7. 時間の感覚
「狩りに行ってくるわ」
無事に火がおこせたことを確認すると、グリームはそう言って、ひとりで森の中に入っていった。
邪魔になるといけないから、私は留守番だ。
でもただ待っているのは暇だから、近くで、食べられそうなものを探してみようかな。といっても私は、食べられる野草や木の実に詳しいわけじゃないから、ただの散歩になっちゃいそうだけど……、あっ。
立ち上がって周囲を見回して、そのとき私はふと思い出した。
そういえば、マツの倒木のところに茶色いキノコが生えていたような。
ライオネルが言っていたよね。茶色くて、カサの裏があみあみになっているキノコは食べられるって。マツの木の近くにあるキノコだし、もしかしたら大丈夫なキノコかも!
自分の発見にわくわくしながら、私はマツの倒木のところに向かった。
そして、その周辺に生えている茶色いキノコの前でしゃがみ込み、カサの裏をそっと確認してみると……。
ゆがんだ、あみだくじみたいな模様だった。
きっと食べられるキノコだ。でも本当に食べていいものなのか、ちょっと不安だ。
グリームが戻ってきたら聞いてみよう。
形がきれいなものだけを採ると、私は焚き火のところに戻った。
誰もいない場所で、ぱちぱち音を立てながら、めらめらと炎が燃えている。グリームはまだ戻っていない。森の中はしんと静かで、空は赤と黒のグラデーションになっている。
ところで、グリームは『狩りに行く』って言っていなくなったけど、この近くに動物っているのかな?
夜に近付いていく空を見上げながら、ひとりでじっと考える。
歩いている間に見かけたのは、小さな虫と高い空を飛ぶ鳥だけだった。それに森の動物たちは、水場に集まってくるというイメージがあるのに、今のところ誰もやって来ていない。
この森には、本当に動物が一匹もいないの?
それとも、私という人間を怖がって近付いてこないだけ?
思いついて湖をじっとのぞき込むと、暗い水の表面に私の顔が揺らめいた。
そんなに怖い顔じゃないと思うんだけどな。少なくともダリオンよりは、ぜんぜん怖くないはず。非力だし、魔法は下手だし、私はちっとも怖い人間じゃないよ。
と、心の中でそうつぶやいていると、落ち葉を踏む音がして、口にノウサギをくわえたグリームが戻ってきた。
たまたま私の前に現れなかっただけで、白の領域の森にも、ちゃんと動物たちはいるらしい。まぁそうだよね。そうじゃなかったら不気味だもん。
「おかえり」
「ただいま」
息絶えたノウサギを地面に置いて、グリームが言う。
「串を作ってもらえるかしら? 丸焼きにして食べましょう」
「分かった。あのね、私は食べられそうなキノコを見つけてきたよ」
「キノコ?」
採ってきたキノコを見せると、グリームは怪訝な声を出した。
「素人がキノコを見分けるのは危険よ」
「うん。だから、グリームに確認しようと思っていたの」
キノコの中には毒キノコもあるって、ライオネルに習ったからね。
変なもの食べておなか壊すなんて嫌だもん。ちゃんと確認するよ。でも、
「カサの裏が網目になっているキノコは、食べても大丈夫なんでしょ?」
「……それは誰に聞いたの?」
「ライオネルだよ」
「そうだと思ったわ。三柱はそんな教え方をしないもの。……彼が知らなかったのか、このあたりのキノコについてはそれが正しいのか、どちらなのかは分からないけれど」
そう前置きして、グリームは言いにくそうに口を開いた。
「その判別方法は正しいとは言えないわ」
「えっ?」
びっくりして、私はグリームをまじまじと見つめた。
そうなの?
カサの裏があみあみなら、みんな食べられるキノコだってわけじゃないの?
でもライオネルは大丈夫だって……。
困惑していると、グリームは私が採ってきたキノコを足で転がしながら、困ったような感じでもう少し詳しく説明してくれた。
「このカサの裏の網目のことを『菅孔』と呼ぶのだけど、菅孔のあるキノコの中にも毒キノコは存在しているの。紛らわしい見た目の毒キノコではないけれど、管孔があれば大丈夫という判断はとても危険。うのみにしてはいけないわ」
そうなんだ……。
受け入れにくいことだけど、グリームが嘘をついているとは思えない。
がっかりして、私はすごく残念な気持ちになった。
「これも食べたらダメなやつなの?」
「いいえ。それはアミタケのようだから……、確認しておくわ」
静かにつぶやくと、グリームはノウサギとキノコを交互に見て、
「せっかくキノコがあるなら、丸焼きじゃなくてスープにしましょうか。ルーナ、東のアオキの木の根元に鍋が落ちていたから、拾ってきてもらえる? それで料理をしましょう」
わざとらしい明るい声で、私にそう頼み事をしてきた。
……鍋が落ちていた? それってどういうこと?
残念な気持ちがたちまち消えて、頭の中が疑問でいっぱいになる。
なんで森に鍋が落ちているの? おかしくない?
「分かった」
でもグリームが言うなら、本当に落ちているんだろう。すごく不思議だったけど、料理に鍋は必要だし、私はうなずいて、グリームが示した方角に向かった。
鍋は一分も歩かないうちに見つかった。
小さな木の根元に、大人サイズの靴や鎖帷子なんかと一緒に落ちている。
見つけた途端、私はそういうことかと納得した。
そばに人骨は見当たらないけど、何かがあって、ここで野宿していた誰かが亡くなったのだろう。私の旅路が平穏だっただけで、白の領域にも危険はひそんでいるらしい。
死者の国へ向かった誰かさん、あなたの鍋を使わせていただきます。
目を閉じて、静かに手を合わせる。
それから、私は錆びついた鍋を持ち帰ろうとした。だけどその鍋は、思っていたより重たくて、少ししか持ち上げられなかった。中にたっぷりと腐葉土がたまっているせいだ。
腐葉土をかき出して、軽くしてから鍋を運ぶ。
それでも意外と時間がかかって、湖のそばに戻った頃にはもう、グリームはノウサギをさばき終えていた。
きれいに分けられた皮と肉が、大きな葉っぱの上に置かれている。今はキノコを選別しているらしくて、キノコのにおいを嗅いだり、カサの裏に爪を立てたりしている。
「ふぅ」
湖の前まで鍋を移動させ、息をつくとグリームが振り向いた。
「お疲れ様。私が洗いましょうか?」
「いい、自分でやる。キノコ、食べられそう?」
「ええ、すべてアミタケだったわ。お手柄ね」
よかった。
優しく褒められて、ライオネルが間違っていたわけではないんだなって安心した。
そうだよね。ライオネルは優しかったもん。嘘ついて、私のことをだましていたわけじゃないよ。きっと白の領域のあみあみキノコは、みんな食べられるんだ。
自分にそう言い聞かせながら、持ってきた鍋を湖に入れて洗おうとしたら、
「待って。その鍋、重たいでしょう? 片手で支えられる? 湖に入れて、もし手を離してしまったら大変だわ。沈んでしまったら拾えないもの」
そう言ってグリームに止められた。
……えーっ。
やろうとしたことを否定されて、私はちょっと嫌な気持ちになった。
湖で鍋を洗ったら、確かに落としてしまう可能性がある。でも手を離さなければ問題ないよね? 落とさないように、気を付けて洗えばいいだけのことだ。
「大丈夫、気を付けるから」
「取り返しのつかないことになると思うのだけど」
どうやらグリームは、私が鍋を湖に落としてしまうと確信しているらしい。
やな感じ。私、そんなへましないのに。……多分。
「ルーナ。もう一度、魔法の実践をしましょう」
黙っていると、少ししてグリームがそう提案してきた。
「また? 水魔法で鍋を洗うってこと?」
「いいえ。《浄化せよ》できれいにするのよ」
「どうして?」
「ここには洗剤がないじゃない。他に方法がない場合は仕方ないけれど、湖の水で洗っただけでは、きれいになったとは言えないわ」
「……そうだね」
確かに、それはそうかも。
言いなりになるのは嫌だけど、拾ってきた鍋はだいぶ汚い。水洗いしただけじゃ、土のにおいが残って微妙な味のスープになってしまいそうだった。
それは嫌だ。飲むならおいしいスープを飲みたい。湖で洗うより、魔法できれいにしたほうが楽だし、清潔になると気付くと、私は仕方なく考えを曲げた。
魔法で鍋をきれいにする。
それから数本の長い枝をツタでしばって、焚き火を囲うように、斜め開いて設置した。
別の枝でハンガーを作って、そこに水を汲んだ鍋を引っかけて、火にかける。ふつふつ気泡が出てきたら、用意していたウサギ肉とキノコと、グリームがどこからか採ってきた香草も加えて、煮えるのをじっと待つ。
するとやがて、いいにおいが漂ってきた。
いい感じ。完成までもうすぐだ!
と、そう思った時、私はふと重大なことに気付いた。
「食器とスプーンがない!」
「あら、さすがはお嬢様」
地面に寝そべったグリームが、茶化すようにのんびり笑った。
「そうね。必要なら作ってもいいわよ」
「え? 必要ならって、スプーンがないと食べられないじゃん」
「そんなことないわよ。道具がないと、食事できないというのは思い込み。スープは鍋に直接口をつけて飲めばいいし、肉やキノコは手づかみで食べられるでしょう?」
「えぇっ?」
確かに、食べられないことはないけど……。
「そんなことしたら、アースに怒られるよ」
「お城では、ね」
ぱちっと、グリームは意味ありげにウインクした。
「ここにはルーナと私しかいないわ。お行儀が悪くったって、怒る人は誰もいない」
「そうだけど……」
「好きにしていいわよ」
「……」
そんなことを言われるとは思っていなくて、私はすごく戸惑った。
お行儀の悪いことをしても、グリームなら怒らないと分かっていた。礼儀作法にうるさいのはアースだけだ。でもまさか、悪いことを勧めてくるなんて……。
そういうところが、三柱とちがって好き。
決められたルール以外の選択肢もあるのだと教えてくれて、奇想天外で面白い。
考えて、私はいつもなら怒られる食べ方に挑戦することにした。
こんな機会、もう二度とないかもしれないし。
十年前に白の領域へ行った時も、グリームには声をかけておけばよかったかな。そしたらいろいろ教えてくれて、もっと楽しかったかもしれないな。
肉が白っぽくなって、キノコが紫になって、スープが出来上がると、私はそんなことを思いながら、人生初、お行儀のよくないスープの飲み方を実行しようとした。
ところが、火からおろしたばかりの鍋は熱い。スープも熱い。
おいしそうなのに熱くて、なかなか食べられなくて、一生懸命ふーふーしながら待っているうちに、いつまで我慢させるんだって、じれったい気持ちになってきた。
お腹すいたよ……。
「うぅ……」
「仕方ないわね」
熱々のスープを恨めしく思っていると、呆れた顔をしたグリームが氷魔法を使って、鍋の温度を強引に下げてくれた。さすがグリーム! 気が利くね、ありがとう!
鍋を触って、スープに指を入れて、熱さがやわらいでいることを確認する。
そして私は、おそるおそる鍋に口をつけて、スープをすすった。沈んだ肉を手でつまんで、ぬめるキノコをがんばってつかんで、口に入れた。
それは味が薄くて、おいしいとは言いがたいスープだった。
だけどその日の食事は、これまでにないくらい、とても楽しかった。
だって私は今、悪いことをしている。アースたちがいたら、絶対に怒られるようなことを内緒でやっている。罪悪感や背徳感も少しあるけど、その悪いことをしているってドキドキする感覚がとても新鮮で、ひと口ひと口、口に運ぶのが楽しくてたまらなかった。
お腹いっぱいになったら、後は眠るだけ。
鍋が空になると、グリフォンの姿になったグリームが、焚き火のそばで丸くなった。
私はグリームの頭のそばに寄りかかって、炎がぱちぱち音を立てるのを聞きながら、薄闇の星空を見上げた。雲が風に乗って流れていく。白い月がぼんやり輝いている。
……昨日城から見たのと、同じ並びの星が空で光っている。
「ねぇグリーム」
「何かしら?」
「ここから見える星って、黒の領域から見える星とおんなじだよね?」
尋ねると、グリームは頭を動かして、少し間を置いてから返事をした。
「ええ、同じよ」
「空はつながっているのに、どうして地面はつながっていないの?」
前々から思っていたことだけど、すごく不思議なこと。
地上を十二の領域に区切っている壁は、空まで続いているわけじゃない。高い空を流れていく雲や、昇ったり沈んだりを繰り返す太陽は、どの領域にも現れる。星もそう。
「なんで世界に壁ができたの? それぞれの領域の歴史のことは、アースに教えてもらったけど、なんで世界が壁で区切られているのかは、聞いても答えてくれなかった。なんで壁があるの? いつか壁がなくなって、どこへでも自由に行けるようになるかな?」
「さぁ、どうでしょうね」
ゆったりとした眠たそうな口調で、グリームは答えをはぐらかした。
「女王様に聞いてみたら?」
「みんなそう言うの。でもお母様は、『もう少し大きくなった教えてあげる』としか言ってくれない。教えたくないのかな? 私、もう充分大きくなったと思うんだけど」
「そうね。昔と比べれば、ルーナは随分大きくなったわ」
懐かしむようにつぶやいて、グリームはくすりと小さく笑った。
「でもまだ少し早いのよ。魔力が安定していないから」
「そうなの? 私、前よりたくさんの魔法を使えるようになったよ?」
「ええ、そうね。ルーナはすごいわ。だけど、みんなまだ少し心配しているの」
「どうして?」
「あなたが大切だからよ。たとえば、ルーナがダリオンに勝てるくらい強くなったら、みんな隠し事をしないで、なんでも話してくれるようになると思うのだけど」
「……それは無理だよ」
遠回しに『一生みんな隠し事をする』と言われて、私は嫌な気分になった。
ダリオンはものすごく強い。
突然の危険に対処できるように、たまにダリオンと訓練することがあるんだけど、ちょっと本気を出されると、その途端にぜんぜん敵わなくなる。向き合っただけで、すぐ降参したくなる。勝つなんてきっと一生無理だよ。……いじわる。
「おやすみ」
悲しくなりながら、私はグリームの翼の下にもぐり込んで目を閉じた。
もう寝よう。こういう時は眠って、嫌なことをみんな忘れるのが一番いい。
大きな翼で私を包み込むと、グリームはとろけるような声でささやいた。
「おやすみなさい」