55. パスマール侯爵の娘
「さて、それではまず第三皇子殿下の手紙の件からお話し致しましょう」
案内された部屋で、略式での挨拶を交わし終えるとすぐに、アセルマン侯爵はこう切り出した。
第三皇子殿下からの手紙、というのは先ほどの遣り取りから考えて、彼が伴っているパトリシアというご令嬢との結婚の許可に関してのことなのだろう。
だとしたら私はいない方が良いのではないだろうか。
自分がこの場にいることが居た堪れずに、私はそわりと周囲を伺ってみたものの、勝手に出ていくわけにもいかないし、かといって声を掛けるのも憚られる。
仕方なく、せめて存在感を消していようと、息を殺して大人しくしていることにした。
「第三皇子殿下から、パスマール侯爵のご令嬢との婚姻の許可を求める親書を頂いておりましたが、そちらのパトリシア嬢がそのご令嬢でございましょうか」
「その通りだ」
第三皇子が頷くと、間髪を入れずに声が割り入る。
「パトリシア嬢は私と結婚する約束です!」
鋭く言葉を放ったレアンドルに、第三皇子はちらりと視線を向けた。
「はぁ…レアンドル、君の話は後で聞こう。まずは第三皇子殿下のご意向を詳しく…」
「いや、彼の話を先に聞こう。…パトリシア、君は彼と結婚の約束をしているのか?」
「いえ、結婚のお約束はしていませんし、初めてお会いした方です」
「…と、パトリシアは言っているが?」
「私はパスマール侯爵からご令嬢との結婚を約束頂いております」
「そうなのか?パスマール侯爵?」
「それは…いえ、結婚を許可したというわけでは…」
「な…私は約束を果たしただろう!ならばそちらも約束を果たすのが当然だ」
「レアンドル!」
「ふむ。つまりパスマール侯爵とレアンドルの間で何か取り交わしがあって、ご令嬢の結婚を約束されたということですね。どんなお約束をされたのですか?」
そこでアセルマン侯爵が、話をまとめるようにパスマール侯爵に問い掛けた。
「…!それは…いや、我が家に関してのことで、この場で言えるようなことでは」
パスマール侯爵が曖昧な言葉で返答を避けると、アセルマン侯爵は第三皇子に目を向けてから「まあいいでしょう」と追求はしなかった。
「私のことは気にしなくていい。…というわけにもいかないだろうな」
第三皇子は他国の人間である自分の前では話しづらいのだろうと察したようで、少し考えてから再び口を開いた。
「では先に私から話そうか。
私は帝国の学院でパトリシアと出会って、彼女に一目惚れをしたのだ。彼女と親交を深め、結婚を決意したが、彼女の父親はパジェス王国の侯爵だ。となれば最終的に国王の許可が必要となる。それで許可を得るために手紙を出した。
手紙に書いた通りだが、それでどうして返事がなかなか来なかったのだろうか」
「パトリシア嬢はパスマール侯爵のご令嬢なのですね」
アセルマン侯爵に第三皇子が頷いて返したことで、視線はパスマール侯爵へ向かった。
「…確かにパトリシアは私の娘です。しかしアスカム帝国で育てた娘ですのでパスマール侯爵家の娘とは言えないでしょう」
「つまり、侯爵の隠し子であると?」
「…」
アセルマン侯爵にパスマール侯爵は沈黙を返した。
つまり否定する言葉はない、ということなのだろう。
「ふむ。つまり殿下はパトリシア嬢との結婚を望んでいらっしゃる。その為に父親であるパスマール侯爵の許可を得る必要がある。しかしパスマール侯爵はパジェス王国の貴族である。そのために、国王に許可を求めた。と」
「あちこち伺いを立てるのは面倒だろう。上の許可を得るのが一番だ」
「…その為に、あのようにパーティーに押し入られたのですか?」
「人聞きが悪いな。押し入ったわけではない。ちょうどパトリシアに招待状が来ていたから同行したまでのことだ。確認するから待てと言われたのでな。自分で確認するから気にするなと入らせてもらった」
けろりとそう言った第三皇子に、アセルマン侯爵は溜息を呑み込んだようだ。
「ところで、そちらのサオルジャン侯爵は、私のパトリシアと結婚の約束をしていると主張している彼のご父君だろうか」
「その通りです。ですが、私は息子に結婚の約束をした相手がいるとは聞いていません」
「そして、王太子殿下と婚約者であるアセルマン侯爵のご令嬢…」
「いいえ、殿下。私、先ほど王太子殿下との婚約は破棄されたところですの」
「そう、なのか…?」
婚約破棄と聞いて第三皇子は戸惑ったようだ。しかしそこを追求することはせずに、視線を私へ向けた。
「…あー、それで彼女は」
「サラは私の友人です」
「この場に必要か?」
「はい」
フォスティーヌの第三皇子への答えに、私は一瞬、退室する良いきっかけだったのにと嘆きそうになったけれど、この先の話が私の未来に関連しないとは言えない以上、このままここにいる方が自分で対応できる可能性が出来る。
国王に侯爵家当主、さらにはアスカム帝国の皇子がいる状況で、何か出来ることがあるかと言われれば、何もないかもしれないけれど、少なくとも状況を少しは把握することができるだろう。
既に私の知っているゲームのシナリオにはない出来事が起こっているのだ。
結局のところ、フォスティーヌと王太子の婚約破棄…は阻止できなかったけれど、少なくとも私が王太子と婚約するということが阻止できたということを確認はしたい。
本当は、フォスティーヌの婚約破棄も有耶無耶にしてしまえるかもしれないと期待したのだけれど、彼女自身が婚約を破棄されたと言ったことを考えると、彼女としてはそれを受け止めているということなのだろう。
しかし婚約破棄をなかったことにするという可能性もまだあるのだし、今後についてはまた検討すべきことだ。
第三皇子はフォスティーヌの言葉を聞いて、私、そして部屋にいる面々を見て頷いている。
私はまだ第三皇子の登場については戸惑ったままではあるけれど、レアンドルについては分かったことがある。
保守派の侯爵家の子息であるレアンドルが、王太子とフォスティーヌとの仲を割こうと画策した理由。
フォスティーヌはレアンドルを疑ってはいたけれど、彼に動機がないことから疑いを持ちきれずにいた。
けれど、先ほどの話で彼の動機は予想できる。
つまり、レアンドルと革新派であるパスマール侯爵の取り交わした約束というのが、王太子とフォスティーヌの仲を割けば、パトリシア嬢との結婚を許可するというものなのだろう。
それが婚約破棄という具体的なことであったのかまでは定かではないけれど、少なくとも王太子に婚約破棄を宣言させたのだから、レアンドルとしては約束を果たしたと言いたいのだろう。
けれどもパトリシアの様子はレアンドルと恋仲…という雰囲気ではない。というか、彼女の言った通り初めて会ったように感じる。だとすれば、どうしてレアンドルはパトリシアと結婚することを望んでいるのかという疑問は湧くけれど、しかし、これでレアンドルの動機になる事情を知ることができた。
この後、話がどこへ進むのかは予期できないけれど、これまでのレアンドルの行動の理由を更に掴めるならば情報が欲しい。
私は部屋にいる人たちをそっと見渡しながらそう考えた。
「うん。では不都合があれば後で考えることにして、少し踏み込んだ事情を話そうか」
第三皇子は軽くそう言うと、ぎゅっと身体をこわばらせたパトリシアに微笑みを向けた。
大丈夫、と言うように軽くパトリシアの手を叩いてやると、パトリシアは息を吐く。
私も知らず強張ってしまった自身を落ち着けなければと息を吐き、第三皇子が話を始めるのを見守った。