77. 友愛の結末
困惑しているうちに、またヨッドとフォグ子爵の言い合いが始まった。
「僕は収納魔法の天才なのだ! 特別な収納空間で常に、三万以上のしもべたちを飼育している! どんなに強い魔法使いだって、数の暴力には敵わないのだ!」
「ハッハッハッ! そのとおり! だが貴様は、収納魔法だけに特化した生粋の雑魚貴族だ! その弱点は明確! 空間が開く前に入り口をつぶされ、しもべたちの呼び出しに失敗すると、貴様は何もできん! 弱い奴は群れなければ無力だ!」
「なっ、うるさいぞ、ジャーティのお邪魔虫! 逃げようとしていたくせに、今さら白の魔法使いたちに味方するつもりか⁉ 好きにしていいなんて、やっぱり嘘じゃないか!」
「何を言っている? 口は出したが、まだ貴様に手は出していないぞ!」
「キーッ! そんなの詭弁だ! 揚げ足取りだ! むかつくな!」
「ハッハッハッ! 短気は損気! 若者よ、冷静になるがいい!」
「黙れ! いずれオマエも僕らのご飯にしてやる! 首を洗って待っていろ!」
「ふむ。実に愉快にさえずる小鳥だな! ところで、オレ様が貴様の弱点を明かしたところで、貴様の有利は変わらんだろう。白の奴らは、収納空間の入り口をつぶす技術なんぞ持ち合わせておらんからな! だというのに、貴様はなぜそれほどカッカしている?」
「はぁ? 何なんだよ、オマエ! 結局どっちの味方なんだ⁉」
「うん? オレ様は誰の味方でもないぞ!」
……えーっと。
私の隣で、ヨッドはとても楽しそうに笑っている。フォグ子爵はどこにいるのか分からないけれど、すごく怒っていることだけはしっかり伝わってくる。
うーん……。
ヨッドの行動が、いまいち理解できない。
何がしたいんだろう?
もしかして……、時間を稼いでくれているとか?
ひとりで先に逃げてもよかったのに、なんで動かないで急にしゃべり出したんだろうって疑問に思って、理由を考えているうちに、私はふとその可能性に気付いた。
逃げたがっていたし、今すぐにでも逃げられるはずなのに、ヨッドがこの場にとどまり続けているのはおかしい。ヨッドの話にはきっと、何か意味があるはずだ。
私が逃げないって知って、それとなく助けてくれようとしているのかも?
喧嘩している二人の会話に、フォグ子爵を倒すヒントが隠されているかもしれない。
そうだとしたら……。
フォグ子爵がすぐに怒りだすこととか、怒ると油断が生まれやすくなるとか、そういうことがフォグ子爵を倒すヒントなのかな? もちろん、からかいたくて話しかけただけっていう可能性も、ヨッドのことだから充分にあると思うけど。……あ!
そのとき、私は天才的にひらめいた。
いいこと思いついちゃった!
これなら、私でもフォグ子爵を倒せるかも!
「うそつき! あなたは収納魔法の天才じゃないよ!」
ダリオンいわく、感情的になるのはよくないことらしい。
特に怒りの感情は、冷静な思考を妨げてしまうからすごく危険。
気を付けなきゃいけない相手がいるときは、嫌なことをされたり、言われたりしても絶対に怒らないで、落ち着いて相手の動きを観察するようにって言われている。
怒ってもいいことはないんだって。
でも激しい感情は痛みを感じにくくするから、絶対に勝たなきゃいけないってときはむしろいいとか、冷静でいられるなら怒ってもいいとか、そんなことも話していた。
まぁとにかく、怒って注意力が散漫になるのはダメってこと。
私は、一度怒り出すとそのことばっかり考えちゃうタイプだから、なるべく怒らないように気を付けている。だけどフォグ子爵はそうじゃないみたいで、簡単に怒るし、必死にそうじゃないって言い返して、ハチ人間たちに指示を出すのを忘れている。
つまり、怒ったフォグ子爵は隙だらけ。
「なんだと⁉」
しかも、隙ができていても居場所が分からないと何もできないんだけど、怒るだろうなってことを言ってみたら、自分から姿を現してくれた。おバカさんだね。
煙の中から飛び出してきたフォグ子爵は、怒りのまなざしで私をにらみつけると、
「僕は天才だ! 異論は認めないぞ!」
「天才じゃないよ! だって私、あなたよりすごい人を知っているもん!」
「うそだ!」
「うそじゃない! その人は三万のハチ人間たちよりも、もっとすごいものを収納していたんだから! あなたが絶対に収納できないものを、簡単に収納していたんだよ!」
「そんなことがあるものか! 僕は何だって収納できるんだぞ!」
思ったとおりの展開。
ちょっと刺激すると、フォグ子爵は顔を真っ赤にして、自分のほうがすごいんだってすぐに張り合ってきた。言い返すことに必死になって、攻撃の手はもう完全に止まっている。
自尊心が高いっていうのかな?
きっと自分が一番じゃなきゃ気が済まないタイプの人なんだよね。
怒ったフォグ子爵は、自分に収納できないものはないと信じきった様子で、
「その自称天才は、いったい何を収納できるって言うんだ?」
と、腹立たしそうに聞いてきた。
うん、いい感じ! これなら乗ってきてくれそう!
でも本当にこの作戦がうまくいくかどうか、まだちょっと不安だから、
「……どうしようかなぁ」
もったいぶって、私はそれを教えるかどうか悩むふりをした。
「なんだ⁉ さっさと教えろ! 僕は気が短いんだ!」
「うーん。でもなぁ……」
「早くしろ! 僕を待たせるつもりなら、オマエから肉団子にしてやる!」
「えぇ……。だけど、もし収納できなかったらかわいそうだから……」
「余計な気づかいだ! 僕に収納できないものなんて、この世に存在していない!」
「本当かなぁ……。まぁそんなに知りたいなら教えるけど」
仕方ないなって顔をして、私はしぶしぶ答えた。
「自分自身だよ」
「自分自身? ……ふんっ。それなら僕だってできるぞ!」
フォグ子爵は見下したように鼻を鳴らして、勝ちほこった顔をした。
「しもべたちを収納するより、ずっと簡単なことじゃないか!」
そして、『それならやってみせてよ』と私が言う前に、
「僕が収納魔法の天才だって、証明してやる!」
そう言って、突然ふっと消えてしまった。
……。
……うん。
本当に、自分を収納しちゃったのかな?
しばらく待っても、フォグ子爵の声はまったく聞こえてこない。
自分を収納したふりをして、私が油断したところに不意打ち……なんてことになったら怖いから、フォグ子爵の気配がなくなっても、私はずっと身構えていたんだけど、
「どういうこと?」
やがて煙が晴れると、そこには何も残っていなかった。
短い草がたくさん生えた、真っ暗な草原が広がっているだけ。
ハチ人間たちはサレハさんの白魔法で消滅したし、フォグ子爵は自分自身の収納空間に消えてしまったっていうことだ。一件落着。もう危険は過ぎ去っていったのだ。
……ふぅ。
すごく緊張したけど、思いつきがうまくいってよかった。
心底ほっとして、肩の力を抜いて丸太に座り直していると、
「あの悪魔、なんでいなくなったの?」
警戒をにじませた声で、リッチさんが誰にともなくそう言った。
やっぱり、自分を収納するとどうなるかも知らないんだね。
もう警戒する必要はないのに、気を張り詰めたままなのはかわいそうだから、
「自分で自分を収納すると、収納空間から出られなくなるんです」
私はそう教えてあげた。
生き物を収納できるって知らなければ、自分を収納できるっていうのも知らなくて当然だよね。勉強しておいてよかった。こんなところでシャックスの授業が、ダリオンの昔の失敗談が役に立つなんてびっくりだけど、そのおかげでみんなを助けられてよかった。
心の中でシャックスとダリオンに感謝していたら、
「え? なんで?」
リッチさんが理解できないというふうに聞き返してきて、私はちょっと戸惑った。
それも説明しないとダメ? 納得できない?
「えーっと……」
授業のことを思い出しながら、私は私が知っていることを二人に教えた。
収納魔法は《開け、亜空間》、《収納せよ》、《放出せよ》の三つの魔法の組み合わせだってこと。《放出せよ》は収納したものを自分の目の前に出す魔法だから、収納空間に自分を《収納せよ》しちゃうと、出られなくなっちゃうこと。他人の収納空間には誰も関与できないから、自分を《収納せよ》した人を誰も助けられないこと。
ちゃんと理解しているわけじゃないから、しどろもどろな説明になっちゃったけど、大事なことはしっかり伝わったと思う。
私が話し終わると、リッチさんは訝しげな顔をして、
「あの悪魔は、もう二度とサンガ村に現れないってこと?」
と、確認するように聞いてきた。
うん、そうだよ。私は大きくうなずいて肯定した。
「そういうことです」
サンガ村どころか、もうどこの黒の領域にも白の領域にも現れないはずだ。
フォグ子爵はもう一生、自分が作った収納空間から出られない。
「ふぅん。信じがたい話だけど、本当にいなくなっているからね」
まだ腑に落ちていないようだけど、リッチさんはもう一度あたりを見回してもう悪魔がいないことを確認すると、軽く肩をすくめて、私の目をまっすぐ見て言った。
「そういうことにしておこう。助けてくれてありがとう、ルーナちゃん」
「いえ……」
……本当にこれでよかったの?
しゃべりながら、不意に胸の奥がチクッと痛んだ。
フォグ子爵は悪い人。サンガ村を襲って、そこに住む人たちをハチ人間のご飯にしようとしていた。だからフォグ子爵を倒そうとするのは正当防衛。だまして誘導して、収納空間に閉じ込めちゃうのは……、いま考えると、ちょっとかわいそうな気もするけれど。
これでよかったんだよね?
安心していたのが不安に変わって、なんだか悪いようなことをした気分になってくる。
感謝されても、いいことができてよかったっていう喜びの感情は湧いてこない。
でも仕方ないよね? あれ以外の方法を、私は知らないんだし。
何もしなければ、私もみんなも肉団子にされていただけだ。
間違っていない。機転を利かせた、この選択は間違っていない。
……うん。これは仕方ない結末だ。




