16. 誤解です!
王太子から話を聞いた私は内心で頭を抱えた。
「フォスティーヌ様は殿下と会わないようになどと私に仰ってはいません!」
「…本当に?」
疑うような眼差しは、心配からだろうとは思うのだけれど、どうしてこんな疑いが湧いて出たのか全く訳がわからない。
「しかしフォスティーヌが寮へ行ったと言うのは本当なのだろう?」
「はい…」
どうやら侯爵家からの迎えの馬車が寮へ来た時に、フォスティーヌが来ていたことを誰かに見られた様なのだけれど、それがどうしたらこんなことになるというのだろうか。
「フォスティーヌとは、その、先日噴水に落ちた、という時に面識を持ったのではないのか?…もしかして、前から面識が?」
「いえ、その…噴水の時に初めてお会いしました…」
王太子が言い淀んだのは、噴水に落ちた話を蒸し返すことを躊躇したのだと思うけれど、そう思うならばもう、本当にそっとして置いて欲しい。
「…ならばフォスティーヌは何のために君のもとへ訪れたのだ?」
「…その…侯爵家へお招き頂きまして」
王太子は眉を寄せたままで、私はどう説明すべきなのかと途方に暮れた。
「お友達に、なりましたので…」
言葉を付け加えたけれど、王太子の表情は少しも穏やかになってはくれない。
確かに、噴水に落ちたところを助けてもらったとして、それがきっかけで侯爵令嬢と友達になったと言われても、信じ難いという気持ちは分からなくもない。
とはいえ、それが事実であるのだから他に言いようもない。
私は、どう言ったらいいものか思案した。
フォスティーヌが私に興味を持ったのは、サラサールの絵画を知っていたからだろう。
仲良くしたいと思ってくれたのは、他国の絵本を持っていたからで、翻訳していると話したことが何より大きな理由と言えると思う。
フォスティーヌ自身も他国について学んでいて、…学ぶ環境を得るために王太子と婚約した。
フォスティーヌが婚約を決めた理由を王太子は知っているのだろうか。
ちらりと向けた視線が、王太子からのものとぶつかって、私は慌てて視線を逸らした。
この国の貴族女性は他国語を学ぶことが基本的には出来ない。
それは学ぶ環境が用意されていないと言うことであり、禁止されているわけではないとは言うけれど、外聞が良い事ではないとも聞いたことを考えれば、フォスティーヌと仲を良くした理由を正直に言ってしまって問題にならないか判断が難しい。
王太子妃教育で他国のことについては学ぶと言っていたし、私個人が王太子に忌避されることになるのであれば、むしろルート回避の手段としても有効な気がする。
けれども、王太子妃教育で学んでいることと、令嬢本人が好んでいることは別の問題であると言えるだろうし、他国語を学ぶということが禁止されていないとはいえ、侯爵家ですら手配しないようなことであるならば、私個人に留まらずアルノー子爵家が忌避されるようなことなのであれば迂闊に言わない方がいいだろう。
フォスティーヌに他国語を貴族女性が学べないという理由を詳しく聞いていなかったことを私は後悔した。
「しかし自ら馬車でというのは…」
王太子の言葉に私は再び返す言葉を探した。
家で待ち切れないくらい楽しみにしていたらしい、などと言うのは、婚約者のはしゃいだ様子を告げ口するようなことになってしまうし、…それに言ったところで俄かには信じ難いだろう。
「いや…だが、侯爵家へ招待したのならば、そもそも自分が馬車に乗る必要自体ないな…」
「そ、そうなのです。使いだけでは侯爵家に来づらいだろうと、フォスティーヌ様は気を遣ってくださったのです!」
「…」
王太子は、フォスティーヌが自分の婚約者に近づかないようにと告げるために馬車で寮まで私を訪ねたと思っているようだったけれど、侯爵家への招待があったのであれば、仮にそれを告げるという目的だったとしても、フォスティーヌが馬車に乗っている必要はないことに思い当たったようだ。
だから私は、ここで納得させてしまおうと慌てて口を開いた。
「友人などと不思議に思われるのも当然ですが、気が合ったと言いますか…」
必死に言葉を重ねる私を王太子は、それでも心配そうに見つめた。
「…分かった」
納得したという顔には見えなかったけれど、私の言葉を受け止めてくれたらしい返事に、私は胸を撫で下ろした。
「…本当に…困ったのならいつでも、どのような事でも言ってくれ」
そう言った王太子の眼差しが切なげで、私は思わずどきんと揺れた心臓を悔しく思った。
ようやく解放されたことに喜んで、教室へ戻ってきた私は、王太子の話を落ち着いた気持ちでもう一度振り返る。
考えてみればフォスティーヌは王太子の婚約者であり、その婚約者が近頃毎朝のように挨拶を交わしている相手のところに行ったとなれば、このような疑惑を持たれることはおかしいことではないのかもしれない。
フォスティーヌが寮に来た時に、誰が見ていたかなど気にしてもいなかったけれど、閉鎖されている場所というわけでもないのだから、見ている人がいてもおかしくはないし、それまで親しい様子のなかった二人であることから、話が聞こえなければ余計に王太子を巡っての諍いを想像してしまった向きはあるのではないだろうか。
ゲームの記憶を思い出した今だから、そんな風にも想像出来る。
けれども、私はそれまで王太子が挨拶をしてくれることを、そんなにも特別なことであるとは認識してはいなかった。
王太子にそれほど注目していなかったせいなのかもしれないけれど、それでも王太子が私以外との交流が乏しいとは思えない。そんな邪推をされるほど王太子の交友関係は薄いのであろうか。
だとしたら、もっと王太子との交流は減らさなければと考えて、いや、減らそうとした結果がフォスティーヌからの妨害工作であると邪推されての王太子からの詰問だと思い出す。
…リズと一緒に来れない日は、今まで通りの時間に一人で来ることにした方がいいのかもしれない。
交流を減らしすぎるのも良くないようだと考えて、私は少しだけ計画の変更を余儀なくされた。
もしかしたら悪役令嬢の嫌がらせというのは、こういう誤解が積み上がった産物なのでは?
少しの疑念が私の中に生まれた。
もう一度ゲームのシナリオについて検討する必要があるのかもしれない。
私は足場を固めるために再検討の必要性を高く感じはしたけれど、
朝から疲れ果ててしまった今は、少しだけ休んでいたいと息を吐いた。