57. 魔法の特訓
「どうして?」
「分かりませんか?」
尋ねると、落ち着いた口調で不思議そうに尋ね返された。
「充分な魔力量さえあれば、門を開くこと自体は簡単なんですよ。お嬢様が門を開けるようにね。ただし、あたしらは白の領域の魔法と相性が悪いもんで、白の領域に門をつなぐことはできません。門の跡地の力を使わないと、それは無理なんです」
「そうなんだ……」
知らなかった。
説明されたことを頭の中で繰り返して、そういえば確かに、門といえば白の領域に行く門のことだなとか、収納魔法はぜんぜんできないけど、門を開くのは簡単だなとか考えた。
でもそれなら、私は黒の領域にも門をつなげるはずじゃない?
「黒と白の領域をつなぐより、黒と黒の領域をつなぐほうが簡単だってこと?」
「いや、お嬢様にとってはどちらも同じ難易度だと思いますよ」
「え? でも私、黒の領域には門をつなげない……」
「それはやり方を知らないからですよ。黒と白の領域をつなぐ門とは、微妙にちがう魔法なんです。分かれば簡単にできると思います。まだ教えませんけど」
「なんで⁉」
「女王様が先ほどおっしゃったでしょう。収納魔法を使えるようになってからだと」
「なんで? 収納魔法より、黒の領域に門をつなぐほうが簡単なんでしょ?」
「はい。ですが危険度がまったくちがいますから」
「危険度って……」
「そろそろ行くわよ」
もっと話を聞こうとしたら、お母様に声をかけられた。
開いた門の手前に立ったお母様が、困ったように私を見ている。
あ……。
ここにいる理由を思い出して、私は瞬時に憂うつな気持ちになった。
そうだ、これからジャーティに行かなきゃいけないんだ。本当は行きたくないけど、リリアンにピアノを習う代わりに、我慢するって決めたから。行きたくないって私がごねると、お母様が困ってしまうから。……がんばろう。
口をつぐみ、嫌だな、嫌だなと思いながら、私のお母様のそばに向かった。
フゥゥと息を吐き出して、お母様の手を握って門をくぐる。
少しの黒い空間を抜けると、そこはフラーニの城の目の前だった。
くすんだ赤の柱、扉、天井。見上げると屋根の端から黄金色の瓦がのぞいていて、振り向くと城と同じ色合いの大きな門、広い庭園が下のほうに見える。
閑散とした、おばあちゃんのフラーニらしい静かな空間だ。
前に来たときと何も変わっていないない。
変な人に出会いませんように……。
ドキドキしながらお母様の後ろに立っていると、やがて、くすんだ黄色の羽織をまとった人たちが城の左右から現れた。無表情ですたすた歩く、人形みたいな人たちだ。
ちょっと不気味で、怖くなって、お母様の腕にしがみつこうとしたら、
「いけません。堂々としていてください」
私の手をつかみ、シャックスが耳元でそうささやいた。
うぅ……。これだからジャーティは嫌なんだ。
自分の手をぎゅっと握って、黙って下を向いて立っていると、やって来た人形みたいな人たちは何も言わず、目も合わせず、私たちの目の前に立ちふさがる赤い扉――翼を持った、四つ足の金色の竜が描かれている扉に手をかけ、ゆっくり左右に引き開けていく。
その先にあるのは王様の部屋だ。
きんきらきんの服を着て玉座に座ったフラーニと、金と赤で彩られた部屋が徐々に目の前に現れていく。扉が全開になり、お母様がすっと前に進み出ると、
「随分な略式訪問じゃないか」
不服そうな顔をして、フラーニがそう言った。
「聞いてはいたがね。人の部屋の前に門をつなぐとは、これいかに」
「あなたが了承したことよ」
「いかにも。しかし……、ま、言っても無駄か」
諦めたように軽く笑うと、フラーニは姿勢を正して優しい目をした。
「お越しいただけたことを光栄に思いますよ、女王様。それにお嬢様も」
その後の挨拶はつつがなく終わった。
私とシャックスとダリオンは退室して、お母様はフラーニと大人の話をするためその場に残る。すぐ終わる用事だって言っていたから、挨拶だけでもう帰れるのかなって少し期待していたんだけど、さすがにそうはならなかった。ざんねーん。
フラーニの部屋を出ると、フラーニの付き人っぽい人が私たちを待っていた。
多分、この前シャド・アーヤタナに来ていたうちの一人だと思う。白髪が目立つ、優しそうなおじいちゃんだ。薄黄色の衣をまとっていて、私を見ると少しほほ笑んで、
「ご案内いたします」
そう言って、城の前にある長い灰色の階段を下り始めた。
え? 案内しますってどこに?
外でフラーニの付き人が待っているとも、どこかに案内されるとも思っていなくて、私はその反応に戸惑った。まぁ、お母様の大人の話が終わるまでの間、庭園か城下町の散歩をしていようと思っていたから、どのみち階段は下りなくちゃいけないんだけど。
「どこに行くの?」
問いかけると、フラーニの付き人は階段の途中で立ち止まり、振り向いて答えた。
「パレードの出発地点です」
「パレード? ……なんで?」
「ひと目でいいからお嬢様を見たいという人が、たくさんいるからですよ」
付き人より先に、シャックスがそう答えた。
「馬車に乗って城下町を一周するだけなんで、緊張する必要はないです」
「どういうこと?」
「お嬢様は、パレードの馬車に乗っているだけでいいってことです」
「……聞いていないんだけど?」
「あれっ。女王様に言われませんでしたか?」
言われていない。……と、思う。
ちょっとむかついていたんだけど、聞かれると自信がなくなってきて、私は黙った。お母様がうっかりしていたのかな、私が聞き逃していたのかな。どっちだろう。
ま、もう決まっていることならどうしようもないか。
切り替えて、私も長い階段を下り始めた。
……んだけど、その階段には手すりがなくて、傾きが急で、一段一段が大きくて、下りるのがとても大変だった。汚しちゃいけないドレスを着ているせいもある。
最初はシャックスに手をつないでもらって、ゆっくり下りていたけど、なかなか地面に近付かなくて、そのうちダリオンが仕方ないって感じで私を抱き上げ、下まで連れていってくれた。
魔法を使っていいなら、一人でもさっと下りられるんだけどね。
王様の城の近くで魔法を使うのはよくないらしいし。この前来たときはグリームに乗って城下町に向かったけど、今回は留守番しているから、グリームいないし。
階段を下りきると、ダリオンはそこに止まっていた黒い人力車に私を乗せた。
座席がふかふかしていて、王様の乗り物みたい。
私が座ると、車引きの男の人がハンドルを持ち上げ、庭園の外に向かってゆっくり歩き出した。合わせて、車もゆっくりと動き出す。
静かな道のりだった。
大きな赤い門をくぐると、左右の湖に沿って立ち並ぶヤナギと、小さな灯篭に挟まれた石畳の道が現れる。誰もいない寂しい道。
帽子を浮かせるようにふわっと吹いてきた風が、芽吹き始めたばかりのヤナギを揺らし、水面にさざなみを寄せている。雲の切れ間からこぼれた光が、湖にかかる赤い橋をやわらかく照らしている。
穏やかな、きれいな景色だ。
おばあちゃんが好きな平穏って感じ。
まっすぐな道を、急がず焦らず、人力車はのんびりと進んでいく。
やがて湖を過ぎ、赤い門を二度くぐると、
「あれは何?」
道の先に珍しい馬車が見えてきた。
つながれた二頭の白い馬と、落ち着いた赤色で塗られた小さな四角い車。車の上には金色の柵があって、後部にはねじれた階段がついている。二階建ての馬車だ。
近くには人だかりができていて、フラーニの庭園とは打って変わった、にぎやかな気配を感じる。なんだか楽しそうだけど……、私はちっとも楽しくない。
「パレードの馬車ですよ」
ちらっと私に目を向けて、シャックスがそう答えた。
「あれの上に乗って、これから城下町をめぐるんです」
二階建て馬車の手前まで来ると、人力車は動きを止めた。
車引きの人が静かにハンドルを置く。
降りて乗り換えるのかなと思って、立ち上がろうとしたら、
「まだ乗っていてください」
ダリオンがそう言って、馬車の近くで何か話し合っている、フラーニの付き人たちに目を向けた。そしてしばらく、その人たちの様子を眺めていると、
「打ち合わせをしてきます」
一方的にそう告げて、私のそばから離れてしまった。
絶対ひとりになりたくないから連れてきたのに、勝手にいなくならないでよ……。
少し心細く思いながら、私はシャックスの濃い青のドレスの袖をつかんだ。シャックスは絶対にいなくなっちゃダメだよ。そう思って、シャックスから目を離さないでいたら、
「欲しいものはあるかね?」
突然、後ろから声をかけられて、思わずビクッとした。
誰⁉
驚いてシャックスの腕をぎゅっとつかみ、ぱっと振り返る。
するとそこには、白い髪と白いひげで顔の輪郭が覆われた、かなりのお年寄りっぽいおじいちゃんがいた。にこにこしながら私を見ている、優しそうな人だけど……。
白い縁取りのくすんだ赤い服を着ていて、フラーニの付き人じゃないことは確実。
誰だろう? 私に何か用?
「欲しいものはあるかね?」
考えていると、赤服のおじいちゃんがまたそう言った。
その瞬間、私はうわぁってなった。
さっそく変な人につかまっちゃった!
挨拶も自己紹介もなしに、いきなり話しかけてきて同じ言葉を繰り返すこの感じ、間違いなくジャーティのおかしな人だ。やだなぁって思いながら、私は小さな声で、
「えっと……。こんにちは」
「こんにちは。欲しいものはあるかね?」
「ないです。……あなたは誰ですか?」
「儂はニコラだよ」
変わらない笑みを浮かべたまま、ニコラは穏やかな口調で答えた。
「子供たちにプレゼントを配ることを生きがいにしている、しがない年寄りだ」
……ふぅん。
おかしな人だけど、思っていたより会話になっていることに、私はちょっと驚いた。
この人は変な人成分ひかえめなのかも。と、思った刹那、
「欲しいものはあるかね?」
やっぱり同じことを聞いてくる。
ないって言っているのに!




