71. 願いの代償
分からない。分からない。
……ぜんぜん分からない。
「なんでそんなに望みを叶えたいの?」
ルサばあさんの家からの帰り道、どうしても聞かずにはいられなくて、私はヨッドに疑問をぶつけた。思っていたより難しい話だったし、結局ルサばあさんはヨッドに望みを叶えてもらうみたいだし……。
ああもう、意味わかんないよ!
頭がパンクしそうだ。
なんでヨッドは、『望みを叶える』ことに固執しているんだろう?
ルサばあさん、本当にすごく困っていて、心の底からサンバーを助けたいって感じだったのに。私がヨッドだったら、対価とかそんなのなくたって、サンバーのこと元気にしてあげているのに。どうして困っている人に意地悪なことをするの? ひどいよ!
「普通に助けてあげればいいじゃん。ヨッドならできるんでしょ?」
「ハッハッハッ!」
非難して問いかけると、ヨッドは豪快に笑って、少し困ったように私を見た。
なんだか事情がありそうな視線。
だけど私は、困っている人を助けてあげない理由がさっぱり分からない。言葉にしてくれないと理解できないよって、不満を込めた視線を返すと、
「望みには相応の対価が必要なのだ、嬢さん」
「どうして?」
「魔法は万能でも全能でもない。魔法使いは常に、魔法という奇跡を起こす対価を支払っている。魔法による奇跡は、無償で提供してよいものではないのだ。逆もまたしかり」
「? えーっと?」
「無償の愛ほど恐ろしいものはないという話だな!」
難しい話をされたと思ったら、急にいつもの調子に戻って、ヨッドは挑発的に笑った。
「返報性の原理と言い換えてもいい!」
「……?」
え? 何、どういうこと?
何を言いたいのかさっぱり理解できなくて、余計に疑問が増えた。
まるでマシューの話を聞いているみたいに、頭が混乱する。
もっと分かりやすくしゃべってよ! 私が本当は子供だって知っているんだから、難しい話は無理だってことくらい察してちょうだい! まったく、気が利かないなぁ!
ちょっと考えてみても、やっぱり理解できなくて、聞き返そうとしたら、
「ハッハッハッ! 嬢さんには関係のない話だったか!」
そのときちょうど分かれ道に差しかかって、ヨッドは笑いながら一方的にそれだけ言うと、教会のほうへずんずん大股で向かっていってしまった。え……。
うそでしょ。ちゃんと答えてくれないの? いじわる!
ていうかヨッドって、本当にフラーニの孫?
疑念がふくらむ。
グリームの話ではそうらしいけど、私は知らないし、フラーニの孫にしては態度がおかしいから、いまだに信用できないんだよね。まぁ白の領域の人が近くにいるせいで、ああいう態度なのかもしれないけど。あんな人が城に来ていたら、気付かないわけないのに。
すごく怪しい……。
振り返らないヨッドの後ろ姿を、じーっとにらみつけていると、
「誰かに優しくされたとき、自分もその人に優しくしたいと思うでしょう?」
分かれ道で立ち止まったサレハさんが、不意に話しかけてきた。
「その心理を『返報性の原則』と呼びます。見返りを求めなくとも、人は何かを与えられると、それ以上のものを返したくなる生き物なのです。明確な対価を示さず、彼が魔法で奇跡を引き起こした場合、ルサさんは永遠に借りを返し続けることになるでしょう」
「……えっと」
すぐには何の話か分からなくて、サレハさんまで何を言い出すのって思ったけど、どうもヨッドの話を解説してくれているらしい。とっても親切だ。優しいね。でも、
与えられたら、返したくなる……?
いまいちピンとこない話だ。
誰かに笑顔を向けられたら、嬉しくて私も笑顔になっちゃうっていう話なら分かるんだけどね。そういう話? なーんかちがうような……。多分ちがうよね。よく分からない。
だけどまぁ要するに、
「対価は必要だってことですか?」
「はい。内容はともかく、対価を求めるのは自然なことです」
「ルサばあさんは明日、本当に死んじゃうんですか?」
「……分かりません」
困ったように眉を下げて、サレハさんは小さく首を横に振った。
「ルサさんの気が変わることを願っていますが、おそらくそうはならないでしょう」
「サレハさんはそれでいいんですか?」
「人間は弱い生き物です」
悲しそうにちょっと笑って、しんみりした雰囲気でサレハさんは言葉を続けた。
「欲にそそのかされ、過ちを犯すことも、道を踏み外すこともあります。しかし同時に人間は、過去の失敗から学び、悔い改めてやり直すこともできる存在なのです。いま私にできることは、ルサさんの良心を信じることだけなのです。すべては神の御心のままに」
「……?」
えーっと? 途中まではそれなりに分かったんだけど……。
なんでそこで神様が出てくるの?
謎だ。理解できない。
困惑していると、サレハさんは分からなくても大丈夫だというふうにほほ笑んで、
「それではまた明日。おやすみなさい」
「おやすみなさい……」
挨拶すると、私に背を向け静かに教会のほうへと歩いていってしまった。
行っちゃった……。あとには謎が残るばかり。
これって、私がバカだから理解できないだけなのかな?
なんだか仲間外れにされているようで、嬉しくない。
もんもんとしながら拠点に戻って、借りている部屋に入ると、
「神様って何なの?」
ベッドに腰かけて、私はグリームに答えを求めた。
「それに、魔法使いは常に対価を支払っているって、どういうこと?」
「魔法のことは知らないわ」
オオカミの姿に戻って、床の上で毛づくろいをしながらグリームは答えた。
「私はこの世界のルールにあまり詳しくないのよ。神様というのは、概念であり、偶像であり、稀に実在することもある、弱い人間の心のよりどころのことね。人間社会をまとめるための虚像、と言い換えてもいいかもしれない」
「? えーっと、つまり?」
「難しい話を聞きたいのなら話すけれど」
聞きたくないでしょと、私の返答を見透かしたようにグリームは鼻を鳴らした。
「全能の『神様』を信じている人がいる、今はそれだけ分かっていれば充分よ。それともし聞かれても、神様に関することには、なるべく口を出さないことね。深入りすると危険な話題だから。気を付けなさい」
「え? 神様って危険なの?」
「ちがうわ。神様を信じている一部の人間がとても危険なのよ。ルーナが余計なことを言ってしまうと、特にね。口は災いの元と言うでしょう」
「ふーん」
まぁいいや。
適当な相槌を打って、私はその話をやめることにした。
分からない話がいっぱいで、まだ頭の中がごちゃごちゃしている。これ以上考えることが増えるのは嫌だ。大人の世界ってすごく大変だね。あぁ難しい。あぁ疲れた。
すっきりしないけど、今日はもう寝ちゃおうっと。
次の日の仕事は、うっかりミスが多かった。
土を掘りすぎたり、種をまき散らしかけたり、苗を踏みそうになったり。
気付くとルサばあさんのことを考えていて、ぜんぜん仕事に集中できなかった。私が考えたところで、どうにもならないってことは分かっているけど、考えずにはいられなくて、
「俺たちの仕事を増やすなら、何もしないでほしい」
ぼんやりしていたら、表情を消したエルクに冷たく注意された。
それで、これじゃいけないってハッとなった。
そうだよね。これじゃ二人の仕事を邪魔しているだけだ。気になることがあるからって、任せられた仕事をおろそかにしていいわけがない。しっかりしなくちゃ!
今の私は大人なんだから! 二人のお姉ちゃんなんだから!
「ごめん」
謝ると、私は気を入れなおして苗の植え替え作業に取り組んだ。
集中、集中、集中……。
そして仕事が終わると、私たちはまたルサばあさんの家へ向かった。
その日は、サンバーのいる小さな寝室に、十人以上の人たちが集まっていた。
小さな子供、若い人、親っぽい人、おじいちゃんおばあちゃんっぽい人……。みんな茶髪で、どことなくサンバーに似ているから、きっと家族なんだと思う。
全体的にそわそわしていて、後ろめたそうな、不安そうな気配を感じる。
ヨッドが寝室に入ると、真っ白な服のルサばあさんが立ち上がって、
「よろしくお願いします」
心を込めてそう言い、深々と頭を下げた。
……本気なんだ。
その言葉で、態度で、これから本当に死ぬつもりなんだなって分かって、私はにわかに緊張した。ルサばあさん、本当に死ぬつもりなんだ……。
止めるべき?
でもこれは、ルサばあさん本人が望んでいること。
窮屈な部屋の隅にひっそり立って、どうしよう、どうすればいいんだろうって、私はぐるぐる考えた。
死ぬのはいけないことだ。命は大切にしなくちゃいけない。でもルサばあさんは、サンバーのために自分で自分の命を捨てたがっていて……。ああもうっ、なんでなの⁉
やっぱり理解できないし、考えても考えても、『これが正解だ!』ってすっきりする結論は出ない。どうするのが正しいの? 私は止めるべき? それとも……。
ひとりで静かに悩み続けていると、そのうちに、
「望みを告げよ! オレ様が叶えてやるぞ!」
準備が整ったのか、ヨッドが大声でそう言った。
私はぱっと顔を上げて、反射的に身構えた。
魔法を使うつもりだ!
止めるなら今しかない!
ところが、ルサばあさんは覚悟を決めたような顔をしているし、サレハさんはじっと動かないし、他の人たちはまじめな顔で黙りこくっているし、部外者の私が口を挟むのは間違いなんじゃないかって、そう思わせるような空気がそこにはあった。
だから結局、私は何もしないで部屋の隅に突っ立ったまま、
「サンバーの病を治してください」
ルサばあさんが望みを告げるのを、黙って聞いているしかなかった。
「よかろう!」
にやりと悪だくみするように笑って、ヨッドが高らかに宣言する。
「貴様のその望み、このオレ様が叶えてやる!」
次の瞬間、小さな寝室の中で白い光がはじけた。
目の前が真っ白になって、チカチカ眩しくて思わず目をつむる。
何の魔法だろう? 考えてみるけど、考えたって分からない。これは私がまったく知らない魔法だ。どういう原理なの? この光の魔法で、本当にサンバーの病気が治るの?
やがて光が弱くなると、私はゆっくり目を開けた。
するとそこには、それまでと変わりのない光景が広がっていた。
ベッドに寝たきりのサンバーと、心配そうな顔つきの人たち。
……あれ、失敗?
と思ったけど、まさかそんなことはなかった。
少しすると、寝たきりだったサンバーが寝言のようなうめき声を上げ、重たそうなまぶたをちょっとずつ持ち上げる。そして何度かまばたきして、自分は何をしていたんだろうって感じの不思議そうな顔をすると、ゆっくりゆっくり上半身を起こして、
「ばあちゃん」
「あぁ……」
どよめきが生まれた。
体は細いままだけど、サンバーの顔色はすっかりよくなっていた。どういう魔法なのか知らないけど、ルサばあさんの望みを、ヨッドはそのとおりに叶えたのだ。
目と目を合わせると、二人は無言で抱き合った。
幸せをかみしめるように、お互いをぎゅっと離さないでいる。
誰も何も話さなくても、よかった、よかったって安堵して、喜んでいる感情が、空気を通じてじんと心に伝わってくるようだった。うん、本当によかったね……。
だけどしばらくすると、まだ本調子ではないのか、だんだんとサンバーのまぶたが眠たそうに下がりはじめて、
「ゆっくりおやすみ」
涙を流しながら、ルサばあさんはぐったりしたサンバーをベッドに横たえた。
静かな寝息を立てて、サンバーが眠りの世界に戻っていく。
優しい目をして、ルサばあさんはとても幸せそうに、安らかに眠るサンバーを見つめていた。ところが突然、糸が切れた操り人形のように、ぱたっとベッドに倒れ込んで……。
ルサばあさんは、それきり動かなくなってしまった。
……。
これでよかったの?
すごく複雑な心境だ。
じっとしていると、サレハさんが固い口調でサンバーの家族たちと話し始めた。
お悔やみの言葉、神様への冒涜、他言無用……。
よく分かんない話の連続。でもまじめな雰囲気だったから、私は話を分かっているようなふりをして、黙ってその場に突っ立っていた。けれどヨッドは、サレハさんが話している間ずっと、何が面白いのかにやにや笑いながらサンバーの家族たちを眺めていて、
「出ていけ! この悪魔め!」
その態度はないんじゃないのってと思っていたら、案の定、顔を真っ赤にしたおじいちゃんに怒られていた。花瓶を投げつけられて、だけどヨッドは危なげなく受け止めて、『お前たちは選択を間違えた』とでも言わんばかりに、にやにや笑い続けている。
うわっ……嫌な感じ。
私でもちょっとむかつく態度だ。
人の心がないの? ルサばあさんが死んでしまって、みんな悲しいはずなのに。
こういうときはさすがに、空気を読まなきゃダメだよ!
やがてサレハさんの話が終わると、私たちは暗い空気に包まれたサンバーの家をさっと出て、教会に向かって無言で足を動かした。
厳しい顔つきのサレハさん、上機嫌なヨッド、感情の読めないグリーム。
……本当にこれでよかったの?
みんなについて黙々と歩きながら、頭の中で自問自答を繰り返す。
人を殺したり、死にそうな人を見殺しにしたりするのは悪いことだ。
だけどルサばあさんは、サンバーを助けるために死にたがっていて、ヨッドはその望みを叶えただけ。結局、私はそれがよくないことだって分かっているのに、ルサばあさんが望んでいることだから仕方ないって、何もしないで見殺しにすることを選んだ。
これっていいこと? 悪いこと?
……分からない。
もやもやするし、悪いことをした気分になって、すごく憂うつだ。
あーあ。あのとき『連れていってください』なんて、言わなきゃよかったかな。
まぁどっちにしても結果は同じだろうけど。
……何が正しいことなんだろう? 私はどうすればよかったんだろう?
思考がループする。
ていうかそもそもヨッドがいなければ、『望みを叶える』なんて言い出さなければ、こんなことにはならなかったのにね。私はオルガンを教えてもらっているだけだったのに。
そうだよ。全部ヨッドが悪いんだ!
私をもやもやさせた責任、ちゃんと取ってよね!
気付いた途端、小さな怒りがこみあげてきて、私はこっそりヨッドをなじった。
ヨッドがいけないんだよ! 黒の領域の悪魔なのに、サンガ村の一員みたいにすっかり溶け込んじゃって、交換魔法を仕掛ける機会をずっと狙っていたから! 私はそのとばっちりを受けたんだよ! 許せない! フラーニの孫のくせに! ……って、あ。
「ねぇ。ヨッドはなんで白の領域にいるの?」
聞こう聞こうと思ってはいたけれど、そういえば私はまだ、ヨッドとちゃんと話したことがない。
なんで白の領域にいるの? なんで望みを叶えたがっているの?
これまで抱いてきたたくさんの謎が、いまだに謎のままで残っている。
そろそろしっかり教えてよね。
逃がさないって意思を込めて、にらむようにヨッドを見上げると、
「うん?」
ヨッドは上機嫌な笑顔を引っ込め、急に真顔になった。そして、
「嬢さん、夜更かしは好きか?」
「え?」
突然、脈絡のないことを聞いてきた。
え、なんで夜更かし? ……どういうこと?
私は面食らって、頭の中がハテナでいっぱいになった。
夜更かしすることが、ヨッドの謎と何か関係あるの?
なんで? ちゃんと説明してくれないと分からないんだけど? ねえ?




