74. 仮面の正体
悲しみに沈んでいたらしいヨッドが、ようやく復活した。
いつもの人を食ったようなにやにや顔に戻っていて、そこにはもう悲しみや憤怒や失意の色は感じられない。ヨッドは私たちを見回して、愉快そうな笑い声を立てると、
「遅かったか! もとより覚悟はしていたがな!」
まったくこたえていないような雰囲気でそう言い、
「相手の力量を見誤るとは、最後まで間抜けな奴め!」
公然と死者をけなした。
予想外の反応で、私はちょっと混乱した。
え、もう悲しくないの? 今さらどうしようもないことだけど、壁を越えるって危険を冒してまでケセドを探しにきているのに、そんな簡単に受け入れられちゃうの? 心配していた割に、立ち直るの早すぎない? もしかして、白の領域にいる目的は別にあるの?
疑問があふれてくる。
だけど、にやにやしているヨッドを見ているうちに、私はピンときて気付いた。
目の奥が泣いている。悲しくないわけじゃない。
あれは仮面なんだ。
ヨッドのにやにや顔は、本当の表情を隠すための仮面。
どうしていつも、どんなときでも、にやにやしているんだろうってすごく不思議だったけど、そういうことなんだ。感情を悟られないように、ヨッドはいつも笑顔の仮面をつけている。ケセドみたいに、ヨッドも本当の顔を隠している。きっとそうだ。
どうして隠したいのかは、正直よく分からないけど……。
まぁそれは置いておいて。
ぜんぜん似ていないけど、似ているところもある兄弟だったんだね。
私があのとき、ケセドがジャーティの人だって気付いていたら、ちがう結果になっていたのかな……。でもその場合、子供の姿のままライオネルたちと会っていそう……。
感傷にひたりながら、いくつかの『もしも』を想像していると、
「さて。では帰るか!」
はつらつとした声を出して、ヨッドがすくっと立ち上がり、
「マイ・ブラザーが死んでいるのなら、この地にもう用はない! 世話になったと、あの金髪に伝えておいてくれ! さらばだ!」
当然のことのようにそう言って、私たちに背を向けてずんずん歩き出した。
え、帰っちゃうの?
一瞬、何かの冗談かとも思ったけど、歩き出したヨッドは、振り向く気配も立ち止まる気配もない。
突然のことで驚いたし、本当にケセドを探すためだけに白の領域にいたんだなって、私は意外に思った。怪しかったけど、嘘ついていたわけじゃなかったんだ。
ていうか、用がなくなったからって急すぎるよ。
一緒に遊んでいた子供たちに、さよならくらい言ってから帰ればいいのに。すごく寂しがるんじゃない? 別れを惜しまれるのが嫌だから、無言で立ち去るつもりなの?
薄情だなって思いながら、遠ざかるヨッドの背中を見ていると、
「待てよ。このまま行かせるわけないだろ」
敵意のにじんだ怖い口調で、リッチさんがヨッドを呼び止めた。
……うわぁ。なんだか嫌な予感。
経った数秒で、あきらかに空気がひりつき始めている。
でも正直、なんでリッチさんがそういう態度になるのか分からないんだよね。
ヨッドがいなくなるのって、リッチさんにとっても嬉しいことのはずなのに。
なんで『行かせるわけない』なんて言うんだろう? ヨッドがいなくなると、何か困ることがあるの? 孤児院にいる子供たちの、面倒を見る人がいなくなるとか?
なんでだろうって、不思議に思っていると、
「このあとお前が暴れない保証はどこにもない。見逃すわけにはいかないね」
ちょっとしてから、リッチさんが答えを言ってくれた。
そっか。そうだよね。
悪魔の言うことなんて、信じられるわけがない。
帰るって言っておきながら、村を滅ぼしに戻ってきたり、別のところで暴れたりする可能性もある。だからリッチさんは、目の届くところにヨッドを置いておきたいんだ。
なるほど、そういうことね。
でもそれって、ヨッドを永遠に帰らせないってことになるんじゃ……。
うーん? あれっ、実はそのほうが危険じゃない?
……難しい問題だ。
どうするのがいいんだろうって、頭を悩ませていると、
「ハッハッハッ! 見逃してくれ!」
立ち止まり、振り向いたヨッドが楽しそうにそう頼んだ。
「オレ様と小僧の仲だろう?」
「どういう仲だよ」
リッチさんがあきれたようにため息をつく。
そして、敵意のある雰囲気を少しやわらげると、
「ボスが戻ったら門まで連れていってやるから、それまでおとなしくしていろって」
「優しい申し出だな! だが却下する!」
「はぁ?」
ひりついた空気がちょっと薄れたと思ったら、今度はボタンをひとつ掛けちがえただけで即座に爆発してしまいそうな、そんな緊張感が漂いはじめた。
高らかに笑うヨッドと、理解できないって雰囲気のリッチさん。
何なの、これ。やめてほしいんだけど。
喧嘩しちゃダメだよ。仲良くして……。
「というか契約の魔法を解かない限り、お前はこの村から離れられないだろ?」
「そうだな! だが契約はすでに破棄してあるぞ!」
「はぁ?」
「当然だろう! 小僧よ、なぜ驚く?」
心から愉快そうに笑い、バカにしたような態度でヨッドは言った。
「まさか貴様らごときの魔法で、このオレ様を縛れると本気で思っていたのか? 笑止千万! そもそもあの契約はハリボテだ! 何の拘束力もない!」
うわぁ……。
言っちゃった。
話を聞いたときから、私はそんな気がしていたから、驚かないけど。
本当にそうなんだ。それ、堂々と言っちゃうんだ。
やっぱりヨッドを制御するなんて無理、不可能なんだよね。でも逆に考えると、まったく意味のない契約だったのに、ヨッドは子供たちと遊んだり、村の仕事を手伝ったり、『望みを告げよ!』って言う以外には、悪いことを何もしなかったってことだ。
実はヨッドっていい人? 悪いことは考えていないのかも?
見逃しても大丈夫なんじゃないかって、考えを改めていたら、
「神父は途中で気付いていたぞ! 間抜けなぼんくらだな、小僧!」
追い打ちをかけるように、ヨッドは笑顔でリッチさんをけなした。
え……?
平和的に解決できそうなのに、しないの? 敵対しちゃうの?
うそでしょ。こんなときに煽るなんて信じられない!
はらはらしていると、リッチさんが問いかけるようにサレハさんを見て、
「そのとおりです。彼は、肝心なことは何も答えませんでした」
「なんで黙っていたの?」
なんだか今度は、リッチさんとサレハさんがもめそうな雰囲気になった。
ちょっとちょっと、みんなどうしちゃったの?
落ち着いてよ! 争ったって疲れるだけなのに!
「おい小僧、神父をそう責めてやるな!」
緊張して二人を見比べていたら、なぜかヨッドが間に割って入って、
「神父はオレ様に弱みを握られていたのだ!」
「はぁ?」
仲良くできなさそうな話を、ちょっと自慢げに明かしてきた。
ねえ、いったい何がしたいの?
リッチさんの不信感を募らせたって、いいことは何もないのに!
さっきからヨッドの言動がぜんぜん理解できない。もっと険悪な雰囲気になって、ばちばちの実力行使になったらどうしようって、すごく不安になってくる。
私が止めるべきなのかな?
でもヨッドを擁護しようにも、自分から悪者になりにいっている感じだし……。
冷静になってくれますようにって、祈りながら黙って見守っていると、
「チッ。もう来たか」
不意にヨッドがあらぬ方向を見て、忌々しそうに舌打ちした。
「まったく。貴様らがうるさいせいで、小物に見つかってしまったではないか!」
「え?」
意味の分からない発言だ。でも、すごく嫌な予感がした。
ねえ、ヨッド?
もう来た、見つかったって、それまさか……。
「近くに悪魔がいるとか、まさかそんなこと言わないよね?」
否定してくれることを期待して、おそるおそる尋ねてみると、
「ハッハッハッ! オレ様は契約どおり、この村の番犬の役目をしっかり果たしてきたぞ! 今日からは知らんがな! せいぜいあがくといい、白の魔法使いども!」
悪者じゃん! 言っていること、完全に悪い人だよ!
本当に本当に本当に、ヨッドのことがよく分からない。
でもまぁいいや! 今はそれより悪魔だ!
ふざけて言っている可能性もあるけど、本当に村の近くに悪魔がいるなら大変だ。
神官に魔法使いだってバレたらまずいけど、今は緊急事態だから仕方ない。
とりあえず急いで、近くの悪魔を《在り処を示せ》しようとしたら、
「確かめます」
その前にサレハさんが立ち上がって、白い光をあたりに放った。
あ、白魔法……。って、グリームとヨッドは平気なの⁉
急なことで、すごくびっくりして焦ったけど、見ると二人はピンピンしている。
「平気なの?」
「ええ、弱い白魔法だもの。問題ないわ」
「オレ様に白魔法は効かんぞ!」
しゃべりながら私のほうを見て、ヨッドは意味深な笑みを浮かべた。
「竜の血のおかげだな! 黒の領域でも白の領域でもない場所で生まれた人間は、黒白の魔法の影響を受けないらしい。オレ様は黒の人間ゆえ、まったく影響がないというわけではないが、教会に入れる程度には耐性があるぞ! もっとも、あんなところに好き好んで入りたいとは思わんがな! ハッハッハッ!」
あ、そうなんだ……って私と一緒⁉
もしかして、私も宇宙人だったとか?
そんなわけないけどね。
逸れてしまった意識を戻して、近くにいるらしい悪魔を探そうとすると、
「いますね。結界内に反応がひとつ」
サレハさんが緊張した声でそう言って、高くランタンを持ち上げた。
そっちから誰か来るの?
急に襲われたらどうしようもないから、私も《光よ》を唱えて、周囲を明るくする。
短い草がびっしり生えた地面、お化けみたいなシルエットの高い木々、風が吹いているわけでもないのに、左右に揺れ動く小さな影……。うわっ、何かいる。やだなぁ。
ごくりとつばを飲み込んで、私は《光よ》を大きくした。
するとやがて、光が照らし出す範囲内に、白と黒のまだら模様のフード付きポンチョを着た、小柄な男の子が現れた。くりくりした無邪気そうな瞳の、かわいい雰囲気の男の子。
……え?
村の子供じゃないのは分かるけど、この子が悪魔?
想像していた悪魔像とだいぶちがっていて、私は反射的に戸惑った。だけど、
「オマエらがここの守り人だな! 僕のご飯になれ!」
その男の子が口を開いた途端、その戸惑いはきれいさっぱり消え去った。
間違いない。子供だけど、この子は悪魔だ!




