29. どうしてお茶を掛けたのか
お茶会室に入ってきた王太子は、お茶に濡れた私の姿を目にし、慌てて駆け寄ってきた。
王太子を部屋に招き入れたステファニーは、惨状を目に入れ唖然として動きを止めていたが、駆け寄る王太子に気がついて、遅れながらも私の元へと来てくれた。
王太子は気遣わし気に私に目を向け、次いで、私の前にいる令嬢へと問いただすような視線を向ける。
その視線を受け、私にお茶を掛けた令嬢は怯えたように視線を彷徨わせた。
凍りつくような空気を破ったのは、ステファニーで、王太子の後ろから来てくれた彼女は、すぐに私の手を取り、王太子に頷きを送ると、メイドに指示を出して私を部屋から連れ出してくれた。
メイドに連れて行かれた部屋でしばらく待っていると、メイドが新しいドレスを持ってやって来た。
メイドの手を借りそれに着替えると、お茶に汚れたドレスは「汚れを落としてからお返しいたします」と持っていかれた。
お茶の染みなので落ちないかもしれないな、と思いながらそれを見送り、私は「しばらくこちらでお待ちください」と言われた通りに座って待った。
しばらく待っているとステファニーが王太子を連れてやって来た。
これが悪役令嬢によるヒロインの虐めイベントの一つであるならば、先ほど私にお茶を掛けた令嬢の所業はフォスティーヌのせいにされてしまうのだろう。
ゲームのシナリオを知らなければ、先ほどのことは、突然お茶を掛けられた意味の分からない出来事になるけれど、お茶を掛けられただけでなく、王太子まで現れたとなればゲームのシナリオとの関連を考えないわけにはいかない。
一緒にお茶会に参加していたフォスティーヌは、王太子が来る少し前に呼び出されて席を外している。
その場にいなかったことは良いことのようにも思えるけれど、王太子が現れるというゲームの場が整うかのようなシチュエーションを考えれば、フォスティーヌがいなかったことすらもその一環のような予感がする。
「手を滑らせてしまったようですね。彼女は火傷などしていないでしょうか」
明らかに彼女が故意にお茶を掛けたことは分かっていたけれど、フォスティーヌのせいにされるくらいであれば、事故ということに出来ないだろうか。
悪あがきのような願いは、やはり届かないようで、王太子もステファニーも傷ましげな眼差しを私に向ける。
「サラ、フォール子爵令嬢を庇う必要はない」
「…っ、そのようなつもりでは…」
「ごめんなさいね。私が至らなかったばかりに」
「いえ!シャモナン伯爵令嬢のせいではありません!」
思うようにいかないことに歯痒さを感じたけれど、言い繕えないことなど予想できたことであったから、私はおとなしく二人からの状況の説明に耳を傾けることにした。
フォスティーヌは、そもそも王太子が訪れたということで呼び出されたようで。
だけれど、用事があったのは、王太子ではなくてレアンドルだったのだそうだ。
もともと王太子もお茶会に来る予定はあったのだそうだけれど、遅れたのはフォスティーヌへの言伝をレアンドルが受け取っていたからなのだとか。
それを済ませるためにレアンドルとフォスティーヌは少しだけ話をしており、
その間に、ステファニーが王太子をお茶会室へと案内した。
そこであのような事態に遭遇することになり、
私が連れ出された後に、レアンドルとフォスティーヌがお茶会室へと入って来た。
お茶会室に戻ったフォスティーヌを見た途端、王太子に詰問されそうだったお茶を掛けたフォール子爵令嬢が、「フォスティーヌ様の仰る通りにしたのです」とフォスティーヌに縋った。
事情が分からないフォスティーヌは戸惑い、詰問の矛先をフォスティーヌへと変えようとした王太子をレアンドルが止めた。
レアンドルは王太子から軽く状況の説明を聞くと、フォール子爵令嬢とフォスティーヌから話を聞く役を引き受け、ステファニーに用意させた別の部屋へと場所を変える。
その後、彼らが戻るまでステファニーはお茶会の場を鎮めながら待ち、聞き取り結果を確認してからこちらに来てくれたようだ。
お茶会の場を鎮める以上に、王太子を宥めることは大変だったのではないだろうか。
私は、憤りを隠せないでいる王太子の様子に、それを確信し、ステファニーに同情した。
ステファニーが一緒にいてくれていることで、今、王太子に過剰な好意を向けられることなく済んでいることがとても有難い。
レアンドルがお茶を掛けたフォール子爵令嬢から聞き出した話は、
彼女がフォスティーヌから頼まれて私にお茶を掛けたというもので、
お茶会の直前に手紙を受け取ったのだとか。
もちろんフォスティーヌはそれを否定しているのだけれど、
どちらが正しいとはこの場では、結論が出ないとされてしまった。
だけでなく、それまでのフォスティーヌの私に対する虐め疑惑まで色を濃くしてしまったようだ。
「ティーヌ様は、そのようなことはなさりません」
私はそう主張したのだけれど、なんの根拠を示すことが出来ない言葉に、王太子が頷いてくれるはずもなく、
ステファニーの取りなしで、私は彼女に見送られ、そのまま寮へと帰ることになった。
帰ってすぐに私はフォスティーヌへ手紙を書いたし、フォスティーヌもすぐに私に手紙をくれた。
ステファニーからも謝罪とお見舞いの手紙が届いたので、私もお礼と疑惑を否定する手紙を返した。
結論が出ないとされた疑惑を王太子はどう思っているのだろうか、と考えたけれど、
今までのことを思い浮かべれば、分の悪さを感じずにはいられない。
お茶会にいた令嬢方はと思い浮かべれば、なんとも判断することが難しくて溜息を吐きそうになる。
ステファニーは、王太子を宥めることで精一杯の様子だったから、どう考えているのかまでは分からなかった。
フォスティーヌと私の仲の良さを目の当たりにしている令嬢ならば、フォスティーヌの仕業だなどとは考えないようにも思うけれど、フォスティーヌは王太子の婚約者として広く浅く今まで彼女たちと付き合っていたようなのだ。
学院でのお茶会に招かれるようになって、私以外にも仲良くなれそうな令嬢が少しは出来て来たかという頃合いだったことを考えると、お茶を掛けた令嬢の方がもしかすると親しくしている生徒が多いかもしれない。そうだとすれば、彼女の言葉の方を信じようとしてしまう可能性は高くなってしまうのではないだろうか。
私に駆け寄った王太子の密かな恋情が、誰にも気づかれていないかどうかが少しだけ不安だ。それを根拠と取られてしまうことは絶対に避けなければならない。
とはいえ、お茶に濡れた私を心配して駆け寄ること事態は、不自然な行いではないだろうと思う。
ただ私が部屋から出た後のことが分からない以上、そこに不安は残る。
王太子が困るような発言をしていなければ、いいのだけれど…。
フォスティーヌに頼まれたという令嬢の言葉の信憑性は、客観的にも高いとは言えないように思うのだけれど、
フォール子爵令嬢が私にお茶を掛ける動機が今ひとつ分からず、
それが故に、信じられないとも言い切れずに戸惑っているのではないかと考えられる。…が、
後に聞いたところによると、王太子が来れたら顔を出すことになっていたお茶会で、王太子が来る前に私を退場させるためにお茶を掛けたのではないかという憶測が囁かれているのだそうだ。
それを聞いた時、王太子の私への恋情に気がつかれたのかと一瞬ひやりとした。
けれど、どうやら件の噂がその要因と思われているようで、ほっと息を吐く。
どうにも無理やりすぎるように感じるけれども、
この事態からなんとか理解できるストーリーを捻り出そうとした結果生まれた憶測は、
無理やりな形に思えたとしても、代わりが見つけ出せない以上、信じられないような真実として囁かれる。
王太子にあれを目撃させようとしたはずがなく、であればその前に終わらせるつもりだったはずで、だとすれば王太子が来る前に退場させようとしたのではないか、と考えられ、その理由を求めて私の噂を思い出す。
穴だらけであるのは、それが真実ではないからなのだという主張は、せいぜい疑惑を緩める程度の力にしかならないようだ。
私は殺しきれずに溜息を吐いてしまった。