73. 仮面の正体
「弟?」
予想できていなかった答えに、私はすごく驚いた。
意表を突かれた気分だ。戦争するとか、エサにするとか、そういう理由で白の領域にいるわけではないと思っていたけど、まさか弟を探すためだなんて……。
……本当に?
聞いた直後は、ああそうなんだって納得したけど、すぐさま疑念が生まれてくる。
だってヨッドは、何がおかしいのかずっとにやにや笑っている。弟を探しているらしいのに、その言葉から切実な思いは伝わってこないし、切迫した雰囲気はかけらも感じない。
また嘘をついているんじゃないの?
正直に答えてよ! 私は騙されないんだから!
じろーっと、疑いのまなざしでヨッドを見つめていると、
「そうだ! ジメジメした奴だが、かわいげのあるブラザーでな!」
にやにや笑いをやめないまま、ヨッドは愉快そうに話を続けた。
「名前はケセドという。陰湿で臆病な奴だが、オレ様の機嫌を損ねることをしないよきブラザーでな! 特別に目をかけていたのだ! しかしあいつはドジを踏み、他兄弟のたばかりに引っかかり、トルシュナーへ放り出されたらしい」
「放り出されたって……」
ううん? やっぱり嘘じゃない?
ヨッドでもない限り、領域間の移動には門が必要だ。
別の領域に放り出されるなんて、普通はそんなことあり得ない。
適当なこと言わないでよって、疑いを強めていると、
「まぁ正確には、おどされて自ら門をくぐったのだろうな」
少し声のトーンを落として、ヨッドは苦々しく笑った。
「間抜けな奴だ。オレ様とちがい、ケセドは病弱で貧弱で最弱。白の領域へ行けば、魔法使いどもに追い回されると分かっていただろうに。なぜ窮地に陥る前にオレ様を頼らず、屈してしまったのだ。世界がひっくり返る前に、どうにか連れ戻してやりたいのだが」
「世界がひっくり返る?」
と、話の途中で、眉をひそめたリッチさんが口を挟んだ。
「それ、どういう意味?」
「言葉どおりの意味だ。いずれ分かるだろう」
「まぁたそれか。サレハ、こいつの口を割らせてよ」
「話が見えないのですが」
あれ、サレハさん?
急に声が聞こえて横を向くと、ランタンを持った困り顔のサレハさんが、ヨッドのすぐ後ろに立っていた。
いつものへんてこな神父服の上に、今は薄い黄色のガウンみたいなものを羽織っている。
少し寒そうにしながら、サレハさんは私の向かい側にゆっくり座ると、
「何の話をしていたのです?」
「人探しが弟探しだって話。世界がひっくり返る前に見つけたいんだってさ」
簡潔にまとめて、リッチさんがそう答えた。
「大きな戦争を起こす予定でもあるのかな。把握しておいたほうがいい」
「ハッハッハッ! 戦争ごときで世界はひっくり返らんぞ!」
ヨッドは心底おかしそうに笑った。
「好きにすればいい! だが契約の魔法でオレ様の口を割らせても、大した情報は手に入らんぞ! これから世界はひっくり返るだろうが、それがいつになるのかオレ様も知らんのだ! しかも世界がひっくり返ることは、小僧らにとって悪いことではない!」
「誰がお前の言葉を信じられるんだよ」
やれやれと、呆れたようにリッチさんがつぶやいた。
うん、そうだよね。私もそう思う。
はっきり理由を説明することはできないけど、なんかヨッドの言うことは信用しちゃいけない気がする。うさんくさいし、笑ってばかりいるし。
だけど……。
その後、サレハさんが契約の魔法を使って無理やりしゃべらせても、ヨッドが話したのは同じことだった。『世界がひっくり返る』というのが、『言葉どおりの意味だ』という返答までおんなじ。ええっ、どういうこと? わけ分かんないんだけど……。
ちっとも理解できそうにない。分からないことだらけで面白くない。
考えることに疲れて、燃え上がる炎をぼんやり眺めていたら、
「ところで嬢さん。嬢さんは、オレ様のブラザーに会っていないのか?」
話題を戻して、ヨッドが急にそう聞いてきてびっくりした。
え、なんで私に聞くの?
普通に考えておかしい。ヨッドの弟がトルシュナーにいるとして、毎日トルシュナーで暮らしているリッチさんやサレハさんのほうが、会っている可能性は高いはずなのに。
不思議に思って見返すと、ヨッドも不思議そうな顔をして、
「気のせいかと思ったが、やはり嬢さんからケセドの残留魔力を感じるのだ」
「残留魔力?」
「魔法の痕跡のことだ。オレ様のブラザーと、どこかで会っているのではないか?」
「え? 知らないよ」
まったく覚えがない。
私がこっちで出会ったのは、バッタ人間とかフクロウ人間とか、ウパーダーナから来ている人たちばかりだ。ヨッドみたいなうるさいジャーティの人に会っていたら、絶対に覚えている。でもぜんぜん記憶に残っていないから、会っていないんだと思う。
ていうか……。
なんだか私と話したそうにしていたのって、それを聞きたかったからなの?
……それならそうと、早く言ってくれればよかったのに!
変な理由じゃなくて安心したけど、気付いた途端、不満があふれてくる。
紛らわしい! なんで私に話しかけてくるのか、何を考えているのかよく分からなくて、ずっとちょっと怖かったんだからね! 距離の詰め方、絶対に間違っているよ! 反省して! 聞きたいことがあるなら、雑談なしでズバッと聞いて! お互いのために!
ふーっ。
今の私は大人だから、この怒りをぶつけたりはしないけど!
「どんな見た目の人?」
心を落ち着けながら、一応そう聞いてみると、
「オレ様とはあまり似ていない奴だ。髪色は同じだが、心がジメっていると頭もジメってくるようで、女みたいなオカッパ頭になっていることが多いな。それと顔を見られることを極端に嫌っていて、よく青い仮面をつけている」
「青い仮面の人……」
どうもヨッドとは似ていない弟らしい。
うーん。でもやっぱりそんな人、会っていないと思うんだけど……。
「あっ」
うそ、どうしよう!
考えていたら突然、とある人物がパッと頭の中に浮かんできて、私は大きな衝撃を受けると同時に、うろたえてしまった。まさかだけど、私、その人のこと知っているかも!
性別不明で金髪の、青いお面をつけた変な人。
ヨッドの弟と特徴が一致する人に、私は以前会ったことがある。
でもその人は……。
「どうした。オレ様のリトル・ブラザーに覚えがあるのか?」
「えっと……」
聞かれて、私は言葉に詰まった。
どうしよう?
多分、私はヨッドの弟を知っている。でも聞いた特徴が揃っているだけで、まだそうと確定したわけじゃない。別人の可能もある。ごめんなさいって謝るのは、まだ早い。
「それって、『願い事を告げよ』ってうるさい人?」
ちがっていますようにって祈りながら、おそるおそる尋ねると、
「そうだ! 間違いない!」
瞬間、ヨッドの雰囲気が一変した。
それまでは余裕たっぷりの態度だったのに、にやにや顔がまじめになって、前のめりで食い気味な姿勢になっている。弟のことがすごく大事なんだって、そう気付くには充分な変わりようだった。本当にヨッドは、弟を探して白の領域に来ているんだ。
……まずいよ、ピンチだよ、どうしよう。
初めて本物の感情が見えたようでびっくりしたし、これから答えなきゃいけないことを考えると、聞いた途端にヨッドの感情が爆発しそうな気がして、私は恐ろしくなった。
無理だよ、怖いよ、終わりだよ。
だって、ヨッドの弟はもう……。
「それはオレ様のブラザーだ! どこで会った?」
「この近くの地下水路。でも……」
すっごく言いにくいし、罪悪感があふれてくる。
やっぱり、あのとき地下水路で会った人――会うなり『願い事を告げよ』って何度もしつこく言ってきて、私に大人用の白の領域の服をくれた人が、ヨッドの弟だったんだ。
あんまりにもうるさくて、グリームがぺろりと食べてしまった人。
うわぁ……。
会ったのが白の領域だったから、ジャーティの人っぽいなとは少しだけ思ったけど、本当にジャーティの人だなんて考えもしなかった。あれも、フラーニの孫だったんだ。
どうしよう……。
教えるのが怖くて、困ってグリームを見たら、
「私が食べてしまったわ」
「は?」
察したのか、グリームは目が合っただけで、代わりにそう答えてくれた。
淡々と、感情のこもっていない声であっさりと。
「あまりにもうるさいものだから、私が食べてしまったのよ。ジメっているせいか、あまりおいしくない人間だったわ。そういえばあれは、ジャーティのにおいがしたわね」
「え、ちょっ……」
ちょっとグリーム、何考えているの⁉
代わりに答えてくれたことには感謝だけど、ほっとできたのは束の間のこと。黙って聞いていたら、突然グリームが喧嘩を売るようなことを言い出して、私はすごく焦った。
なんで? なんで余計なこと言うの?
事実なんだろうけど、さすがにその言い方はないって!
ヨッドが怒っちゃうよ! みんな殺されちゃうよ!
まずいまずいって、あたふたしていたら、
「……ハッハッハッ!」
そのうちヨッドが、不気味に笑い出した。
絶対、楽しくも愉快でもないはずなのに、大声で笑っている。苦し紛れの、別の感情をがんばって隠しているような、聞いていて『ごめん』って思うような笑いだった。
胸がきゅっと締め付けられて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
ごめん。本当にごめん。
あれがヨッドの大切な弟だなんて、知らなくて……。
「待て。ちょっと待て。三秒待て」
不意にそう言うと、ヨッドは眉間を押さえてうつむいた。
何かこらえるように、少し震えた荒い息を吐きながら、一秒、二秒、三秒……。
あれ?
ところが十数秒経っても、じっとうつむくばかりで、顔を上げる気配がない。
大丈夫かな? ちょっと心配になって、
「もう十秒は経ったよ?」
こっそりグリームに話しかけたら、
「シッ。余計なことを言わないの。この場合の『三秒』は、『少しの間』と同じ意味よ」
「そうなんだ……」
きつめの口調で注意された。
うーっ。
……私だって、秒数を気にするような雰囲気じゃないってことは分かっていたよ?
だけどあんまりにも長く沈黙が続くから、大丈夫かなって心配になって、こっそり聞いてみただけだ。場の空気を読めなかったわけじゃない。
そんなにきつく言わなくたっていいじゃん。
注意されたことを、ちょっと不満に思っていたら、
「ほんとにルーナちゃんって、身近な人を失くした経験がないんだね」
リッチさんがぽつりとそうつぶやいて、え? ってなった。
急に何? どうしたの?
確かに、いつも近くにいる誰かが、死んじゃったってことはまだないけど、それがどうしたの? ていうか、なんでそのことを知っているの? ちょっと怖いんだけど……。
戸惑い、警戒しながらリッチさんに目を向けていると、
「ボスが言っていたんだよ。目の前で悪魔が死んでも無反応だったのは、きっとまだ経験がなくて、その感情が分からないからだろうって。本当にそうだったんだ」
「……あの、何の話ですか?」
「んんー、配慮が足りていないって話」
ふわぁと眠たそうにあくびをすると、リッチさんは自嘲するように肩をすくめ、
「ま、悪魔に配慮するっていうのも変な話だけどね」
「そのとおりだ!」




