃ち抜いた。その体が勢いよく床に倒れる。

 室内に、静かな沈黙が流れた。アルコールと香水の臭いに、硝煙の臭いが混ざる。


「見ないでください。あなたが見ていいものじゃない」


 私は椿に近寄り、きつく結ばれた縄をほどく。


「なん、で……。警察、ですよね……?」


 その問いかけに、沈黙を返す。


「ルナさん……」

「ここで見たことは、誰にも話さないでください」


 彼の声は、縋るように震えていた。


「答えて、ください……」


 その瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

 

「……知ってどうするんですか」


 これ以上踏み込めば、後戻りできなくなる。

 私がいるこの世界は、椿のような人間が立っていい場所ではない。


「早く行ってください」


 椿は俯いたまま、なかなか動こうとしなかった。


「同じ目に遭いたいか」


 そう言って拳銃を向けると、彼の喉がヒュッと音を立てた。勢いよく立ち上がり、何度も足をもつれさせながらよろめくように部屋を出て行った。

 見られたくなかった。見せるつもりもなかった。

 恐怖と戸惑いに揺れるあの瞳が、脳裏に焼きついて離れない。


 ──もう、彼に会うことはないだろう。

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