表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六人の殺し屋  作者: 帆高
5/10

ひだまり

 ──椿蒼汰(ツバキソウタ)

 綺麗な文字で名前が書かれた小さなノートを拾った。中にはパンのレシピが丁寧に書かれている。

 椿という名には見覚えがあった。

 最近丘の下に新しくできたパン屋“ひだまり”の店員だ。

 龍河(リュウガ)に誘われて初めて訪れて以来、すっかりそこの味に魅了された私たち六人は、週に二回は通うようになっていた。


「持ち主、このお店の人かな」


 そして今まさに、恭虎(キョウゴ)と共にそこを訪れている。

 お店の駐輪場に落ちていたから、間違いなくあの椿という店員の物だろう。初日に瞳を輝かせておすすめの商品を教えてくれたので、よく覚えている。


「椿って人、多分知ってる」

「そっか。じゃあ届けてあげよう」


 お店の扉を開けると、小さなベルの音が頭上で控えめに鳴った。焼きたてのパンの香りがふわりと鼻をくすぐり、暖かい香りに包まれる。


「いらっしゃいませ」


 カウンターに立っていたのは椿蒼汰ではなく、小柄で丸い目元が印象的な可愛らしい雰囲気の女性店員だった。

 歳は彼よりも少し下に見える。大学生くらいだろうか。

 彼女も何度か見かけたことのある店員の一人だった。ネームプレートには水谷(ミズタニ)と記されている。


「これ、駐輪場で拾いました。椿さんってここの店員さんですよね」


 そう言ってノートを差し出すと、彼女は一瞬驚いた顔をしてから恐る恐るノートを受け取った。


「……ありがとうございます。蒼ちゃんに、渡しておきます」

「お願いします」


 彼女はノートの裏表示に記された“椿蒼汰”の文字を、指先で優しく撫でた。

 

「渡せてよかったね」

「ああ」


 恭虎と並んで商品を選んでいると、背後から刺すような視線を感じた。

 ──興味と、警戒。そして、少しの軽蔑。

 五人の男を代わる代わるに連れて来店しているのだから、勘違いをされても仕方がない。彼女の目には、私が何股もしている女に見えているのだろう。

 会計をしている間も、ちらりとこちらを見上げた視線には、静かな警戒が宿っていた。

 店を出ると外の空気は湿っていて、かすかに雨の匂いがした。


「もしかして、なんか勘違いされてる?」


 車に乗り込むと、恭虎が呟く。


「だろうな。まあ、勝手に思わせておけばいい」


 所詮店員と客だ。わざわざ誤解を解く必要もなければ、そんな機会が訪れることもないだろう。


「ルナがいいならいいけど。必要な時が来たら言ってね」

「ありがとう」


 恭虎はエンジンをかけると、ゆっくりと車を走らせた。

 ふと、椿蒼汰の顔が浮かんだ。

 彼には、私はどんな女に見えているのだろう。あの無邪気な青年の瞳に、私はどう映っているのだろうか。水谷という店員と同じように、澄んだ瞳の奥で、私を軽蔑しているのだろうか。

 そんな思考を断ち切るように、ぽつりと雨粒がフロントガラスに落ちた。やがてそれは静かなリズムを刻み始める。


 ──この妙な胸騒ぎは、きっと気のせいだ。


****


 柔らかいジャズが流れる薄暗い店内。天井のファンはゆったりと回っている。物心ついた頃から親に連れられてよく来ている昔馴染みの喫茶店。

 カウンターでは、髪をうっすらとピンク色に染めたみゑ子さんが、カトラリーを引き出しに収めていく。まるで、「ここがあなたたちのお家よ」と語りかけるような、優しい手つきだった。

 彼女も随分と手の皺が増えた。一つ一つの動作も、記憶の中の彼女よりもゆっくりになっている。

 任務帰りにふらりと立ち寄るたびに、「ルナちゃん今日も綺麗だねえ」と声をかけてくれる。

 笑った時に目尻できる皺が、彼女の歩んできた人生と、底知れぬ優しさを表しているようで好きだった。

 

 ──カラン。


 ドアにつけられたベルが鳴る。ひだまりのものとはまた違う、深い味わいのある音が店内に広がった。

 反射的に音の方向へ目を向けると、そこに立っていたのは見覚えのある青年だった。

 昨日拾ったノートの持ち主、椿蒼汰だ。


「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」


 みゑ子さんの穏やかな声に、彼は少し表情を緩めて店内を見回した。

 目が合うと、彼もこちらに気が付いたようだった。驚いたように目を丸くした彼は、すぐにこちらへ向かって歩いてきた。


「あの、昨日。ノート、届けてくださいましたよね……?」

「ああ、はい」

「本当にありがとうございました……! 大事なノートだったので、助かりました」 

「いえ、よかったです」

「あら、知り合い?」


 カウンターの中から、みゑ子さんは微笑みを向けていた。


「よく行くパン屋の店員さん」

「まあ、そうなの」


 みゑ子さんが嬉しそうに笑うと、椿は照れくさそうに頬をかきながら「隣、いいですか?」と椅子の背もたれに手をかける。


「……どうぞ」


 彼は私の返事に安堵したように「すみません」と言い、慎重に椅子を引いて腰を下ろした。


「ここ、よく来られるんですか?」

「まあ」

「それ、何ですか?」


 椿は私のカップを指差す。


「アッサム」

「じゃあ、僕もそれにしようかな。すみません、アッサムティーを一つお願いします」

「アッサムね。ちょっと待っててくださいね」

「ありがとうございます」


 彼は、みゑ子さんに小さく頭を下げた。

 店員という肩書きが無くとも、普段から礼儀正しい性格なのだろう。


「こういう時は、常連さんと同じものを頼むのが鉄則なんです」


 そう言って彼は人差し指を立てて、得意げに笑った。相変わらず無邪気な顔だった。


「別に、いつもアッサムなわけじゃないですよ」

「え、そうなんですか?」

「ここのは、どれも美味しいから」

「へえ、それは来てよかったです」 


 椿は店内をゆっくりと見回す。温かな木目と、柔らかい照明のせいか、声のトーンまで穏やかになる。


「ここ、ずっと気になってたお店なんです。でも、外から店内の様子があまり見られないから、ちょっと勇気が出なくて……」


 彼の視線が扉の方へ向かう。

木製の扉に小さなガラス窓があるだけで、中の様子はほとんど外に伝わらない。この暗さが、私がこの店を好む理由の一つでもあった。


「煙草、吸われるんですね」


 椿は、ふわりと立ち上る煙に視線を落としながら言った。


「すみません」

「あ、大丈夫です!」


 咄嗟に火を消そうとすると、慌てた様子で制止される。


「むしろ……、なんかかっこいいなって思って」

「かっこいい?」

「はい。煙草吸う姿がこんなに様になってる人なかなかいないですよ。あ、かっこいいと言えば、一緒にお店に来てくださる方も、皆さんかっこいいですよね。いつもびっくりしちゃいます。同僚の方、とかですか?」


 首を傾げた椿の瞳に、水谷のような鋭さは含まれていなかった。


「そう、ですね」

「どんなお仕事をされてるんですか?」

「どんな……」

「はい、どうぞ。アッサムね」


 返答に迷っていると、運ばれてきた紅茶が視線をさらう。


「あ、ありがとうございます」

「この子はね、悪い人をやっつけるお仕事をしているんですよ」


 みゑ子さんが何気ない調子で言う。

 真実は伝えず、嘘はつかない。みゑ子さんらしい言い方だと思った。


「悪い人を、やっつける……。もしかして、警察の方ですか?!」

「ああ、まあ」

「すごい!」


 私の曖昧な返事など全く気にすることなく、椿は瞳を輝かせた。


「だから皆さん、あんなに雰囲気があるんですね。どこか張り詰めた空気というか、オーラがあるというか」

「……そうですか」

「警察かあ。かっこいいですね!」


 真っ直ぐな言葉。闇の世界を知らない、明るい世界でしか生きられない人間だ。


「そういえば、お名前、なんていうんですか?」


 椿はカップを両手で包みながら、思い出したように尋ねてくる。


「……ルナ」

「ルナさん……」


 彼はその響きを確かめるように繰り返し、柔らかく笑った。


「漢字はどうやって書くんですか?」

「カタカナです。母がイタリア人なので」

「わあ、そうなんですね。ルナってイタリア語では──」


 その瞬間、ポケットに入れたスマートフォンが音を立てた。画面には獅央の名が表示されている。「すみません」と声をかけて、応答ボタンを押す。


「もしもし」

『ルナ、今どこにいる?』

「いつもの喫茶店」

『悪いが明日急な任務が入った。打ち合わせをしたいから、すぐに帰って来てくれないか』

「分かった。すぐ行く」


 もう少しゆっくりと味わいたかった気持ちを押し殺して、残りの紅茶を飲み干す。


「すみません。急用が入ったので、帰ります」

「そうなんですね……。よかったら、またお店来てください」

「はい。みゑ子さん、お釣りいらないから。ご馳走様でした」


 椿に軽く会釈をして立ち上がり、カウンターの奥で座っていたみゑ子さんに声をかけてテーブルにお金を置く。


「いつもごめんね。気をつけてね」

「ありがとう。また来ます」


 外の空気はすでに夜の冷たさを纏っていた。椿の純粋な暖かい眼差しが、頭をよぎる。

 それをかき消すように、私はバイクのエンジンをかけた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ