62. 奇妙な悪魔
「そういえばルーナちゃん、あいつに膝をつかせていたよね」
黄銅色のツンツンヘアーの悪魔が、サレハさんに叱られている。
その様子をなんとなく眺めていると、リッチさんがふとそう聞いてきた。
「あいつがうずくまっているの見て、びっくりしたよ。戦えたんだ?」
「簡単な魔法なら使えます」
探られているのかな、とちょっと警戒しながら私は答えた。
「あの人が膝をついたのは、たまたまです」
「まぐれってこと?」
「そうです。あの人がたまたま、ビリビリの魔法にすごく弱かっただけです」
「ビリビリの魔法?」
「えっと、ちゃんとした呼び方だと、《麻痺せよ》って魔法だったはずです」
ビリビリの魔法というのは、私が勝手につけた呼び方だ。本当は《麻痺せよ》っていう魔法だけど、あんまり上手にできなくて、威力がすごく低いからそう呼んでいる。
「あぁ~」
私が答えると、リッチさんは知っているような反応をして、納得したようにうなずきかけたけど、
「んんー? あいつ、《麻痺せよ》で膝をついたの?」
「そうなんです」
やっぱり疑問に思うよね。私とおんなじだ。
あの強そうな悪魔が、私でも使えるような簡単な魔法でうずくまるなんて変だ。
「どうしてなのか、私も不思議で……」
「その魔法、ちょっと俺にもかけてみてくれない?」
「えっ」
なんでなんだろう、と改めて考えていると、いきなりそう頼まれてぎょっとした。
え? なんで?
私のビリビリ魔法は、《麻痺せよ》ほど危険なものじゃない。
それでも、ビリッとして痛いんだよ?
痛い魔法をかけてほしいなんて、リッチさん、すごく変わっているね。
「どうぞ」
でもまぁ、気になるならお好きにどうぞ。
そう思って木の棒を差し出したら、リッチさんは変な顔をした。
え? ……あ、そっか。
少し戸惑ったけど、すぐ気付いた。リッチさんは、この木の棒にビリビリ魔法がかかっているって知らないんだ。ちゃんと説明しないと分からないよね。
「これに触れると、ビリッとします」
「ふぅん。この木の棒に、《麻痺せよ》を付与したってこと?」
「え?」
「付与魔法を使える人って、すごく珍しいんだけど……」
あれっ?
ところが説明すると、リッチさんは驚いたような、怪しむような視線を向けてきて、私はすごく不安になった。
まずい? 私、普通じゃないことしちゃった?
でもこれ、ぜんぜん難しくないやつだよ?
どうしよう、どうしようって内心でちょっと焦っていると、リッチさんは疑うようなまなざしで木の枝を見つめ、やがてゆっくりと手を伸ばして、
「いたっ」
すぐに手を引っ込めた。
痛そうに顔をしかめている。
でも、それだけだ。ごくごく普通の反応。
やっぱりね。この程度の痛みでうずくまった、あの悪魔がおかしいんだよ。
「その魔法の付与は、どのくらい持つの?」
感覚を確かめるように手をグーパーしながら、リッチさんが聞いてくる。
「えっと、私が覚えている間は持ちますけど……」
「何分くらい?」
「……三分くらい?」
そんなの、計ったことないから知らないよ。
変なことを聞かれて、私はちょっとむっとした。
私の魔法は、驚いて意識が逸れたらその瞬間に消えるし、今みたいに、近くに危ない人がいるからかけっぱなしにしておこうと思えば、覚えているうちは維持できる。
何も特別なことじゃない。
これは、付与魔法なんてものじゃない。
「リッチさんは、物に《麻痺せよ》をかけられないんですか?」
「かけられるよ」
尋ねると、リッチさんは面倒くさそうな顔をして地面に目を落とした。
太めの木の枝を拾い、顔の横まで持ち上げる。そして私から二歩分くらい離れると、
「《麻痺せよ》」
バキバキバキッ。
直後、すごい音がして、リッチさんの持っていた木の枝が、私の目の前でこっぱみじんに吹き飛んだ。閃光がほとばしり、黒ずんだ木片が弾けるように四散し、灰色の煙があたりに焦げたにおいを広める。それはほんの一瞬の、衝撃的な出来事だった。
……うそでしょ。
知らなかったわけじゃない。強い《麻痺せよ》は、そういうこともできる危険な魔法だとシャックスに習っていたし、実演してもらったこともあった。
でも、ライオネルの仲間という時点で、リッチさんが魔法使いだってことは想像できていたけど、こんな強い《麻痺せよ》を扱えるレベルの、私よりはるかに強い魔法使いだとはぜんぜん思っていなくて、すごく驚いたし、怖くなった。
人を簡単に殺せるレベルの魔法を使えるなんて……。
まずいよ! すごく危険だよ!
私が黒の領域の人間だってバレたら、殺されちゃうかも!
早く逃げないと!
「物に《麻痺せよ》をかけると、普通はこうなるんだ。だからルーナちゃんのそれは付与魔法なんだと……えっ、何。なんで逃げようとしているの?」
こっそりその場から離れようとしたけど、すぐ見つかってしまった。
どうしよう! えっと、なんて言い訳すればいいの?
私はすごく焦った。でもそのとき、
「ハッハッハッ! やはり小僧は実力を隠していたか!」
ツンツン頭の悪魔が近付いてきて、リッチさんにそう話しかけた。
それでリッチさんの意識は、みんな悪魔のほうに向いて、
「なかなかの魔法だ! オレ様には遠く及ばないがな!」
「お前と張り合うつもりはないよ」
振り向くなり、リッチさんの顔が嫌そうにゆがむ。
それからシッシッと、犬を追い払うみたいにぞんざいに手を振って、
「こっち来るなよ。お前が来ると、ルーナちゃんが怖がるだろう」
「何だと? オレ様は小僧より安全だぞ?」
「はぁ~?」
「ヨッドだ。よろしくとは言わないぜ、嬢さん」
何か企むようにニヤッと笑うと、ヨッドはもの言いたげなリッチさんを無視して、私にそう言った。意味ありげな視線を向けてくるけど……、何?
「あ、うん」
怖いような、怖くないような。
ビリビリする木の棒を握りしめると、私は真正面からヨッドを見返して、
「私はルーナです。こっちはグリーム」
「ハッハッハッ!」
簡単に自己紹介したら、なぜか大笑いされた。
思ってもみなかった反応だ。え、なんで?
どこに笑う要素があったのか、理解できない。
「なんで笑うの?」
素直にそう聞いてみたら、ヨッドはまた高笑いして、
「望みを告げよ! オレ様が叶えてやるぞ!」
その瞬間、体が勝手にぶるっと震えた。
間違いない。この感じ、ヨッドはジャーティの人間だ!
これまでとはちがう恐怖の感情が、体の奥からゾクゾクッとこみ上げてくる。
最悪だ。こんなところで、ジャーティの人に遭遇してしまうなんて。追い回されたらどうしよう……、嫌だ。もう、早く城に帰ろう。ヨッドのいるところで暇つぶしするなんて、無理だ。ライオネルはいないし。リッチさんやサレハさんも、なんかちょっと怖いし。
「ルーナちゃん、こいつは相手にしなくていいから」
問題は、どうやって自然にこの場から抜け出すかだけど……。
考えていると、リッチさんが面倒くさそうにヨッドを追い払ってくれた。
ちょっとびっくりだけどありがたい。
リッチさんも、優しいところあるんだね。
感謝していると、リッチさんはサレハさんに話があるからと教会に向かい、私もその後を追った。
待っている間に、ヨッドに話しかけられたら嫌だからついていく。
教会には、白い神父の服を着たサレハさんと、長い灰色のワンピースを着た女の人が二人いた。私が教会に入ると、その瞬間にサレハさんが振り向いて、
「こんにちは。今日はどのような御用でしょうか?」
そう聞いてくる。とても優しそうにほほ笑んでいる。
けど、油断はしちゃいけない。
サレハさんはいきなり白魔法を使って、私が悪魔かどうか確かめてくるような怖い人なんだから。神官はすごく危険で、信用するのはよくないことだ。
「こんにちは。用があるのは私じゃなくて、リッチさんです」
「そうそう。さっきの避難訓練のことだけど……」
しゃべりながら、リッチさんがサレハさんのそばに向かう。
さっきの動きはお年寄りにはきつかったみたいだとか、避難場所が一つしかないのはまずいんじゃないかとか、避難訓練の振り返りを始める。
その間、私は教会の奥のステンドグラスを眺めて待っていた。
色つきガラスで描かれた真っ白な髪の、顔のない神様と、神様を囲んで見上げている六人の天使たち。差し込む光がガラスをきらめかせ、教会の床やオルガンの上に、透きとおった赤や黄色の模様を落としている。静かで、厳かな、独特の空間。
……ピアノ、早く習いたいなぁ。
そんなに待つことなく、リッチさんの話は終わった。
その後、私たちはすぐ教会を出て拠点に向かった。
歩き出すと、森でヨッドと何か話していたらしいグリームが、すっと私の後ろについてくる。……あれっ。もしかして知り合いだった?
なんとなくだけど、初対面ではなさそうな雰囲気で二人は一緒にいた。
まぁあり得ないことではないよね。グリームって意外と顔が広いから。この前のクラウド子爵のことも知っていたし。どこで知り合ったのかは、すごく謎だけど。
拠点に着くと、リッチさんは自分が借りている部屋に向かった。
私は食堂で待っていることにして、その間に、
「ヨッドのこと、知っているの?」
「ええ」
小声で聞いてみたら、グリームは当然のように肯定した。
「ルーナも会ったことがあるでしょう?」
「え? ないよ、知らないよ」
「もう忘れたの? この前、フラーニの付き人として城に来ていたじゃない」
「ええっ?」
ぜんぜん記憶にない。
この前っていうのは、黒の王たちがお母様の城に来ていた時のことだろうけど……、いたかな? あんな怖い人が来ていたら、覚えていないわけがないのに。
「あれはフラーニの孫よ」
「……えっ?」
必死で記憶をたどっていると、グリームが付け加えるようにそう言った。
「あのとき、フラーニが行方不明になる事件があったじゃない」
「うん」
それはよく覚えている。
フラーニがいないって騒ぎになって、みんなで探したんだよね。結局、フラーニは城の屋根の上で寝ていただけで、大した事件ではなかったんだけど。
「私も捜索を手伝っていたのだけど、その途中で、フラーニのことをババア呼ばわりする口の悪い付き人を見つけてね。それがヨッドだったのよ」
「へえ」
知らなかった。シャド・アーヤタナに来ていた人なんだ。
……って。
「そんなの私が知るわけないじゃん」
「あら、シャックスに説明されなかった?」
「覚えていない」
きっと説明はされていたと思う。シャックスはいつも、黒の王たちと一緒にやって来た付き人たちが、どういう人なのか詳しく教えてくれるから。
でも付き人たちと会うのはその時だけってことが多いし、毎回来るとは限らないから、リリアン以外は覚えられないんだよね。
「練習にちょうどよさそうな相手って、そういうことだったの?」
「そういうことよ。彼が反撃してくることはないもの」




