78. 友愛の結末
次の日、目が覚めると昼になっていた。
小さな窓から光がいっぱい差し込んできていて、すごく眩しい。
いつもなら寝坊すると、午前授業に遅刻だ、怒られるって焦っているところだけど……。
今日は三柱の授業はないから安心だ。ていうか、昨日は夜更かししたし、悪魔と戦うことになって疲れていたから、こうなることは予想できていた。昨日のうちに、明日は仕事もオルガンも休みますってサレハさんに伝えてあるから、そっちも安心。
「おはよう」
「おそよう。疲れは取れたかしら?」
挨拶すると、待ちわびたようにグリームがそう聞いてきて、
「元気だよ。ばっちり元気!」
「ならよかったわ。さすが子供ね」
「え? それ関係ないでしょ!」
返事をしたら、いきなり意地悪なことを言われて私はむかっとした。
子供扱いしないでよ!
私がそういうの嫌だって、知っているくせに!
なんだか今日のグリームは、虫の居所が悪いみたいだ。私が何かしたわけじゃないと思うけど……。待ちくたびれたせいで、意地悪になっちゃっているのかな?
「今は大人だもん!」
「あら、大人はなかなか疲れが取れないものなのよ。寝ただけですぐ元気になれるのは子供の特権。うらやましいわ。私はまだ体中が痛くってしょうがないのに」
「そんなわけないじゃん!」
これは明らかに嘘だ。
グリームは昨日、ヨッド以上に何もしていない。
やっぱり、遅いなって退屈しながら私が起きてくるのを待っていて、それで意地悪になっているのかな。待たせてごめんねって気持ちと、それくらいのことで機嫌悪くしないでよって不満な気持ちが、一緒になってわきあがってくる。
ゆっくり寝ていたっていいじゃん。
どうせ今日は、やることが何もないんだから。
「オオカミって気楽でいいよね」
「あら、野生動物の日常はとってもシビアよ。毎日が、生きるか死ぬかの真剣勝負。私は野生動物ではないけれど、どこかの誰かさんのお世話で毎日大変だわ」
「ええ? グリームにお世話されたことなんて一度もないんだけど?」
「記憶喪失かしら?」
「そんなわけないじゃん。むしろ私がグリームのお世話をしているんだよ!」
「記憶喪失のようね」
そんなどうでもいい口喧嘩をしながら、身支度を整える。
そして準備ができると、今日はちょっと暑いなって思いながら私は拠点を出た。
このあとは城に戻る予定。
こっちでやることが何にもないし、この前みたいにお母様がいなくなっていて、みんな体調不良になっていたら私が助けてあげないといけないから。今日は城のみんなが元気にしているかどうか、確認しに戻るのだ。私って実は、すごく気配りができるんだよ!
……っていうのは建前だけど。
黙々と歩きながら、早く帰りたいなって私は思った。
今すごく微妙な気持ちで、なんかずっと落ち着かないから、安心するために帰りたいっていうのが本音。寂しいとか、甘えたいとか、そういうわけじゃない。でも城には怖いものなんて何もないし、今は誰かのそばにいたい気分だから、一刻も早く城に戻りたい。
速足で森を抜け、どんどんサンガ村から遠ざかっていく。
ところで。
ヨッドは昨日、気付いたらあの場からいなくなっていたんだけど、
「なんでついてくるの?」
今はなぜか、私の後ろにいる。
私が森に入ったあたりから、隠れもせず堂々と、無言で私のあとをついてきている。
本当になんでだろうね? さっぱり理解できない。
弟探しが終わって、ヨッドが白の領域にいる理由はなくなったはずなのに。リッチさんとの問答を避けて、もうとっくにジャーティへ帰っていたと思っていたのに。
なんでまだいるの?
もしかして、私にまだ何か用があるの?
「帰れなくなったの?」
分からないけど、当てずっぽうにそう聞いてみたら、
「うん? そのとおりだ!」
「え、うそでしょ?」
まさかの肯定が返ってきて驚いた。
うそでしょ。壁を越えて帰れなくなったの? 本当に?
思わず足を止めて、振り返る。
でもそこにいるヨッドは、いつもどおりにやにや笑っていて、ちっとも困っている様子ではなかった。……はぁ。
驚き損、心配損だ。
もしかしてヨッドって、かまってちゃんなの?
うんざりしながら再び歩き出すと、ヨッドも一緒に歩き出して、
「これからシャド・アーヤタナへ帰るのだろう?」
「まぁね」
「ついでにオレ様も連れていってくれんか。女王様に話をせねばならんのだ」
「お母様に?」
それが本当なら、私のところへ来た理由には納得できる。
私はほぼ毎日会えるけど、他の人はなかなかお母様に会えないらしいから。きっと私を通じて、謁見の許可がほしいんだと思う。そのくらいなら、やってあげてもいいよ!
ヨッドには昨日、ちょっと助けてもらったからね。
その恩返しだ。でも、
「聞いてみなきゃ分かんないよ」
私がお願いしたからって、必ず許可が下りるわけじゃない。
それにそもそも、そういうのはちゃんとした手続きを取らないと、あとで面倒くさいことになるから、なるべくやらないでくださいねってシャックスに言われている。お母様に会いたいって頼まれても、私がそれをお母様に伝えるのはいけないことなんだって。
よく分かんないけど。
まぁヨッドなら城にも来ていたらしいし、大丈夫だと思うけど。
「そうだろうな。聞いてみてくれないか」
すべてを承知しているように、ヨッドは重たい声でそう答えた。
私に頼むのはよくないことだって、分かった上で頼んできているみたい。
じゃあ平気かな? でも一応、確認するのは大事だよね!
「あとで面倒なことにならない?」
「なるかもしれんが、急ぎの用件なのだ。聞いて確かめてほしい」
「ふーん。そうなんだ」
ちらっと振り向くと、今度のヨッドはまじめな顔をしていた。
本気のお願いなんだね。ってことは、つまり……。
言うことを聞かせられそうな雰囲気を察知して、私は内心でにやりと笑った。
うまく取引すれば、ヨッドから『大人の秘密』を聞き出せるかも!
「急ぎの用件って何?」
「む……。話さなければ、連れていってくれないか?」
「ええ? どうしよっかなぁ……。あっ」
「どうした?」
と、何を聞こうか考えながらしゃべっていると、私はふと思い出したことがあって、
「気になっていたことがあるんだけど」
「なんだ?」
「ヨッドの弟探しって、《在り処を示せ》すればすぐに終わることだったよね?」
ずっと疑問だったことをヨッドに尋ねてみた。
ヨッドが人探しで白の領域に来ているらしいってことは、最初に会ったときリッチさんが教えてくれた。でもヨッドみたいな強い魔法使いが、《在り処を示せ》できないわけないから、人を探しているっていうのは嘘で、本当の目的は別にあるんだと思っていた。
なのに本当に、弟を探していただけだったなんて……。
いまだに信じられないんだけど、実際のところどうなんだろう?
「どうして《在り処を示せ》しないで、弟の捜索をライオネルに任せたの? 納得できないんだけど。はぐらかさないで教えてよ。ヨッドがこっちに来た本当の目的って、何?」
「うん? ……ハッハッハッ!」
問い詰めると、ヨッドは急に笑い出した。
どういう心情で笑っているのか、うまく読み取れない笑い方だった。楽しくて笑っているわけではなさそうだけど……。楽しんでいるような雰囲気も、ちょっとだけ感じる。
いったい何なの?
ごまかすのはなしだよって、目を離さないでじっと見つめていると、
「さすがのオレ様も、領域の隅々まで《在り処を示せ》するのは不可能だぞ!」
そう言って、ヨッドは少し困ったような顔をした。
「期待に応えられなくてすまんな!」
「別に何も期待していないけど……」
「ハッハッハッ!」
相槌を打つみたいに、ヨッドはただ笑った。そして、
「ところで嬢さん。あの怠惰の小僧は、早めに処分したほうがいいぞ」
「え?」
突然まじめな雰囲気になって、物騒なことを口にした。
ちょっ、いきなり何なの? 早めに処分したほうがいい?
怠惰の小僧って、
「リッチさんのこと?」
「そうだ。あの小僧を生かしておくと、のちのち厄介なことになる」
「ふぅん……」
そうなんだ。
確かにリッチさん、弱いのに強くてちょっと怖いよね。
ヨッドが警戒する気持ちは、理解できなくもない。リッチさんは得体が知れなくて不気味だから、これからも気を付けなきゃいけないって私も思う。
でもヨッドが『厄介』って言うほど強くなるとは……。
ぜんぜん思えない。だってあの人、すごく面倒くさがりだから。
あり得ないよ。
そもそも強くなりたいなんて、ちっとも思っていなさそうだし。
それはさすがに警戒しすぎだよって、私は呆れてちょっと笑った。ヨッドでも過剰に心配することがあるんだね。心配しなくたって、誰にでも勝てそうな人なのに。
ところが、ヨッドは内緒話をするように声をひそめて、
「嬢さんの命令があれば、今からでも殺ってくるんだが」
是非そうしたいとばかりに、真顔で恐ろしい提案をしてきた。
ちょっと⁉ 何言っているの⁉
「絶対にダメ!」
冗談でも笑えないけど、冗談の空気じゃないからもっと笑えない。
「怖いこと言わないでよ! リッチさんは、ライオネルの仲間なんだよ⁉」
「ううむ……。そうか」
あれ? ところが強い口調で否定すると、ヨッドはあっさり引き下がった。
なんで? 意外だ。説得してくると思って、言い返す準備をしていたのに。
しかめ面をして、ヨッドは残念そうに口を結んでいる。
言ってみただけ? 本気で殺したいわけじゃない?
それならいいんだけど……。なんだかもやもやして、腑に落ちない。
今のは何だったんだろうって、ヨッドの思考を解明しようとしていると、
「嬢さん。あの金髪のことは、どこまで分かってやっているんだ?」
「え?」
今度は急に、別のことを聞かれた。
でも質問の意味が分からない。どこまで分かってやっているって?
「ライオネルのことだよね? どういう意味?」
聞き返すと、ヨッドは困ったような苦い顔をして、
「無自覚か。このままではあの金髪は、遠からず死ぬぞ?」
とんでもないことを、さらりと言ってきた。




