45. 本気の挑戦
ウパーダーナから帰ってきて、数日が経ったある日。
城に突然、ゼオラ姫の一行がやって来た。
私はそのとき、森でダリオンと模擬戦をしていて、不意に空を横切った白い獣の群れに注意を奪われていなければ、ダリオンをぎゃふんと言わせることに成功していたかもしれない。でも私は、いきなり現れた珍しいお客さんに、反射的に驚いてしまって、
「気を抜くな!」
怒られたし、及第点をもらうこともできなかった。
ダリオンとの訓練は、私がウパーダーナから帰った次の日から始まった。
前から優しいわけではなかったけど、白の領域での私の行動があまりにもまずかったせいか、ダリオンは鬼のように厳しい教官に変貌していて、毎日が地獄のよう。
合格ラインに達するまで訓練を続けるって言われたから、一刻も早く解放されたくて、いつも死ぬ気で頑張っているんだけどね。
それじゃダメだ、周りが見えていない、もっと警戒しろ、対応が間違っている、動きが遅すぎる……、そんなダメだしばっかりで嫌になる。
しかもそれだけじゃなくて、普段から気をゆるめすぎだと、四六時中ダリオンに狙われるような感じになって――歩いている時、遊んでいる時、勉強している時、油断していると蛍光塗料入りの水風船が飛んでくるようになって、ぜんぜん気が休まらない。
おかげで夜の私はピッカピカ。
シャックスに大爆笑されて、絶対やり返してやるって決めたんだけど、ダリオンって隠密行動が得意だから、なかなか見つからないんだよね。シャックスをおとりにして、蛍光塗料まみれにしようとしたら、失敗して三人ともピッカピカになっちゃったし。
暗闇で光る私たちを見て、アースがすごくにこにこしていた。
ま、それはともかく。
その日の訓練は、ゼオラ姫がやって来たことで一時中止になった。
城に戻ると、人間の姿になったゼオラ姫とその付き人たちが、庭で待機していた。そしてそのすぐそばには、鎖でつながれた真っ黒な獰猛そうな生き物が二頭。
トラに似た四つ足の動物だけど、私が知っているトラより二回りくらい大きくて、がっしりした肩、しなやかな脚、らんらんと光る赤い目、いかにも肉食動物らしい特徴を備えている獣だ。
背中には白い線状の模様が入っていて、その模様で個体を判別できそうだけど、覚えるのが難しいからなのか、一匹は赤いタグ、もう一匹は青いタグが耳についている。
「あれ、なんていう生き物?」
「知らん。勝手に近付くなよ」
聞くと、ぶっきらぼうに釘を刺された。
へえ、ダリオンにも知らないことがあるんだ。
「ゼオラ姫、なんで来たのか知っている?」
「森に侵入者迎撃用の生き物を増やすそうだ。女王様の命を受けて、あれを届けに来たんだろう。応接間に行けば、詳しい話を聞けるんじゃないか」
「聞きに行く!」
あの獣の正体、すごく気になるよ!
「ダリオンも来る?」
「ああ」
というわけで、私はダリオンと一緒に応接間に向かった。
城の正面から出て来たアースが、ゼオラ姫と何か話しているのを横目で眺めながら、裏口からこっそり城に入る。予定にない訪問だったのか、使用人たちはバタバタしていた。
応接間に着くと、そこにはすでにお母様がいて、
「あの怖い生き物、何⁉」
「ブラッドアイ・ブラックタイガーという魔法生物よ」
開口一番、さっき見た謎の生物のことを話してそう聞くと、お母様は怖がることはないというふうにほほ笑んで答えてくれた。
お母様は知っているんだ。そのことに、私は少し安心した。
見た目はすごく怖いけど、危険な生き物ではないってこと? それならよかっ……。
「通称BBタイガー。近付くと襲われる可能性があるから気を付けてね」
よくないじゃん!
やっぱり見た目どおり、危険な生き物なんじゃん!
「森のみんなが食べられちゃうよ!」
「区画を分けるから大丈夫。それにBBタイガーの主食は魚だから、刺激しなければ襲ってくることはないのよ。知能の低い生き物だから、人の言葉は理解しないけれど」
「森の動物を増やすなら、しゃべれる動物がいいよ! レオみたいな!」
「残念だけど、ルーナの友達を増やすためじゃないの」
そのとき、応接間にアースとゼオラ姫が入ってきた。
私は思わずしゃきっとして、それからアースのこわばった表情を見て、今の自分が訓練の格好のままだと気付いた。お客さんの前に出ちゃいけない格好。
でもお母様には何も言われなかったから、セーフ?
今からでも着替えるべきかどうか迷っていると、アースが微笑みながらダリオンを手招きして、応接間から出ていった。あれは静かに怒っている笑顔だ。
着替えたほうがいいらしい……。
だけどお母様とゼオラ姫が話しているのは世間話みたいなもので、なんだかすぐに話し終わりそうな雰囲気だったし、実際に二人の会話は五分で終わった。
突然やって来てびっくりしたけど、ゼオラ姫はお母様に頼まれていたBBタイガーを連れてきただけみたい。話が終わると、もうビジュニャーナに帰るというから、私は見送りのために、お母様と一緒に外へ出た。
「女王様。お嬢様。お元気で」
ゼオラ姫の一行が、また白いトラの姿になって空を駆けていく。
いきなりお客さんが来る、そんなこともあるんだね。
私はすごく新鮮な気分でゼオラ姫の一行を見送った。そして、その姿がすっかり見えなくなると、庭にたたずむBBタイガーの存在を無視して城の中に戻った。
午前中の授業はもうおしまいのはず。
今日のお昼ご飯、なんだろうなぁ。
と、自分の部屋に向かっていたら、途中でアースに怒られているダリオンを見つけた。
いい気味。クスッと笑って通り過ぎようとしたら、
「お嬢様もいけませんよ。来客の際はきちんとするように、何度も教えているでしょう。ダリオンを頼りきりにしないで、ご自分でしっかり考えて行動してください」
「……はーい」
あーあ、巻き添えを食っちゃった。
知らんぷりして、黙って通り過ぎればよかったな。
お昼ご飯を食べて、少し休憩して、午後にまたダリオンとの訓練を再開する。
今やっているのは、怪しい人が近付いてきたら、戦ったり隠れたりしないで、一秒でも早くその場から逃げろって訓練なんだけど、
「そっちは岩場だ! 追い詰められるぞ!」
いつもなら、グリームがいるから平気だもん!
「迷うな! やたらと振り向くな!」
振り向かなきゃ、相手の位置が分かんないじゃん!
「大抵の大人はお嬢より足が速い。まっすぐ逃げたんじゃ簡単に追いつかれるぞ!」
知っている! でもジグザグに逃げたら、曲がるたびにスピードを落とすな、そんなじゃすぐ捕まるぞって怒ったじゃん! だからまっすぐ走ってみたのに!
「止まるな! おい、そんな幼稚な罠に引っかかる奴がどこにいる? 無駄なことをしていないで走れ! 早くしろ!」
だって普通に逃げたんじゃ、どうせ追いつかれるじゃん!
……とまぁ、こんな感じで、何をやってもダメ、ダメ、ダメ。
最初はおとなしく従っていたけど、そのうちイライラして、むかついてきて、
「じゃあ、どうしろっていうの⁉」
我慢できなくなって、怒り返したら、
「自分で考えろ」
「考えて分からないから聞いているの!」
「もっと考えろ。有事の時に一人だったらどうするつもりだ」
「グリームを呼ぶ!」
「白の領域には、あいつが入れない場所も存在する。だからこうして、お嬢が一人でも動けるように教えているんだろう」
「なら、ダリオンを呼ぶ!」
「俺も白の領域では思いどおり動けない。……そうだな、教えておくか」
呆れた顔をしたと思ったら、ダリオンは不意にまじめな感じになって、
「白の領域で助けてほしい時は、迷わず女王様を呼べ」
「お母様を?」
そんなことを言われたのは、初めてだった。
女王様の邪魔をしてはいけませんよ、とはよく言われる。だから、お母様に頼るのは、あんまりよくないと思っていたんだけど……、うん。
やっぱりちょっと、何かあったときにお母様を呼ぶのは気が引ける。
呼んじゃダメな気がする。
グリームもダリオンも助けてくれないなら、自分で頑張るしかないか。
気を取り直して、ダリオンをぎゃふんと言わせる新しい方法を考えていると、
「あれっ?」
ふと空に、黒い亀の群れが現れた。
え、なんで? 疑問しか生まれてこない。
黒い亀たちは、地上に黒い紐を垂らしながら、ゆったりと城に向かって飛んでいる。きっとBDの領域の人たちだろうけど……、ゼオラ姫に続いて、また?
こんなこと今までなかったのに。
不思議なことって、続くんだね。
「今日はお客さんが来る日なの?」
「たまたま被っただけだろう」
聞くと、ダリオンも知らなかったみたいで、意外そうな顔をしている。でもすごく驚いたり、突然の訪問を怪しんだりはしていないから、いつか来るとは知っていたのだろう。
「もしかして、BBタイガーみたいなのがまた来たの?」
「今度は海洋生物だ」
「それも、しんにゅうしゃげいげきよう?」
「ああ、そうだ。見に行くか?」
「行く」
海洋生物なら、森でばったり会うことはないけど……。
知らない生き物が島の外を泳いでいるのは怖いから、確かめておきたい。
ダリオンと一緒に、私は海岸に向かった。地上に垂らしているように見えた黒い紐で、海に沈めた檻を引っ張ってきたんだろうってダリオンが言うからだ。
ちょっと疑っていたけど、行ってみるとそのとおり。
海岸には大きな黒い亀と、道着みたいな服を着たBDの領域の人がいた。黒い紐を束ねて持って、誰かを待っているのか、暇そうに亀と話している。
「こんにちは。何を連れてきたんですか?」
「サメですよ」
話しかけると、その人は笑顔で教えてくれた。
魔法で海の中を見せてくれて、このサメたちは人食いザメだとか、海の白い死神と呼ばれているとか、連れてきたサメのことを自慢げに話してくれた。
ぼーっとしたような顔のサメで、かわいいなって思ったんだけど、見た目に騙されちゃいけないね。恐々としながら、少し話して私は海岸を離れた。
もう海で遊べない……。
「ねえ、なんで急に怖い生き物を増やすことにしたの?」




