59. レアンドルとパスマール侯爵
アスカム帝国第三皇子からの衝撃的な話しで、なぜここにいるのだったか忘れそうになっていたけれど、私たちは王太子とフォスティーヌの婚約破棄についての話し合いのために来たのであった。
パスマール侯爵にレアンドルが詰め寄るのを目にし、私はそれを思い出した。
ここまでの様子から考えるに、レアンドルが王太子とフォスティーヌの仲を割こうとしたことは、パスマール侯爵に頼まれてのことなのだろう。代わりにパトリシアとの結婚を約束していたのではないかということは推測できることだ。
けれど、そもそも保守派の貴族であるレアンドルが、どうして革新派のパスマール侯爵からの依頼ーーそれも保守派に不利になるようなことを引き受けることになったのかが分からない。
それだけパトリシアと結婚したかったのだろうか、と思うところではあるけれど、そもそもパトリシアはパスマール侯爵の隠し子で、アスカム帝国で育てられているのだという。であれば、レアンドルが会った事があるとは思えないし、存在を知っているはずがない。
二人の間の約束事は推測出来るとはいえ、なぜそんな事を約束するに至ったのか。となると、何も思いつくことがない。やはり勘違いだろうか?と思いそうになるけれど、しかし目の前の状況は現実なのだから、何らかの事情があってのことなのだろうけれど…。
私は困惑していたけれど、ここまでの話を聞いているだけですっかり疲れてしまってもいた。
国と国との争いや、内乱などに比べたら、何だかもうレアンドルの事情とかどうでも良いのでは?という気持ちになってしまった。
後で思い返せば、この時の私は、ただただ疲れてしまって虚な気持ちでいたのだと思う。
それに、周りの空気も婚約破棄への対処が必要だろうけれど、私が処分されるようなことはないだろうと思えるものだったのだから、そういう意味での安堵がどこかにあったのだろう。
だから、ここからがむしろ私にとっては大事な場面だというのに、何だか適当に終わらせてもらってもう帰って寝たいという気分でいっぱいだった。
それはどうやらフォスティーヌも同じだったと後で聞かされたけれど、しかし彼女はむしろ当事者だ。いや、それを言ってしまえば、私も代わりの婚約者にされそうになったわけだから当事者といえばそうだけれど…。
とはいえ、私たちが疲れ果てて、帰りたい気持ちでいっぱいだったからといって、すぐに帰れるはずもなく、私たちは婚約破棄の事情説明をすることになった。
アセルマン侯爵が第三皇子に退室を勧め、彼が断ったことで、そのまま全員が部屋に残ることになった。
「殿下、フォスティーヌとの婚約を破棄されるということですが、事情をお聞かせ頂けますか」
アセルマン侯爵に促された王太子は、俯いていた顔を上げ、私の顔を見た。そしてフォスティーヌにも目を向けると、また俯いてしまった。
「私は…」
震える声は続かずに、そのまま沈黙した。
私とフォスティーヌはレアンドルに疑いをかけていたけれど、王太子はレアンドルのことをずっと信じていたのだ。
けれども、ここまでの様子を見ればレアンドルが王太子を騙そうとしていたことは流石に分かったのだろう。
とはいえ、それを受け止めるにはあまりに時間が短すぎるだろうし、それ以外にも大変な話しが続いてしまった。何を真実と考えれば良いのかも分からなくなってしまっていると考えれば、事情と言われても説明すべきことを見失っているのかもしれない。
「…先にレアンドルに聞いた方が良さそうだな」
アセルマン侯爵はそう言ってから、ちらりとサオルジャン侯爵に目を向けた。
サオルジャン侯爵はまっすぐにレアンドルを見つめていた。
冷静に息子を見つめているように思えるサオルジャン侯爵が何を考えているのか、私には分からない。
「わたし、は…」
しかしアセルマン侯爵に促されたレアンドルも、王太子と同じように言葉を続けられないようだ。
けれどもその様子を見てサオルジャン侯爵が口を開いた。
「レアンドル。事情を説明しなさい」
「っ…」
はっとサオルジャン侯爵を見たレアンドルの手は震えていた。彼は一度目を閉じて俯いたけれど、顔を上げた時には落ち着いた目をしていた。
「私は王太子殿下とフォスティーヌ嬢の婚約を解消させる事が出来れば、パスマール侯爵のご令嬢と結婚し、パスマール侯爵家の次期当主候補にして頂けるとお約束頂いておりました」
「なるほど、ある程度は予想していたが、次期当主とは…」
アセルマン侯爵の呟きに答えたのはパスマール侯爵だった。
「アスカム帝国との間に争いを起こし、アスカム帝国だけでなく他国の脅威を身近に感じる中で他国との交流を主張していくには息子は些か頼りない。レアンドルなら向いているのではないかと思ったことは確かだが、とはいえ、王太子殿下の婚約がなくなるわけがないと思っていたからレアンドルの要求を受けたとも言える。もしも殿下の婚約が破棄されると分かっていれば、むしろパトリシアを引き取って、代わりの婚約者にしただろう」
「私も最初は本当に婚約破棄など出来るとは思っていませんでしたよ。…殿下が運よくアルノー子爵令嬢に想いを寄せたから上手くいったんです」
その言葉に私に視線が集まり、フォスティーヌが庇うように私を抱き寄せてくれた。
「サラは何も悪くはありません」
フォスティーヌの言葉に、問いの言葉を上げたのは王太子だった。
「フォスティーヌは私を責めないのか?」
「…殿下は、サラを守ろうとされたのでしょう?誤解が解けずに困りましたけれど、私の大事な友人を大切にしてくださったことは嬉しいと思っているんですよ」
「そうか…」
「…フォスティーヌが誤解と言った事情は、レアンドルから聞いた方がいいだろうな」
アセルマン侯爵が再びレアンドルに問いかけた。
レアンドルは大きく息を吐くと、話を始めた。
「…アルノー子爵令嬢がフォスティーヌ嬢に虐められている様だと殿下に進言した程度のことですよ。こんなことにならずにアルノー子爵令嬢と王太子殿下が婚約を結ばれたなら丸く収まるところであったはずです」
「私と殿下が誤解を解く機会を邪魔していましたけれどね」
「ですが、フォスティーヌ嬢は別に婚約は解消となっても困らないでしょう?」
「はぁ…私個人のことは構いません。けれど、サラを巻き込んだことは許さないわ」
「…既に私は許されることはないでしょう」
肩を竦めるレアンドルは、覚悟を決めたのか、もう諦めた心境なのだろう。
臆している様子はなかった。
「つまりレアンドルの策略で、王太子殿下の想い人であるアルノー子爵令嬢をフォスティーヌが虐めていると誤認させ、殿下に婚約破棄を宣言させた。ということか」
アセルマン侯爵の言葉に、サオルジャン侯爵と国王が少しだけ眉を寄せた。
「しかし…なぜレアンドルとパスマール侯爵はそんな約束をしたのだ?」
アセルマン侯爵の疑問は、私の疑問でもある。
保守派の貴族であるレアンドルが、派閥違いの家に婿に入るという話が出ることが訳が分からない。仮にパスマール侯爵の息子が後継に相応しくないとしても、それならば同じ派閥の伯爵家から養子を迎える方法もあるし、パトリシアを家に迎えて婿をというのであれば、それこそ派閥違いのレアンドルが候補に上がるはずがない。
パスマール侯爵は本当に婚約破棄されるとは考えてなかったようだけれど、少なくともレアンドルはそれを望んだということで、つまりどうしてそんな話が出たのかという疑問に戻ってしまう。
「以前、アスカム帝国から一時的に避難してきた方々を覚えていらっしゃいますか?」
「フォスティーヌがご令嬢の遊び相手を務めた方々だね」
「はい…レアンドルは王太子殿下のお相手をするために当時も王城へ上がっていたそうですが、異性と触れ合わせるのは良くないだろうとフォスティーヌ嬢をお呼びになったと聞いております。しかしどうやらご令嬢とレアンドルは交流があったのです」
「そうなのか…?」
パスマール侯爵の話しにアセルマン侯爵は「なぜそんな昔話を?」という顔で相槌を打った。
「あのご令嬢はパジェス語がお上手でしたが、こちらのパトリシア嬢に習ったのだそうです」
「…!」
「レアンドルはそれをご令嬢から聞いたそうで、私に娘の話をしてきたのです。アスカム帝国にいる娘さんの話を聞いたことがあるんですよ、と」
「別に脅迫したわけではありませんよ。隠し子だなんて知りませんでしたしね」
「ええ、レアンドルにとってはただの昔話でしたが、私は困りました。あの頃は引き取れる状況ではありませんでしたし、アスカム帝国で過ごさせる方が良いのか悩んでいましたからね。
しかし秘密を知っているレアンドルを放置しておくわけにもいきません。何度か話しをしました。そのうちに、もしかしたらレアンドルは保守派よりも革新派の考えに近いのではないかと思いました。
そもそもアスカム帝国に娘が住んでいるということを抵抗なくレアンドルは受け入れているようでしたしね」
王太子とフォスティーヌの婚約が破棄されたら、レアンドルをパトリシアの婿にすることで次期当主候補に。というのは、どうやら話の流れで飛び出してきたようなことだったそうだ。
それはもしかしたらレアンドルの誘導があったのではないだろうかというのはただの想像だけれど、パスマール侯爵は一先ずレアンドルを大人しくさせようと考えて約束をしたようだ。
アスカム帝国との間に争いを起こすために、パスマール侯爵には時間も余裕もなかったためのことではあったけれど、それだけでなく、レアンドルの資質が革新派向きであると考えていたことも多少は影響していたように感じた。
話を聞いていて、つまりパスマール侯爵がレアンドルを次期当主と決めていればこんなことは起こらなかったということだろうか。と考えて、
だけどパトリシアの婿として、となると第三皇子がいるわけだから…と思い当たる。
どうやらパトリシアに第三皇子が求婚していることをパスマール侯爵は知らなかったようなのだけれど、それは第三皇子がそのように立ち回っていたからか、それともパトリシアの母方の伯爵家が策略を隠すために立ち回ってのことなのか。
事情は分からないけれど、それでは実現はなかったな。と考えてから、それがなくてもサオルジャン侯爵が派閥違いの家への婿入りを認めるだろうか。と考えれば実現の難しさに眉が寄る。
つまりパスマール侯爵がレアンドルと約束はしていても、結局のところサオルジャン侯爵は認めないのではないだろうか?と考えれば、どこまでも無駄な騒動だった気しかしない。
「おおよそ事情は分かった。
では、王太子殿下の婚約については、アルノー子爵令嬢が気遣ってくれた通りにあの場の冗談のようなものとして…」
「いや…そういうわけにはいかない」
アセルマン侯爵の言葉を王太子が遮った。
それまで俯いていた王太子は顔を上げると立ち上がり、フォスティーヌに頭を下げた。
「フォスティーヌ。君に辛く当たったことを謝罪する。
君も、そしてサラも何度も誤解を解こうとしていたのに、私はそれを信じることが出来なかった。
こんな私が…君と…そしてサラとも結婚できるはずがない」
王太子の言葉をフォスティーヌは静かに聞いていた。
「陛下!私はフォスティーヌの伴侶となるには値しません。私は…神殿に入ろうと思います」
毅然とした顔で、そう宣言した王太子は、どのスチルよりも力強く美しく見えた。