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六人の殺し屋  作者: 帆高


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14/15

碧い瞳

 碧い瞳の狼が、じっとこちらを見ていた。


「狼碧、何してる」


 彼がこちらへ振り向くと、背中に彫られた狼は闇に消えた。


「ルナさん、おかえりなさい」

「なんで脱いでる。寒くないのか」


 彼は上半身裸のままリビングの窓際に立ち、夜空を眺めていた。テーブルの上には、蓋の閉まった救急箱が置かれている。


「今日怪我して。風呂出たら、獅央さんに手当てしとけって言われて。ルナさん、待ってました」

「私?」

「消毒、染みるじゃないですか。だから自分でやるより、ルナさんにやってもらいたいと思って」


 ぼそぼそと話す彼の理屈は全く理解できなかったが、とりあえずソファに座るよう促すと彼は素直にそれに応じた。

 近くで見ると、手や顔にいくつか傷が走っている。湯上がりの肌に、妙に生々しく浮かんで見えた。


「何があった」

「歩いてたら、絡まれて。妙にガタイ良かったんで、手こずりました」


 “歩いてたら絡まれる”というのは、狼碧にとって珍しいことではない。

 思わずため息が漏れる。


「あまり面倒ごとを起こすな」

「すみません」


 さほど反省していなさそうなその口ぶりに、わざと消毒液を多めに染み込ませたガーゼを頬の傷へと押し当てる。狼碧はかすかに顔を歪ませたが、黙ってそれを受け入れた。その態度に少しの罪悪感を抱きつつも、無言で手を動かす。

 彼は、よく喧嘩をして帰ってくる。喧嘩慣れしているせいで傷ひとつ負わないことも多い。おそらく、私が知っている倍以上はしているはずだ。その度に「厄介ごとを持ち込んだら殺す」と獅央に怒られている。


「ルナさん」

「ん?」

「キスしていいですか」

「……は?」


 突然何を言い出すんだ、この男は。

 唐突過ぎるその言葉に一瞬思考が停止しかけたが、すぐに平常心を取り戻す。


「反省してないだろ」

「してますよ。まあ、怪我してもルナさんが手当てしてくれるなら悪くないなとは思ってますけど」

「今度から龍河にさせる」

「それは困ります」

「なら、なるべく喧嘩はするな」

「……分かりました」


 納得している様子ではなかったが、彼は反論することなく、手当てをする私の手元を静かに目で追った。

 刺青のせいで少し分かりにくいが、そこまで大きな傷はなさそうだ。


「……初めて会った時も、ルナさんがしてくれたんですよね」


 ぽつりと呟いたその言葉に、初めて会った日の記憶が蘇る。あれは、雪が積もる冷えた夜だった。


 

 任務を終えて獅央と並んで歩いていると、突然路地の奥から男の怒号が聞こえてきた。反射的にそちらへ視線を向けると、薄暗い街灯の下で一人の青年が複数の男に囲まれているのが見えた。真冬だというのに、青年は薄手の白い長袖Tシャツを着ていて、そのあちこちが血で赤黒く染まっている。無抵抗で殴られ続けているだけで、まるで生気がない。


「なんで抵抗しないんだ」

「さあ。死にたいんじゃないか」


 獅央は心底興味なさそうに呟くと、前を向いて歩き出した。その背を追おうと、一歩踏み出した瞬間──


「おい、なんだこいつ……っ」

「や、やめろっ」


 先ほどまで威勢の良かった男たちの声が、一転して怯えに染まる。

 無抵抗だった青年が獣のような殺気を放ち、男たちに襲いかかっていた。

 意識を失って倒れる者や、逃げ出そうとする者もいた。だが彼は、一人も逃さなかった。素早く相手の急所を狙い、確実に仕留めていく。その無駄のない動きに、思わず見入ってしまった。

 やがて全てが終わり、路地裏から出てきた青年と目が合う。彼は、鋭くこちらを睨みつけてきた。右目はひどく腫れていたが、澄んだ碧い瞳が印象的だった。

 彼は小さく咳き込むと、崩れ落ちるように膝をついた。吐き出された血が、純白の雪を赤く染める。


「大丈夫か」


 思わず駆け寄ると、虚ろな瞳がこちらを捉える。そして、ふっと息を漏らしたかと思うとそのまま地面へ倒れ込んだ。


「ルナ、行くぞ」

「でも──」

「余計なことに首を突っ込むな」


 獅央は冷たく言い捨てた。

 足元でうずくまる青年は、浅く呼吸をしている。

 意識はあるようだが、このまま放っておけば死ぬかもしれない。


「獅央」

「放っておけ」

「死ぬかもしれない」

「俺たちには関係ない」


 頑なに拒む獅央に小さく舌打ちをして、横たわる青年を起こそうとした。しかし思いのほか重く、簡単には持ち上がらない。


「ルナ。いい加減にしろ」

「別に、手当てするだけだ。もし何かあれば、責任は全部私がとる」


 そう言い放つと、獅央は苛立ちを滲ませながらもこちらへ歩み寄る。


「お前だけでは済まされない。俺とこいつの命もかかってることを忘れるな」


 そう言って彼は軽々と青年を担ぎ上げた。

 家に着くと、恭虎と龍河は同時にぎょっとした表情を見せ、琳凰はほぼ反射的に恭虎の背に身を隠した。


「全部お前が面倒見ろ」

 

 獅央が乱暴に彼をリビングのソファに横たえると、彼は小さく呻き声を漏らした。

 傷の確認をしようと服の裾を捲り上げた瞬間、胸元に彫られた刺青が目に入る。続けて袖を上げると、腕にも同じように隙間なく無数の刺青が彫られていた。そのどれもが異質なほど精緻で、美しかった。

 まずい相手を拾ってきてしまったかもしれない。そんな考えが頭をよぎる。

 手当てを進めている間、背後では獅央が三人に経緯を説明していたが、彼らはこの状況を上手く理解できていないようだった。

 ようやく処置を終えて風呂から上がると、リビングの明かりは落とされていた。ソファに横たわる青年は苦しげにうなされており、額には汗が滲んでいる。


「……おい」


 声をかけても、反応はない。

 汗を拭おうと額にタオルを当てた瞬間、彼がぱっと目を見開いた。警戒する獣のように素早く体を起こしたが、腹の傷が痛んだのか、彼は低く呻き声を漏らした。


「無理をするな」


 彼は上体だけを起こし、碧い瞳がこちらを射抜いた。

 数秒の沈黙。呼吸だけが交錯する。


「……誰だ」

「私は、お前の敵じゃない」


 できる限り穏やかに告げたが、その瞳の奥の警戒が消えることはなかった。


「…………なんで助けた」

「死にたかったのか」

「…………そのつもりだった」

「お前、家族は」

「もう、いない……殺された」

「……犯人は分かるのか」

「分かったらとっくに殺してる」


 怒りと空虚が混ざった声。彼は眉間の皺を更に深くして、強く握った拳を震わせた。

 

「なら、そいつは私が殺す」

「……は……?」

「代わりに報酬はいただく。手持ちがなければ体で払え」

「何、言って……」

「その後はお前の好きにすればいい。死にたかったら言え──私が殺してやる」



 のちにこの独断を、獅央とボスにはひどく叱られた。そうなることが分かっていながら、このまま狼碧を放っておきたくないと思ってしまった。放っておけば、確実に死ぬことが分かっていた。家族を失った悲しみを抱えたまま、この世を去ってほしくなかった。


「ルナさんあの時“手持ちがなければ報酬は体で払え”って言ったじゃないですか。俺、犯されるんだと思ってました」

「……は?」

「そうやって生きてきたんで」


 自嘲気味に笑う彼に、息が詰まるほどの苦しさを感じた。

 狼碧の容姿は、自然と人を惹きつける。白い肌に、艶めく漆黒の髪。そして、透き通るような碧い瞳。

 汚い欲に塗れた人間たちに、自分勝手にその身体を消費されてきたのか。

 狼碧に初めて会った時、彼の纏う空気はひび割れていて、“明るい世界では生きられない人間”だと直感的に思った。家族を失った悲しみと、犯人に対する恨みがそうさせていたのだと思っていたが、もっと、ずっと前から、狼碧の心は死んでいたのか。


「背中も、お願いしていいですか」

「……ああ」


 彼が背を向けると、碧い瞳の狼と目が合った。毛並みの一本一本まで、繊細に彫られている。


「狼、綺麗だな」

「……伯父が喜びます。彫り師で、俺の育ての親です。親は俺が小学生の時に、学校から帰ったら二人仲良く死んでました」


 狼碧の伯父を殺した犯人を追うために身辺調査を依頼した際、調査班からの報告で彼の過去はある程度把握していた。だが彼は、そのことを知らない。直接彼の口から、過去の話を聞くのは初めてだ。

 感情を削ぎ落としたようなその声に、胸が締め付けられる。

 

「初めて彫られたのが、その狼です。中学の時、同級生を病院送りにした罰で。それから怒られる度に、ひとつずつ増えていきました。……あの人は“魔除け”だって言ってましたけど、実際には変な奴に絡まれたり、欲を向けられたりすることが増えただけです」

 

 この刺青たちは、伯父の不器用な愛の証だったのかもしれない。彼を守るために、伯父は罰と称して刺青を彫り続けた。人を近づけさせないために。無駄な争いをやめさせるために。けれど、その想いは皮肉にも伯父の望んだ方向とは真逆へ向かってしまった。

 指先で狼の輪郭をそっと撫でると、狼碧の肩がかすかに跳ねた。


「悪い、痛かったか」

「いえ……すみません、大丈夫です」


 項垂れたまま、彼はゆっくりと深い呼吸を繰り返した。喉の奥で震える息の音が、妙に近く感じる。


「……狼碧?」


 肩に触れると、その手を掴むようにして彼の手が重なる。


「ルナさん……今でも、死にたいって言ったら──俺を殺してくれますか」


 彼の声は掠れ、かすかに震えていた。


「…………死にたいのか」

「……どうやって殺してもらおうか、考えてるだけです」


 ──死にたかったら言え。私が殺してやる。

 あの日の自分の声が、耳の奥で鈍く反響する。あの約束を、今の私に果たせるだろうか。


「……狼碧」


 名前を呼ぶと、彼は俯いたままゆっくりとこちらへ振り返った。目に落ちる前髪をそっとよけると、彼はその手を包み込み、そのまま導くように自分の喉元へ引き寄せた。


「……首を絞めて、殺してほしいです。最後まで、ルナさんの体温を感じたい」


 喉の震えが、手のひらに生々しく伝わる。


「狼碧、私には──」

「歯止めがきかなくなった時でいいです。俺がそうなった時は、迷わず殺してください」

「……どういう意味だ」

「……手当て、ありがとうございました。もう寝ます。おやすみなさい」


 狼碧は私の問いに答えることなく、二階へ消えていった。

 席に座り直し、深く息を吐く。

 歯止めとは、一体何のことを指していたのだろうか。


「──帰ってたのか」


 突然聞こえた声に視線を上げると、階段の上から獅央がこちらを見下ろしていた。


「……ああ」


 獅央は階段を下りてこちらへ来ると、テーブルの上に置かれた救急箱に視線を落とした。


「ルナが手当てしたのか」

「ああ」

「今回は派手にやられたらしいな」

「どの傷も、そんなに深くなかった。大丈夫だろう」

「いい加減やめさせるべきだな。厄介ごとを持ち込まれたら困る」


 獅央は、私たちの会話を聞いていただろうか。いや、狼碧が二階へ上がる時彼の姿はまだなかったはずだ。

 黙り込む私に、獅央が眉をひそめて問いかける。


「何かあったか」

「……なんでもない。シャワー浴びてくる」

「……今日は冷えただろ。ゆっくり温まった方がいい」

「ありがとう」


 彼の横を通り過ぎる時、かすかに袖が触れた。何も言わずに送られた視線が、背中にまとわりつく。

 先ほどまで触れていた狼碧の体温と震えが、手に残って消えない。

 彼の痛みに、私は寄り添えているのだろうか。彼をこの世界へ引き込んでしまったのは、紛れもなく私だ。その責任の重さは、痛いほど理解している。

 狼碧には、少しでも笑っていてほしい。

 そう願うことさえ、許されないのかもしれない。


 ──彼は今、幸せなのだろうか。

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