35. 休息のため息
王太子は木陰のベンチに一人座ると、ため息を吐いた。
学院前期のほとんどの時間側にいたレアンドルは、後期に入ってからは時折側を離れる。
後期は剣術大会に向けて忙しくなるし、剣術大会が終われば、貴族の社交シーズンが始まる。王家も忙しくなる時期であるし、侯爵家もおそらく忙しいのだろう。
よく尽くしてくれ、頼りにもしているレアンドルが側にいることを王太子は心強く思ってはいるけれど、一人になって息を吐くと、気負っていたようにも感じる。
王太子は最近生まれた一人の時間、自然と足を向ける場所が出来ていた。
静かで心地よい居場所はひと時の安らぎをくれるけれど、この場所を知るきっかけをくれた彼女を思うと王太子はため息を止めることが出来なかった。
レアンドルから先ほど教えられた噂。
街で平民の男たちに令嬢が絡まれたことで、母親が平民であるサラを悪く言う者がいるという。
なぜそのようなことになるのか王太子には理解出来ず、考えを巡らせるも解決に足る案も出ない。
レアンドルが侯爵家へ向かったために一人になると焦る気持ちばかりが湧き上がり、気を落ち着けるためにここへ来た。
令嬢に絡んだ平民の男たちを嫌悪する気持ちは理解出来る。しかしだからと言って平民全体に嫌悪を向けることは理解出来ない。
騒ぎを起こしていない平民の方が多数であるはずなのに、なぜ平民と括って憤るのか。
平民全体…とまでは思っていないにしても、サラの母親が件の男たちと関係があるわけでもない。だというのになぜ並べて嫌悪するのだろう。
そもそもサラは学院に通っている。身分が貴族であるのは誰の目にも明らかであろうし、絡んだ男たちと絡まれた学院の令嬢では、サラの立場は令嬢側に近いだろう。それなのになぜ。
このような理屈の通らぬおかしな話は諌めなければと、すぐに思った。
しかし諌めようにも、街での諍いは既に解決しているようであるし、街で同じようなことが繰り返されているわけでもない。
街での出来事だから、今の王太子が関与することでもないが、もとより原因となる出来事は解決しているのだ。
そうすると詰まるところ、行うべきことはサラへ向けられている悪意ある噂を止めること。
しかし噂話をしているところに行き合えば注意することも出来ようが、そうでなければ出来ることなどなく、王太子は唇を噛んだ。
ベンチに一人座って見る景色は静かで穏やかだけれど、今は安らぎを感じるのは難しい。
噂話にしても令嬢の間でのことで、自分は気づくことが出来なかった。たまたまレアンドルが耳に挟んだために知ることが出来たが、気づかずにいた自分に悔しさも感じていた。
剣術大会に向けての忙しさ。終われば社交シーズンのため授業はないが、次いで課題の提出を含めた期末試験、卒業式と卒業パーティー、終わればすぐに新たな生徒が学院に入学する季節が来る。
忙しくなれば諍いも起こる。諍いが起これば忙しさは増す。
今はまだ仲裁が必要なことはさほど起こらずに過ごせているが、これから起こる可能性は高いのだ。
だからこそ、今のうちにこの噂を消すべきであるのに、その方法が分からないことを苦しく感じた。
この問題を生徒執行部員で話し合うべきかとも思った。
しかし現状、噂があっても諍いが起きているわけではない。
諍いを事前に防ぐことも必要なこととは思うけれど、それは執行部員に課せられた仕事とは言えず、レアンドルもしばらくは様子を見た方がいいという意見だ。
自分たちが荒立ててしまえば、むしろ噂を広げることになるかもしれない。
結局、思い悩むばかりで迂闊なことは出来なかった。
そこに理不尽があるというのに、学院内の規律すら正しく保つことが出来ない不甲斐なさに王太子は項垂れた。
卒業したら王太子としての職分も増える。
そしてその先は国を治めることになる。
今まで王太子として対応してきた事柄はいくつもある。
けれどこのように解決するための案の一つも出せないことなど初めてだった。
国王や城の官吏から王太子の自分へと届いていた職務で、このように無力を感じたことはなかった。
もしかしたら…
今までの王太子としての自分。そして今、何も出来ずにいる自分を思う。
「…はぁ……」
力が足りない思いがため息に変わり、王太子は考え込むように目を閉じた。
サラ「うふふ…少しずつサラサール語が分かってきた気がするわ」
エクトル「明日はサラ嬢と勉強する日だ…よし!もう少しだけ鍛錬をするか」




