93. 大人の遊び
「あ、ルーナ。おはよう」
声をかけて近付くと、笑いながらボールを待っていたライオネルがぱっとこっちを振り向いて、少し驚いたように口を開いた。
「すごく疲れていたみたいだね。よく眠れた?」
「うん、ぐっすりだよ」
たくさん寝ていたのは本当だから、私は笑顔でうなずいた。
実際は『遊ぼう』ってライオネルを誘う決心がつかなくて、部屋でだらけていただけなんだけど……。私が誘う前に遊んでいるなら、もっと早く外に出ればよかった!
楽しそうなライオネルたちを見て、遊ぶ時間を自分で減らしちゃったんだなって後悔の念がわきあがってくる。うじうじしていた少し前の自分が情けなくなって、時間を巻き戻せるなら、何やってんのって叱りたい気分になる。
「遊ぶなら私も誘ってよ!」
うらやましくて、ちょっと文句を言うと、
「ごめん。寝ていたいかと思って」
ライオネルは惑うように視線を揺らし、顔をこわばらせた。
「休みの日に起こすのは迷惑かなって……」
「そんなことないよ!」
わくわくしながら、私は力強く言葉を返した。
何よりも絶対に遊びが最優先! たとえ疲れていたって、遊ぶって聞いたらその瞬間に疲れが吹き飛んで、遊びたい遊びたいって飛び起きちゃうよ!
「暇だから寝ていただけで、遊ぶならすぐ起きる!」
「そっか」
失敗したかなっていうふうに、ライオネルは少し笑った。
それから困ったように顔をしかめて、
「でもルーナは、キャッチボールできるの?」
「できるよ!」
できないわけないじゃん!
なんでそんな変なことを聞いてくるの?
疑問に思いながら、私は自信満々に返事をした。
相手にボールを投げて、投げ返されたボールを拾ったらまた投げる。
それがキャッチボールという遊びだ。
最近はあんまりやらないけど、昔シャックスとやったことがあるから、私はキャッチボールをできるし知っている。むしろキャッチボールができない人なんているの?
ボールを投げるだけなのに、できない人がいるとしたらびっくりだ。
ところが、
「どうだかな」
しかめ面でこっちを見ていたダクトベアが、不意に疑うような態度でぼそっとそう言ってきた。私にキャッチボールはできないって、そう思っているみたいだ。
バカにしないでよ!
むっとして、私は楽しくなさそうなダクトベアをきつくにらんだ。
キャッチボールくらい、私にだってできるんだからね!
「できないわけないじゃん!」
「できるかどうかと、上手い下手は別だろ」
「やる前から下手って決めつけないでよ!」
「……まぁそうだな」
言い返すと、ダクトベアはあっさり引き下がった。
顔にたくさんのシワを寄せたまま、渋々って感じで私の主張を肯定して、
「俺には結果が見えている。それでもやりたいっつーなら、とりあえず投げてみろよ。位置は俺とボスの間だ。こっち来い」
「なんで?」
遊びに混ぜてくれるのは嬉しいけど、離れた場所を指定されて戸惑った。
私は今、ライオネルとジャッカルの間あたりにいる。右の近いところにライオネル、左の少し近いところにジャッカル、正面の一番遠いところにダクトベアがいる感じで、今のこの位置でもキャッチボールはできそうなのに、どうして移動しなくちゃいけないの?
「ジャッカルの隣はやめておけ」
頭を振って、ダクトベアは移動するよう私を促した。
「当たりどころが悪いと骨折するぞ」
「ハハッ。心配しなくても、ちゃんと手加減して投げるって」
「お前の手加減は信用できねぇんだよ」
陽気なジャッカルを、ダクトベアがじろりとにらむ。
「熱中すると手加減忘れるだろ」
「大丈夫だって。女相手に本気出すほどアホじゃねーよ」
「どうだかな」
……本気でやらないの?
ダクトベアとジャッカルの会話を聞きながら、私は複雑な気持ちになった。
とりあえず、ダクトベアが私を心配して、場所を移動するように言ってきたってことは理解した。でもキャッチボールで骨折するなんて理解できないよ? 心配しすぎじゃない?
本当に骨折したら嫌だし、手加減されるのも嫌だから、言われたとおり移動するのが一番だとは思うけど……。なんで最初から、普通にやらないつもりでいるの?
変な気遣いをされて、すごくもやもやする。
どうしたらいいのかなって、きょろきょろしていると、
「ジャッカルは強肩なんだ」
「え? 狂犬?」
こっちにおいでって感じで手招きしながら、ライオネルが話しかけてきた。
「肩が強いってことだよ。速くて痛い球を投げてくるから、ルーナが受け取るのは危険だと思う。手加減してもきっと、俺たちが投げる球より危ないままだから」
「んなことないって」
私が相槌を打つ前に、ジャッカルが口を挟んでくる。
なんで信用してくれないんだって、すごく不服そうな感じだ。
「俺はマーコールとはちがうぜ」
「そうだな。けどお前には前科がある」
ダクトベアが淡々と指摘した。
するとジャッカルは、うっと言葉に詰まるような顔をして、
「いや、あれはわざとやったわけじゃなくて……」
「ジャッカルが投げる球はすごく速くて、俺でもたまに手がしびれるんだ」
またライオネルが話し出した。
「まず一回やってみようよ。それでいい?」
「あ、うん」
確認されて、私は反射的にうなずいた。
もやもやしているけど、絶対に嫌ってわけじゃないし、遊べるならそれでいいや。
私は駆け足でライオネルとダクトベアの間に移動した。
そしてジャッカルがぽんぽんもてあそんでいるボール――手のひらより少し大きいくらいの、硬そうな灰色のボールをじっと見つめる。少しすると、
「行くぜ」
「いいよ」
声をかけて、ジャッカルがビュンッとボールを投げた。
……え⁉
風を切って、当たったら痛そうなボールがまっすぐ飛んでいく。
ライオネルの顔面に向かって、容赦なく一直線に飛んでいく。
それは凶器のようなボールだった。
本当にものすごく速くて、『キャッチボールできるの?』とか『ジャッカルの隣はやめておけ』とか言われた理由がよく分かった。
これ、思っていたより危険な遊びだ!
私の知っているキャッチボールと、やっていることは同じだけどちがう!
「行くよ」
このままじゃまずいかも!
でもライオネルが、あんな凶暴なボールを投げてくるわけないよね?
ドキドキしていると、ジャッカルが投げたボールを難なく受け止めたライオネルが、私のほうを向いて優しく声をかけてくる。
「う、うん」
正直、怖いけど……せっかくの遊びから逃げるのは嫌だ。
大丈夫、大丈夫って自分に言い聞かせながら、緊張してボールを見つめていると、
ポーン。
ゆっくりした動作で、ライオネルは宙に向けてボールを放り投げた。
高く高く上がったボールが、ゆっくり私のところに落ちてくる。
これなら大丈夫!
よかった、私が想像していた『キャッチボール』のボールだ……。
「わっ」
でもキャッチ失敗。
地面に落ちて、転がっていくボールを追いかける。
そしてボールを拾い上げると、今度は私がダクトベアに向けて、
「行くよ」
「おう」
「えいっ」
思いっきりボールを投げる。
ところが、私が投げたボールはダクトベアのところまで届かず、途中で落ちて変な方向へころころ転がっていってしまって……なんで? どうして?
もっと飛ぶと思っていたのに。
私が知っているボールより、重たかったせい?
「ごめん……」
「想定どおりだ。俺には結果が見えているって言っただろ」
謝ると、ボールを拾ったダクトベアがぶっきらぼうにそう言った。
ダクトベアが不機嫌なのはいつものことだから、怒っているわけじゃないって分かるけど……。申し訳ないような、むかつくような、素直になれない気持ちになる。
ていうか、今のはすごく下手なボールだったけど、まだ一回投げただけだし。
初めてのボールだから狙いどおり飛ばなかっただけで、次こそは……。
「どうやったらまっすぐ飛ぶの?」
けれど、結果はダメダメ。
残念、無念。
キャッチボールができないわけないと思っていたのに、それから何度か投げてみても、私はへろへろなボールしか投げられなかった。私がいるところだけ、キャッチボールじゃなくてボール投げとボール拾いになっていて、ボールの回りが明らかに滞っている。
もう完全に、ライオネルたちの遊びの邪魔をしちゃっているよね……。
このままじゃいけないと思って、うまく投げるためのコツを聞いてみると、
「まっすぐ投げればまっすぐ飛んでいくぜ」
と、ジャッカル。
「お前、それじゃ答えになっていないだろ。つーか、まっすぐ飛ばそうとするから変なとこに飛んでいくんだよ。弧を描いて飛ばすイメージで、斜め上に投げてみろ」
と、ダクトベア。
「相手のところに届きますようにって、そう思いながら投げるといいよ」
と、ライオネル。
「心と体はつながっているんだ。心が思うように、体は動いてくれるはずだよ。まぁ体幹の弱さとか、筋力不足が原因の場合はどうにもならないけどね」
え……。
なんでみんな、答えがバラバラなの……?
教えてくれるのは嬉しいんだけど、私は三人の答えを聞いてすごく困惑した。
どれが正確?
まぁジャッカルの言っていることは確実におかしいっていうか、答えになっていないから不正解なんだろうけど、本気でそう思って答えているような雰囲気だから、わけ分かんない。まっすぐ投げても、私のボールはまっすぐ飛んでいかないんだけど……?
ダクトベアの言っていることは一番正解っぽいけど、もうやっていることだから役に立たない。ライオネルみたいに、私も宙に向けてボールを投げている。それでもライオネルみたいに、うまく飛ばせないのはなんでなの? そこを知りたいんだけど……。
ライオネルの言っていることはシンプルに意味が分からない。私は毎回、ダクトベアに届けたいと思ってボールを投げているよ? それでも届かないんだよ? ていうか、気持ちを変えただけでうまくいくなんて、信じられないんだけど?
そういうわけで、結論。
「別の遊びにしない?」
ライオネルたちとのキャッチボールは、私には無理!
いさぎよく諦めて、ちがうことしようよって問いかけると、
「そうだね。何がいい?」
「えっと……」
即座にそう聞かれて、何も考えていなかったから私は少しうろたえた。
かくれんぼとか、鬼ごっこならすぐ思いつくけど、それは子供の遊びだよね? 大人の遊びじゃないよね? どうしよう、大人の遊びって何があるんだろう……。
怪しまれたらまずいって、必死に考えていると、
「腕相撲とか?」
「すぐ終わるしお前の圧勝だろ。つまんねぇ」
「鬼ごっこでもするか?」
「ふざけんな。誰がお前に追いつけるんだよ。却下」
ライオネルとジャッカルが別の遊びを提案して、ダクトベアが突っ込みながらそれらを退けた。私はそれを聞いて、すごくびっくりして目をぱちぱちさせた。
え、鬼ごっこって大人もする遊びなんだ……。
「ジャッカルは足が速いから、鬼が捕まえられないってこと?」
「あぁ。すぐ終わるか、いつまでも終わらないかのどっちかになる」
聞くと、ダクトベアは気に食わないって言わんばかりの態度でそう答えた。
「体を動かす遊びじゃ不公平だろ。カードゲームでもするか?」
「いいけど、ちゃんと手加減してよ」
ライオネルが苦笑した。
「それはお前が強いやつじゃん。まぁいいけど」
ジャッカルが仕方ないように肩をすくめた。
……カードゲームって、トランプのこと?
たまにシャックスとやる遊びだ。知っているし、嫌いじゃないから別にそれでもいいけど……、今日はぴかぴかのいい天気。せっかくなら、このまま外で遊びたいよね。
私はそう思って、三人はもうカードゲームにしようって雰囲気になっていたけど、
「魔法ありの鬼ごっこしようよ!」
新しい提案をした。
いくら足が速くたって、魔法を使っていいなら捕まえる手段はたくさんある。逆に、足が遅くたって、魔法を使っていいならいろんな方法で逃げられる。
ちょうどジャッカルはあんまり強い魔法使いじゃないし、そうしたらきっとみんなで楽しめるよね。魔法ありなら私が勝てそうだし、うん、ぴったりな遊びだ。
どう? って問いかけるように三人を見回すと、
「いいじゃん! それ、採用!」
にかっと笑って、ジャッカルが親指を立てた。
「……案があるなら先に言えよ」
嫌そうな顔をして、ダクトベアがため息をついた。
「でもルーナ、俺たちに追いつける?」
そしてライオネルは、心配そうに眉を下げてそう聞いてきた。
「追いつけるよ! 私、魔法を使った鬼ごっこ得意だから!」
心配無用!
自信たっぷりに答えて、私は胸を張った。
ダリオンとそういう訓練をしてきたからね!
逃げるのは得意だ。誰にも捕まる気はしないし、みんなのこと捕まえてみせるよ。余裕そうなライオネルを打ち負かして、その心配を木っ端みじんに打ち砕いてあげる。
あっと驚くライオネルの姿を想像して、私は心の中でにんまり笑った。
私、心配されるほど弱くはないんだよ!
むしろ心配する立場は私のほうだってこと、この鬼ごっこで教えてあげる!




