42. 赤鳥の領域
いつの間にか、寝落ちしていたらしい。
気付くと窓から朝日が差し込んでいて、グリームはいるけど、リリアンはもうベッドにいなかった。
いま何時なんだろう?
気になるけど、リリアンの部屋を物色して時計を探すわけにはいかない。大きく伸びをして起き上がると、私はグリームと一緒に、アースが待つ部屋に戻った。すると、
「おはよう」
「おはようございます、お嬢様」
私を見て、アースがにこやかに挨拶を返してきた。
あれ? 顔は笑っているけど、目は少し怒っているようだ。
もしかして……。
おそるおそる時計を見ると、もう九時を過ぎている。
やばい、寝坊だ! 夜更かししたことがバレている⁉
「ご、ごめんなさい……」
「分かっているならいいのです」
びくびくしながら謝ると、アースはため息をついて目じりを下げた。
すごく怒っているわけではなかったようだ。よかった。
簡単に許してもらえて、私は安堵した。アースが本気で怒ったらどうなるのか分からないから、怖いんだよね。朝から心臓に悪い……。
まだ少しドキドキしながら、私はネグリジェからワンピースに着替えた。
それから部屋で、運ばれてきた朝食を食べて、
「今日、お母様が来るんだよね?」
「そうですよ。昼過ぎにいらっしゃる予定です」
「じゃあ午前中は自由ってこと?」
「ええ。ですが外には出ないでくださいね。女王様が到着次第、正装に着替えて、ガネット様のところへ伺いますから。リリアンに誘われてもダメですよ?」
「はーい」
ところで、リリアンはどこにいるんだろう?
私を起こさないで、置き去りにしたリリアン。なんで起こしてくれなかったのって、ひと言文句を言いたい。起きたらすぐ遊べると思って、楽しみにしていたのに。
私、置いてけぼりにされて、今ちょっと怒っているんだからね!
「グリーム、リリアンのにおい分かる?」
追跡してもらおうと思って、グリームにそう尋ねると、
「分からないけれど、彼女の居場所なら知っているわ。演奏室よ」
少し嫌そうな顔をして、グリームはそう答えた。
「演奏室? 何それ。なんで知っているの?」
「ルーナが起きたら伝えるよう、頼まれたからよ。四階の防音室のことらしいわ」
「え⁉ なんで頼まれたとき、私を起こしてくれなかったの?」
「起こしたわよ。だけど、ぐっすり眠っていて起きなかったじゃない。彼女はお兄さんとの朝食に遅れたくなくて、少し迷っていたけれど、諦めて出ていったわ」
「そうなんだ……」
諦めないで、無理にでも起こしてよって思う。
だけど、お兄さんが最優先なところはリリアンらしい。ユリウスとの約束があったなら、仕方ないかって気持ちにもなっちゃう。やっぱり不満ではあるけどね。
「でもなんで演奏室?」
「前に約束していたでしょう? ま、行けば分かることね」
聞くと、グリームはつんとした態度でそう答えた。
なんだか突き放すような言い方だ。
行けば分かるって、そのとおりだけど、なんで今日はそんなに不機嫌なの?
……まぁグリームがこうなるのは、別に珍しいことじゃないけど。
私とリリアンがすごーく仲よしだから、きっと嫉妬しているんだと思う。ライオネルと話していたときに不機嫌だったのも、多分そういうこと。私が他の人に構っていて、自分の出番がないから、退屈でつまらないんだよね。グリームったら、かーわいっ!
すごくすごく大好きだよーって気持ちを込めて、私はグリームの首回りの毛をわしゃわしゃした。迷惑そうな顔をされたけど、気にしなーい!
私はルンルン気分で演奏室に向かった。
階段を上って、上って、四階に着くと、かすかに楽器の音が聞こえてくる。
リリアンが演奏しているのかな?
音がする部屋に近付くと、私はドアに耳を当てた。間違いない、誰かが演奏しているのはこの部屋だ。そう確信してから、取っ手に手をかけ、そうっとドアを開けてみる。
大丈夫だよね? 勝手に開けても怒られないよね?
ちょっと不安だったけど、少し開けたドアの隙間から見えたのは、リリアンとユリウスの姿だった。知っている人でよかったぁ。二人を見るなり、私は安心した。
リリアンがピアノを、ユリウスがバイオリンを弾いている。
演奏に集中しているのか、私が来たことにはまだ気付いていないようだ。二人で息を合わせて、よく分からない曲を演奏し続けている。
音楽のことはぜんぜん詳しくないけど……すごい!
楽器に向き合って、音の連なりを奏でていく二人の姿は、とてもカッコよかった。
私もやりたい! ああなりたい!
「あ。ルーちゃん、おはよう!」
しばらくして演奏が終わると、振り向いたリリアンが私を見つけてほほ笑んだ。
「一緒に歌おう! お兄が伴奏してくれるから!」
「うん!」
私は喜んでリリアンのところに向かった。なんで起こしてくれなかったのとか、なんで置き去りにしたのとか、そういう不満はもうすっかり消え去っていた。
一緒に歌を歌ったり、ピアノの弾き方を教えてもらったりする。楽譜は難しくてちっとも読めなかったし、指が短いせいで、遠くの鍵盤が押しづらくて大変だったけど、ピアノを弾くのはとても楽しかった。
それから、ユリウスにバイオリンもやらせてもらったけど、こっちは弦を押さえながら弓を動かさなくちゃいけなくて、しかもギィーギィーって、さびた蝶番のドアが軋むような音しか出なくて、早々に諦めた。バイオリンは、きれいな音を出すだけでも大変みたい。弾けたらカッコいいけど、私にはまだ早かったのかな。
一生懸命に練習していると、時間はあっという間に過ぎていって、
「お嬢様。女王様が到着されましたよ」
「もうそんな時間⁉」
気付くと正午を過ぎていた。
もっと歌ったり弾いたりしていたかったけど、お母様を待たせるわけにはいかない。
「ルーちゃん、また後でね!」
「うん!」
仕方なくリリアンたちと別れて、私はアースと部屋に戻った。
正装に着替えて、馬車に乗り込んで、お母様が待つガネットの城へと向かう。
ところが、呼ばれていたのは私だけではなかったらくて、
「えっ」
ガネットの城へ行く馬車には、アースだけでなくグリームも乗り込んできた。そして城に着くと、別の馬車から降りるリリアンとユリウスの姿が見えて、すごく驚いた。
みんな呼ばれていたの? リリアンも?
意外だったけど、知り合いが多いというのは心強い。
それにリリアンったら、ウパーダーナの王の城なのに、お兄の正装カッコいいと目をハートにしてはしゃいでいて……。ほんとぶれなくて、さすがだと思う。緊張せず、いつもどおりでいられるところは尊敬する。私も見習いたい。
「我が領域へようこそ。歓迎いたします、女王様」
ガネットへの挨拶は、すぐに済んだ。
お母様と合流して、一緒にガネットのところへ行って、形式的に少ししゃべったらそれでおしまい。お母様の前だからか、今日のガネットは変人成分ひかえめな感じだった。
無難に挨拶を終えると、会議があるらしくて、お母様とガネット、アース、ユリウスは別の部屋に移動した。私とグリーム、リリアンは用事が済んだから、馬車で先にブラック邸へ戻った。あっという間だった。
帰りの道中、リリアンはうきうきとご機嫌で、
「ルーちゃん。家に帰って着替えたら、城下町に行きましょう」
「え?」
急に誘われて、私は返答に困った。
行きたいという気持ちはある。だけど、、行っていいのかな?
アースは、午前中は外に出ちゃダメだと言っていた。でもそれは、ガネットの城に行くという用事があったからで、用事が済んだ今なら、ダメと言われない気もする。
……どうなんだろう?
「アースに聞かないと分からないよ」
悩んだ末に、私はそう言った。
グリームがいるとはいえ、アースに無断で出かけるのはよくないと思う。バレたら本気で怒られそうだ。今回のこの訪問を、嫌な記憶にはしたくない。
「平気だよ!」
ところが、リリアンは少し得意げな感じで、
「ルーちゃんを城下町に連れていきますって、アース様に許可は取ってあるから!」
「え? そうなの?」
「うん。だって、ずっと家にいるのは退屈でしょう?」
うーん。リリアンと一緒なら、退屈はしないと思うけど……。それより、
「今日は会議だって、知っていたの?」
「もちろん。ルーちゃんは聞いてなかったの?」
「……」
いい加減にしてよね。
私は無言でうなずき、心の中でアースをなじった。
なんで私には情報共有してくれないの? 変だと思ったら、グリームとリリアンがガネットの城に来たのって、私の帰りの護衛のため? どうせあとで分かることなんだから、隠さないで、ちゃんと先に教えておいてよ! アースのバカ! 意地悪!
ブラック邸に到着すると、着替えたらエントランスに集合ねと約束して、私はぷんすかしながら部屋に向かった。これだから大人は嫌い!
でも借りている部屋に入ると、黒い影たち――アースが呼び出す顔のない人形たちが待っていて、どうやって着替えればいいんだろうってすごく悩んでいたから、アースありがとうってなった。
本当にリリアンは、事前にアースに話をしていたみたい。着替えを手伝ってくれた黒い人形は、最後にお小遣いまでくれて、私はアースに怒る気力が失せてしまった。
変わらず不満ではあるけどね。
私が出かけられるように準備までしてくれていたのに、なんで説明のひと言はいつもないんだろう。毎回ど忘れしているわけ?
なんだかなぁと思いながらエントランスに下りると、すでにリリアンが待っていて、
「ルーちゃん! 準備はバッチリ?」
「うん!」
「じゃあ行こう!」
まぁいいやと考えるのをやめて、私はリリアンと一緒に城下町に出かけた。
馬車に乗って町の中心まで行って、カラフルなお店をのぞきながらリリアンと並んで歩く。
ウパーダーナの城下町は、明るいオレンジの旗があちこちに飾られていて、行き交う人々の服も派手な暖色が多い。賑やかな声が響いていることも相まって、とても活気のある雰囲気だ。特に買いたいものがあって町に出たわけじゃないけど、
「わぁ……」
城下町にはかわいいものがたくさんあって、見ているとほしいものが次々と出てきた。
きらきらのブレスレット、鳥の羽のペンダント、ザクロ石のビーズ、チョウチョの形の髪留め……でも高くて、全部買いたいけどお金が足りない。
どれを買おうか悩みながら、あっちこっちに行ったり来たり、真剣に慎重に吟味して、
「これにしよう」




