58. 魔法の特訓
「ないです」
「無欲な子供だね。本当に、欲しいものは何もないのかい?」
「ないです!」
しつこい!
ちょっとイラっとして、私はニコラに強くそう言い、シャックスの腕をもっとぎゅっと抱きしめた。見て見ぬふりはいけないんだよ!
「知らない人に物をもらっちゃダメって、シャックスに言われているから……」
「わぁ、お嬢様。よくできました」
褒められた。でも、ちっとも嬉しくない。
そろそろ助けてよって、私はシャックスを見上げた。そしたらシャックスは、面白がるようにニヤッと笑って、え、助けてくれないのって、私は一瞬ヒヤッとした。
だけど、さすがにそんなことはなくて、
「もうパレードが始まるんで、お引き取り願います」
「欲しいものはあるかね?」
「あたしは子供じゃないです。さ、お嬢様、行きますよ」
強引に話を切り上げ、シャックスは私を馬車に連れていってくれた。
……ニコラはそれでも、諦めなかったけどね!
「欲しいものはあるかね?」
そう話しかけながら、ニコラは馬車までついて来た。
絡むのを諦めたのは、私が二階建て馬車の後ろの、ねじれた階段を上がり始めてからだった。パレードの馬車の上まで追いかけるのは、さすがにダメだって分かっていたみたい。私を見上げ、残念そうに肩を落とすと、ニコラは群衆の中にまぎれていった。
よかった。びっくりしたぁ。
馬車の上なら誰も近付いてこなくて安心だなって思いながら、私はそこにある、きんぴかの長椅子に座った。そして、息を吐き出して心臓を落ち着けると、フラーニの領域の城下町をぐるりと見回した。
右にはフラーニの庭園。左には灰色のレンガの建物がたくさん。
前方には大きな道があって、道の脇には大勢の人がぎゅうぎゅう詰まっている。
すごい数の人だ。
きっと珍しいイベントだから、みんな見に来たんだと思う。私が注目されているみたいで変な感じ。フラーニの領域の人って、イベント好きが多いのかな?
と、そう考えて、訪問予定をキャンセルできないって、こういうことだったんだなと私は納得した。
キャンセルできないわけがないって思っていたから、お母様がなんで交換条件までつけて私をジャーティに連れていこうとするのか、少し不思議だったんだよね。
パレードを楽しみにしている人が、こんなにたくさんいるからだったんだ。
「立ち上がらないでくださいね」
きょろきょろしていたら、ねじれた階段の途中に立つシャックスがそう言った。
「間もなく出発です」
「ダリオンは?」
「下にいます。ちゃんと護衛していますよ」
本当に? ……勝手に離れていく薄情者だから、信用ならないよ。
ちょっと疑って、私は首を伸ばして馬車の近くを探してみた。
フラーニの領域にはおじいちゃんおばあちゃんが多くて、九割くらいの人は白髪かグレイヘア。ダリオンの髪は暗緑色だから、いるなら目立ってすぐ見つかるはず。
そう思ったんだけど、
「……いないよ?」
右にも左にも、黒っぽい髪の人はいなかった。
あれ、おかしいな。本当にいなくなっちゃった?
振り向いて、どこにいるの、とシャックスに目で問いかけたら、
「見えないだけだと思いますけど」
まさかという顔をして階段から身を乗り出し、馬車の左右をのぞき込んで、
「います、います。馬の左横です」
「ここからじゃ馬も見えない!」
「じゃ、見えなくて当然ですね。立ち上がらないでくださいよ」
「はーい」
見えないけど、ちゃんといるんだ。……うん、やっぱりそうだよね。
それから少しすると、馬車が動き出した。
道の脇に集まった人々が歓声を上げ、大きく手を振ったり、黒い旗をパタパタ揺らしたりする。薄黄色の衣をまとったフラーニの付き人たちが、魔法で出した黄色い雲みたいなものに乗って馬車と並走していく。
目新しい光景だ。だけど、あんまり楽しくはない。
馬車が出発して五分もすると、私はそこに座っていることに飽きてきた。
目に映るものが、よく分からない灰色の建物と、人の頭ばかりでつまらないからだ。きっと普通に歩いたほうがわくわくする。今、この馬車から降りる勇気はないけれど。
パレードを見に来た人たちは、二階建て馬車を見て感情が高ぶっているようだった。
大騒ぎする人、暴れ出す人、取り押さえられた人、押しつぶされそうになっている人、そんな普通じゃない状態の人を何人か見かけた。
フラーニの領域の人たちって、やっぱり変なんだよね。珍しいものを見て興奮する気持ちは分かるけど、暴れたり騒いだりするのはおかしいって。
「手を振り返すと喜ばれますよ」
流れる景色をぼんやり眺めていると、シャックスが声をかけてきた。
「ま、無理にする必要はないですが。好きにしてください」
「……あの人たち、私に手を振っているの?」
知らなかった。
振り返って尋ねると、シャックスは眉をぴくっと動かして、
「そうですよ。気付いていなかったんです?」
「うん。知らない人たちだから。フラーニの付き人に、何か合図しているのかなって思っていた。あの人たち、なんで私に手を振っているの?」
「お嬢様に視線を向けてほしいからです」
地上の人たちにあざ笑うような目を向けて、シャックスは淡々と言葉を発した。
「応える必要性はないんで、無視しても平気です」
「ふぅん」
私に視線を向けてほしい……。
本当かな?
気になって、試しにちょっと手を振り返してみたら、
「キャー!」
どこからか悲鳴が上がった。
恐怖の悲鳴じゃなくて、嬉しくて、すごくテンションが上がって、思わず叫んじゃったって感じの喜びの悲鳴。
なんで?
分かんないけど、もう一回やってみたら、また同じような悲鳴が上がる。
……ふふっ。ちょっとこれ、面白いかも!
ま、何回かやったら、すぐに飽きたけど。
それは、想像していたよりずっと長いパレードだったのだ。
道の端を埋め尽くす人たちに、目を向けたり向けなかったり、手を振ったり振らなかったり。退屈だなぁって思いながら、私はのろのろ進む馬車に揺られていた。変化のある景色なら楽しめるんだけど、ここは似たような建物ばっかり並んでいる町だから。
面白いものないかなぁ。
そう思って、私はなんともなしに右を向いた。
そしたらふと、道に並ぶ灰色の建物の隙間に、ニコラの赤服が見えたような気がした。
えっ。なんでこんなところに?
……もしかして私、追いかけられている?
その可能性に気付いた瞬間、私の退屈は恐怖に塗り替わった。
うそでしょ! まだ諦めていなかったの⁉
信じたくないけど、あり得ない話じゃなかった。
フラーニの領域の人たちは、変なのだ。
普通の人は、一度か二度断られたら諦めるものなのに、何度断っても、何度でも同じことを聞いてくる。逃げても追いかけてくる。
この前もそうだった。あんまりにもしつこく話しかけられるものだから、嫌になって、私はグリームに乗って逃げたのだ。でもそしたら、魔法で空を飛んで追いかけてきて、観光どころではなくなって……。
これだからジャーティは嫌なんだよ!
建物の隙間で、ニコラはこちらに背を向けている。
これから移動して、馬車の終着点へ先回りするつもりなのだと思う。
きっと私が馬車から降りるタイミングを狙っているんだ。また私に近付いて、『欲しいものはあるかね?』って聞くつもりなんだ。どうしよう……。
嫌だ、来ないでって祈りながら、私はじっとニコラの後ろ姿を見ていた。
そうしたら急に、ニコラが何かにぶつかったみたいに少しよろめいて、まっすぐな体勢のまま、バタンと仰向けに倒れた。
変な倒れ方だった。普通はよろめいたとき、足を引いたり、上半身を立てたりして、転ばないように、転んでも頭をぶつけないようにすると思うんだけど、そんな動きはまったくなかった。まるで気絶しているみたい。
どうしたんだろう?
変な人で、近付いてきてほしくはないけど、少し心配になる。
大丈夫かな? おじいちゃんだから、持病の発作でも起きたのかな?
馬車が進んでいく。
と、倒れたニコラのかたわらに、誰かがやって来た。
冷たい目をした、短い苔色の髪の男の人。
建物の陰に隠れて、すぐ見えなくなったけど、
「マーコール?」
それは思わず呟いてしまうくらい、マーコールにそっくりな人だった。
見た目もそうだけど、近付くものすべてを容赦なく切り刻みますって感じの、おっかない雰囲気が瓜二つ。他人の空似ってやつ? でも、マーコールがジャーティにいるわけないんだけど、正直なところ、あんな人が世の中に二人もいるわけないと思うんだよね。
ちょっと見えただけだから、見間違いかもしれないけど。うーん。
「どうかしました?」
ニコラたちが見えなくなったあと、うつむいてじっと考え込んでいたら、シャックスが心配そうに声をかけてきて、私はちょっと意外に思った。
シャックスは、ニコラに気付かなかったんだ。
私を守ってくれる人なのに。危険な人を見逃すわけがないのに。
「さっき、右のところにニコラが見えた気がしたの」
「あぁ、あの赤服のじいさんですか。つけてきているんですかね」
「そんな気がする。……ちょっと怖いの」
「大丈夫ですよ。近付けないようダリオンに言っておきますから」
やれやれという顔で地上の群衆に目をやり、シャックスは鼻を鳴らした。
「まったく、ジャーティは困った人だらけですね」
「うん、私もそう思う」




