75. 友愛の結末
「おとなしく降伏するなら、優しく解体してやるぞ!」
現れたその悪魔は、あまり強そうではなかった。
小さな体、丸っこくて幼い顔つき、威張ったようなしゃべり方。人を見た目だけで判断するのはよくないことらしいけど、強そうな雰囲気はまるきり感じない。
なーんだ。
私はちょっと拍子抜けした。
悪魔が近くにいるって聞いたときは、どうしようって焦ったけど、これなら戦いになってもリッチさんが勝ちそうだ。心配する必要はない。びっくりさせないでよね!
よかったって、安心しかけていたら、
「ゲッ。またオマエか! 毎度毎度、僕のご飯を邪魔しやがって!」
小さな悪魔がヨッドを見つけて、嫌そうに顔をしかめたと思ったら、敵意をむき出しにして怒り出した。
といっても、小さい子供がぷんぷん怒っている感じで、ちっとも怖くはない。
まるで子犬が、クマに向かってきゃんきゃん吠えているみたいだ。
……ちょっとかわいいかも?
ていうか二人は知り合いっぽいけど、これはヨッドが村の番犬をしていたとき、何度か追い返したことがある悪魔だって認識でいいんだよね? それしかないと思うけど……。
「ハッハッハッ! この世は弱肉強食!」
いつものように、ヨッドは挑発的な笑みを浮かべている。
「チビ助は芋虫でもついばんでいるがいい!」
「なんだと⁉ バカにしやがって! 僕は貴族なんだぞ⁉」
「ハッハッハッ! そうかそうか!」
「笑うな、本当のことなんだぞ!」
小さな悪魔は、じれったそうに歯噛みした。それから突然、取り乱したことをごまかすように慌てた咳をして、何度か深呼吸すると、余裕そうな表情をつくろい、
「恐れ敬え! 僕は七空子爵がひとり、煙霧のフォグ様なんだぞ! 頭が高い!」
えへんと大きく胸を張り、ふんぞり返った。
自分が世界の中心だと思い込んでいる子供みたいで、かわいいなって思う。
でもクラウド子爵の仲間ってことは、見た目より強いのかな?
少し心配になってきたから、私も《在り処を示せ》で確かめてみることにした。
すると、近距離に五つの反応が表示されて、フォグ子爵は濃い黄色だった。
クラウド子爵ほど強くはないってこと。でもリッチさんとサレハさんは薄い黄色の表示だから、二人に比べたらフォグ子爵のほうが強いってことだ。まぁリッチさんは特殊な魔法使いらしいし、大丈夫だと思うけどね。……うん。
「ハッハッハッ! よく鳴く小鳥だな!」
子犬とクマの喧嘩が、まだ続いている。
「オレ様を知らん時点で、貴様は取るに足らない雑魚だ! 大方、空いた支配階級の席を埋めるため、特例で爵位を与えられた成り上がりの若造だろう! オレ様の敵ではない!」
「なんだと⁉ むきーっ! 僕はもう怒ったんだからな!」
ダンダンッと悔しそうに地団駄を踏んで、フォグ子爵はヨッドを指さし、
「今日という今日は、オマエを肉団子にしてやる! 覚悟しろ!」
「強がりはその身を亡ぼすぞ、ウパーダーナの雑魚貴族!」
「僕は雑魚じゃない! 優秀な貴族様だ!」
「ハッハッハッ! では今日も、優秀な雑魚貴族様に、貴重な敗北の味を教えてやるとしよう! ……と、言いたいところだが、オレ様はもうこの村の番犬ではなくてな」
不意にぴたりと笑うのをやめ、ヨッドが無表情になる。
あ、これまずい感じかも……。
「貴様とのじゃれ合いは昨日で終わりだ。あとは好きにしていいぞ」
「ふん! 逃げるつもりか? オマエの言うことなど、誰が信じるものか!」
怒りをぶつけるように大地を強く踏みしめると、フォグ子爵はぞっとするような笑みを浮かべた。そして、何かを迎え入れるかのように両腕を大きく広げると、
「みんな僕らのご飯になるんだよ! いけ、僕のしもべたち!」
ブブブブブブブ……。
え? その言葉と同時に、急に不気味な羽音が聞こえてきた。
ちょっと大きめの虫が何匹か、近くを飛び回っているような不快な音。うるさくて耳を塞ぎたくなる。カナブンとかハエとかが、光に向かって集まってきたのかな?
でも《光よ》の範囲内に、たくさんの虫は見当たらない。
嫌な感じがする。どこから聞こえているんだろう、何がいるんだろうって、その音の正体を確かめるために、私は《光よ》をあっちこっちへ動かした。そしたら、
「うわっ」
見つけた。
フォグ子爵の頭上あたりに、薄茶色の細長い翅を生やした、ひと目で悪魔と分かる人たちが飛んでいた。
五歳児くらいの大きさで、目は真っ黒、おでこからはオレンジ色の触角が伸びている。顔は人間っぽいけど、首から下はあきらかにハチ。黒と黄色のしましま模様が目立つ、異形のハチ人間たちだ。しかも、ざっと数えただけで十人以上はいる。
なんで? 予想外の事態に、私はすごく混乱した。
さっき《在り処を示せ》したときは、こんな反応なかったのに。
反応はひとつだけだって、サレハさんもそう言っていたのに。
変だよ! おかしいよ!
こんなに悪魔がいたら、《在り処を示せ》で分からないわけないのに。
うろたえながら、ブンブン羽音を響かせるハチ人間たちを観察していたら、
「サレハ?」
同じく疑問に思ったらしいリッチさんが、疑うようにサレハさんを見た。
ふーん? 意外な反応。
どうやらリッチさんは、サレハさんが意図的に情報を隠していたんじゃないかって、疑っているらしい。神父のサレハさんが悪魔に味方するなんて、そんなわけないのにね。
険しい顔のサレハさんは、名前を呼ばれると困ったような反応をして、
「私が確認したときは、悪魔の反応はひとつだけでした。そもそもこの程度の悪魔は、白魔法の結界を無傷で通り抜けられないはずです。どうやって入り込んだのやら……」
「結界の不具合?」
「いえ、仮にそうだとしても、悪魔たちの出現があまりに急です。結界内で複数の門が一度に開いたのか、白魔法に反応しない悪魔たちなのか……。私にも分かりかねます」
「はぁ? 白魔法に反応しないって、そんな……」
「ご飯だよ! ぐちゃぐちゃにバラしちゃえ!」
と、二人が話しているそのとき、フォグ子爵が勢いよく号令をかけた。
ちょっといきなりすぎない⁉ びっくりしている間にも、空中でブンブン羽ばたいていたハチ人間たちが、両手に黒い光をたずさえて、一斉にこちらへ向かってくる。
えっと、えっと……。
こういうときは、《炎よ》? 《守りたまえ》? 《凍結せよ》?
「《神に栄光あれ》!」
どの魔法で対応しようか迷っていたら、一番にサレハさんの声が響いた。
ハチ人間たちをなぎ払うように、太い帯状の白魔法が飛んでいく。そして、ジュッと焼けるような音を立てて、向かってきていたハチ人間たちが次々に消えていく。
うわぁ、うわぁ……。
容赦ないね! やっぱり神官って怖いかも!
倒してくれてありがとうだけど、素直に感謝するのは無理だった。
できるだけ離れておこうと思って、こっそり後ずさっていると、
「やはりこの程度の悪魔であれば、結界内に侵入できないはず……」
怪訝そうに眉をひそめたサレハさんが、難しそうにつぶやいた。そして、
「ちょっとは強いんだな! それなら、次はこうだ!」
少し感心したようにしゃべって、フォグ子爵がまた両腕を広げた。
そしたら今度は、それまで何もいなかった空間に、さっきよりもひと回り大きいハチ人間たちがいきなり現れた。ブンブンうるさい羽音が、また響きはじめる。
え、ちょっと待ってよ、これって……。
「いけ! 僕らのご飯を捕まえるんだ!」
「《神に栄光あれ》!」
ハチ人間たちが動き出し、またサレハさんの白魔法が飛んでいく。
急にたくさん現れて驚いたけど、そんなに強そうな悪魔たちじゃないし、これならさっきと同じ結果になる……?
と思ったけど、今度のハチ人間たちはちょっと頭がいいのか、白魔法をひょいひょいっとかわして、怒った羽音を立てながら私たちのほうへ接近してきた。
怒った顔で、親の敵を討つみたいな殺意を抱いて、まっすぐ突っ込んでくる。
ひと筋縄にはいかないようだ。
えーっと、それなら……。
「《煙霧よ》」
対処しようとしたけど、私が動くより先に、リッチさんが魔法を唱えていた。
《煙霧よ》? 知らない魔法だけど、あたりいっぱいに煙が立ち込めていて、どういう魔法なのかは察しがついた。灰色の煙がもくもく広がって、ハチ人間たちを包んでいく。
……うーん?
でもリッチさん、なんでこの魔法を使ったんだろう?
冷静に考えてみたら謎だった。
いろいろと検討した結果、私は《凍結せよ》でハチ人間たちの動きを止めるのが一番いいと思ったのに。煙だけじゃ、ハチ人間たちの動きは止まらない。
目隠し? でもこっちの視界も悪くなるから、あんまりよくないと思う。
煙の中から急に、ハチ人間たちが襲いかかってきたら大変だ。
怖いからやめてって、リッチさんお願いしようとしたら、
「はじけろ、《永水の雨》」
煙の上に水のかたまりが現れて、はじけて短い雨になった。
……えーっと? やっぱり分からない。
リッチさん、何しているんだろう? 何がしたいんだろう?
雨じゃハチは倒せないよね?
すごく疑問だ。でも何か理由があるのかなって、考えていたら、
「《神に栄光あれ》!」
地面を覆うように、サレハさんが白魔法を放った。
足元が真っ白になって、でも私にとってはそれだけのこと。
「……えっ」
だけどしばらくして、煙も白魔法もなくなると、あとには何も残っていなかった。
ハチ人間はもういない。そこにはまっさらな草原が広がるばかり。
……?
意味が分からなすぎて、私は考えることを放棄した。
よく分からないけど、ハチ人間退治はうまくいったらしい。
よく分からないけど、この二人は息ぴったりで連携がうまいらしい。
すごいね。ハチ人間はたくさんいたのに、二人は楽勝って雰囲気で焚き火の横に立っている。その表情から、焦りや不安は一ミリも感じ取れない。場慣れしていて、余裕そう。
でも余裕を崩していないのは、フォグ子爵も同じで、
「なかなかやるな! 次はこうだ!」
またまたハチ人間たちが、何もなかった空間に現れた。
……ねえ、ちょっと待ってよ。
さすがに嫌な予感がする。
二度あることは三度あるって言うけどさ。
これってまさか、エンドレス? 倒したらまた次のハチ人間が現れてって、その繰り返し? ……いや、まさかだよね。そんなわけないよね。まさか、まさか。
嫌な想像を振り払おうとしていると、
「どうだ、恐れ入ったか!」
フォグ子爵が勝ち誇ったように胸を張って、勝利を宣言するかのように、
「僕のしもべは三万以上いるんだ! オマエらに勝ち目はない!」
と言った。
うわぁ……。
本当ならかなりまずいじゃん。
あんまり強くない相手ばかりだけど、状況はちっともよくない。
ずるいよ。三万っていうのは絶望的な数字だ。百対一でも無理なのに、三万のハチ人間なんて相手にできるわけがない。無理だって、そんなの。だけど……。
「面倒だね」
心のこもった声で、リッチさんがつぶやいた。
「悪魔を呼び出す悪魔、か。さすがに三万は無理だよ」
「私もです。しかし引くわけにはいかないでしょう」
「そうだねぇ。はぁ。……やるか」
その目に諦めの感情は浮かんでいない。
面倒くさそうにため息をつくと、リッチさんは軽く首を回して、
「いい子はもう寝る時間だよ」
そのあとは、何が起こったのかよく分からない。
煙がわきあがって、水が飛んできたり、爆発音がしたり、雷が落ちたり、白魔法があちこちで光ったり、いろいろなことがほぼ同じタイミングで起こった。
しかも煙でよく見えなくて、二人がハチ人間たちと戦っているのは分かるけど、今どこにいるのか、どういう状況になっているのかは、まったく分からなかった。
大丈夫かな?
私はどうすればいいんだろう?
ただ見ているのはよくないと思う。でも手助けしようにも、二人が今どこにいるのか分からないし、何をすれば助けになるのかも分からない。
作戦会議をする暇もなさそうだ。どうしよう……。
「逃げないのですか?」
「わっ!」
と、必死で考えをめぐらせていると、急に声をかけられて心臓が飛び出るかと思った。
振り向くと、私のすぐ後ろにヨッドがいる。いつの間に近付いてきていたの? かがんだ姿勢で、何か言いたそうにじっと私のことを見てくるヨッド。
何か用? こんなときにびっくりさせないでよ。
ていうか、なんで今さら敬語なの?




