54. 魔法の特訓
秋が深まり、冬が来た。
その間、私はずっとシャド・アーヤタナにいた。
シャックスに収納魔法を教えてもらっていたからだ。
あのあと、黒の領域に戻った私は、
「ねえ! 収納魔法って知っている?」
とりあえずシャックスをつかまえて、そう聞いてみた。
無意識のうちに魔法のコマを作っていたらしいとか、魔法の宿った道具が存在していたとか、他にも不思議なことはあったけど、そういうのは聞いても『ふーん』で終わっちゃいそう。
でも収納魔法は、使えたらすごく便利だし、初級の魔法だってダクトベアが言っていたから、教えてもらえば私でも習得できるかもしれないよね!
「おかえりなさい」
そのときシャックスは、城の窓辺で使用人たちと何か話をしていた。
だけど私が近付くと、すぐに話を切り上げてさっと振り向き、
「あたしの午後授業に合わせて帰ってきたんですか?」
「ちがうよ! やりたいことがたまたま午前中で終わって、たまたまシャックスに聞きたいことができただけ。ねえ、知っているの? どうなの?」
「もちろん知っていますよ」
そばに突っ立ったままの使用人たちを手で追い払い、シャックスは無表情で答えた。
「危険な魔法なんで、お嬢様に教えたことはありませんけどね」
「えっ。収納魔法って危険なの?」
「はい。使い方によっては非常に危険です」
「どうして?」
「それはですね……。少し長くなるので、今日の授業で教えましょうか」
少し考えたあと、シャックスはそれがいいとばかりに自分でうなずいた。
「お嬢様、お昼まだですよね? 図書室にいるんで、準備ができたら来てください」
「分かった!」
教えてくれるんだ!
少し意外に思いながら、私は返事をして厨房に向かった。
危険だから教えてくれないのかと思ったけど、そうじゃないんだ。城の中では走っちゃダメとか、刃物は触っちゃダメとか、危ないことにはすごく厳しかったのに……。
もしかして私、ちょっとは大人になったって認められた⁉
そうだったらいいな。
「シャックス、ぜんぜん怒っていなかったね」
厨房でザガンにお昼を頼み、シュピに部屋まで運んでもらうと、私はグリームとおしゃべりしながら、のんびりご飯を食べた。今日のお昼は野菜ごろごろのクリームシチュー。
「白の領域に行ったこと、気にしていないのかな?」
「まさか。怒らなかっただけよ」
問いかけると、グリームは即答してゆっくりまばたきをした。
「それにしても、彼らは私が思っていたより女王様に忠実なようね」
「え? 忠実じゃないと思っていたの?」
ご飯を食べ終えると、私はすぐ図書室に向かった。
図書室は城の北側にあって、地下から一階まで吹き抜けになっている。入り口が二つあって、私の部屋からは一階の入り口が近い。でも授業をするときのテーブルは地下にあって、図書室内の階段は急で怖いから、いつも地下の入り口から出入りする。
明かりがいっぱいついた廊下を通って、図書館に入ると、
「早いですね」
本棚の隙間から顔を出したシャックスが、私を見て驚いたように言った。
「もう授業を始めていいんですか?」
「うん!」
「いつになく自発的ですね」
持っていた分厚い本をテーブルに置き、シャックスが手招きする。近付いて、いつもの広いテーブルの前に座ると、シャックスは分厚い本をぱらぱらめくりながら話し出し、
「それじゃ、収納魔法についてですが……」
魔法の授業が始まった。
手始めにシャックスは、収納魔法と呼ばれる魔法が、三つの魔法の組み合わせだということを教えてくれた。
収納空間を作り出すための《開け、亜空間》、収納空間に物を入れる《収納せよ》、収納空間から物を取り出す《放出せよ》。これらを組み合わせることで、『何もないところから物を出し入れする』魔法が実現できるのだという。
それを聞いただけで、私はもう嫌な予感がして、
「難しい魔法ってこと?」
「はい」
「でも白の領域の人は、初級の魔法だって言っていたよ?」
「まぁそうでしょうね。割と簡単な魔法ですから」
「え? どういうこと? どっちなの?」
「これ、お嬢様にとっては難しい魔法なんですよ」
少し声を低くして、シャックスは深刻そうな顔をした。
そして難しいけど簡単だという、矛盾しているように思える返答の意味について、ゆっくり説明してくれた。
「普通の人間が魔法を使うとき、一番問題になるのは魔力量です。難しい魔法というのは魔力量が多くないと使えない魔法のことで、そういう意味では、収納魔法は簡単な魔法なんですよ。魔力量が少なくても使える魔法ですから」
えっと……?
「つまり、私は魔力量が少なすぎるってこと?」
「ちがいます。お嬢様は、魔力量的にはどんな魔法でも使えますよ」
「そうなの?」
「はい。ですがいかんせん、頭が足りていないんですよね。二つのことをいっぺんにやるの、苦手でしょう? お嬢様にとって難しい魔法というのは、魔力量が必要な魔法ではなく、複雑な魔法なんです。普通の人間とは難しさの感覚がちがうんですよ」
「ふぅん」
知らなかった。初耳だ。
でも複雑な魔法が苦手っていうのはその通りだから、納得できないことはない。
「シャックスが門を開けないのは、私より魔力量が少ないからってこと?」
「いえ、それはおそらく魔力の性質の問題です。門は特殊ですから。白の領域で《在り処を示せ》があまり知られていないのは、必要な魔力量が多いからってことですよ」
「そうなんだ」
ふーん。
つまり、私はダクトベアたちより魔力量が多いけど、複雑な魔法は無理だから、収納魔法は難しいってことね。残念。ダクトベアが簡単そうにやっていたから、私にもできると思っていたのに。
私には無理なのか。
……本当に?
「でも収納魔法って、覚えたらすっごく便利だよね?」
諦めかけて、でもちょっと考えてから私はそう聞いた。
するとシャックスは、眉をひそめながら微妙な感じでうなずいて、
「まぁ、そうですね」
「じゃあ教えて! どうやったら使えるようになるの?」
三つの魔法を組み合わせるっていうのが、今の私に難しいことは分かっている。
でもダクトベアができることなら、私にもできる気がするんだよね。
根拠は何もないけど。私もおんなじことをやりたい!
できるようになりたい!
「いい心意気ですね」
驚いたのかちょっと目を大きくして、シャックスは感心したように言った。
「いきなり収納魔法に取り組むのは無謀なんですが、まぁお嬢様が自分でやりたいって言い出すの珍しいですし。いいですよ。収納魔法、やってみましょうか」
そういうわけで、その日から私は、シャックスと収納魔法の特訓を始めた。
特訓に集中するために、シャックスの授業を増やしてもらって、必要な三つの魔法を一つずつ練習した。《開け、亜空間》が少し難しかったけど、一週間がんばったら、小さな空間を開けるようになって、前準備は順調に完璧。
魔法の準備が整ったら、まずは《開け、亜空間》で作った収納空間に、小石を《収納せよ》することに挑戦する。
だけど、二つの魔法を一緒に使うのはやっぱり大変で、これは一か月がんばっても、ぜんぜんできなかった。
片方に集中すると、もう片方がダメになってしまって、うまく収納できない。何回やっても、コツをつかむことさえ出来なかった。難しすぎる……。
私には無理なのかもって、ちょっと諦めかけていたら、
「先に、《守りたまえ》を完成させませんか?」
シャックスにそう提案された。
《守りたまえ》は二つの魔法の組み合わせだ。
組み合わせる魔法の展開方法が同じ――魔法を防ぐシールドと、物質を防ぐシールドっていう、似たようなものを同じ場所に生成する魔法だから、収納魔法よりは簡単なんじゃないかって言われた。
「簡単な組み合わせの魔法を覚えてから、また挑戦してみましょうよ」
なるほどと思って、私は《守りたまえ》の練習も始めた。
でもしばらくすると、どっちもどっちだってことに気付いた。
《守りたまえ》は、確かに魔法の展開方法は同じなんだけど、維持するのが難しい二つの魔法の組み合わせだから、収納魔法とは別の理由で、同じくらい大変だったのだ。
収納魔法を練習したり、《守りたまえ》を練習したり、試行錯誤してシャックスの授業に取り組んでいると、いつの間にか秋が終わって、冬が来ていた。
冬といっても、シャド・アーヤタナではめったに雪が降らないし、森には冬でも葉っぱを落とさない木が多いから、視覚的な季節の変化はあんまり感じられないけれど。
どんどん寒くなって、朝、ベッドから出るのが嫌になってくる。
この季節はグリームと湯たんぽが手放せない。布団にくるまって、ぬくぬく二度寝していると、朝ですよってシャックスが布団を引っぺがしに来るのは、毎年のこと。
「順調か?」
寒がりなシャックスは、冬になると外で授業をしない。
城の南側の地下に、どれだけ叩いてもどれだけ魔法をぶつけても壊れない、すっごく頑丈な部屋があって、魔法を使うときはそこで授業をする。
そしてそこは、ダリオンがよく出没する場所でもあって、練習していると何度かダリオンが声をかけてきた。
ちなみにダリオンは、暑かろうと寒かろうと、暴風雨のとき以外は外で授業をする。
「進歩はしていますよ。ミミズくらいのスピードで」
「先が長いな」
「最初から分かっていたことです。……あ」
と、肩をすくめたと思ったら突然、シャックスが何か思いついたような顔で私を見た。
「お嬢様。収納魔法の危険性について、まだ話していなかったですよね?」
「あっ。うん、聞いていない」
忘れかけていた。
そういえば、収納魔法は危険なんだっけ。……なんでだろう?
「どうして危険なの?」
「どうしてだと思います?」
「え、知らないよ」
「考えてみてください」




