41. 赤鳥の領域
「門を開くのに、なんでそんなに時間がかかるの?」
「さぁ、知らない」
ビスケットをかじりながら、リリアンは考えるような顔をした。
「強い人が簡単に領域を行き来できたら、白の領域があっという間に滅びちゃうからじゃない? それだとかわいそうだから、女王様が制限をかけているのかも」
「お母様が?」
「うん。女王様以外に、そんなことできる人はいないよ」
「……そっか」
それは確かにそうかも。
だけど、すっごく不思議。
お母様は、どうしてそんな制限をかけているんだろう?
そういえばダクトベアは、門が現れてから悪魔が出てくるまで、普通は二、三日かかるって言っていたんだよね。
もしかしてそのタイムラグって、現れる悪魔の強さによって変わるもの? ユリウスが門を開こうとしたら、白の領域に一か月くらい門が出現していることになるの?
そうだとしたら、ライオネルたちが門を探して壊そうとしていた理由に納得だ。
ユリウスみたいな人が白の領域に現れたら、誰も敵わないから、開く前に門を壊して回っている。そうやって地道に、強い悪魔の出現を防いでいるのかも。憶測だけど。
ところで、
「ウパーダーナでは、魔力があんまりない人はみんなキメラ人間なの?」
白の領域の人たちが、黒の領域の人間を『悪魔』って呼ぶのは、きっと見かける人がみんなキメラ人間だからだよね。実際はキメラじゃない人もたくさんいるのに。
どうして魔力の少ない人は、キメラ人間になっちゃうんだろう?
これまでは、黒の領域の弱い人とあんまり会うことがなかったから、キメラ人間もいるんだなぁってくらいにしか思っていなかった。でも黒の領域の弱い人間が、みんなキメラ人間なのだとしたら、それはさすがにおかしいと思う。
何か理由があるのかな? そう思って尋ねてみると、
「ううん、魔力がある人はみんなキメラだよ」
そんな答えが返ってきて、私はきょとんとしてしまった。
え……えっ? みんなキメラなの?
「鳥や虫に近い見た目をしている人ほど弱くて、強い人は完全な変身もできるけど、普段は特徴を隠しておくものなの。何のキメラか知られたら、弱点がバレちゃうからね」
「ふぅん。……もしかして、リリちゃんも?」
「そうだよ」
まさかと思って聞いてみると、あっさり肯定されて驚いた。
え……えっ? 本当に? リリアンもキメラなの?
「ガネット様と、魔力ゼロ以外の人はみんなキメラなんだけど、知らなかった?」
「うん、初めて知った。リリちゃんは何のキメラ?」
「チョウだよ。……見たい?」
「見たい!」
聞かれてうなずくと、リリアンは立ち上がってソファーの後ろに移動した。
本当にキメラなの? 半信半疑で見つめていると、リリアンはにこりと笑って、背中に黒いチョウの翅を出してくれた。濃い紫の模様が入った、アゲハチョウみたいな形の翅。
「わぁ……」
怪物みたいな姿になっちゃうのかなって、ちょっと心配していたけど、ぜんぜんそんなことはなかった。
リリアンのチョウの翅は、きらきら光を反射するように輝いていて、とってもきれい。キメラ人間だったってことには衝撃を受けたけど、チョウチョのキメラってなんだかすごくリリアンらしくて、しっくりくる。
「きれいだね」
「でしょ? お兄と色違いなの。でも私たちがチョウだってことは秘密だよ?」
「うん!」
安心して! リリアンの秘密は、絶対誰にも言わないよ!
「だけど、なんで魔法が使える人はみんなキメラ人間なの?」
「知らない。そういうものだって聞いているし、魔法が使える人でキメラじゃない人はいないみたいだよ。ここでも、よその黒の領域でもね」
「そうなの?」
信じられない。だってそれが本当なら……。
「城の人たちはみんな、普通の人間だと思うんだけど?」
「隠しているだけよ。女王様のところの人たちは、みんな強いから」
「そうなんだ……」
本当かな? あとでアースに聞いてみようっと。
その後も私たちは、たわいのないおしゃべりを続けた。
そして、やがて夕方になると、
「お嬢様。晩さん会の準備をしましょう」
アースがリリアンの部屋にやって来て、私にそう言った。
もうそんな時間? まだまだしゃべっていられるんだけど……、仕方ないか。
夕食の時間が近いなら、そろそろ準備しなくちゃね。
泊まらせてもらうからには、家主に挨拶しないといけない。
と、私が立ち上がってアースのところに行こうとすると、その前に、ガタンッと机を鳴らしながらリリアンが立ち上がって、
「えっ⁉ お兄、もう帰ってきているんですか⁉」
「ええ、先ほどお会いしましたよ」
「うそっ! 私がお兄の帰宅に気付かないなんて、そんな……」
なんだかすごく、ショックだったみたい。
信じられないというように目を見開いて、わなわな震えると、
「ちょっと行ってくる! ルーちゃん、また夕食の席でね!」
ぱっと走り出して、リリアンは部屋から出ていってしまった。その後ろ姿に、大人のお姉さんの風格はもうない。必死だなぁ。本当にお兄さん大好きなんだなぁ。
私はアースとグリームと部屋に戻って、髪や服をきれいにしてもらって、
「アースもキメラ人間だったの?」
夕食まで時間があったから、知ったばかりのことを聞いてみたら、
「いいえ、ちがいますよ」
あっさり否定された。
「え? でもリリアンが、魔法を使える人はみんなキメラだって」
「ええ。そのとおりですが、お嬢様がキメラではないように、例外も存在するのです」
「ふーん!」
それを聞いて、私は少し安心した。
キメラは嫌だとか、そういうことを言うつもりはないけど、その人がキメラだって分かったら、ちょっと怖いなって気持ちは生まれちゃうから。
頭に角が生えているザガンとか、大人なのに私よりも小さいナユタとかだったら、普通の人間じゃないって言われてもすんなり受け入れられるんだけどね。
「じゃあやっぱり、城の人たちはキメラじゃないんだ」
「そういうわけではありませんが……、お嬢様。使用人たちが隠しているうちは、やたらと詮索してはいけませんよ。知られることを嫌がる者もおりますので」
「そうなんだ。分かった!」
ふーん、変なの。キメラとそうじゃない人がいるんだ。
アースはキメラじゃないけど、城にキメラ人間がいることを知っているっと。
気になるなるなぁ。釘を刺されちゃったし、人の嫌がることをするつもりはないから、聞いて回ったりはしないけどね。
誰がキメラだと思う?
と、グリームと話をしていると、そのうち夕食の時間になって、私はアースと一緒に食堂へ向かった。食事の場に獣がいるのはよくないから、グリームは部屋でお留守番だ。
食堂に着くと、そこにはリリアンの部屋に飾られていた肖像画そっくりの人がいて、
「お嬢様。お越しいただきありがとうございます」
さっそく挨拶された。
背が高くて、肩幅が広くて、少し垂れ目な、物静かな雰囲気の男の人。
声がすごく大人っぽい。青みの強い黒髪は、月の光に照らされた夜空のような色をしている。兄弟だけど、お母さんがちがうせいか、リリアンとはあんまり似ていない。
「ご招待いただき、ありがとうございます」
知っている人だけど、緊張する……。
挨拶を返し、言葉遣いに気を付けながら、聞かれたことに当たり障りなく答える。
やがて促され、用意されていた食事の席に着くと、アースに食事のマナーを注意されながら、出された食事に舌鼓を打ち、ユリウスとリリアンと会話して、笑って、しゃべって、聞いて、また食べて、飲んで、おしゃべりして……。
「疲れたぁ!」
楽しかったけど、すごく疲れた食事の時間だった。
きちんとした雰囲気だったからかな?
隣でアースに監視されていたからかな?
部屋に戻るとすぐ、私はベッドにダイブしようとしたんだけど、
「ダメですよ。服にシワがつくでしょう」
実行する前に、アースに気付かれて進路をふさがれてしまった。
ふかふかのベッドに思い切り飛び込んで、そのまま夢の世界に旅立ちたかったのに。
あーあ、残念。
「着替えますよ」
「はーい」
でも実は、そんなに残念って程じゃない。
おとなしく服を脱がされて、お風呂に入って、ネグリジェに着替えて、私はベッドの上でごろごろした。そうして、もう寝るかまだ遊ぶか考えていると、
「ルーちゃん、恋バナしよう!」
「する!」
ドアをノックする音がして、リリアンが誘いに来てくれた。
大歓迎! ……なんだけど、アースは渋るような顔をしていて、
「今からですか? もう夜ですよ」
「えっ、お泊りの夜の恋バナほど楽しいことはないのに! ダメなんですか?」
「お願い!」
こんなチャンス、めったにないよ!
全力で頼むと、アースは困った顔をして、それからゆっくりグリームを見た。
今日は借りてきた猫のようにずっと静かで、存在感のないグリーム。今も部屋の隅っこで丸まって、置物みたいになっていたんだけど、アースの視線に気付くと顔を上げ、小さくうなった。
多分、いいわよ、って言ったんだと思う。
つまりグリームと一緒なら、リリアンの部屋で恋バナしてもいいってことね。
やった! ……って私は思ったけど、リリアンは不満だったみたいで、
「それも来るの?」
「わたくしがついて行きましょうか?」
「ダメ! 大人は立ち入り禁止でーす!」
「……。あなたと私と、年はそう変わらないはずですが」
「そういうことは言わないで! 恋する乙女の聖域に入ることは、許しません!」
わぁ! なんだかリリアン、カッコいい!
その後、リリアンはいろいろな妥協案をアースに提示したけど、全部却下されていた。
結局、私はグリームを連れてリリアンの部屋へ行くことになって、
「お嬢様。くれぐれも夜更かしはしないでくださいね」
「はーい!」
恋バナって言葉の響き、すごくいいよね。
聞いただけでわくわくしちゃう! 私が話せることはないし、リリアンがしゃべるのは、もちろんユリウスのことだけなんだけど。
リリアンの部屋に行くと、私たちは並んでベッドに横たわって、おしゃべりをした。リリアンはユリウスが世界で一番カッコいいと力説して、私はおおむね同意した。
「お兄はシャイだけど、すっごく強いし、すっごく優しいんだよ。戦争に行ったら負けなしだし、一緒に歩くときは私に合わせてゆっくり歩いてくれるし、バイオリンが上手だし、変な女になびかないし、アンニュイな笑顔が尊いし……」
「うん。強くて優しくてカッコいい人って、素敵だよね」
「うん、うん。ところで、ダリオンさんはどうなの?」
「え? うーん……」
途中までは聞くばっかりだったのに、突然そう聞かれてすごく困った。
ダリオンねぇ。
考えて、嫌な思い出ばっかりが次々と浮かんでくる。強くて顔がよくて、たまに優しいこともあるけど、ダリオンと恋愛するなんて、無理だしあり得ない。
だって怒るんだもん。
頼りになるし、カッコいい! って思うこともあるにはあるけど……。
面白い反応をしてくれるから楽しいし、嫌いなわけじゃないんだけど……。
でもやっぱり、怒るからあんまり好きじゃない。
優しさが足りていないんだよ、ダリオンは。
「ダリオンは怒るから嫌」
「えー、なかなかのイケメンなのに? お兄には負けるけど」
「うん、ユリウスにはぜんぜん敵わないよ。本当に戦ったら、どっちが勝つのかは知らないけど。いいなぁ。私もユリウスみたいな優しいお兄ちゃん、ほしかったなぁ」
「いいでしょ~。……言っておくけど、あげないよ?」
「知っている。あーあ、リリちゃんみたいなお姉ちゃんもほしかったなぁ」
「え、私たちの妹になりたいの? それなら歓迎してあげる……、やっぱダメ! お兄が私だけのお兄じゃなくなるなんて、そんなの無理だ! ごめんね、ルーちゃん!」
「いいよ。リリちゃんと張り合うつもりはないから……」




