40. 赤鳥の領域
空の旅は想像以上に長くて、気付くと私は魔法の馬車の中で眠っていた。
目が覚めたのは、誰かの話し声が聞こえたからだ。ゆっくりまぶたを持ち上げると、馬車の外に向かって何かしゃべっている、いつもと変わらないアースの姿が見える。
誰としゃべっているんだろう?
気になって、こっそり窓の外をのぞいてみると、そこにはトサカのような赤い羽飾りを頭につけた、ひと目でガネットの領域の人だと分かる男の人がいた。
馬車は、私が寝ている間にトンネルをくぐって、ガネットの領域に入っていたらしい。
トンネルをくぐる瞬間は、起きていたかったんだけど……。
まぁ、過ぎてしまったことは仕方ない。
「では、ガネット様の居城までご案内いたします」
「よろしくお願いしますわ」
そう会話して、トサカ頭の人が馬車から離れていくと、
「着いたの?」
もう一度ちらっと窓の外を確認して、私はアースにそう聞いた。
窓から見えるのは空と海ばかりで、ガネットの城らしきものは見えない。でもガネットの付き人っぽい人が馬車の周りにたくさん集まっているから、きっともうすぐなのだろう。
「おはようございます。もう少しですよ」
振り向きざまにほほ笑んで、アースはそう言った。
もう少し? その返答に、私は思わず苦笑した。
アースの『もう少し』は、五分だったり三十分だったり一時間だったり、その時々によってまちまちで、正直、信じられないんだけど……。
「あと何分?」
「五分くらいだと思います」
うん、それなら本当にもう少しだ。
「まだ城じゃないのに、なんでこんなにたくさん人がいるの?」
「お嬢様の訪問を領域中にアピールするためですよ」
「アピール? なんで?」
「権力者とのつながりを誇示したいのでしょう」
「私って権力者なの?」
「いいえ。ですが、ずっと先の未来では権力者になっているでしょう?」
うーん? そうだとしても、それって何千年も先のことだと思うけど?
偉いのはお母様であって、私じゃないし。
大人の考えることってよく分からないや。
アピールって何をするんだろう、と思いながら、私はぼんやり窓の外を眺めていた。
するとしばらくして、ペガサスたちが再び動き出すと、馬車の周りにいる人たちが、一斉に魔法を使った。急に眩しい光をまとって、赤や青、黄色、紫といった鮮やかな色の大きな鳥の姿に変化して、馬車を取り囲んで並走を始める。わぁ、すごくきれい!
全部、見たことのない鳥たちだった。
羽根の一枚一枚がつやつやしていて、真珠のように輝いている。空の宝石って感じで、囲まれていて悪い気はしない。そばで見ていてもきれいだけど、ふと見上げた瞬間にこのきらきらした鳥たちが飛んでいるのを見つけたら、きっとすごく感動するだろうなぁ。
夢中で眺めていると、きれいな鳥たちに先導され、魔法の馬車はやがてガネットの王城の一角に着地した。ドーム状の屋根の横で、鮮やかな色とりどりの旗が風になびいている、豪華っていうよりは派手な印象を受ける宮殿。
何時間かぶりに地上に足をつけられて、ようやくだ! って開放感があふれてくる。でもリリアンの家に向かうために、今度は黒い馬が引く馬車に乗り換えないといけない。
用もないのに王城の敷地に留まるのは、あんまりよくないらしいから。
ガネットの城の人たちに、ペガサスの世話と魔法の馬車の管理を任せると、促されるまま用意された馬車に乗って、私はリリアンの家に向かった。
もちろんアースとグリーム――グリフォンの姿で魔法の馬車を後ろを飛んでいたけど、今はオオカミの姿になっているグリームも一緒だ。
また馬車に揺られるのかって、乗るときはちょっと憂うつだったけど、乗ってしまえばリリアンの家――お兄さんのユリウス・ブラックが公爵の地位を継いでいる、ブラック公爵家にはすぐ着いたし、道中は楽しかった。
城下町の外れにあるそうで、十五分くらいかかると御者のおじさんに言われたけど、窓の外の景色が面白くて、見ていたらあっという間だったのだ。
「ルーちゃん! いらっしゃい!」
馬車から降りて、公爵邸の入り口に向かう。
すると途中でリリアンが現れて、笑顔で歓迎してくれた。
リラックスしていたのか、長いガウンのような薄紫の服を着ている。大人のお姉さんって感じの色気がある雰囲気で、ちょっと憧れちゃう。
「リリちゃん! 久しぶり!」
また会えたことが嬉しくて、挨拶を返すと、私はリリアンのところまで走っていこうとした。けれど、走ろうとしてちょっと大きく足を開いたら、ブチッと嫌な音がして……。
どこかの糸が切れた? バレていないよね?
無理をして、もしも破けたら大変だと思って、走るのはやめた。
代わりに、小股の速足でリリアンのところへ向かって、
「招待してくれてありがとう!」
「どういたしまして。待っていたよ! ゆっくりしていってね!」
「うん!」
言葉を交わしてハグをすると、私はいったんリリアンと別れた。
今すぐにでも遊びたい気持ちはあるけど、着替えなくちゃ心置きなく動けないし、これから何日か泊まらせてもらうから、そのための説明を受けたり、部屋に案内してもらったりしないといけない。
まぁ細かいことは全部、アースに任せるんだけど。ところで、
「公爵って一番えらい貴族だよね?」
この屋敷の主であるユリウスは、今は不在らしい。
挨拶をするのは夕食の時ということで、しばらく使わせてもらう部屋に入ると、アースに服を脱がせてもらいながら、私はちょっと気になったことを尋ねてみた。
貴族の序列は『公侯伯子男』って習ったんだけど、
「それにしては、家があんまり大きくない気がする」
「ここはタウンハウスですからね」
「? なぁに、それ」
「首都に構えた屋敷のことですよ」
忙しく手を動かしながら、アースはつらつらと説明してくれた。
「貴族の多くは自分の領地と首都を頻繁に行き来するので、首都に比較的小規模なタウンハウスを構えておくものなのです。ブラック公爵領まで行けば、お嬢様が想像しているような、もっと大きなカントリーハウスもあるはずですよ」
「そうなんだ。そっちには行けないの?」
「まだ女王様が許可されないでしょう。城下町を出るのは危険ですから」
「どうして?」
「……すべての人が、奇跡の力に恵まれているわけではないのです」
え?
びっくりして、私はアースの顔を見ようとした。だけどしっかり体を押さえられていて、振り向くことはできなかった。着替え中だから仕方ないんだけど……。
奇跡の力って魔法のことだよね?
黒の領域にも、魔法を使えない人がいるってこと?
「時が来れば、女王様が教えてくださいますよ」
黙って考えていると、アースはお決まりの文句を言って、私にワンピースを着せた。
黒くて、ひらひらしていて、裾や袖口にラメが光っているやつ。
本物の正装ではないけど、汚したら怒られそうな、いつもよりきっちりしている服だ。
「いってらっしゃい。礼儀正しく振舞ってくださいね」
「……うん!」
ごまかされたなって気付いたけど、私はあえて気にしないことにした。
追及している場合じゃない。今はそれより、リリアンだ!
部屋を出ると、私はグリームと一緒にリリアンを探しにいった。
ブラック邸は縦に細長くて、人を探そうと思ったら、ワンフロアずつ行ったり来たりしなくちゃいけない。だから、まずは一階から探そうと決めて、らせんの階段を下りたら、
「あ、ルーちゃん! 来たね!」
ちょうどそこにリリアンがいた。
え? なんで?
偶然にしてはできすぎているようで、なんかちょっと怖い。
でも偶然だよね? そのはずだ。私のことを待っていたとしても、来るかどうかわからないエントランスで待っているわけがない。……うん、そうだ、きっと偶然だ。
「私の部屋においでよ!」
「うん、行く!」
最初からそのつもりだったから、もちろん返答は決まっている。だけど、
「でもリリちゃん、ここで何していたの?」
やっぱりちょっと不気味で、そう聞いてみると、
「おやつをもらいたくて厨房に行っていたの。部屋で食べようよ!」
そんな回答をされた。怪しい要素は一つもない。
なーんだ。会えたのはやっぱり、偶然だったんだね。
ほっとして、私はリリアンの後ろについて、下ったばかりの階段を上った。リリアンの部屋は三階、私が借りている客室の一個上の階にあるらしい。
案内されて、しゃべりながらリリアンの部屋に入ると、
「わぁ……」
そこは、とてもリリアンらしい部屋だった。
カーテンや寝具は薄紫で統一されていて、壁には青髪のイケメンの絵がたくさん飾られている。リリアンが大好きな、お兄さんユリウスの絵だ。リリアンが描いたらしい幼少期から現在までの連作や、人に依頼して描かせたらしい本格的な肖像画まで、いろいろある。
「すごいね……」
知っていたけど、本当にユリウスが大好きなんだなぁって改めて思い知らされる。
ちょっとびっくりしながら部屋を見回して、そうつぶやくと、
「でしょ? ね、こっちでおやつ食べようよ」
「うん!」
三時じゃないけど、おやつの時間!
誘われて、私はうきうきしながらソファーに座った。そして、リリアンと一緒にいろんなおやつを食べながら、たくさんおしゃべりをした。
リリアンは主にユリウスのことを話して、私はライオネルの話をした。
最近、ユリウスが家にいないことが多くてちょっと寂しい。でも久しぶりに会うと、イケメン度が増していてすごく感動する。城下町に新しいマフィン屋さんができて、期待していたのにまずかった。なのにユリウスは『普通だ』と言って食べていて、味覚音痴なのかもって心配になった。この前一緒にお出かけしたら、すぐそばに私がいるのに、ユリウスに声をかけてくる女がたくさんいてムカついた。
……とか、いろいろ聞いた。
私が白の領域の話をすると、リリアンはあんまりいい顔をしなかったけど、
「鳥とか虫のキメラ人間って、ウパーダーナの人だよね?」
「そうだよ」
「白の領域でバッタ人間とかフクロウ人間に会ったよ。あと、クラウド子爵にも」
「あぁ~! ルーちゃんだったんだ。クラウド子爵をこらしめてくれたの」
「えっ?」
途中で、急に知っているような反応をされて驚いた。
リリアン、何か知っているの? 私がこらしめたっていうか、飛びかかってきたからライオネルが倒してくれたんだけど……。
「あの人やばいよね。自分の領地が不作だったからって、白の領域に部下を送り込んで、食べ物を略奪させていたらしいじゃん。死んでから分かったことだけど」
「そうだったんだ」
びっくり。
リリアンが知っていたことにも、そんな理由があったんだってことにもびっくり。
だけど、それ以上にびっくりなのは、
「白の領域へ行くのって、そんなに簡単なことなの?」
「人によるかな」
聞くと、リリアンはごまかさず教えてくれた。
「魔力があんまりない、鳥や虫の特徴を隠せないような人なら簡単なの。でも強い人が向こうに行こうとすると、時間がかかって大変なんだよね。たとえばお兄が白の領域に行こうとしたら、門を開くのに一か月以上はかかるらしいよ」
「そんなに⁉」
「うん。お兄は最強だからね」
ビスケットをつまみながら、リリアンは得意げにそう言った。
え、そういうものなの? ユリウスが強いのは知っているけど……。




