25. 噂の子爵令嬢
「殿下が仰っていた子爵令嬢があなただと気が付いたのに、気遣いが足りなかったわね」
しょんぼりと眉を下げたフォスティーヌは、王太子から以前に、私に関しての噂の存在を聞かれたことがあるのだそう。
だけど王太子妃教育で忙しいフォスティーヌは、学院にいる時間があまりないこともあってか、噂のことは知らなかった。
学院内の揉め事の調査の一環だろうかと思ってそのまま深くは考えていなかったのだそうなのだけど、私と会って話をした時に、もしかしたら私が王太子の言っていた子爵令嬢なのではないかと気が付いた。
思わず市井で育ったのかと確認し、やっぱり王太子の言っていた子爵令嬢なのだと確信したものの、すぐに私たちは他国語の話に熱中してしまって、その後も楽しく過ごしてしまったことから、王太子が気に掛けるような噂であるのだから、件の子爵令嬢が私なのだと気が付いた時点で何らかの配慮をすべきであったのに、それを思いつきもせずにはしゃいでしまっていたと、フォスティーヌは悔やんでいる。
噂の子爵令嬢である私を虐めていると王太子に思わせようとしていると仮定するならば、つまりその噂というのは軽く囁かれるようなものではなくて、虐めに近いものだったのではないかとフォスティーヌは考えてしまったようだ。
「あの、噂されるのは…確かに嫌な気持ちにはなりましたけれど、深刻な虐めというほどではないですし、…それに今はもう噂されたりはしていないようなので、えーと、お気になさらないでください」
私も最近では噂されていたことを思い出すことはほとんどなかった。…それよりも気がかりなことがあったから。だ、けれど、思い出すこともないような噂でフォスティーヌが心を痛める必要なんて全くない。
「…それなら、良い、のだけれど…」フォスティーヌはそれでも顔を曇らせたままで言葉を続ける。
「何かあったら私にも言ってね。…いえ、噂していたという相手を教えてくれれば、今後私に出来る配慮をするわ」
まっすぐな気遣いを向けられて、私は嬉しさに目元を緩める。
「ありがとうございます、ティーヌ様。…もしも困った時は頼らせてもらいます」
「もちろん頼ってちょうだい、サラ」
**
「あの、王太子殿下とは…えっと、頻繁にお会いになるんですか?」
ここで王太子との仲を聞いておかなければと、私は思い切ってそう尋ねた。
「え?いえ、うーん、そうね、最近はあまり会わないわね」
「そう、なんですか…」
「あ、仲が悪いとかではないわよ」
思わず私の目が泳いだのを見て、フォスティーヌが慌てて言葉を継いだ。
「入学する前は、礼儀作法とかダンスとか一緒に勉強する機会も多かったのだけど、入学してからは一緒になる機会があまりないだけで。えっと、たまにお会いしてお茶を飲んだりはしているから」
「それは…」
仲が悪くない…のかもしれないけれど、仲が良いとも言えないような…。
もしかして、貴族の婚約者同士というのは、そういうものなのだろうか?
私が返事に困っているとフォスティーヌが言い訳のように呟いた。
「だって…殿下にお会いする時間を作るより、色々な国の文化や歴史の勉強をしている方が楽しいのだもの」
その言葉があまりにフォスティーヌらしくって私は思わず笑ってしまった。
「それでは、仕方がないですね」
「そうよ。仕方がないのよ。だって王太子妃になってしまったら、もう教師の手配はしてもらえないんだもの。限りある時間の中で優先すべきことに時間を割くのは当然じゃない」
そう言い切ったフォスティーヌは、だけどね。と続ける。
「勉強出来る環境を得たのだから、ちゃんと殿下をお支えするつもりよ。…今は、それぞれやるべきことをしているからお会いする機会が少ないかもしれないけれど、顔を合わせた時には仲良く過ごしているもの」
と、フォスティーヌは言ってから、「あ、いえ、先日お会いした時は少しよそよそしい感じだったけれど…」と口籠る。
先日ーーつまりそれは、フォスティーヌが王太子から噴水の件を聞いた時のことなのだろう。
王太子が今、フォスティーヌが私を虐めていると思わされているのならば、誤解を解かなければならないのだけれど、それを一人きりでやらなくても良いのだと分かって、私はとても安堵した。
それにしてもフォスティーヌの話を聞いていると、どうやら本当に王太子との婚約は、彼女にとっては他国の勉強が出来る環境のおまけであるようだ。
少し前までは、悪役令嬢にヒロインが虐められる理由となる可能性の一つとして、今後フォスティーヌが私と王太子との交流に気がついて、嫉妬することがないとも言い切れないと少しだけ心配していたけれど、彼女の話を聞く限り、それよりも彼女と王太子との婚約を邪魔したい何者かの思惑で、フォスティーヌが私を虐めているという疑惑を掛けられようとしている可能性の方が高いだろう。
私が王太子にした説明では、彼は納得しきれなかったようだけれど、フォスティーヌと王太子とで話し合えば誤解は解けるだろうか。
私は少し考えてみて、それには心配な点があることに思い当たった。
フォスティーヌは、きちんと説明すれば王太子は分かってくれると考えているようだ。
きっとそれは王太子の性格から導かれる予想なのだろうけれど、彼女は一つだけ思い違いをしている。
フォスティーヌは、虐められていたと思しき私のことを、王太子が気にかけていると考えているようだけれど、ゲームのことを考えれば、王太子は私に恋心を抱いているはずだ。
だからフォスティーヌが私を虐めているという誤解についても、
フォスティーヌにとっては、周りに虐められている女生徒を気に掛けている王太子に、自分も加担したと誤解されていることについての釈明のつもりのはずだけれど、
王太子から見たら、婚約者が自分の想い人を虐めているという誤解になるわけで。
それを考慮に入れるとしたら、果たして王太子は素直にフォスティーヌの言葉に耳を傾けるだろうかと懸念が湧く。
二人でその話をさせるのは、少しだけ危険かもしれない。
だとしたら三人で話し合ってみたらどうだろうか。
そう考えて見たけれど。そうするならば、三人で会う場を用意しなくてはならない。
けれども、こんな誤解を解くためという理由で正式に場を用意してしまえば、そんな誤解があるのだということが隠しきれなくなってしまうだろうと考えれば、実行するには些か障りがあるだろう。
とはいえ、偶然に期待して人目につかないように三人で話すのは難しい。
何か丁度良い言い訳でも用意出来ればとは思うものの、すぐには思いつくことが出来ずに、私は眉を寄せた。
…やはり簡単には回避出来ないか。
心の中でそっと溜息を吐いた私は、それでも安堵の気持ちが自分の中に生まれていることに気がついた。
少なくともフォスティーヌは私と敵対しないでくれる。
それが分かったことがとても嬉しくて。
私は、一緒に悩んでくれる友人がいることを心強く思った。




