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六人の殺し屋  作者: 帆高
4/10

憎い男

 突然、黒い闇に飲み込まれそうになる時がある。気を抜くとあっという間に足を取られ、そこから抜け出せなくなる。

 ──息が、苦しい。


「……くそ」


 あのドレスを着た日から、どうも調子がおかしい。結局捨てられないまま、クローゼットの奥で眠っている。

 手を握っては開き、また握る。意識的にゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 ──大丈夫、大丈夫。

 自分に言い聞かせるように何度も心の中で唱えて、何とか自分を引き戻す。


「ルナ?」


 煙草を吸おうとベランダに出ると、琳凰が隣から顔を覗かせた。


「起きてたのか」

「うん」


 彼は視線を伏せたまま、しばらく黙り込んだ。


「……どうした?」

「……そっち、行っていい?」


 風で揺れる葉音にかき消されそうなくらい、小さく、か細い声だった。


「ああ、鍵開いてる」


 そう返すと彼はすぐに顔を引っ込め、やがて窓を閉める音が聞こえた。

 扉まで迎えに行くと、彼は両腕いっぱいにお菓子を抱えて立っていた。いつもと変わらない、まるで子どもが宝物を抱えているかのようなその姿に、思わずふっと力が抜けた。


「まだ寝ない?」

「まあ、そうだな」

「深夜の、お菓子パーティー」

「……ふっ、するか」


 琳凰らしい提案に笑みがこぼれた。眠れないのは彼も同じだったらしい。


「ありがと」


 彼はソファに腰を下ろすと、嬉しそうにローテーブルの上へお菓子を広げていく。袋が擦れる音が、静かな部屋にささやかに響く。


「眠れなかったのか?」

「うん。嫌な夢、みた」

「嫌な夢?」

「みんな、いなくなる夢。僕、一人になった」


 彼はそう言って少しだけ肩を落とした。


「それは、嫌な夢だな」

「でも、ルナいて、安心した」


 琳凰は少し表情を和らげて、チョコビスケットを口に運ぶ。


「ルナも、眠れなかったの?」

「まあ、そうだな」


 咀嚼音がやけに大きく聞こえた。


「……時々、漠然とした不安に襲われることがある」

「不安?」

「怖くなるんだ。……自分が何のために生きているのか、何のために生まれてきたのか、分からなくなる」


 普段は口にしない本音が琳凰の前だと簡単に言えてしまうは、きっと彼の持つ飾らない空気のせいだ。


「生きていても、いずれ大切な人たちは死んでいく。それならいっそ、自分が先に死んでしまいたいとも思う」

「……もし、ルナが一人なったらどうする?」

「──死ぬよ」


 迷わず口を出た言葉に、琳凰は眉をひそめて僅かに俯いた。


「一人で生きる意味なんて、それこそないだろ」

「……僕は、ルナには生きててほしいって思う。……けど、それが、ルナを苦しめるなら、一緒にいたい。たぶん、みんな同じ気持ち」


 割れ物に触るかのように、彼は慎重に言葉を紡いだ。


「それなら、安心してみんなの後を追えるな」


 そう笑ってみせたものの、最後の一人になるなんて未来は想像もしたくなかった。

 人の死には慣れている。数えきれないほどの人間を、この手で葬ってきた。それでも、大切な人の死など、到底受け入れられない。


「僕たち、仲良いよね」

「そうだな、いいチームだ」


 琳凰は目尻を下げて、煙草の箱に手を伸ばした。


「煙草って、美味しいの?」

「琳凰は美味しく感じないと思う」

「二十歳なら問題ないよね」

「そうだな」

「吸ってみたい」

「やめとけ」

「なんで」

「なんでも」

「やだ」


 彼はぎこちなく箱を開けて、煙草を一本取り出した。

 こうなっては何を言っても聞かないだろう。

 ため息をついて、仕方なくライターを手に取る。


「咥えろ」


 煙草を咥える彼を見るのは新鮮だった。


「火近づけたら、軽く吸え」


 彼は盛大にむせた。


「最初の煙は吐き出すんだ」

「先に言ってよ」

「悪い」


 涙目で睨みつけてくる彼が子どものようで、思わず口角が上がった。


「少しずつにしろ。軽く口に含んで、口から息を吸って、肺に送る」


 彼は、先ほどよりもひどくむせた。


「なにこれ……っ、全然美味しくない……」

「最初はそんなもんだ。一箱吸い終わる頃には慣れる」

「お菓子の方が美味しい」

「だろうな」

「でも、狼碧が任務終わりの煙草が一番美味いって言ってた」

「それは、そうだ」


 琳凰は俯いて、ぽつりと呟く。


「羨ましい。みんなでそういう時間、共有できるの」

「龍河だって普段は吸ってないだろ」

「全然吸えないのとは違うじゃん。お酒も飲めないし、僕だけ子ども」

「琳凰はそのままでいい」


 そう言うと彼は唇を尖らせる。寂しそうに煙が上がる煙草を、彼はじっと睨んでいた。そして、もう一度挑戦し、案の定またむせた。


「もうやめとけ。こっちが悪いことしてる気分になる」

「でもこれ、もったいない」

「私が吸うからいい」


 彼は素直に煙草を差し出すと、すぐにテーブルの上のマシュマロに手を伸ばした。

 そっちの方が、ずっと似合っていると思った。


「これ、新作。今日発売日だった」

「いつも食べてるやつか」

「うん。いつものは、中にチョコが入ってるんだけど、これはキャラメルクリームなの」

「美味しいか?」

「うん。恭虎が買い出しに行った時に、買ってきてくれた」

「よかったな」

「恭虎って優しいよね。怒ると怖いけど」

「滅多に怒らない分、迫力がある」

「うん。でもね、いつも、誰かのために怒るから、やっぱり優しいなって思う」

「そうだな」


 たわいない会話に、胸にこびりついていた冷たい影が、少しずつ和らいでいくのを感じた。


「ルナはさ、結婚するなら誰がいい?」

「結婚?」


 思いがけない質問に、思わず目を見開く。


「うん。チームの中で、結婚するなら誰?」

「考えたことないな」

「ルナって好きな人いないの?」


 琳凰の無邪気な視線から、思わず目を逸らす。


「あ、いるんだ。誰?」


 何かを察したのか、彼は随分とこの話題に興味を持ったらしい。

 頭の中に、一人の男が現れる。水色のドレスをくれた、憎い男。


「……本当に好きになった人は、いたよ」

「いつ?」


 琳凰がそっと問い返す声に、私は遠い記憶を手繰った。


「出会ったのは、まだ五歳の頃だった。十二年くらい、一緒にいたな。家族よりも長い時間を過ごしていたと思う」

「その人とは、付き合ってないの?」

「ああ。六歳年上だったからな。あの頃の六歳差は大きいだろ」

「確かに……。その人、どんな人?」


 顔も、声も、仕草も、全てを鮮明に思い出すことができる。少し癖のある黒髪も、健康的に焼けた肌も、大きな手のひらも、広い背中も。彼は、私の全てだった。


「いつも強気で荒っぽくて、でも、実は誰よりも繊細な人だった。彼からは、本当に色んなことを教わった。人の殺し方も、人との関わり方も、幸せも、絶望も。……この人と、普通に生きられたらと、何度も考えていた」

「……獅央も知ってる人?」

「ああ。高校生の頃、三人でチームを組んでいたからな」

「そうなんだ。その人は、今何してるの?」 

「……分からない。どこで何をしているのか、生きているのかも、分からない」


 そう口にした瞬間、胸に鈍い痛みが広がった。

 中学生の頃、同級生たちの話題はいつも恋愛のことばかりだった。彼女たちと一緒になって盛り上がることはなかったが、私もまた、同じようにその世界に強く惹かれていた。

 告白してみたら付き合えた、よく知らないけど告白されたから好きになっちゃった。

 そんな風に楽しげに話す同級生たちを、少し羨ましく思っていた時期だった。


「なんで陽彦(ハルヒコ)は、この仕事してるの」


 任務が終わった帰り道、彼のバイクの後ろに乗せられて夜の街を駆け抜けた。少し遠回りをした彼は、夜景が見える小さな公園の駐車場でバイクを止めた。そこは、彼のお気に入りの場所だった。

 私はバイクに跨ったまま、煙草を吸う彼の横顔に問いかけた。

 少し自暴自棄になっていたんだと思う。先ほど殺した男の手の感触が、まだ私の太ももに残っていた。


「親がやってたから。それだけだ」


 陽彦の境遇は私と似ていた。両親が共に殺し屋で、生まれた瞬間から私たちの人生は決まっていた。


「嫌に、ならないの」


 そう問いかけると、彼はゆっくりと煙を吐き出した後に少し間を置いて言った。


「……なんでそんなこと聞くんだよ」


 私は視線を落とした。太ももに残る感触が、消えてくれない。

 ──気持ち悪い。


「……悪かったな」

「……」

「相手がロリコン野郎だったから、お前が適任だった」

「……知ってる」

「情報を聞き出すためには、ああするしかなかった」

「知ってる」

「ボスの命令は絶対だ」

「知ってる……! 全部、知ってる。……分かってる」


 喉の奥が熱くなった。次第にその熱は顔へと上り、視界がぼやけ始める。

 陽彦は煙草を携帯用の灰皿へ捨てると、私の頬に優しく手を添えた。指先はひんやりとしていたが、触れられたところが一気に熱をもつ。


「俺が殺す。お前に触れたやつは全員、俺が殺してやる」


 涙を拭う彼の手からは、かすかに煙草の香りがした。彼の瞳は吸い込まれそうなほど強く、真剣なものだった。


「陽彦……」

「なんだ?」


 私の小さな声を、彼は聞き逃さなかった。今までに一度だって、彼は私の呼びかけに答えなかったことはない。いつも、優しく反応してくれる彼の声が好きだった。


「……陽彦と一緒に、普通に暮らしたい。二人だけで、遠い所へ行きたい」


 空気が、かすかに揺れたのを感じた。

 頬を撫でていた指先の動きが止まり、彼の瞳に戸惑いの色が浮かぶ。少しの沈黙の後、彼は私の頭をそっと撫でた。


「……ルナ。普通の人間は、人を殺さねえんだよ。もう俺たちは、普通には生きられねえ」


 ずるいと思った。普通に暮らすことだけを否定して、私の気持ちには触れない彼が、ひどく憎かった。

 ──いっそこの男を、今ここで殺してしまおうか。そして、私もすぐに後を追う。そうすれば、全ての苦しみから解放される。


「お前、変なこと考えんなよ」

「え……?」

「人殺す時の目してんだよ。俺にそんな顔するなんて、お前も偉くなったもんだな」

「……してない」

「いーや、してたね」


 彼は私の額を指先で──とん、と軽く突いた。


「お前にそんなことはさせねえよ。仲間を殺した女になんか、絶対させねえ。そもそも、俺がお前に殺られるわけねえだろ」

「そんなの、やってみなきゃ分からない」

「うるせえな、口答えすんな」


 私は、セーラー服のスカートの下に隠したホルスターから銃を抜き取った。しかし、それを彼に向けるより早く彼の手が私の手首を掴み、あっという間に銃を奪われる。冷たい銃口が、私の首筋に押し当てられた。


「──お前が俺を殺すより先に、俺がお前を殺す。そんで俺も後追って死んでやるよ。……一緒に地獄に堕ちようぜ」


 心臓が、どくりと音を立てた。それもいいかと、思った。

 どうせ死ぬなら、愛する人の手で殺されたい。


「ルナ」


 優しく名を呼ぶその声が、ひどく私を誘惑した。

 ──陽彦に、殺してほしい。


「……パンツ見えてんぞ」

「……っ」


 昔からこの男のこういうところが嫌いだ。冷たく突き放したかと思えば、優しく引き寄せて、掴みかけたその手をするりとほどく。

 私は舌打ちをして彼を睨みつけた。


「もっと可愛い反応できねえのかよ」

「殺す」

「お前この状況でよく言えたな。まあ安心しろ。ガキのなんか見たって欲情しねえよ」

「絶対殺す」

「はいはい。怖い怖い」


 そう言って彼は楽しそうに笑っていたが、その目の奥には、確かに別の色が宿っていた。

 彼もまた、苦しみの最中にいたのだと思う。誰にも見せないように、一人で、深く沈んでいた。そしてその弱さに触れることを、彼は決して許さなかった。


「ルナ?」

「……っ」


 琳凰の声で、意識が一気に現実に引き戻される。


「……なんだ?」

「このチョコレート、美味しいよって」

「ああ、ごめん。貰うよ」


 そう言うと、琳凰は手のひらに七個ほどのチョコレートを乗せてくれる。


「こんなにたくさん?」

「うん、甘いもの食べたら元気になるよ」


 自分の機嫌の取り方を知っている彼を、少し羨ましく思った。


「ありがとう」

「うん」


 やはり何かを察したのか、琳凰はもう何も聞いてこなかった。

 今夜は、随分と彼に助けられたな。

 今度お菓子の詰め合わせをプレゼントしようと、心に決めた夜だった。

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