91. 大人の遊び
その日はサレハさんが言っていたとおり、午前中は畑仕事の続きをして、午後は教会の地下倉庫の掃除をした。
もちろんエルクとムースと一緒だ。
水やりをしたり、雑草を抜いたり、木箱を何個持てるか力比べしたり、雑巾がけの競争をしたり……。
遊びじゃなくて仕事だけど、いつもよりすごく楽しい作業で、毎日これならいいのになって少しだけ思った。
ところが、きれいになった地下倉庫に、歌い出したくなるような気分で種や乾燥植物やワインの入った木箱を戻していると、
「これが最後の掃除か」
不意にエルクがぽつりとそうつぶやいて、あれって不思議に思った。
「最後なの?」
「そうだよ。ここの掃除は年に一度だから」
「……あっ」
最初は理解できなくて、一年に一度だとなんで最後なんだろうって謎だったけど、
「夏から働きに出るんだっけ?」
そんなこと言っていたなって思い出すなり、二人とももうすぐいなくなっちゃうんだって、悲しい気持ちと残念な気持ちがぐっとこみ上げてきた。
ずっとサンガ村にいるような気がしていたけど、そうじゃないんだ。
この日常はいつまでも続くわけじゃないんだ。
……でも遠くなければ、きっとまた会えるよね?
「どこで働くの?」
しんみりしながら、興味本位でそう尋ねてみると、
「ガラゴ農園」
「ラーテル侯爵邸だよ」
二人はすぐに答えてくれた。
エルクはお金持ちの農家のところで働くことになっていて、ムースはラーテル侯爵邸で掃除や洗濯をするメイドになるらしい。聞いてもどこのことなのかさっぱりだけど、どちらもラーテル侯爵領にあるから、そんなに遠い場所ではないとのことだった。
続けて二人は、奉公先のことについてあれこれしゃべり出して、
「最初は下っ端だからこき使われるんだろうなぁ。知っている仕事だからどうにかなると思うけど。優しい先輩がいるかどうかで仕事のつらさが変わりそう」
「そうだね。でもいいところで働かせてもらえるんだから、優しい先輩がいなくたってがんばらないと! 私はお給料をもらえる日が今から楽しみ!」
「楽しみか? どうせ雀の涙だろ、住み込み費用とかをがっつり差し引かれてから支給されるんだから。まぁ好きにできるお金が手に入るっていうのは、俺も楽しみだけど」
「エルクったら素直じゃないね。ここと同じくらいの田舎で働くせい? 私は侯爵邸で新しい友達を作って、休みの日に都で遊ぶのが楽しみでしょうがないのに!」
「いや、まだ働き始めてもいないんだけど? もう休みのことを考えるなんて気が早すぎるって。それに初めての休みの日は、疲れてぜんぜん動けなくなっているかもよ」
「大丈夫! 私、気力だけは自信あるから!」
「はー、うらやましいな。仕事への不安はゼロかよ」
「ゼロじゃないけど、働いたあとのご褒美が楽しみすぎるの」
休みの日に、遊ぶ……。
二人はこれから大人になるんだなって、私は置いていかれるような寂しい気分で話を聞いていた。そしたら急に、『遊ぶ』なんて思いもしなかった言葉が飛び出てきて驚いた。
大人って仕事ばっかりのイメージだけど、そういえば休みの日もあるんだよね。
ついこの前、ダリオンが休みだったみたいに。
結局、休みの日に森で何をしていたのかは分からずじまいだけど……。
もしかしてライオネルたちにも、仕事休みの日がある?
休みの日には、昔みたいに遊んでいる?
……どうなんだろう?
分からないけど、そんな希望的観測が生まれてきて、私の胸は期待で高鳴った。
すごい大発見! 大人も休みの日には遊ぶんだ!
もう無理だと思っていたけど、休みの日なら、またライオネルたちと遊べるかもしれない! 次に会ったら、休みがあるのかどうか聞いてみよう!
* * *
仕事が終わると、オルガンの時間だ。
ねずみ色の頭巾をかぶって教会に入り、サレハさんに楽譜の見方やオルガンの弾き方を教えてもらう。サレハさんの話は相変わらず難しくて、理解するのがとても大変だ。
だけど私は最近、一つ分かったことがあって、それは、
「楽譜の線はなんで五本なんですか?」
「私も明確な理由は知りませんが、オクターブが収まるからだと思いますよ」
「たまに音符がつながっているのはどうしてですか?」
「連桁のことですね。拍を分かりやすくするためにつなげられています」
「拍?」
「リズムのことです。楽譜の最初に分数が書いてあるでしょう。この曲の場合は四分の四拍子ですから、四分音符が四つで一つの拍子になります」
「えっと……?」
難しいのはオルガンじゃなくて、楽譜にまつわる音楽の話だってこと。
オルガンを弾くこと自体は、楽譜をぜんぜん読めなくたって、サレハさんの指の動きを真似すればできる。間違えると楽譜とちがいますよって指摘されて、何がちがうのかさっぱり理解できなくて、何度も同じことを聞くことになっちゃっているけど。
サレハさんは優しいから、私が同じことを聞いてもイラつかないで教えてくれる。
本当に優しい人でよかった。
でも厄介なことに、私はオルガンを弾けるようになりたいだけだから、楽譜が読めなくたって問題ないと思うのに、サレハさんの頭の中では『楽譜を見てオルガンを弾く』っていうのが常識になっているらしい。だから私が弾き間違えるたび、聞いたことがあるような楽譜の話をされることになって……。
優しいのは嬉しいけど、そんなの覚えられるわけないじゃんってつい思っちゃう。
私はまだ、どの音符がどの音なのか、数えないと分からないレベルなのだ。
だから楽譜を見るんじゃなくて、お手本で聞いた音を追いかけて弾いている。
それはサレハさんの話を無視しているってことだから、あんまりよくないのは分かっているんだけど……、難しいんだもん! 自分の勘だけが頼りだよ!
楽譜どおりに弾くなんて無理! 私には無理!
なんでサレハさんは、五本線の上でジグザグに並ぶ音符の集団をひと目見ただけで、そのとおりに弾けちゃうの⁉ マジックだよ! 絶対それ、人間業じゃないよ!
と、そんな感じでその日も私は、難解な楽譜に四苦八苦しながら、一生懸命オルガンの練習をしていた。
すると途中で、珍しいことに誰かが教会に入ってくる音がして、
「どうしたの?」
サレハさんに用事がある人かな、と思って扉のほうに顔を向けたら、そこにいたのはライオネルだった。薄緑のマントを羽織った、仕事終わりらしい雰囲気のライオネル。
今日は村の周辺に悪魔がいないかどうか、確認して回るって話していたけど……。
悪魔が見つかったの? それでサレハさんに相談?
オルガンはいったん中止かなって、手を止めてライオネルを見ていると、
「邪魔してごめん。ちょっと立ち寄っただけだから、そのまま続けていいよ」
「? うん……」
どういうこと?
サレハさんに用があって来たわけではないらしい。
戸惑っていると、ライオネルは教会の真ん中あたりの椅子に座って、オルガンのほうにじっと視線を向けてきた。どうやら、私のオルガンの練習を見ていくつもりらしい。
……なんで?
正直よく分かんないけど、サレハさんが気にしていないから、私も気にしないことにして練習を続けた。下手くそだって知られるのが、ちょっと恥ずかしい気もしたけど、聞いちゃダメって追い出したいほどではないから我慢する。
いつもより緊張しながら、私はサレハさんと一緒にオルガンを弾いた。
そして練習が終わると、
「ありがとうございました」
「お疲れ様です。では、また明日」
「はい! 明日もよろしくお願いします!」
サレハさんにそう挨拶して、ライオネルと一緒に教会を出る。
拠点から五分もかからない距離だけど、もしかして迎えに来てくれたの?
二人きりになると、私はライオネルにそう尋ねようとした。
ところが口を開く前に、教会の外でじっと待っていたオオカミ姿のグリームが目に飛び込んできて……。まずいよ! どうしよう!
この二人が顔を合わせたら、きっとまた喧嘩になっちゃうってすごく焦った。
喧嘩なんてふっかけちゃダメだよ、言い返すのもダメ……。
だけど、心配していたような事態にはならなかった。
二人はお互いの存在に気付いているはずだけど、すっと反対方向に顔を背けて、互いを視界に入れないようにしていたのだ。
目の前でやられて嬉しい態度ではないけど、喧嘩になるよりはずっとマシ。
ちょっとは大人になってくれたんだね、ありがとう。
ま、昨日の今日でおんなじことするわけないよね。
ほっとしながら歩き出して、私はライオネルに問いかけた。
「私に何か用?」
するとライオネルは、ちょっと悲しそうな顔をして、
「用事がないと会いに来ちゃダメだった?」
「ダメではないけど……」
「サレハにオルガンを習っているって聞いたから、少し心配で様子を見に来たんだ。最近のサレハは、何を考えているのか分からないことがあるから」
「……そうなんだ」
確かに私も、なんでサレハさんがオルガンを教えてくれるのかよく分かっていない。リッチさんに言われて頼んでみたら、本当にオルガンを教えてもらえることになっただけ。
ライオネルが怪しんでいるのは、別におかしなことではないけど……。
「心配しなくて大丈夫だよ。サレハさん、すごく優しいから」
私はごくごく普通に、オルガンの練習をしているだけなのだ。
安心させるために、本心でそう伝えると、
「そっか。ならいいんだ」
にこっとほほ笑んで、ライオネルはその話をやめた。
そして教会の仕事のこととか、孤児院の子供たちのこととかを聞いてきたから、私は何も問題ないよって答えて、ライオネルは今日の仕事どうだったのって聞き返した。
「悪魔は見つかった?」
「見つからなかったよ。はぐれ悪魔だったのかもね。それかエリアスがすでにまとめて処理したあとなのか……。聞いておけばよかったんだけど、エリアスはもう王都に移動しているから聞けないんだよね。すごく判断に困るよ。ルーナは何か知っている?」
「知らない」
少しどきどきしながら、私は首を横に振った。
「私が会ったのは一人だけだから」
「そっか」
残念そうに相槌を打って、ライオネルは考えるように口を閉じた。
どうしよう。私がついた嘘のせいで、ライオネルが困っている……。
そう感じ取るなり、心の中にじわりじわりと罪悪感が広がっていく。
いるはずがない悪魔を警戒させることになっちゃって、すごく申し訳ない気分だ。でも嘘だよって明かすわけにはいかないし……。嘘をつくのって、ほんとよくないね。
仕方なかったことだけど、私は嘘をついたことをちょっと反省した。
嘘をつくと他人を困らせちゃうし、心臓がきゅっと縮んで苦しくなる。ごめんなさいって、自分がどんどんちっちゃくなっていくような感じがする。こんな感覚、もう嫌だ。
でも今はどうすることもできないから――私が黒の領域の悪魔だって、ライオネルに明かす勇気はどうしたって持てないから、
「ライオネルの仕事に休みってあるの?」
明るい声を出して、私は強引に話題を変えた。
「孤児院の子供が、休みの日に遊びたいって話をしていたんだけど、ライオネルにも休みの日はあるの? いっつも仕事している気がするんだけど……」
「もちろんあるよ」
ちょっと笑って、当然だというふうにライオネルはうなずいた。
「働き詰めだと体を壊すからね。ちゃんと休んでいるよ」
「そうなんだ。何しているの?」
「うーん……。本を読んでいることが多いかな。あとは買い物に出かけたり、部屋の掃除をしたり。ルーナは休日に、何しているの?」
「え? えっと……」
質問を返されると思っていなくて、私は少し慌てた。
私が休みの日にやっていること……。
時間があれば森で遊んでいるけど、それはきっと大人の『普通』ではないんだよね。探検したり、かくれんぼしたりするのは大人のやることじゃないって知っている。
大人の私が、休みの日にやること……。
「いろいろだよ」
考えた結果、怪しまれない答えを見つけられなくて、私はごまかすことにした。
「それより、キノコ採りはしないんだ?」
「しないね。町の外に出ると、うっかり悪魔に遭遇しかねないから」
「そうなんだ」
「ルーナはキノコ採りをすることもあるの?」
「ううん、しないよ。私だけじゃ食べられるキノコかどうか見分けがつかないし、キノコ料理がすごく好きってわけじゃないから。やりたいなってたまに思うことはあるけど」
「そうなんだ」
少しの沈黙が流れる。
答えを間違えたかなって、心配になってくるような沈黙の時間。
怪しまれるのが怖いからって、ごまかすのはよくなかったかな? キノコ大好きってことにしておいたほうがよかったかな? でも嘘はよくないって反省したばっかりだし……。
どうするのが正解なのか、ちっとも分からない。
そわそわしながらライオネルの隣に並んで、黙々と拠点に向かって足を進めていると、
「明日も教会の仕事を手伝うの?」
何も不審に思っていない様子で、ライオネルが静かにそう聞いてきた。
よかった。
心配することないやって、私は安堵しながらうなずいた。
「うん、そうだよ。ライオネルは?」
「休みだよ。しばらく決まった仕事はないんだ」
「そうなんだ」
明日が休みなんだ……。
でも残念なことに、私は休みじゃない。
「じゃあライオネルも一緒に、教会の仕事を手伝う?」
「そうしようかな」
誘ってみると、何か言いたげな顔で、ライオネルは諦めたようにちょっと笑った。
……何? 休みの日だから、教会の仕事を手伝うのはナシってこと?
何そのあいまいな態度。
嫌ならはっきりそう言ってよねって、私は少し不満に思った。
私、断られても怒ったりしないよ。
一緒に働いたら楽しいだろうけど、無理強いするつもりはないのに。
なんではっきり答えないの? それともさっきの回答は、遠回しな拒絶なの?
「疲れているなら無理しなくていいよ」
「……うん。考えておく」
断りやすいように声をかけてみても、その答えはやっぱり不明確。
何なの? 変なライオネル。
困るようなことを聞いたわけじゃないのに、どうしちゃったんだろう?




