65. 休日のダリオン
苔むした大岩が、太い川を二つに裂いている。
ここ、私が知らないところかも……。
それから十分くらい、ダリオンについて知らないかもしれない森の中を黙々と歩き続けていると、やがて木々の向こうに木造の小屋が見えてきた。
外壁のあちこちに苔がついていて、ところどころ木が腐っているところもある小屋。
古そうだけど、ノスタルジックでわくわくする雰囲気がある。高い煙突からはすーっと細い煙が上がっていて、中に人がいるのは間違いなさそうだ。
この森に、本当に私の知らない小屋があるなんて……。
驚きながら観察していると、ダリオンが小屋のドアを三回ノックして、
「いるか?」
「はい⁉」
声をかけると、慌てたような上ずり声が返ってきた。
多分ナユタの声だ。でもなんだか取り乱しているみたい。
どうしたんだろう?
ちょっと心配しながら、ダリオンの後ろでじっと待っていると、
「あ、あっしに何か御用ですかい?」
勢いよく小屋のドアが開いて、びっくりするくらい慌てふためいたナユタが現れた。
えっ、どうしたの?
何か悪いことでもしていたかのように、すごく緊張しているのが見て取れる。
いつものお気楽な調子の、サボり魔ナユタじゃない。ここで、ダリオンに怒られるようなことをこっそりやっていたのかな? でも大人が怒られるようなことって……。
なんだろう。想像がつかない。
首をひねって考えていると、
「楽にしていい。今日は仕事で来たわけじゃない」
そう言ってダリオンが、遠慮なく小屋の中に入っていく。
「さ、さいですか」
道を開けたナユタが、まだ緊張している様子でうなずき、丸太の椅子に腰かけるダリオンを目で追う。そしておもねるように、手を揉み合わせながら、
「いったい何の御用です?」
びくびくした態度でまたそう聞いた。
変なの。ちょっと怖がりすぎじゃない?
不審に思いながら様子を見ていると、ダリオンは深いため息をついて、
「用があるのはお嬢だ」
「お嬢様ですか? ……あ、いらっしゃったんですね」
私に目を向けると、ナユタはほっとしたような表情になって頭を下げた。
「こりゃ失礼しました。今日はどうされたんです?」
「えっと、ナイフを返しに来たの」
……うーん? やっぱり変なの。
私を前にした途端、ナユタはいつものナユタに戻ったようだった。
どうして?
すごく不思議だ。私とかシャックスにはものぐさな態度なのに、ダリオンと話すときだけはびくびく怖がって、へつらうような腰の低いしゃべり方になるなんて。確かにダリオンは怒るとすごく怖いけど、シャックスだって怒ったときは鬼みたいに怖いのに。
疑問に思いながら、私は勧められるまま小屋の中に入った。
煙がくすぶるレンガ造りの暖炉、布団が片端に寄せられた二段ベッド、木製の食器と食器棚、いびつな形の丸太椅子と机……。壁際にはトンカチやノコギリが吊るされていて、小屋の隅にはいろんな長さの釘がぐしゃっと置かれている。
整理整頓、苦手なんだね。
そういえば倉庫の整理もサボっているんだっけ。
ナユタらしい小屋だなって思いながら、持ってきた黒いナイフを取り出すと、
「もう使わないんですかい?」
ありがとうって返す前に、ナユタにそう聞かれた。
もう二度と使わないってわけじゃないけど……。
「うん、しばらくは使わないと思うから返しておく。貸してくれてありがとう」
このナイフは、白の領域ではもう使えない。
守護魔法が宿っているナイフだって、神官たちに知られているからね。見つかったらまずいことになるのは確実だ。心臓が強いわけじゃないし、危険な橋は渡りたくない。
はい、と借りていたナイフを差し出すと、
「さいですか」
軽くうなずいて、ナユタはあっさりそのナイフを受け取ってくれた。
あれ? 意外だ。
返すつもりで来ているから、受け取ってもらえるのは普通にいいことだけど。守護魔法のことを知っているなら、『持っておいてください』って言われると思っていたのに。
もしかしてナユタ、このナイフに守護魔法が宿っているって知らない?
……まさかね。
「ところでこのナイフ、魔法が宿っているって白の領域の人に言われたんだけど、ナユタは何か知っている?」
ちょっと不安になりながら、ナユタに疑問をぶつけてみる。
「私は普通のナイフだと思っていたんだけど、特別なものだったの?」
「ん? 魔法ですかい?」
するとナユタは、驚いたように目をぱちぱちさせて首をかしげた。
え……。
うそでしょ。これは知らない反応だ。どうもナユタは守護魔法のことを知らず、私にナイフを貸してくれていたらしい。でもそんなことある? 信じられない。
「うん。守護魔法だって」
何か思い出してくれることを期待してそう教えると、
「さいですか。あっしは学がないもんで、確かなことは分かりませんが」
ナユタは自信なさそうに前置きして、困ったように腕を組み、
「魔法ってもんは、『願いを実現させる力』のことでしょう。あっしはこのナイフを磨きながら、『お前がお嬢様を守るんだぞ』とよくよく言い聞かせていたもんで、もしやその願いが叶って、『守護魔法』という形で現れたのかもしれません」
と、おおまじめに驚きのことを言ってきた。
「え? 何それ」
びっくりしたし、何言っているんだろうって感じだった。
願いを実現する力? 言い聞かせただけで、願いが形になる?
意味わかんない。そんなことあり得るの?
ナユタが私のことを考えてくれていたっていうのは、すごく嬉しいことだけど……。
「魔法を使うには、呪文が必要なんじゃないの?」
理解不能。ちんぷんかんぷんだ。
呪文がないと、魔法を出すことはできないはずなのに。
まぁ例外はあって、シャックスみたいに魔法を使い慣れている人だったら、呪文なしで魔法を使えることもあるみたいだけどね。それはすごく珍しい例だ。
願っただけで魔法になるなんて、普通はあり得ない。
私はナユタの勘違いに呆れた。
ねえ。私が言えることじゃないかもしれないけど、もっとちゃんと勉強したほうがいいよ? なんなら今度、ナユタもシャックスの授業に参加する? その気があるなら、私がお願いしといてあげるからさ。あ、それとも今のは分かりにくい冗談だった? 真に受けた私がおかしい? ……ううん、そんなことないよね。本気で言っていたよね。
ところが、
「そうとは限らない」
近くでその話を聞いていたダリオンが、淡々とナユタの発言を肯定した。
「呪文を唱えなくとも、魔法は使える」
「そうなの?」
おどろき、もものき、さんしょのき、だ。
ダリオンが言うなら間違っていないんだろうけど、
「でも私、シャックスの授業でいつも呪文を使っているよ。新しい魔法を覚えましょうってなるたび、呪文から教えてもらっている。なのに呪文って、本当は必要ないの?」
「ああ。必要はないが、あれば便利だろう」
常識を語るように、ダリオンはよどみなく答えた。
「呪文は、魔法の使い方を他人に教えるために発明されたものだ」
「そうなんだ」
ふーん。
初耳の話だけど、納得できなくはない。
呪文なしで魔法を教えてもらうのって、すごく難しそうだから。
その魔法を示す共通の言葉があったほうが、みんな分かりやすくていいよね。誰かに教えてもらわなくても魔法が使える天才には、呪文が必要ないのかもしれないけど。
……ん?
あれっ。でもそれだと、ナユタが天才だってことになる?
えっ? いやまさか……。
ちょっとそこだけは納得できないけど、そういうことにしておこう。
ところで、
「願うだけで魔法になるって、それちょっと怖くない?」
うらやましいなって思ったけど、私はすぐ、呪文なしで魔法を使う欠点に気付いた。
思ったことがみんな叶っちゃったら、よくないこともたくさん起こりそうだ。
たとえば『ダリオンなんかもう嫌い。いなくなっちゃえ!』って、本当にいなくなってほしいわけじゃないけど、怒ってついそう思っちゃったとき、願いが実現したら……。
「危険だよね?」
「そうだな」
当然のように、ダリオンはまた肯定した。
「お嬢はまだ魔法のコントロールができていないからな。それでこの島には子供がいないのだと、いつだったか女王様が話していなかったか?」
「え? それは聞いたけど……」
話が飛んだような気がする。それと関係のある話なの?
ていうかその言い方からすると、私も呪文なしで魔法が使えるってこと?
ううん? ……よく分からない。
もしかしたら私、無意識で魔法を使っていたことがあるのかな? 思い当たる節がまったくないけど……自覚していないことを考えたって、分かるわけないよね。
ちょっと考えて、私はすぐあきらめた。
詳しいことはあとでシャックスに聞こうっと。
とにかく、あのナイフに守護魔法をかけたのはナユタってことだ。
今はそれが分かれば充分。これで、ここに来た一番と二番の用件は終わった。
ナユタのほうに向きなおると、私は呪文の話を切り上げて、
「それと私、スパークのところに行きたいんだ」
最後の用件を伝えた。
「私のナイフを作ってくれるんでしょ?」
「そう言っていましたよ」
答えながらうなずくと、ナユタは魔法のナイフを大切そうに机に置いて、
「今から行きますかい?」
「いいの?」
「もちろんです」
簡単に私のお願いを聞き入れてくれた。
やった! 話が早くて助かるね!
ドアのほうへ歩き出したナユタに続いて、私もうきうきしながら小屋の外へ出ようとした。でもそのとき不意に、ダリオンはついて来てくれるかなって、少し心配になった。
ダメとは言われていないけど、スパークのところへは、できれば三柱の誰かと一緒に行きたい。私はスパークのことをぜんぜん知らないし、グリームとナユタは、他人の詳しい事情を知らない可能性もあるから。知らない人に会うときは、三柱と一緒がいい。
でも……。
休みらしいけど、ダリオンは付き合ってくれるのかな?
期待しつつ、うかがうようにダリオンを見ると、
「……」
ダリオンは無言で立ち上がって、ナユタが開けたドアを手で押さえてくれた。
やった! ついて来てくれるみたい。
今日のダリオンは本当に優しいね。
ちょっと不気味な感じもするけど、私はふわっと心が浮いて嬉しくなった。
優しいダリオンは大好きだ。いつもこうだったらいいのに。
「ありがとう!」
「今日だけだ」




