85. 秘密の仲間
目が覚めると、私は見慣れた自分の部屋にいた。
真上にはふわふわのシフォンレースで覆われた天蓋。体はふかふかのベッドに包まれていて、ちょっと頭がぼんやりしているけど、それ以外はいつもどおり。
……どうして?
でもその『いつもどおり』が、今は不思議でたまらない。
私、マーコールを追いかけてウパーダーナに行って、そこでマーコールが無差別殺人者だと知って、帰ろうとしたらユリウスに見つかって攻撃されたはずなのに……。
どうしてシャド・アーヤタナにいるんだろう?
すごくリアルな夢を見ていたとか? ……まさかね。
ふと浮かんだ可能性をすぐに否定すると、私はゆっくり体を起こして、三柱を探しに行こうとした。この城で起こった出来事はすべて、三柱が把握しているはず。
ところが、私が床に足をつける前に、
「入りますよ」
ドアをノックする音がして、シャックスの声が聞こえてきた。
狙ったようなタイミング。
私が起きるのを待っていたのかな?
じっとドアを見つめていると、やがて、やれやれ顔のシャックスが部屋に入ってきて、
「おはようございます。調子はどうですか?」
まるで私が病気で寝込んでいたかのように、そう聞いてくる。
……えーっと?
病気になった覚えはないし、普通に元気なんだけど?
「悪くないよ。私、なんで城に戻ってきているの?」
「え? 何言っているんですか」
尋ねると、シャックスは呆れたような顔をして、
「お嬢様は元から城にいたでしょう」
平然と嘘をついてきた。
そんなわけない。そんな嘘に騙されるわけないじゃん。
バカにしているでしょって、ちょっと腹立たしく思いながら、
「そういうのいいから。マーコールは? ユリウスは? どうなったの?」
「あ、気付いて突っ込んでいたんですか」
質問を変えると、また呆れた反応が返ってくる。
「無謀なことしますねぇ」
「やっぱり嘘なんじゃん」
「そうですよ」
じろっとにらむと、シャックスは当然というふうに軽くうなずいた。そして、『まさかこんな嘘に騙されませんよね?』とでも言いたげな、挑発的な視線を私に向けてくる。
……別に騙されたりはしないけどっ。
ちょっとだけ不安になるから、そういうのやめてよね!
ほっぺたをぷくっとふくらませて、私はすごく不満だよってアピールした。
意地悪しないで! もっと優しくして!
ていうか私、無謀なことなんて何もやっていないんだけど?
「ユリウスなら私に攻撃してこないでしょ」
ほっぺたの空気をぷっと抜いて、口をすぼめながらそう言うと、
「普通は気付けませんって」
あきれ果てたように、シャックスは大きなため息をついた。
「お嬢様が単身でウパーダーナにいるなんて、普通は誰も想定できません。まぁ気付けば引っ込めていたかもしれませんが、あの状況で気付くのも、魔法をキャンセルするのもかなりきついことですから。あれはほぼ無理な賭けでしたね」
「そうなんだ?」
ふーん?
意外だなって、私はちょっと驚いた。
ユリウスならそのくらいできると思っていたけど、無理なんだ?
「でもシャックスなら気付くし、やめてくれていたでしょ?」
「……そうですねぇ」
確認すると、シャックスは遠い目をしてあいまいな返事をした。
どっちつかずの反応だけど、否定しないってことはきっと肯定。
やっぱりそうだよね。ユリウスって、シャックスほどではなかったんだ。
買い被り? 期待しすぎ? 強い人だけど、どうも器用ではないらしい。
ところで、
「マーコールは?」
あのときの状況を知っているってことは、私の様子を見ていて、途中で助けに入ってくれたってこと。私が気絶していたから、いったん城に連れてきてくれたんだと思う。
だけどそれなら、私と一緒にいたはずのマーコールはどこ?
この部屋にはいないようだけど……。
疑問に思って、きょろきょろしながら問いかけると、
「助ける必要ありました?」
「えっ?」
そう返されて、私は思わずぎょっとした。
うそ、一緒に助けてくれなかったの? ユリウスに殺されちゃったの?
そんな……。
ものすごくびっくりして、信じられない気持ちでいっぱいになる。
でもマーコールは悪いことをしていたから、自業自得っていうか、そうなっても仕方ないんだよね。私、マーコールを助けたくて追いかけていたんだけど……はぁ。
なんでこうなっちゃうんだろう。
ライオネルにどう話せばいいんだろう。
ずーんと気分が落ち込んで、不安と後悔がどっと押し寄せてくる。
結局、悲しませることになっちゃうなんてショックだ。
見ていたなら、私が追いかけていた相手なんだから、ついでに助けてよって思わなくもない。だけど、マーコールはユリウスの敵で、明らかな悪者だったから、助けてくれなくても不思議ではない。そう、こうなったのは全部、マーコールの責任なんだよ……。
「あたしなら放置しているんですがね」
と、肩をすくめたシャックスが、仕方ないようにしゃべり出した。
「今回はダリオンが割って入ったもんで、ついでに持ち帰っていましたよ」
「え?」
……どういうこと?
何を言っているのかすぐには理解できなくて、まばたきを返すと、
「お嬢様の物騒なお友達は、ちゃんと無事ってことです」
シャックスはつまらなそうに教えてくれた。
「あの混ざり者は今、ナユタの森小屋にいるはずですよ。お嬢様の手前、さすがに放置できなかったみたいです。ユリウス卿も今回はあっさり引き下がってくれましたし」
「……びっくりさせないでよ」
なんだ、よかった……。
すごくほっとしながら、私はベッドから下りて窓に近付いた。
冷や冷やさせないでよね。
どうも今日のシャックスは機嫌が悪いらしい。ちょっとからかってくるのはよくあることだけど、こんなに連続で意地悪してくるっていうのは、すごく珍しい。
城で何かあったのかな? どうしたんだろう。
考えながら、ふっと窓の外に目を向ける。
そうして、どこにあるかまだよく分かっていないナユタの森小屋を探そうとして、
「えっ」
外の景色が赤みを帯びていることに気付いて、私は愕然とした。
なんで? 拠点を出たときは朝だったのに。
私、そんなに長い間、意識を失っていたの?
予想外だ。まずいじゃんって、焦りと不安がどっと押し寄せてくる。
早くサンガ村に戻らないと!
私を心配したグリームが、何を仕出かしているか分からないよ!
「ナユタの森小屋に連れていって!」
「あたしは今無理です」
頼むと、即座に冷たく断られた。でも、
「ダリオンを呼んでくるので、エントランスで待っていてください」
もう意地悪するつもりはないみたい。
ちょっと緊張していたけど、協力的な返事を得られて安心した。
「分かった! ありがとう!」
シャックスと一緒に部屋を出ると、私は急いでエントランスに向かった。そして幅広い階段の手前で、じりじりしながらダリオンを待つ。早く、早く、早く……。
待つしかできない、一秒一秒がもどかしい。
本当にマーコールは無事なのかなって、少し不安になってくる。
ちゃんと無事だってシャックスは言っていたけど、ユリウスが現れたあとのことは、正直よく覚えていないんだよね。多分、私はユリウスの攻撃を受けて気絶しちゃったんだろうけど、マーコールはどうなったんだろう?
うまく防げたかな? 私と同じように気絶したかな? それとも……。
落ち着かない気持ちで、エントランス周辺をうろうろしていると、
「お待たせしました」
二、三分でダリオンがやって来た。
城内で仕事をしていたらしくて、スーツみたいな服をぴしっと着こなしている。
珍しい格好だけど、驚くほどのことではない。
「うん! すごく待っていたよ!」
今は何より、マーコールとライオネルたちの無事を確認するのが最優先!
「マーコールのところに案内して!」
ダリオンのそばに駆けよって、さっそくそう頼むと、
「承知していますよ」
短く答えるなり、ダリオンは私の手を引いて歩き出した。
……あれ?
手をつながれるなんて、あんまりないことで私はすごく戸惑った。
それに、ウパーダーナでいろいろとまずい行動をしていたから、顔を合わせたら怒られるんじゃないかって思っていたんだけど。
今日のダリオンは先生モードじゃないし、怒っている様子も、訓練の成果について話し出しそうな気配もない。見ていたんだよね? ダリオンが助けてくれたんだよね?
うーん?
私のお願いをすぐ聞いてくれるのは、都合がよくて嬉しいことだけど……。
なんで? すごく疑問だ。
頭を悩ませつつ、でもうるさくないのはいいことだよねって思いながら、私はダリオンと一緒にナユタの森小屋へ向かった。門番に軽く挨拶して、無言で森の中を歩いていく。
……。
やっぱり変だよ!
だけどそのうち、怒られるのは嫌だけど、ウパーダーナのことについて何も言われないのはさすがにおかしいし、不気味だし、なんだか怖くなってきた。
いったい何を考えているの?
なんでずっと無言なの?
もやもや、びくびく、そわそわして、
「助けてくれてありがとう」
思い切って私から話しかけてみると、
「……それが仕事ですから」
素っ気ない返答。
「反省しているなら、もう無茶なことはしないでください」
「うん……」
すぐに会話が終わってしまう。
何これ、どういうことって、私はすごく困惑した。
今日のダリオン、絶対におかしいよ。どうしちゃったの?
今どういう気持ちでいるのかがぜんぜん分からなくて、それがすごく怖くて、
「ユリウスは悪くないよ」
「知っています」
「なんで森小屋に運んだの?」
「よそ者を城に入れるわけにはいきませんから」
「混ざり者って何?」
「それは本人に聞いてください」
「なんでユリウス、ウパーダーナに戻ってきているの?」
「停戦交渉が成立したと聞いています」
「戦争はもう終わりってこと? リリアン、ピアノ教えに来てくれる?」
「まだ分かりません。今後の情勢次第でしょう」
「そうなんだ……」
たくさん話しかけてみたけど、聞かれたことに答えるだけって感じで、それ以上やり取りが続かない。話しても話しても、不安はちっとも消え去ってくれない。
どうして?
壁に向かってひとりでキャッチボールをしているみたいだ。
別にダリオンとの会話に楽しさを求めているわけじゃないし、すごく話したいってわけでもないけど、この違和感がすごくすごく気になって、
「アースみたいに怒っているの?」
「……」
そう尋ねてみたら、ダリオンは少し驚いた顔を私に向けて、
「そう見えましたか?」
「うん。そう見える」
「失礼しました。怒っているわけではありませんよ」
穏やかに否定してきた。
うん、本当に怒っているわけではなさそうだけど……。
「なんでいつもとちがう感じなの?」
「いつもとちがいますか?」
聞くと、不思議そうに聞き返された。
うそでしょ。自分で気付いていないの?
「うん。いつもだったら怒っているじゃん」
「そうですね……」
中途半端な、はっきりしない返答。
いつもと態度がちがうって、ちょっとは自覚しているらしい。でもその理由を話すつもりはないのか、ダリオンは何か考えるように口を閉ざして、また無言になってしまった。
どういうこと?
意味わかんないし、焦らされているようでむかつく。
私と一緒にいるときに、自分だけの世界に入り込まないでよ。
ちょっと走って前に出ると、私はむっとしながらダリオンを見上げた。
何を悩んでいるわけ? 怒られるのは嫌だけど、まずい行動だったっていうのは分かっているし、怒られないほうが怖いんだけど? いつものダリオンに戻ってよ!
ところが、見上げたダリオンは何かを悔いるような、複雑そうな顔をしていて……。
え? なんで?
本当にわけが分からなくて、私は困惑した。見えないと思っていたダリオンの感情がようやく見えて、安心できるかと思いきや、生まれたのはさらなる混乱だった。
どうして?
なぜか分からないけど、ダリオンは今、すごく悲しんでいる。




