86. 秘密の仲間
悲しみの理由に、まったく心当たりがないわけではない。
言いつけを守らなかったとか、無謀なことをしたとか、自分で危険に突っ込んでいったとか……。悲しまれてもおかしくないことを、私はいくつかやっている。
いつもなら怒られることだけど、これまでたくさん怒ってきたせいで、今日は怒りより悲しいって気持ちのほうが強くなったのかもしれない。何回も言っているのに、なんで分かってくれないんだろうって、悲しい気持ちがあふれてきてしまったのかもしれない。
ダリオンが悲しんでいるなんて初めてで、どうしたらいいのか分からないけど、
「ごめんなさい」
とりあえず、私は心を込めて謝った。
間違ったことをしたとは思っていないけど、他人を悲しませるのはよくないことだ。
しょんぼりしていると、ふっと思考世界から戻ってきたダリオンが、
「怒っていませんよ」
驚いたように目を小さくしたあと、優しい声でそう言った。
「私が怒らないと、不安になりますか?」
「ううん。それもあるけど……」
それだけじゃない。
「ダリオン、悲しそうにしているから」
「……」
まばたきして、ダリオンはすっと無表情になった。
見慣れたいつもの顔だ。『あれもダメ、これもダメ』って言ってくるときの、融通が利かないダリオンの顔。ちょっと嫌な予感がしたけど、都合の悪いことは起きなかった。
無言で立ち止まると、ダリオンはしゃがみ込み、私と目線を合わせて、
「ああいう場合は私を呼んでください」
まじめな雰囲気でそう言った。
「アースやシャックスでも構いませんが、お嬢がひとりで黒の領域にいるのは危険です。油断している間に、お嬢が対処できない事態に発展する可能性が非常に高い。ひとりになった場合は、すぐに誰かを呼んでください」
「うん……」
あれ? 思っていたのとちがう。
想像とずれたことを言われて、私は少し戸惑った。
足がすくんで動けなかったこととか、逃げずに飛び出したことを注意されると思っていたのに。ひとりで黒の領域にいたことがダメなんだ?
ていうかダリオンが悲しんでいるのって、私が呼ばなかったからなの?
見ていてすっごく冷や冷やして、それなのに呼ばれないから出て行けなくて、なんで呼んでくれないんだって考えているうちに悲しくなっちゃったとか? ……まさかね。
浮かんだよわよわしいダリオン像を振り払って、
「でも呼ばなくても、黒の領域なら自由に門を開けるんじゃないの?」
「開けますが、移動には原則、黒の王の許可が必要です」
聞くと、初耳なことを教えられた。
「お嬢に呼ばれたときと、女王様の門をくぐるときだけは例外です。しかし女王様は放任主義ですから。私たちはお嬢に呼ばれないと、領域を越えて助けに向かえないのです」
「そうなんだ」
ふーん。門を開けても、好き勝手に移動できるわけじゃないんだ。
今回は私が気絶したから、お母様が特別に門を開いてくれたってこと?
考えながら、その目の奥の真意を読み解くように、私はじっとダリオンを見つめた。
……やっぱり呼んでほしかったんだ?
そうとしか思えない。
ダリオンがそんな理由で悲しむなんて意外だし、信じられないけど、状況的にきっとそれしかないよね。私のことがそんなに心配だったんだ? ……うーん。
弱点を知れて嬉しいような、心配かけて気まずいような、微妙な気持ちになる。
まぁでも、
「今度からはダリオンを呼ぶね」
「そうしてください。二度目がないことを願いますが」
「きっとないと思うよ!」
自信を持って私は答えた。
今回はたまたまイレギュラーが起きただけだ。同じことは繰り返さない。
「私、シャド・アーヤタナ以外に帰りの門をつなげられないもん!」
「知っていますよ」
しゃべりながら私の頭を軽く叩くと、ダリオンはさっと立ち上がって、また私の手を引きながら歩き出した。まだちょっと変だけど、さっきよりはいつもの感じに戻っている。
よかった!
ほっと胸をなでおろし、切り替えると、私は速足でダリオンについていった。
西と東で、赤と青に分かれた空はまだ青がかなり優勢。
日が沈むまでまだ時間はあるけど、なるべく早くグリームのところに戻らなきゃ!
それから、黙々と歩くこと十数分。
二度目のナユタの森小屋に到着して、苔むしたドアをダリオンがノックすると、
「はい! ただいま!」
ナユタの元気な声が聞こえてきて、勢いよくドアが開く。
小屋の中から現れたナユタは、この前と同様にわたわた慌てている様子だったけど、
「お嬢様、お目覚めになられたんですね。お加減はいかがですか?」
私を見つけると、ぴたりと焦りを消して心配そうに聞いてきた。
あれ。ナユタも心配していたんだ?
嬉しいけど少し呆れちゃう。
みんな心配症なんだね。私は普通に元気なのに。
「大丈夫。なんともないよ」
「そりゃよかったです」
うなずきながら、ナユタは安心したように小さく息を吐いた。
「お嬢様が負傷したと聞いて、城中が上を下への大騒ぎになっていたんですが、聞いていたほどひどい怪我ではなかったんですね。なんともなくて何よりです」
「え? あ、うん……」
その瞬間、そういえばって思い出して、私はひどく動揺した。
そうじゃん。
今の今まで忘れていたけど、私、ユリウスに攻撃されて、何かが頭に当たったような気がしたんだよね。きっとそれで怪我をしたんだ。だからみんな心配しているんだ。
でも……。
気になって、自分の頭をそっと触ってみたけど、どこにも違和感はない。包帯を巻かれているとか、湿布を張られているとか、怪我をしたような痕跡さえ見つからない。
気のせいだったのかな?
それとも、私が寝ている間にシャックスが治してくれた?
……多分、後者だ。
だからシャックス、私のこと病人みたいに言ってきたの?
それならそうと教えてほしかったんだけど……。
「私、怪我したの?」
ダリオンを見上げて聞いてみると、
「そうですよ。次は怪我をする前に必ず呼んでください」
強めの口調で念を押された。
なるほどね。今さらだけど納得する。
それですごく心配して、怒る気にならなくて、変な態度だったんだ。
「シャックスが治してくれたの?」
そうだと思うけど、一応確認してみると、
「そうですよ。何も聞いていませんか?」
「うん。意地悪なこといっぱい言われただけ」
「……そうですか」
ふっと視線を逸らして、ダリオンは我が家のようにナユタの小屋へ入っていった。
なんか訳ありっぽい反応。
なんで教えてくれなかったんだろうって考えながら、私も続けてナユタの森小屋に足を踏み入れる。すると小屋の隅の二段ベッドの下側に、深い苔色の頭が見えて、
マーコールだ!
ちゃんと生きている? 無事⁉
見つけた途端、不安と心配があふれてきて、私はすぐマーコールのそばに駆け寄った。でもマーコールはすやすや寝ているだけで、病気も怪我もなさそうな様子。
ちゃんと生きているし、無事だった。
よかった……。
「寝ているの?」
「眠らせています。名前を呼べば起きますよ」
聞くと、ダリオンが淡々とそう教えてくれた。
私みたいに気絶して、まだ起きていないわけではないらしい。
便利な魔法があるんだね。
感心しながら、私はこのあとのことを考えて、どうしようって頭を悩ませた。
無事なのはよかったけど、ここからがすごく問題なのだ。
まず、どうやってマーコールを連れ帰ればいいんだろう?
いま起こして一緒に門をくぐる?
それとも、トルシュナーに運んでから起こす?
前者の場合、説明をするのが面倒だ。なんでウパーダーナからシャド・アーヤタナに移動しているのかとか、この城は何なのかとか、なんで門を開けるのかとか……。聞かれそうなことがいっぱいあって、しかもどれもちゃんと答えられそうにない。
後者の場合、マーコールをトルシュナーに連れていくのが大変だ。背負って運ぶことになるけど、魔法で見た目だけは大人に変えられても、私の筋力とか体力とかは子供のままだから。子供と大人の中間くらいの人とはいえ、男の人を背負って門をくぐれる自信はない。
うーん……。
どっちも問題ありで、決めようにも決められない。
他にいい方法はないかなって、ベッドの前でじっと考え込んでいると、
「行きますよ」
不意にダリオンが、寝ているマーコールをひょいと担いだ。
そして私に声をかけると、小屋の外に向かってずんずん歩いていく。
え……。
まだ何も言っていないのに、トルシュナーまで運んでくれるの?
すごく優しいね。びっくりしながら、
「うん。ありがとう!」
お礼を言って、丸太の椅子に置かれた白の領域の服を持つと、私も小屋の外に向かった。
目が覚めたら、なぜか子供の姿に戻っていたんだよね。サンガ村では一度もこんなことなかったのに。眠るのも気絶するのも、同じようなことだと思うのに……。
なんでだろう?
分からないけど、城の人とかユリウスだったら、見られても別に問題はない。
ナユタの森小屋からちょっと離れると、私は魔法で大人の姿になって、白の領域の服をかぶった。行くよって、ダリオンを見上げて確認すると門を開き、目の前に現れたお馴染みの狭くて暗い通路を、私が先頭に立ってゆっくり進んでいく。
そうして、行き止まりのドアを押し開けてトルシュナーの森に出ると、
「ルーナ!」
「わっ!」
その瞬間、オオカミ姿のグリームが飛びついてきて驚いた。
倒れそうになったけど、後ろにいるダリオンが支えてくれたから大丈夫。
もうっ、危ないなぁ。
いきなり飛びついてこないでよ。せめて子猫サイズになってよ。
ひやりとして、私はグリームに文句を言おうとしたけど、
「どこへ行っていたの⁉ 急にいなくなって、とても心配したのよ!」
「あ、うん。ごめん……」
「ひとりで領域を移動するなんて、何を考えているの⁉ 私は壁を越えられるけれど、それをすると女王様に追放されるから出来ないのよ! もう心配で心配で、それなのに私は何もできなくて……寿命が縮むかと思ったわ! どうして勝手にいなくなったの?」
「えっと、あのね……」
どう考えても、興奮しているグリームをなだめるのが先だった。
勢いに押されて、私はことの経緯を説明しようとした。けれどその前に、
「私はこれで失礼します」
背後霊のようにじっとしていたダリオンが口を開いて、担いでいたマーコールを地面に下ろした。そして私に背を向け、無言で真っ暗な門の通路に戻っていく。
え、もう行っちゃうの?
びっくりして、私は怪しみながらダリオンの背中を見つめた。
別にもっと居てほしいわけじゃないけど、マーコールを運ぶためだけについて来てくれたってこと? それは優しすぎない? なんか変な感じがするんだけど……。
「今のうちに聞いておきたいことがあれば、話せる範囲で答えますが」
と、急に振り向いたダリオンが、思い出したようにそう言ってきた。
え? うーん……。
またびっくりだし、何か裏がありそうって思わず勘繰っちゃう。
どういう風の吹き回し?
いつも内緒にするばっかりで、何も教えてくれないのに。親切すぎて逆に怖いよ。ていうか、ありがたい申し出ではあるけど、急な話すぎて質問が何も思いつかないよ。
「大丈夫……だと思う。ありがとう!」
一応ちょっと考えてみたけど、今すぐには何も出てこない。
思いついたら聞きに行こうと思って、ひとまず感謝を伝えると、
「お気を付けて」
少し寂しそうな顔をして、ダリオンは静かに暗闇の中へ消えていった。
え……。どういうこと?
意外な表情を見てしまって、何か悪いことしたかなって、私は少し不安になった。
なんでなの? 悲しいの次は、寂しい?
理解できなくて、今すぐ聞きに戻りたいような気分だったけど、
「どうしてダリオンがその野蛮な男を連れているの? 私がいない間に何があって、どこへ行っていたの? どうして急にいなくなったの? 説明してちょうだい!」
またすぐグリームが回答を迫ってきて、ダリオンを追いかけることも、どういう気持ちだったのかじっくり考えることも、私にはできなかった。
今はひとまず、すごく不安定なグリームを落ち着かせなくちゃ。
「えーっと、あのね。喧嘩しているグリームから離れて、ひとりで適当に森を散歩していたら、マーコールが黒い門を開いているのを見つけて……」




