3. 華やかな部屋でお茶を飲む
悪役令嬢フォスティーヌは、私が名乗るまで私のことを平民の娘だと思っていたようだ。
というのは私が一人で街にいたからで、私が子爵令嬢であることが分かると、侍女も連れずに街にいたことに、彼女は眉を寄せた。
そう言われてから初めて私は授業が終わったそのままに、寮にも戻らず一人で街に出てしまっていたことに気がついた。
子爵家では誰も連れずに外へ出ることなどなかった。
侍女が立ち入ることが出来ない学院の中を、初めて一人で歩いたときは戸惑いすらあったというのに、混乱していたとはいえ侍女の存在を思い出すことなく外に出てしまったのは、前世の慣習故だったかもしれない。
それに気がついて私はどう釈明したものかと少しだけ慌てたのだけど、フォスティーヌは追求することなくーーーというか濡れ鼠の私を少しでも早く温めようとしてくれたのだろうーーー侯爵家のタウンハウスに着くとすぐに、私は浴室へと連れて行かれ、ポカポカのピカピカに仕上げられた上に、用意してもらった着替えへと身を包んだ。
「こちらでお待ちください」と通されたのは、大きなタペストリーが飾られた華やかな部屋で、すぐにお茶とお菓子が運ばれてきた。
私は一人残された部屋で、お茶を飲んで息を吐いた。
部屋で最初に目についたのはタペストリーだったけれど、落ち着いて見回してみれば、飾り棚には珍しい形のオブジェが並んでいるし、絨毯もとても素敵だ。
子爵家の応接室よりも遥かに色数の多い室内に、気持ちを高鳴らせてしまった私は、しばらくの間、部屋を鑑賞することに勤しんだ。
そうして、じっくりとお部屋の装飾を観察し、絨毯からタペストリーへと視線を上げた時、私の心を何かが掠めた。
「あ…れ…?何か…」
私はタペストリーに近づいて、じっと見つめ、それから下がって距離をとり、もう一度見つめる。
一瞬、スチルにあったのだろうかと考えたけれど、このような華やかな色味をスチルで見た覚えなどない。
だとしたら前世のどこかで見たものに似ているのだろうかとも考えたけれど、そんな遠い記憶ではなくてもっと身近なもので、これに近いものがあったように思うのだ。
けれど、このような色味はあまり見かけるものではない。
子爵家にはなかったと思うし、学院の中でも思い浮かばない。
街中にならば、あっただろうかと考え込んだ私は不意に、私の絵本のことを思い出した。
「そう!そうだわ…サラサールの絵本!サラサールの絵画がモチーフなのだわ!」
そう思って絨毯を見直せば、これはおそらくタペストリーに合わせて選んだのであろう。
絨毯だけ見れば、質は良いものの織りそのものは一般的で、大きく円が描かれた青みのある絨毯は、美しいけれどサラサールの印象は感じない。
ただタペストリーの題材となっていると思われるものをサラサールの画集で見たことがあるのだが、それは大きく描かれた壁画で、その前には池が作られているのだ。
画集にあるのはその壁画と池のスケッチであったので、実際に壁画がまだ残っているのか、色味が画集通りであるのかなどは私には分からない。
けれどもこの絨毯とタペストリーは、それを思い出さずにはいられない様相で、まさか偶然ということはないだろう。
私のサラサールの絵本の色合いも、このタペストリーによく似ている。
だから私にとっては身近にある色味に感じたのだと頷いてから、部屋をぐるりと見回して、私はもう一度タペストリーを眺めた。
「失礼致します」
扉がノックされ、部屋にフォスティーヌが入って来た。
「体調は悪くされていない?」
そう声を掛けてくれたフォスティーヌに促され、私は椅子へと掛けた。
そうして、メイドが入れ直してくれたお茶を前に、フォスティーヌと向き合った。
「学院の寮には念の為、連絡を入れさせてもらったからゆっくりしていっても大丈夫よ」
笑顔でそう告げたフォスティーヌは、次いで少しだけ眉を落とした。
「急なことだったから、何か至らないところがあったらごめんなさいね…」
「え?いえ!そんな至らないだなんて…こんなに親切にして頂いて…」
慌てて私がそう言うと、フォスティーヌが瞬いた。
「もしかして私の帽子を拾ってくれたことを忘れてしまっているのかしら…」
「あ…」
そう…だった。
流れのままに侯爵邸まで来てしまって、お風呂に入って、部屋で待っているうちに、噴水に落ちて濡れてしまったところを助けられた気分でいたけれど、そもそも噴水に落ちてしまったのは飛んで来た帽子を手に取ったことから起きたことであったのだった。
けれども、帽子を手に取ったのも思わず手を伸ばしてしまっただけのことであるし、それで噴水に落ちてしまったのは、ぼんやりしていて体が傾いでいることに気が向かなかったからだ。
それなのに帽子を拾ってやったぞ!と恩を着せるようなことを言うのは、どこか居た堪れないように思えて、私は話を逸らすようにタペストリーに視線を遣った。
「あのタペストリーはサラサールの絵画がモチーフなのでしょうか?」
そう切り出したのは、他に思い浮かぶ話題がなかったからなのだけれど、その問いにフォスティーヌが目を見開いた。
「え…?サラ様は…サラサールの絵画をご存知なのですか?」
「いえ…、画集で見た程度なのですけれど…サラサールの絵本をよく見ていて…」
「サラサールの絵本!?」
フォスティーヌの驚き方があまりにも大きくて、私は何か失言をしてしまっただろうかと心配になった。
確かにサラサールの絵本を持っていることは珍しいことではあるだろうけれど、それほどに驚くようなこととは思えない。
どうしたものかと困ってしまい、つい微笑んだのは、前世の習慣のせいであるような気がする。
それが適切であったのかは判断出来ないけれど、私が戸惑いから笑顔を返す間に、フォスティーヌは驚きから気持ちを立て直したようだ。
「おっしゃるようにこのタペストリーはサラサールの絵画がモチーフになっています。…それで、サラ様は、サラサールの絵本をお持ちなのですか?」
「はい。小さい頃に頂いたもので…あの…私のことは呼び捨てて頂いて結構ですので」
「…それではサラとお呼び致しますね」
侯爵令嬢に様付けで呼ばれることに居た堪れなさを感じて、思わずそう言うと、フォスティーヌはさらりと返事をしてから首を傾げた。
「小さい頃の頂き物…ご家族に…でしょうか?」
「いえ…お隣に住んでいた方に…」
「お隣に住んでいた…えーと、アルノー子爵の領地は…」
「あ、いえ違うんです」
そこまで言ってから私は少しだけ躊躇した。
私にサラサールの絵本をくれたのは、父さんと母さんと住んでいた家の隣に住んでいたエマさんだ。
どうやらフォスティーヌは私の母が平民だということを知らないでいるようなのに、正直に伝えたら私を家に上げたことを後悔するのではないだろうか。
けれども、フォスティーヌは一人で街にいた私のことを、最初は平民の娘だと思っていたのだったと私は思い出し、それならば気分を害したりはしないかもしれないと、おずおずと言葉を続けた。
「私は…養女で、本当はアルノー子爵の姪なのです。幼い頃はロワンというところに住んでいて、そこの隣に住んでいた人から絵本はもらったのです」
「ロワン…」
フォスティーヌは街の名前を繰り返し、それからハッとしたように私を見た。
「もしかして、殿下が言っていた母親が平民の子爵令嬢というのは…」
その呟きに私は思わず身を固くした。
フォスティーヌが悪役令嬢であることを思い出したのだ。
王太子が一体なんと彼女に言ったのかは分からないけれど、平穏と別れる覚悟がいるのかもしれない。
けれどフォスティーヌの言葉は、そんな私の予想とは全く違うものであった。
メイド「お客様は、どちらにお通しいたしましょうか」
フォスティーヌ「そうね…浴室から近い方が良いでしょうから、応接室…よりも、私のお茶会室にしましょう」
メイド「かしこまりました。準備いたします」
フォスティーヌ「…見慣れない色合いで落ち着かないかしら…。うん、でも、今日のところは仕方ないわね」




