53. 早々の邂逅
「そうなんだ」
うーん?
あんまり納得はできない。
魔法をかけるのって、そんなに手間じゃないと思うんだけど。ダクトベアとは感覚がちがうようだ。どうしてだろう? ……まぁいいや。
「魔法が宿っている道具って、そんなに珍しいわけじゃないんだ」
「いや、珍しいぜ」
立ち上がり、壁に突き刺さった赤い矢を回収して、ダクトベアがクロスボウを消した。
するとグリームが威嚇するのをやめ、だけどまだ警戒しているみたいで、ソファーに向かうダクトベアから目を離さない。ダクトベアはそんなグリームを見て顔をしかめると、
「白魔法が宿った道具ならトルシュナーにもそこそこあるが、白魔法以外の魔法が宿った道具は数が知れている。スパルシャの氷剣、ブハバの豊作鍬、ジャラー・マラナの幸運の布、とかな。神殿の奴らは今、例のナイフの分析に夢中だ」
「あのナイフにはどんな魔法が宿っていたの?」
「守護魔法らしい。持ち主が危険にさらされたとき、シールドを展開する魔法。汎化できれば有用な防具が作れるっつんで、王都ではナイフの売り主探しも進行中だ」
「私、なんで魔法が宿っていたのか知らないんだけど……。名乗り出ればナイフを返してくれるとか、そんなことあるわけないよね?」
「おう。やめとけ。んなことしたら、神殿から出られなくなるぞ」
「ナイフを取り戻したいの?」
隣で静かに座っていたライオネルが、不思議そうに聞いてきた。
私は、ナイフをぴかぴかに磨き上げて渡してくれたナユタのことを思い浮かべながら、ため息をついてうなずいた。
「うん。あれはナユタにもらったナイフだから、本当は売るつもりはなかったの。でも質屋に行ったら、もう売り手がついたって言われて……」
「期日前に流されたってこと?」
「……え?」
不意にライオネルの表情が厳しくなった。
だけど私は、聞かれたことの意味が分からなくて、きょとんとするほかなかった。
期日前に流された? 何それ、どういうこと?
「質屋に品物を預けたとき、預かり期間を定めなかった?」
「えっと……」
覚えていない。
あのときは、人にもらったものを売ろうとしている、悪いことをしようとしているって後ろめたい気持ちでいっぱいで、質屋の人の話、ちゃんと聞いていなかったかも。
でも、大丈夫。私にはグリームがついているんだから!
「グリーム」
「ひと月よ」
声をかけると、すぐ答えが返ってきた。
「預けたのはいつ?」
「えっと、この前ライオネルと会った、二日前くらい」
「それならまだひと月経っていないね。ルーナがナイフを預けたその質屋は、ルーナに所有権がある状態で、あのナイフを教会に売ったってことだ。質屋として許されないことをやっている。抗議すれば……、いや、危険を招くだけか」
「あの質屋さん、悪い人だったの?」
「ああ。だがその質屋に文句を言いにいっても、教会の人間に見つかるリスクが高まるだけだ。ルーナがナイフを取り戻せるように、今度、俺が教会にかけあってみるよ」
「本当⁉」
「確実ではないけど、交渉の余地はあるからね」
安心させるように小さくほほ笑んで、それからライオネルはまじめな顔をした。
「でもその代わり、王都にはもう来ないでほしい。コマを作るのもやめて」
「分かった」
私は即座にうなずいた。
王都に来たのはナユタのナイフを取り返すためで、それ以外の用は特にないからね。
もう商売できないのはちょっと残念だけど、神官に探されているって分かっていながら王都を歩き回れるほど、私の神経は図太くない。ライオネルは満足そうに笑った。
「ありがとう。俺が話したいことはこれで終わりだけど……」
「俺はもう一つ聞きてぇことがある」
ソファーの背もたれに腕を回したダクトベアが、ぶっきらぼうに口を開いた。
まだ何かあるの?
王都では他に、何もしていないと思うんだけど……。
不思議に思いながら、私はしかめっ面のダクトベアを見た。すると、
「俺たちに力を与えたのは、お前なのか?」
「えっ?」
突然、すごく真剣な表情で、よく分からない質問をされた。
脈絡なくない?
力を与えたって、この前の祝福のこと?
でも『俺たち』って、ライオネルのことしか祝福していないんだけど……。
「祝福といい、魔法使いになれるコマといい、お前のやっていることは、まるで神話に出てくる神の御業なんだよ。魔法の発現時期がおかしいのは分かっているが……、なぁ。悪魔に遭遇した人間が魔法使いになる確率、どのくらいか知っているか?」
「知らない」
「十万人に一人以下だ。悪魔に遭遇して生き残った奴が、そもそも少ないって話でもあるけどな。普通は十数年に一人いるかどうかで、一度に三人も平民の魔法使いが誕生したのは異例のことだったらしい。ま、議論になるほど、特別おかしいってわけではないんだが……、お前、ドングリのコマに無意識で魔法をかけていたように、十一年前、クシャラ村で、俺たちにも何か魔法をかけていたんじゃねぇのか?」
「……うーん、どうだろう」
そういう話ね。
聞き方を変えてくれたおかげで、質問の意味は分かった。
でも、あのときライオネルたちに魔法をかけた覚えはない。まぁ普通に作ったつもりのコマが魔法のコマになっていたらしいから、無意識に何か魔法をかけていたって可能性は否定できないんだけど。
「二人は私と会ってから魔法使いになったの?」
「そうだけど、三年後だ」
困ったような感じで、ライオネルが横から答えた。
「クシャラ村を離れた三年後、別の村で蛇の悪魔に襲われた時に魔法が発現したんだ」
……ん?
「魔法使いなるまで、そんなに時間がかかるものなの?」
「いや。普通は悪魔に遭遇した、その日のうちに魔法が発現するよ」
「じゃあ、ちがうんじゃない? 私は何もしていないと思う」
「そうだよね」
よわよわしく笑って、ライオネルはやっぱりというふうにうなずいた。
あれ? それを見たダクトベアが、いつもの優しくない顔で小さく舌打ちしている。
もしかして、私がやったことじゃないって分かっているのに聞いてきたの?
「ともかく、自覚はないんだな?」
確かめるように、ダクトベアがまた問いかけてくる。私は迷わず首肯した。
「ないよ。誰かを魔法使いにするなんて、どうやったらいいのか分からないし」
「そうか。引き留めてわりぃな」
軽く息をつき、ダクトベアはソファーの背もたれに回していた腕をもとに戻した。
眉の上にシワが寄っている。呆れているような感じだ。理由は分からないけど、多分、ライオネルに対して。……うーん? 呆れる要素、どこかにあったかな?
やがてダクトベアは、何かあきらめたような顔で私を見ると、
「気を付けて帰れよ」
「うん」
話は終わったらしい。それならもう帰ろうと、私はすぐ立ち上がろうとして、
「あ、これ……」
頭巾どうしよう問題を思い出した。
ついさっき、マシューにいきなり被せられた、髪を隠すための灰色の頭巾。ライオネルに頼めば、返しておいてくれるかな?
「これ、マシューに渡されたんだけど……」
「王都を出るまでは被っていて」
そっと頭巾を差し出したら、ライオネルは笑顔で受け取り、すぐその頭巾を私の頭に被せてきた。え、持ち帰りたくないんだけど……、私の髪ってそんなに目立つ?
「あとで処分しても構わないから」
「え? これ、マシューのなんだけど……」
「大丈夫。気にしなくていいよ」
まるで自分の物のように、ライオネルはそう言った。
そしてゆっくりした動作で立ち上がると、手を差し出してきて、
「玄関まで送っていく」
「……うん」
ま、いっか。
私は考えることを放棄して、その手を取った。
本当は、マシューを思い出すものを持っていたくないんだけど。
ライオネルが言うならそうしよう。心配かけちゃ悪いし。大したことじゃないし。
立ち上がり、私はライオネルと一緒に部屋を出た。
手をつないで玄関に向かいながら、ライオネルはずっと無言だった。何か考え事をしているらしい。私はあんまり気にしないで、マーコール邸の内部を観察しながらのんびりとその隣を歩き、廊下に飾られている絵が、山の風景画ばかりだということを発見した。
マーコールって山が好きなの? ぜんぜんイメージないけど。
玄関まではあっという間だった。らせん階段に差しかかり、一階のエントランスに到着すると、それまで黙々と歩いていたライオネルがふと振り返って、
「ねえ、ルーナ」
……えっ。
突然、ぐいっと腕を引かれ、あ、ぶつかると思った瞬間、体が反転した。
よろめいたら背中が壁にぶつかって、視線を上げたらすぐ近くにライオネルの顔があって、目を逸らすことを許さないような強いまなざしが向けられていて……。
「君の正体を教えて。何者だったとしても、俺は変わらないから」
ささやくように、ライオネルがそう言った。
驚いて、私は何度も瞬きした。
正体って何? 質問の意味が分からなかった。
心の中で首をかしげながら、私はじっとライオネルを見つめ返した。
どうしちゃったんだろう?
っていうか、普通に話せばいいのに、なんでこんなに近いの?
何がしたいのか、よく分からなかった。油断したら鼻息がかかりそうで、ちゃんと呼吸ができなくて、そろそろ息が苦しいんだけど。これ、何のつもり?
「近いよ」
しばらくして、顔をしかめてそう伝えると、
「……ごめん」
目力を少しやわらげ、ライオネルはすぐ後ろに下がってくれた。……よかった。
安堵し、自分の足だけで立つと、私は心臓がドキドキしている音を聞きながら、複雑そうに顔をゆがめているライオネルを見上げて、正直に言った。
「急にどうしたの? 私の正体って……、私は私だよ」
「そっか」
残念そうにつぶやいて、ライオネルは嘘っぽく笑った。
「変なこと聞いてごめん」
それから、ライオネルはいつものライオネルに戻って、私のことをすごく心配しながら玄関のドアを開けた。するとオオカミの姿だったグリームが、子猫サイズになって、翼を広げて私の胸元まで飛んでくる。
グリームを抱きしめると、私はライオネルにさよならをして、マーコール邸を後にした。
ここが王都のどこなのか分からないけど、森っぽいところが王都の外だから、色あせ始めた木々が見えるほうに向かう。やがて、誰ともすれ違わなくなって、
「私が黒の領域の人間だって、バレているのかな?」
「どうでしょうね」
尋ねてみると、グリームはどっちつかずの返事をした。
「好きにしていいのよ。何かあったら、みんな食べてあげるから」




