84. 不測の危機
「どうしてこんな、ひどいことができるの?」
おそるおそる問いかけると、マーコールはさげすむように鼻で笑った。
「ひどいこと、か。君は悪魔だからそう思うだけだよ」
「ちがう!」
そういうわけじゃない。
衝動に駆られ、私はすぐマーコールの言葉を否定した。
私は今、悪魔だから嫌な気持ちになっているわけじゃない。死んでいるのがサンガ村の人たちでも、ウパーダーナの人たちでも、同じように嫌な気持ちになっている。
だってこんなのおかしいよ。
確信しながら、私はじっとマーコールをにらんだ。
黒白どちらの人間が犠牲になっていたとしても、私はこれを受け入れられない。
恐怖より、これを許しちゃいけないって気持ちのほうが強くなって、
「私は悪魔じゃない!」
まずそこをはっきり訂正すると、
「私が悪魔だから、仲間を殺されてひどいって思っているわけじゃないよ! 相手が誰だろうと、こんなにたくさん殺すのはおかしい! それともこの人たち、みんな殺されても仕方ないような悪いことをしていたから、容赦なく命を奪ったって言うの⁉」
「悪魔はこの世に存在していること自体が罪だ」
「そんなわけない!」
無慈悲な主張を、私は強く否定した。
「見た目はちょっと変だし、白の領域で悪いことをする人もいるけど、みんながみんなそうだってわけじゃないでしょ! 存在していること自体が罪だなんて、そんなの絶対あり得ない! いい人だっていたかもしれないのに、構わずみんな殺しちゃうなんて、絶対におかしいよ! 悪魔よりも悪魔的だよ! 信じられない!」
勢いに任せ、ひと息でそうしゃべり終えると、私はふぅーと息を吐き出し自分の気持ちを落ち着けた。
それから、ちらっとマーコールの様子をうかがい、さっきまでと態度がぜんぜん変わっていないことを確認すると、やっぱりと思いつつ嘆かわしい気持ちになった。
私が発した言葉や思いは、マーコールにちっとも届いていないらしい。
相変わらず、悪いことをしているという認識はないようだ。
……なんで分かってくれないの⁉ 私だって分かることなのに!
「どうしてこんな、ひどいことができるの?」
わいてきた怒りを鎮めながら、私はもう一度そう問いかけた。すると、
「君は甘いね」
冷たい視線を返しながら、マーコールは淡々と答えた。
「逆の可能性も考えてみなよ」
「逆……?」
「そう。こいつらが全員、いずれ白の領域で暴れる予定だった可能性。僕はトルシュナーの平和を保つために、危険の芽をあらかじめ摘んでいるだけだ。これはひどいことでも、人理を外れていることでもない。僕らが生きるために必要な行為だ」
「必要なわけない!」
信じられない思いで、私はマーコールに言い返した。
「必要な人殺しなんて存在しない! 危険な可能性があるっていうだけで、人の命を奪うのは間違っているよ! それはもうただの殺人! マーコールが本物の悪魔だよ!」
「ふぅん」
興味なさそうに、理解されなくても構わないというふうにマーコールは返答した。
「つまり君は、手遅れになるほうがいいってこと? 誰かが死んでから悪を討伐するのが正義なの? 僕はそう思わないけど。減らせる犠牲は先に減らしておくべきだろう」
「それは……」
とっさに言い返せなくて、私はぎゅっと唇を噛んだ。
その考えは理解できる。
そのとおりかもしれないって、ちょっとだけ思う。
キメラ人間たちが白の領域に来たら、たくさんの人が殺されてしまうから。領域を移動される前に、マーコールは危険なキメラ人間たちを殺しておきたいのだ。そうすれば悪魔による被害を防げて、より多くの人の命を助けられる。確実に、間違いなく。
だけど……。
すべてのキメラ人間が、白の領域で人間をエサにしたいと思っているわけじゃない。白の領域に行くつもりがない人も、人間を食べるなんて考えたことがない人もいるはずだ。
それなのに、白の領域の仲間を殺す可能性があるからって、それだけの理由だけで殺すのは間違っている。まだ『悪い人』じゃないのに、殺してしまうのはおかしい。
理解できるけど、私はその考えを肯定できない。
そもそも、人を殺すっていうのは悪いことだ。自分が殺されそうになったとき、反撃して相手を殺しちゃうのは仕方ないと思うけど。
危険の芽を摘むためって言い訳して、黒の領域に乗り込んで、キメラ人間たちを殺して回るのは明らかにおかしい。それはもうただの無差別殺人者で、白の領域で暴れている悪魔たちとおんなじだ。こっちの強い魔法使いに見つかって、殺されてしまっても文句を言えないことをマーコールはやっている。
こんなの、ダメだよ。
止めなくちゃ。
もう殺すのはやめてって、説得しなくちゃ。
……どうやって?
それが問題だ。具体的な説得方法を、私はまだ何も思いつけていない。
どうすればマーコールは、考えを変えてくれるんだろう?
ていうか、
「どうしてキメラ人間たちは、白の領域の人間を襲うの?」
「知らないよ」
ぽつりと聞いてみたら、マーコールは面倒くさそうに顔をしかめて私に背を向けた。
「これ以上無駄話をするなら置いていく」
「あ、待ってよ!」
置いていかれるわけにはいかない。
あちこちに散らばる死体を避けながら、すたすた歩き出したマーコールを追いかけ、
「まだ殺すつもりなの? もう帰ろうよ」
「は? 帰るつもりだけど。君、門の跡地の場所を知らないの?
「え? ……門を開いて帰るんじゃないの?」
「こっちの門の写しはない。そういえば君、毎回どうやって白の領域に来ているの」
「え……。だから私、悪魔じゃないってば!」
「まだ隠し通せると思っているんだ。愚かだね。まぁボスがうるさいし、別にどっちでもいいけど。僕が開いたあの門は、黒魔法の耐性がないとくぐれないよ」
「え?」
話の途中でついでのようにそう教えられ、私は戸惑った。
うーん?
あれが黒魔法だと気付いてはいたけど……。
「マーコールもくぐっていたじゃん」
「僕は混血だから。君もそうなの?」
「混血? 知らないけど、黒魔法も白魔法もなんともないよ。マーコールもそうなの?」
「……」
「え、ちょっと? なんで急に黙るの⁉」
「うるさい」
意外と会話が続いて、しかも共通点らしきものもあって、ちょっと親近感を抱きかけていたんだけど……。少しすると、また急に素っ気ない態度になって、私はむっとした。
自分勝手すぎるよ! 何なの、この人!
「教えてよ! 言えないようなことなの⁉」
「黙れ」
「なっ……!」
と、そのときのことだった。
マーコールの後ろについて、路地の奥へ奥へとひたすら進んでいたら、少し先の曲がり角から不意に、透明な四枚の翅を生やしたトンボ人間の集団が現れて、
「いたぞ! あいつだ!」
「あいつが俺の仲間たちを殺したんだ!」
すごく嫌な予感がした。
まずい状況……。
青い目、黒い目、緑の目、いろんな色の複眼をぎょろぎょろさせたトンボ人間たちが、三つに割れた硬そうな下唇をカチカチ鳴らしながら、じりじりと距離を詰めてくる。
どうもマーコールに恨みがあるようで、隙あらば襲いかかろうとしていることは、言葉からも態度からも明白だった。どうしよう……。
注意するべきかどうか、私はすごく悩んだ。
マーコールがどのくらい強いのか知らないけど、無残に沈黙した無数の死体から察するに、虫や鳥の特徴を隠しきれない程度のキメラ人間は敵じゃないんだと思う。
つまり、トンボ人間たちが複数で攻撃しても、勝ち目は薄いってこと。
きっと復讐したくてマーコールを探していたんだろうけど、突っかかったら最期、返り討ちにされてしまうことは簡単に想像がつく。気持ちは分かるけど、やめたほうがいいんじゃない? このままだと死んだ仲間の二の舞になるけど、それでいいの?
……声をかけようかと思ったけど、実行する前に私は諦めた。
きっと聞いても意味がない。仲間の仇と一緒にいる人間に、何を言われたって聞く耳を持たないだろうし、余計なことを言ってマーコールににらまれたら厄介だ。
今の私にできるのは、トンボ人間たちが実力差に気付いて、うまく逃げてくれますようにって祈ることだけ。どうか戦いになりませんように……。
「かかれ! ケルプの仇だ!」
「逃がすな! 殺しちまえ!」
けれど、一触即発の雰囲気が、何もしないで消えるわけもなく。
敵意をむき出しにして、トンボ人間たちはマーコールに飛びかかろうとした。
「愚かだね」
そして瞬く間に、ナイフで串刺しにされて地面に倒れてしまう。
……私はどうすればよかったの?
分からない。
これは正当防衛? でも襲われる原因を作ったのはマーコール自身で、トンボ人間たちの行動には納得の理由があって、マーコールが殺したのは襲われたからで……。
分からないよ!
もやもや考えているうちに、マーコールは投げつけたナイフを回収し、付着した血液をぬぐってベルトに戻した。淡々としていて、罪悪感があるようにはまるきり見えない。
ダメなことなのに。悪いことをしているのに。
どうしたら分かってもらえるんだろう……。
「?」
あれ?
と、不意にびりっと、しびれるような強い魔力を感じた。
顔を上げると、左斜め先の屋根の上に、誰かが立っているのが見える。
背が高くて、キメラ的な特徴は見当たらない人。
誰だろう? 逆光でよく見えないけど、
「見つけた」
その声には聞き覚えがある気がした。
「チッ」
そしてマーコールは、どうもその人を知っているらしくて、
「逃げるよ」
「え?」
一方的にそう告げると、わき道に逸れてその人から遠ざかろうとした。
すごく危険な予感。
戸惑いながら、私もマーコールについていこうとしたけど、数歩も進まないうちに、
「逃がさない」
とてつもない魔力がその人の周辺でしゅっと凝縮して、あ、これユリウスだって気付いたときにはもう手遅れだった。青い光線がマーコールめがけて放たれていて、
「ダメ!」
叫んだけど間に合わなくて、私はとっさに飛び出しながら《守りたまえ》を展開した。
ユリウスなら、私に気付けば魔法を引っ込めてくれるはず。
殺しちゃダメだよ!
心の中で、私は必死に言い訳した。
マーコールは悪いことをやっている。人をたくさん傷つけて、殺している。だから殺されちゃっても仕方ないんだけど……ライオネルの仲間だから。死んだらライオネルが悲しむし、それに今はまだそれがダメなことって分かっていないみたいだけど、これから何回も言い続けていれば、いつかきっと分かってくれるはずだから。
私が三柱に言われたことを、最初は理解できなくても、何度も言われているうちに『そういうことか』って理解できるようになるのと同じ。もうこんなことしないように、私がちゃんと言い聞かせておくから。お願い、やめて。殺さないで……。
「っ」
だけど、私の心の中にある言葉が伝わるわけもなく。
また、私の不完全な《守りたまえ》でユリウスの魔法を防げるわけもなく、たくさん展開した魔法シールドが次々に破られていき、やがて何かが私の頭にぶつかって――。
痛いとか熱いとか感じる前に、私の意識はそこでふっと途切れてしまった。




