27. 焼き菓子と休息
「殿下は昼食をまだお召し上がりではないのですか?」
二つ目の焼き菓子も美味しそうに食べ終えた王太子に、私は尋ねた。
「そういえば、まだ食べていないな」
それはお腹もすくだろう。焼き菓子の香りが気になったのも分かる。…もう一つ勧めるべきだろうか。
私が差し出した三つ目の焼き菓子を、王太子は微笑んで食べ始めた。
お昼も食べる余裕がないくらい忙しかったのだろうか?
そう思ったところで、私は気づいた。
「もしかして…私の側にいて下さったせいで、昼食を召し上がっていないのでは…」
私が謝罪をしなくてはと立ち上がろうとするのを、王太子が軽く手を振って止めた。
「いや君のせいではない」
「ですが昼時に…」
王太子が気遣ってもらうのが申し訳なくて、胸が重くなった。
「……」
俯く私に目を向けた王太子は、少し考えると口を開いた。
「確かに君を放っておくわけにはいかないとここに座ったのだが…なんというか、座る前よりも気分が良い」
「気分が良い…の、ですか?」
「ああ…なんと言ったらいいのか…頭が軽いと言うか…良い言葉が見つからないな。
だが、足を止めて良かったと思っている」
私を気遣ってくれているのだとは思うのだけれど、王太子の穏やかな笑顔は、もしかしたら気遣いばかりではないのかもしれないと私に思わせた。
「お疲れなのでしょうか?」
ここは風が気持ちよく、ぽかぽかしている上に、遠くの雑踏も耳に心地よくて、眠りを呼びやすい。実際に眠ってしまった私は、それを実感として知っているけれど、それでも焼き菓子を食べ終えてお腹も膨れた私と、昼も食べずにいた王太子では眠りやすさは違うだろう。
それなのにすぐに眠りに落ちてしまった王太子は、とても疲れていたのではないだろうか。
私の問いかけに王太子は不思議そうな顔をしている。
「疲れているならお休みしなくてはいけませんね」
だとしても、こんなところで休むのは問題だろうけれど、ここは本当に居心地が良いから休めたのなら良かったのかもしれない。
そう思う気持ちの裏側で、だからといって王太子に手間をかけさせたことには反省が必要だと自戒する。
「休む…?」
私が王太子の優しさに甘えそうな自分を心の中で叱咤していると、王太子が呟いた。
どう考えても私よりも王太子の方が忙しいのに、労わらせてしまっていることを申し訳なく感じた。
「執行部がお忙しいのですか?」
王太子の職務はきっと色々あるだろうけれど、私の知っている学院での彼の職務は生徒執行部の筆頭だけだ。
「いや、執行部が忙しいということはない」
「そうなのですか?」
「ああ…前期も特別大きな問題は起こらなかったし、始まったばかりだが後期も今のところは特に何も起こっていない。生徒執行部は諍いが起きた時に話を聞いて仲裁するだけだから、何も起こらなければ忙しくはない」
「諍いが起きた時だけ?」
私は生徒執行部のことを、学院の運営など日常的な業務を執行をするために活動している組織のように思っていたけれど、よくよく考えてみれば、学院の運営に関わることは官吏科の実務実習となっているはずだ。
だとすれば、執行部に学院の通常運営に関わる業務はないわけだから、たしかに定例業務はないということになる。
「ああ。常時集まって備えている代も多いのだが、それは必須ではない。
今代は、私も王太子の職務があるし、フォスティーヌも王太子妃教育がある。皆それぞれやることもあるし、常時備えている必要はないだろうとレアンドルが進言してくれてな。
何か起これば呼び出されるが、特別忙しいこともない」
レアンドル=サオルジャン侯爵令息の差配で、必要時だけ必要な人員が職務に当たることになったそうだ。
レアンドルは、私が王太子と出会った入学式の日も、私がお見かけしたあの日も王太子と一緒にいた方だ。
きっと王太子の側近なのだろう。
「今日はサオルジャン様とご一緒ではないのですね」
「ああレアンドルに予定があって少し離れている」
そう言ってから王太子が眉を寄せ、そして溜息をついた。
「私はレアンドルがいないと昼食も食べ忘れるのか…」
どうやらレアンドルが王太子の日常をかなりサポートしているようだ。
落ち込んだような王太子を励ましたくて、私は口を開いた。
「仲が良いのですね。サオルジャン様と」
「そうだな。レアンドルはいつも私に尽くしてくれている」
少し伏せた目は、気分が良いと言っていた時と違って、柔らかさが見えない。
レアンドルはきっと有能な側近なのであろうけれど、そんな人が補佐しているのならば王太子も有能であるはずで。それに私は王太子がとても優しい人だと知っている。
でも、それを言葉で伝えることが王太子の励ましになるだろうか。
王太子のことをよく知っているわけでもない私がそう言ったところで、彼を励ませる気がしなかった。
どんな言葉を掛けたらいいのだろうか。私は王太子に、先程までの柔らかい表情に戻って欲しくて。けれど上手く言葉を紡げない。
「その…昼食代わり…にはならないかもしれませんが、殿下は焼き菓子をお召し上がりになりましたし、…その…気分も良くなられたようですし…その…」
私が王太子のことで言えることがあるとしたら、それは入学式の日に親切にしてもらったことと、このベンチに座っている王太子のことしかない。
励ましにもならないだろうことを辿々しく言葉にする私を王太子は眺めていた。
「休みたくなったら…ここに来てもいいだろうか…」
王太子の言葉に、私は窮した。
だってここに来るのに私の許可などいるはずがない。
もしかしたら王太子はここが私のお気に入りの場所であると思って、気を遣ってくれているのだろうか。
「も、もちろんです。お疲れの時はお休みしないといけませんから」
王太子が心地よい休息場所を見つけたのであれば喜ばしいことだ。
ただ、ここで休んで、またうたた寝するのは問題になるのではないかと、心の中で少しだけ葛藤した。
「休まないといけないか」
王太子が私に笑みを向ける。
私はうたた寝する王太子を思い浮かべ。そしてきっと次はレアンドルが側にいるだろうと思うことにした。
「はい。お疲れの時は休んでください」
「そうしよう」
楽しそうな王太子は晴れやかな顔で、私は王太子への恩を少しは返せたのか、それとも恩を増やしてしまったのかを心の中で秤にかけた。
王太子「とても美味しい焼き菓子だった…」




