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六人の殺し屋  作者: 帆高


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12/15

月を撫でる

 テーブルの上に置かれたグラスの中で、金色の泡が静かに昇って弾けた。案内された控え室は、まるで高級ホテルのスイートルームのようだった。天井の煌びやかなシャンデリアが、泡の一粒一粒にきらめきを落としている。


「こんなに美しいものを手に入れられるなんて思わなかったよ。このオークションには、正直飽きていたところだったんだ」


 福村はグラスを手に取り「いいシャンパンだ」と呟いた。

 この男が、自分で買った女たちと毎回こうしてグラスを交わすことは知っていた。それをスタッフに用意させているということも。

 先ほどナナさんが置いていったこのシャンパンには、毒薬が溶かされている。先日恭虎との任務で使ったばかりのこの薬を、この短期間で二回も使うことになるとは思わなかった。

 福村がこれを飲めば、この任務は終わる。


「この素敵な出会いに乾杯しよう」


 嬉々としてグラスを掲げた福村に応じてグラスを手に取ると、彼はグラスの縁を触れ合わせた。そして一口シャンパンを流し込むと、私の頭を乱暴に掴んで顔を寄せる。

 ──口移しか。ここで少しでも疑念を抱かれたり不快感を与えたりすれば、貴重なこの機会を逃すかもしれない。かといって大人しく従えばこっちが死ぬだけだ。

 福村のグラスには、シャンパンが半分残っていた。

 唇が重なり、福村の口腔から液体が流れ込んでくる。私はそれを舌の上に留め、福村の手が緩んだ一瞬の隙に体を逸らしてカーペットに吐き出した。


「駄目じゃないか。主人に逆らうなんて」


 福村のその声に苛立ちはなく、支配の悦びに酔った男の甘さだけが滲んでいた。

 私は再びグラスを口元に運ぼうとした福村の手からそれを奪い取り、残りのシャンパンを口に流し込んだ。そして驚いた表情をした彼に口づけ、彼の体内へと正確に毒を流し込んでいく。

 量は半分。それでも効き目は十分のはずだ。


「ははっ……これは愉快だ。反抗的な猫は飼い慣らしがいがある」


 福村は高らかに笑い、愉しげに私を見下ろした。


「いい目だ。鋭くて、冷たい。……顔が綺麗なだけに妙な迫力がある」


 福村は私の頬を撫でて顎を掴むと、無理やり顔を上へ向けさせた。


「君の苦しむ顔が早く見たいよ」


 このサディストに買われた女たちは、皆消息を絶っている。おそらく飽きるまで自分勝手に弄び、どこかに棄てているのだろう。

 怒りが込み上げるのと同時に、ひどい吐き気に襲われる。それを顔に出さぬよう、静かに呼吸を整えた瞬間──


「……っ……ぁ……?」


 福村が胸元を鷲掴みにして荒く息を吐く。顔面は青白く、目には混乱と恐怖が浮かんでいる。口元から泡のような唾液がこぼれ、足元がぐらついたかと思うと机の上のグラスを巻き込みながら鈍い音をたてて床に崩れ落ちた。

 その脳天に銃弾を撃ち込みたい衝動を抑えて部屋を出る。扉の前には護衛が二人立っていた。


「助けてください! 福村様が急に苦しみ始めて……!」


 声色を震わせると、二人は一瞬顔を見合わせてすぐさま中へと駆け込んでいく。私はその背を確認してから扉を閉めた。

 早くここを離れなければ。


「ルナちゃん、こっち!」


 ナナさんの声が聞こえて振り向くと、廊下の奥で彼女は手招きをしていた。駆け寄ろうと一歩踏み出した瞬間、ふらりと視界が歪み、咄嗟に壁に手をついて体を支えた。

 まずい。毒が回り始めている。粘膜から微量に摂取しただけでこれか。

 改めて薬の効力を実感して自嘲的な笑みがこぼれた。

 すぐに異変に気づいたナナさんが焦った表情でこちらへ駆け寄る。


「どうしたの」

「毒を、少し」

「嘘……」

「すみません」

「ちょっとごめんね」


 そう言って軽々と私を持ち上げた彼女は「捕まってて」と勢いよく走り出した。反射的にそれに応じて彼女の首に腕を回す。


「……重く、ないですか」

「女の子一人抱えて走るくらい朝飯前よ。言ったでしょ。筋肉量“だけ”は男だって」


 そう言って彼女は口の端を上げて得意げに笑った。

 ああ、そうか。この人は、生まれてきた性別が今とは違うのだ。あまりにも女性として完璧すぎる容姿や表情、仕草のせいで、全く気がつかなかった。

 裏口から獅央の車に乗り込むと、ナナさんが差し出してくれたペットボトルの水を一気に喉へと流し込む。


「何かあったのか」


 獅央は車を発進させながら、バックミラー越しに問いかけてきた。


「毒を飲んだんですって」

「飲んでは、ないです。粘膜から、少しだけ……なので、大丈夫です」


 そう言うと、ナナさんは少しだけ肩の力を抜き「そう……」と呟いた。ふいにけたたましいサイレンが聞こえ、数台のパトカーが私たちのすぐ脇を勢いよく駆け抜けていった。

 計画通り、獅央が警察を呼んだタイミングは完璧だ。商品として収容された彼女たちは保護され、観客は逮捕されるだろう。


「痺れや眩暈は? 息苦しさはあるか?」

「大丈夫……」


 多少の眩暈や手足の痺れはあるが、おそらく命に関わるものではない。

 ナナさんは俯いたまましばらく黙り込んだ後、小さな声で呟いた。


「……ごめんね」

「何が、ですか?」

「あの時、止めてあげられなかった。あんな格好で見世物にされて……、あたしなら、耐えられない……本当に、ごめんなさい」


 会場で福村にドレスを脱げと言われたあの瞬間が、静かに脳裏をよぎる。


「ナナさんが謝ることじゃありません。私は大丈夫です」


 顔を上げたナナさんの目には、今にもこぼれ落ちそうなほどの涙が浮かんでいた。


「……どうして……? どうしてそんな平気な顔をしていられるの?」


 その問いに込められていたのは、戸惑いでも怒りでもない、純粋な悲しみだった。その答えはひとつだ。


「仕事だからです」


 目を伏せたナナさんの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。綺麗だと思った。


「……心まで殺す必要なんて、ないのよ」


 商品として売り出されていく彼女たちを目にして、ひどく心が傷んだ。それに、仲間や大切な人が傷つく姿は見たくない。ただ──自分を犠牲にすることに躊躇いがないだけだ。


「……ごめんね。ルナちゃんが泣いてないのに、あたしが泣いちゃだめよね」


 そう言って彼女は涙を拭いながら、笑みを浮かべた。そして小さく深呼吸をして、真剣な眼差しを向けられる。


「でも、ひとつだけ約束して」


 彼女の大きな手が私の手を取り、優しく包み込む。


「自分で自分の価値を下げることは、絶対にしないで」 


 泣きそうなほど優しく、必死な声だった。

 返事はできなかった。言葉が、見つからなかった。代わりに私は、その手を強く握り返した。

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