82. 不測の危機
「何の話?」
当然知っていると思ったのに、ライオネルは戸惑ったような反応をした。
え、ヨッドから何も聞いていないの? うそ……。
予想外で、まずいことを言ったかもしれないって後悔があふれてくる。
でもすぐに、私は自分へのうまい言い訳を思いついた。
どうせ最初から、悪魔に狙われているかどうかは聞くつもりだったのだ。そしたら答えがどちらにせよ、なんでそんなこと聞いてくるのってライオネルは不思議に思うだろうから、説明のためにこの話を伝えていたはず。……うん、そうだよ。
順番がちょっと変わっただけで、ぜんぜんまずくはない。
なんたって相手はライオネルなんだし。問題ない、問題ない。
「世界がひっくり返る前に、白の領域へ行こうとする悪魔が増えるらしいよ」
落ち着いて、私は普通のことのように説明を始めた。
「なんでそうなるのかは、よく分からないけど……。ライオネルの魔力は悪魔を引き寄せるから、このままじゃ死んじゃうかもしれないってヨッドが話していたんだ」
「そうなの?」
「うん、聞いていないの?」
「初耳だよ。確かに最近、やけに悪魔に遭遇するなって思っていたけど……」
「そうなの⁉」
大変じゃん!
ちょっと疑っていたけど、ヨッドの話は事実だったらしい。
本当に悪魔が増えていて、ライオネルのところに集まっているなんて!
危ないよ! このままじゃ死んじゃうかも⁉ どうしよう!
もう影響が出ているとは思っていなくて、私はすごく焦った。
でも、絶対にどうにかしたいんだけど、考えて私の頭で思いつくのは、ずっとライオネルのそばにいて、祝福し続けていれば死なないかなってことくらいで……。
不可能ではないけど、それはほぼ間違いなくしんどいんだよね。
実行したら三柱にうるさく言われそうだし。ちょっと無理な方法かな。
「弱者は勝利に食べられるのが自然の摂理よ」
と、他の対応策を考えていたら、グリームが突然、口を挟んできた。
「無理に助ける必要はないわ。悪魔に殺される程度の人間なんて捨て置けばいい」
「……グリーム?」
とっても辛らつだね。
グリームは最初、子猫サイズで私と一緒に外へ出たんだけど、ライオネルを見つけた途端するりと私の腕から抜け出してオオカミの姿になり、ずっと不機嫌そうにぶんぶん尻尾を揺らしていた。
だから、とげとげしい態度を取っていても驚きはしないんだけど、
「それはひどくない?」
捨て置けばいいって、見捨てればいいってことだよね?
私的にはぜんぜんよくないんだけど? 分かって言っているよね?
じとっと顔をのぞき込むと、グリームはふんっと鼻を鳴らして、
「貧弱な人間に手を貸したところで、分不相応な力を持て余して自滅するだけよ。人間はすぐにまた新しく生まれてくる。彼が死んだら、彼の代わりを探せばいいだけの話よ」
「ええ? ……なんで怒っているの?」
「怒っていないわ。呆れているだけよ」
明らかに怒っている口調で、不機嫌なグリームは言葉を続けた。
「バカなことを考えるのはやめなさい。生き物はいずれ死ぬもの。いたずらに生を長引かせても、最後には必ず死ぬものなのよ。死にゆく命のことは諦めなさい」
「バカなことじゃないよ! なんで急にヨッドみたいなこと言い出すの⁉」
ひどい! ぜんぜん共感できないよ!
ライオネルが嫌いだからって、それは冷たすぎ!
「死んじゃったら嫌じゃん! 悲しいよ! そんなのダメ!」
「どれだけ抗おうと、生き物が死を迎えるのは当然のことよ。早いか遅いかのちがいがあるだけで、誰のもとへも死は平等に訪れる。悲しくても受け入れることね」
「そうだとしても、危ないって分かっているのに放置するのはちがうでしょ!」
意地悪なこと言わないで! 生きている人はいつかみんな死ぬとか、そういう話をしたいわけじゃないの! ライオネルがいなくなったら、私が悲しいって話なの!
分かっているくせに、もうっ!
ちくちくしたハリネズミ状態のグリームなんて嫌い!
わきあがる怒りをこらえながら、冷血漢のグリームをにらんでいると、
「お前はルーナの何だ?」
戸惑ってずっと黙っていたライオネルが、話をさえぎるように発言した。
「なぜいつも一緒にいる? ただの魔獣ではないだろう?」
「あら、嫉妬?」
さげすむような視線を向けて、グリームは小さく笑った。
「見苦しいわね」
「そうじゃない。魔獣は契約者に逆らえないはずだが、お前は……」
「私とルーナのことに、あなたが介入する余地はないわ」
「そうだとしても、制御のきかない魔獣をこの村に出入りさせるわけにはいかない」
「そうなの? 不思議ね。自分のやったことは棚に上げて、すでに何度も出入りしている私を咎めるなんて。さすがこの村に悪魔を招き入れた人間、言うことに説得力があるわ」
「契約を交わした魔獣ではないと認めるんだな?」
「早とちりが好きなようね。答える必要性を感じないわ」
……ねえ? ちょっと?
なんでか知らないけど、今度はライオネルとグリームの言い合いが始まった。
私のことは無視? どうしてこうなるの?
ほんとやめてよね。
うんざりしながら、私は言い合う二人からすっと目を逸らした。
こういうの『大人げない』って言うんだよ? 知っている?
今すぐやめて欲しい。でもこの二人はなぜか仲が悪くて、この前も気付いたら喧嘩腰の言い合いになっていたから……。
やめてってお願いしても、目が合えばすぐにまたこうなってしまうような気がしてならない。頼むだけ無駄。それならもういっそ、気が済むまで言い合っていればいいよ。
……はぁ。
敵意をむき出しにするグリームと、ぴりぴりした緊張感をまとうライオネル。
最初に突っかかったのはグリームだけど、なんでライオネルも流さないで言い返しちゃうんだろう……。まだ子供っぽいところもあるんだなって、ちょっと安心するけどさっ。
「何やってんだ?」
少しすると、走っていたジャッカルが戻ってきて不思議そうに足を止めた。
「喧嘩か?」
「ちがう」「ちがうわ」
にらみ合っていた二人は即座に否定して、互いに嫌そうな顔をした。
「魔獣の正体を尋ねているだけだ」
「無駄な会話ね。答えないと再三言っているのに」
「危険な奴はこの村から追い出すと決めている」
「できるものならやってみなさい、青二才」
うわぁ……。
外野が増えてもまだ続けるんだ。ほんと呆れちゃう。
それからしばらく、私は黙ってその場に突っ立って、二人のしょうもない話が終わるのをひたすら待っていた。だけど、何もしないでいるのはすごく退屈だし、目の前の二人はずっと、私が聞きたいような話をしているわけではない。
ちょっと散歩して、気分を紛らわせようかな。
途中でそう思いついて、グリームたちから少し離れると、
「ルーナ。遠くへ行ってはダメよ」
三歩くらい進んだところで、グリームが声をかけてきた。
横にも目がついているのかな?
というか、注意するくらいなら喧嘩をやめて、私に構ってほしいんだけど。私がライオネルと話すために早起きしたのに、なんでグリームばっかりしゃべっているわけ?
すっごく不満だ。
でも今のグリームがイライラしているのは明白で、藪をつついて蛇を出すのは好ましくない。衝動のまま言い返して、苛立ちの矛先が私に向いてしまったら面倒だ。
「行かないよ。近くにいる」
本当に心配しているなら、私について来てくれたっていいのにね……。
グリームにそのつもりはないらしい。私が素直な返事をすると、グリームは『そう』と軽くうなずいて、また気に食わないような顔をしながらライオネルを口撃しはじめた。
あーやだやだ!
せめて私のいないところでやってよね!
早起きするといいことがあるって聞くけど、嘘だったみたい。
ぜんぜんいいことないよ。むしろ損した気分だよ。
こうなるなら、仕事の集合時間ぎりぎりまで寝ていればよかったかな……。
すごく後悔しながら、私は拠点近くの森の中をぐるぐる歩き回り、すさんだ心を落ち着けようとした。
そしたらその数分後、
「!」
びっくり。
低木の茂みの向こうに、急にマーコールの姿が見えてドキッとした。
でもさいわい、まだ近くに私がいるとは気付いていないようで、昨日みたいにいきなりナイフを投げてくる気配はない。息をひそめて、私はこっそり様子をうかがった。
何しているんだろう?
朝から悪魔退治?
それにしては、ライオネルやジャッカルはぜんぜん悪魔を警戒していなかったけど……あれ?
手に何か持っているようだ。
ぴかぴかのナイフじゃなくて、深い緑の巻物っぽいもの。
……なんで?
謎すぎて、私は困惑した。
常識が欠けている人の行動は、まったく理解できない。
ナイフよりは安心安全でいいけど、森の中で巻物を持って、どうするつもり? 何がしたいの? さっぱりだ。巻物で悪魔を倒せる……わけないよね? おかしな人。
考えながら、じっと観察を続けていると、
ビリッ。
私の中でそれっぽい結論が出る前に、マーコールが持っていた巻物を破り捨てた。
……えっ?
なんで破いちゃうのって驚いたけど、驚いているうちに、びりびりになった巻物の破片に黒い炎が灯って、大きく渦巻いて、空間をのみ込むように四角い黒い門が現れて――。
……えっ?
信じられない。
あり得ないものが見えたような気がして、疲れているのかなって思いながら、私は目をごしごし擦った。
なんでだろう。急に門が見えたような気がしたけど、まさかそんなわけないよね。きっと見間違いだよね。マーコールが門を開けるわけないんだから。うん、そのはずだ。
ところが、何度まばたきしても、ほっぺたをつねっても、門らしきものは変わらずそこにあって、しかも私が目の前の現実を疑っている間に、マーコールは門をくぐってどこかへ消えてしまって――。
どうしよう。
惑って、悩んで、私はためらった。
これが黒の領域につながっている門だとしたら、かなりまずい。マーコールは、肉食獣の群れの中に裸で飛び込んでいったようなものだ。ひとりで生きて帰れるわけがない。
助けなきゃって、そう思う。
けれど、さっきのマーコールは、何かに操られているようには見えなかった。
自分の意思で門を開いて、くぐっていったように見えた。
私が勝手に心配しているだけで、助けなんて必要ないのかも?
これは白の領域につながっている門かもしれないし――巻物を燃やした炎が黒魔法っぽかったから、十中八九、黒の領域につながっているだろうけど――どちらにせよ、門を開いたマーコールは、その行き先を分かって門をくぐった可能性が高いのだ。
わけ分かんないけど。
……うーん。
マーコールって白の領域の人間だよね?
黒魔法の門をくぐったら死ぬんじゃないのかなって思いながら、私はマーコールを追いかけるべきかどうか迷った。
いったんグリームを呼んできて、確認するべき?
それが一番確実だ。
だけど、この門がいつまで開いているのか分からないし、消えてしまったらマーコールを追いかけるのはほぼ不可能になる。助けに行くなら、今、私がひとりで向かうしかない。
どうしようかな……。
目が合うとにらんできて、昨日はナイフを投げつけてきたマーコール。
正直、積極的に助けたいと思うような相手ではない。だから見なかったことにしてもいいんだけど……、私はそういうの嫌いなんだよね。見ちゃったものは無視できない。
それに、マーコールはライオネルの仲間だから。
いなくなったら、ライオネルが悲しむかもしれない。
それは嫌だ。私にできることがあるなら、やってあげたほうがいい。
……よし! 助けに行こう!
不安も恐怖もあるけれど、そう決めて勇気をふるい起こすと、私はマーコールが開いた門に向かってゆっくり足を踏み出した。この先に何が待っているかは分からない。でも、
マーコールを助けなきゃ!
黒の領域は危険だよって教えて、連れ戻さなきゃ!
決意を胸に、緊張しながら門をくぐるとそこは……。




