5. 兄
主要な新聞の隅々にまで目を通すこと。
兄上がいなくなってからの毎朝の日課だ。
兄上が家のメイドと共に姿を消したのが十年と少し前。方々探したが見つけることは出来なかった。
新聞にも尋ね人として何度か載せてはみたが見つからず。ただ新聞を隅々まで見る習慣が出来た。
もしも新聞に兄の名があったとしたら、それは兄上に何かがあった時だ。
だから毎朝新聞を見て、そこに兄の名がないことには気持ちが沈んだが、同時に安心もした。
流石に何年も経つと、新聞の文字を追うことに何の恐れも期待も持たなくはなった。それでも見ることだけは止められない。
私はその日もただ毎朝の習慣で新聞を開き、そして兄の名を見つけたーーー
◇
商家のご主人は両親が馬車の事故で死んだことを教えてくれた。
そして住み込みの見習いとして私を雇ってくれることを提案してくれた。
私はお礼を言って、けどどうしたらいいか分からなくて、何もしたくなくて、ただエマさんの手をぎゅうっと握っていた。
商家の住み込みで見習いをさせてもらえることは、とてもありがたいことだ。父さんと母さんがいなくなってしまった私に、生きていく術などない。ご主人様の慈悲に感謝してお仕えしなくては。
両親が亡くなったことは実感出来なかった。だから悲しさは訪れない。ただ不安でいっぱいだった。
実感出来なくても、もう両親が戻って来ないのだということだけは理解出来たから。
私はオダンさんの家にしばらくお世話になることになった。
見習い仕事は私がもう少し落ち着いてから。エマさんが商家のご主人様と話して、そう決めてくれた。
商家で住み込むためには、家を片付けて、引き払って、必要な荷物を商家に移さなくてはならない。エマさんがいてくれなかったら、私は一人でそれを出来ただろうか。
私の家は、商家のご主人の口添えで借りている家なのだそうで、片付け終わったら賃貸解消の手続きなどは商家でしてくれるそうだ。
これからの大まかなことが決まって、私はエマさんと一緒にオダンさんの家に戻って、そして眠った。
起きた時、やっぱり両親が死んだことは実感出来なかったけれど、でもこれは夢ではなくて、現実なんだな、ということだけは実感した。
◇
兄の行方を探すことを父が諦めたと同時に、私の次期当主教育が始まった。
次期当主教育であるとともに、子爵家当主の引き継ぎ準備でもあった。
兄上の婚約者は私の婚約者となり、私の妻となった。
兄上と彼女の婚約は、我がアルノー子爵家とカルネ子爵家との政略結婚だ。兄がいなくなったからといって、アルノー子爵家とカルネ子爵家の縁を切るわけにはいかない。
幸いアルノー子爵家には私がいた。だから私と彼女の婚約はすぐに結ばれ、そして何事も起こらないうちに結婚しなくてはならず、すぐに子爵家当主にならねばならなくなった。
婚約者交代という不義理を働いたのだ。次期当主の婚約者などという不安定な立場に長く彼女を置くわけにはいかなかったのだ。
私は当主になるなどとはそれまで考えたこともなかったから、とにかく懸命に働いて、妻もそれを支えてくれた。
息子と娘にも恵まれ、良い日々を過ごしていると思う。
しかしそれでも兄のことを心配する気持ちは無くなるわけもない。
私と同じくらい兄上も良い日々を送れているといい。毎朝新聞を読む行為は、たぶんその祈りでもあったのだろう。
祈りは届いたのか、届かなかったのか。
とにかく私は、新聞の馬車の大事故の被害者の欄に兄の名を見つけ、詳細を確認するために、片道1週間ほどのロワンの街に使いを送った。