61. 奇妙な悪魔
「ごめん! ルーナちゃんがいるっていうのは、想定していなかった!」
ようやくやって来たリッチさんが、疲れたようにはぁはぁと荒い息をつきながら、誰にともなくそう言う。
目の前に悪魔がいるというのに、すごく無防備だ。一瞬で倒されちゃいそう。
走っただけでこんなに息切れするなんて、まるでおじいちゃんだね。
と、そんなことを考えていると、ツンツン頭の悪魔っぽい人が、獰猛そうな琥珀色のまなざしで、ぎろっとリッチさんをにらみつけて、
「脳みそをほじくり出して、シチューの器にしてやるぞ!」
「めんどくさいなぁ。話しておくから、お前はもう行っていいよ」
「ぞんざいだな! 覚えておけよ、小僧!」
腹立たしそうにそう言うと、立ち上がるなり教会のほうへゆうゆうと歩いていった。
……どういうこと? 黒の領域の人じゃないの?
状況がさっぱり理解できない。
サンガ村の人を追いかけて、怖がらせて楽しむ悪い人だと思ったんだけど、ビリビリ魔法をぶつけても反撃してこなかったし、リッチさんと親しそうにしゃべっていたし、悪い人ではないのかも? でもあの人、白の領域の魔法使いではないよね?
白の領域の人が、あんな悪魔みたいなことを言って、仲間を追いかけるとは思えない。
あの人はいったい……。
困惑して、悪魔っぽい人の後ろ姿をぼーっと見ていたら、
「びっくりしたでしょ」
へろへろなリッチさんが、力なく声をかけてきた。
「あのね、今、避難訓練をしているんだ」
「……避難訓練?」
「そう。いざという時に行動できないと困るから」
憂うつそうなため息がこぼれる。
リッチさんはフキノトウ色の髪をわしゃわしゃかき上げると、
「悪魔に対抗できる人間が、サレハたちだけって場合を想定して、襲撃されたとき速やかに避難できるよう訓練しているんだ。さっきの奴は、悪魔役の悪魔だよ」
「えっ?」
「ボスが連れてきた悪魔なんだ。俺も最初は度肝を抜かれたよ」
笑うしかないというふうに笑いながら、リッチさんは話を続けた。
「詳しくは知らないんだけど、あいつは人を探して白の領域に来たらしい。でもあの見た目じゃ、あっちこっちで討伐の対象になるだけだから。話を聞いたボスが、人探しを手伝ってやるから、代わりにしばらくサンガ村の番犬になってくれないかって頼んで、それで今この村に滞在しているんだ」
「番犬……」
ううん……。
見た目からすると、狂犬って感じだけど。
そんな約束して大丈夫? ライオネルは何を考えているんだろう?
私は、この村の今後のことがすごく心配になった。
力を貸してくれるというなら、あの悪魔は確かに、頼もしい存在だと思う。
とても強いことが空気感だけで分かるから、並大抵の人は勝負を避ける。あの人がいるだけで、この村を襲おうとする悪魔は勝手に諦めていく。
でも、だからこそ、ライオネルが交わした約束はかなり危険だ。
約束を守って、おとなしく番犬をしてくれるうちはいいけど、もしも牙を剥かれたら、この村は一瞬でおしまい。あっという間に滅ぼされて、あの悪魔のエサになってしまうだろう。
そのくらい、あの人は強い悪魔だ。
白の領域の人間が、コントロールできるわけないと思うんだけど……。
「心配しなくとも、あいつの手綱はサレハがちゃんと握っているよ」
黙っていると、私の不安を読み取ったようにリッチさんが説明を加えた。
「見た目はアレだけど、話は通じるし、俺たちを攻撃してきたことはないし。さっき村人たちを追いかけていたのは、訓練に緊迫感を出すための演技だよ」
「……すごく楽しそうだったけど?」
「まぁ、楽しんでいたかもね。ノリのいい奴だから」
「悪い人じゃないの?」
「どうだろう。少なくとも、約束は守る奴だと思うよ」
意外だ。リッチさんはあの人を信用しているらしい。
演技だって言われても、私は信じられないのに……。
「ところで、すごいタイミングで現れたけど、ルーナちゃんは何しに来たの?」
本当に大丈夫なのかなって思っていると、ちらりと教会のほうに目を向けたリッチさんが、すぐ顔を戻して不思議そうに首をひねった。
「会うの半年ぶりだよね。……あっ、もしかしてマツタケのお金?」
「それもあります」
言われて思い出した。
そういえば、そんなこともあったね。
森でライオネルを待っていたら、見たことのないキノコを見つけて、聞いたら高く売れるキノコだって分かったから、リッチさんに売ったんだ。でもその後すぐ、黒の領域に帰ったからお金は受け取っていない。もう王都で商売はできないし、ナユタのナイフは買い戻せないから、今さらお金をもらっても使い道がないんだけど……。
まぁ、いつか必要になるかもしれないし、くれるならもらっておこう。
それより、
「ライオネルいますか?」
いま重要なのは、この村に今ライオネルがいるかどうかだ。
思いがけず悪魔に遭遇してちょっと忘れかけていたけど、私にとって一番大事なのは、ここでしばらく退屈しのぎできるかどうかってこと。そのためにはライオネルが必要だ。
いますようにって、願いながらリッチさんを見ていると、
「いないよ。ひと月前に戻ってきて、それっきり」
残念。リッチさんは無情にも首を横に振った。そして、
「もしかしてナイフの件?」
「それもあります」
あ、知っているんだ……。
聞かれて、私はちょっと驚きながらうなずいた。
王都で会ったとき、取り戻せるよう教会にかけあってみると、ライオネルがそう言ってくれたナユタのナイフ。その後どうなったのか気になって、それでこの村に来たっていうのもあるんだけど、リッチさんがその話を知っているっていうのは予想外。
でも、それってつまり……。
「魔法のナイフなら、俺が預かっているよ」
「えっ? ……取り戻せたんですか?」
「うん」
信じられなくて聞き返すと、リッチさんはなんてことないように軽くうなずいた。
……本当に?
びっくりだ。
期待していなかったわけじゃないけど、私が絶対できないことを、ライオネルができるわけないと思っていたのに。できたんだ。ライオネルってすごいんだね。
私とちがって、白の領域の人間だから?
それとも、本物の大人だから?
……。
「あっちこっち動き回っているボスより、サンガ村にいる俺のほうが、ルーナちゃんに会える確率が高そうだったから。ルーナちゃんが来たら渡してくれって、ボスに頼まれているんだ。避難訓練が終わったら持ってくるよ」
「ありがとうございます……」
嬉しいんだけど、半信半疑で、複雑な気持ちになる。
ライオネルは大人だけど、私はそうじゃないんだ……。
はぁ。事実を突きつけられただけなのに、ちょっと苦しい。
その後、ナイフは拠点で保管しているけど、いま大事な用があって、なるべく早く教会に行かなくちゃいけないとリッチさんが言うので、私もついていった。
教会にはきっとサレハさんがいるけど、あの悪魔のことが気になるし。
本当にあれが避難訓練だったのか、この目で確かめておきたい。
青いイチョウ並木の道を、リッチさんとグリームと一緒に黙々と歩いていく。するとやがて、右手のほうに十字架を掲げた白い三角屋根の建物――サンガ村の教会が現れる。
教会の周りには、人がたくさん集まっていた。
そしてその人たちの視線の先には、サレハさんがいる。
有事の際の避難経路をあらかじめ確認しておくようにとか、日頃から体力をつけておくようにとか、そんな話をしているサレハさん。話が終わると、そこにいた村人たちが、ぞろぞろとこっちに向かってくる。ざわざわ声を立てながら、教会からどんどん離れていく。
しばらくして人が少なくなると、教会の入り口近くに、さっきのツンツン頭の悪魔と、村の男の子たちが見えてきて、
「ねえ、何を食べたらそんなに大きくなれるの?」
「肉だ! 肉を食え! 体を作っているのはタンパク質だからな!」
「えーっ、じゃあ俺はでっかくなれないじゃん!」
「そうだよ! 肉なんてめったに食べられないのに!」
「そうなのか? ならば畑の肉を食え! 豆もタンパク質だぞ!」
「へえ! でも俺、豆ってあんまり好きじゃないんだよな……」
「ハッハッハッ! 好き嫌いしているうちは、願ってもでかくなれんぞ!」
そんな、お兄ちゃんと弟たちって感じの会話が聞こえてきた。
村人たちを追いかけていたのが、緊迫感を出すための演技だったっていうのは本当のことらしい。見た目は怖いけど、言っていることはまともだし、村を襲う危険な悪魔って感じはぜんぜんしなかった。すごく馴染んでいる……。
怖がらせるために怖いことを言っていただけで、本当はいい人なのかな?
気になってじっと様子を見ていたら、悪魔が不意にニヤリと笑って、
「対価を払うならば、豆を食わなくともオレ様がでかくしてやるがな!」
「え? 魔法で大きくしてくれるの?」
「そうだとも。さぁ、望みを告げよ! オレ様がかな……」
「いけません」
急に、悪魔がジャーティの人っぽいことを言い出した。
と思ったら、悪魔と子供たちのやり取りを黙って見守っていたサレハさんが、固い声で悪魔の言葉をさえぎった。
するとその途端、悪魔はゲホゲホとむせるような咳をし出して、
「チッ!」
「たぶらかされてはいけませんよ。コレの言う対価とは命のことです」
「人聞きの悪いことを言うな! オレ様が提示するのは等価交換だけだ!」
「孤児院に戻りなさい。村を襲わなくとも、悪魔は悪魔なのです」
サレハさんに促されて、悪魔の前に群がっていた子供たちが、しぶしぶ教会から離れていく。『またね!』って挨拶して、青いイチョウ並木のほうへ向かっていく。
私は混乱した。
……えーっと。つまり、どういうこと?
結局、あの人はいい人? 悪い人? どっちなの?
「あいつ、ボスとの約束どおり村を守ってくれているんだけど、時々ああやって、交換魔法を仕掛けてくるんだよね」
頭を悩ませていると、私の横でリッチさんがひとり言のように呟いた。
「対価として魔力を求め、魔力が足りない場合は命で代用させられる。ほんとタチの悪い魔法を使ってくる奴だよ。ルーナちゃんも気を付けてね」
「はい。……あの、危険だって分かっているのに、この村に置いているんですか?」
「んんー? あいつは役に立つし、この村ではサレハに逆らえないよう契約を結んでいるから。口車にさえ乗らなければ、危険は少ないんだよ」




