4. 最初の過ち
そこは、お世辞でもきれいとは言えない場所だった。
変な嫌なにおいがするし、道にはとがった石やごみが散らばっている。目の前には窓のない小さな石造りの家があって、その奥に見えるのは畑と森ばかり。
のどかな風景と言えなくもないけど、豊かな自然に囲まれた穏やかな村というよりは、衰退しつつある貧しい村という雰囲気を感じる。見上げた空が、広くて青いのは黒の領域と同じだけど、それ以外のところは黒の領域とは似ても似つかない。
見慣れない景色をじっと眺めていると、
「ねえ、君はどこから来たの?」
うかがうように、金髪の男の子がおかしなことを聞いてきた。
え? 見て分かることじゃん。
なんでそんなことを聞いてくるんだろうと不思議に思いながら、私は男の子の顔をじっと見つめ、自分が出てきた木箱を指差して答えた。
「どこからって、そこからだよ」
「えっと、そういうことじゃなくて」
困ったような顔をして、男の子はすぐ質問の言葉を変えた。
「君はなんていう町から来たの? このあたりじゃ見かけない顔をしているから」
「顔? 私の顔って、そんなに変?」
「ううん、そうじゃなくて……。ここは小さな村だから。俺たち、この村にいる子供とはみんな顔見知りなんだ。君のことは初めて見るから、よそから来たのかなって」
「ああ、そういうことね」
質問の意味を理解して、私は肯定のうなずきを返した。
「うん、確かに私はよそから来たの」
「ひとりで?」
「うん」
「お父さんとお母さんは?」
「お父さんは知らない。お母さんはいるけど、すごく忙しそうにしていたから、何も言わないでここまで来ちゃった。誰も遊び相手になってくれなくて、すごく暇だったの」
「えっ。それって……」
私が事情を話すと、金髪の男の子はもごもごと何かつぶやいて、考え込むように少しうつむいた。そしてためらうように、おずおずと口を開いて言葉を続けた。
「それってつまり、君は家出してきたってこと?」
「そうかもしれない」
「それはまずいんじゃないのかな」
きゅっと眉根を寄せて、男の子は心配そうな顔をした。
「この近くでもうすぐ、悪魔との戦争が始まるんだ。それで今、大人たちは避難準備で忙しい。学校も休みになったから、俺たちはちょっと暇しているところで……」
「そうなんだ。よく分からないけど、暇なら私と遊んでほしいな!」
すごい偶然!
戦争のせいで、お互い暇なんて奇跡的だ。
「私、自分と同じくらいの子供に会うのって初めてなの!」
「えっ。……そんなことってある?」
わくわくしながらそう伝えると、金髪の男の子は目を丸くして、信じられないように顔をしかめた。そして意見を求めるように、仏頂面でたたずむ隣の赤毛の男の子を見て、
「……クソ田舎なら、そんなこともあるんじゃねぇの?」
赤毛の男の子が投げやりにそう答える。
「この村より田舎ってこと?」
「そうなんじゃね?」
「そっか。一人も友達がいないなら、逃げたくなるのも分かるかもしれない」
……勘違いされているなぁ。
あえて訂正しないで、私はにこにこしながら二人の話を聞いていた。
私が住んでいるところは、多分、田舎ではない。でも私は、どうしてあの島に私以外の子供がいないのか知らないから、訂正して理由を聞かれると困ってしまうのだ。
「遊んでもいいけど、俺たちが最近やっているのは、森でキノコを採ったり、動物を狩ったりっていうのばっかりだよ」
やがて私のほうに向きなおって、金髪の男の子は申し訳なさそうに口を開いた。
「戦争のせいで、食料のほとんどを軍隊に持っていかれたから」
「面白そう! 連れていって!」
喜んで私はお願いした。
動物を狩るのはやったことがあるけど、キノコを採るのは初めてだ。
楽しみだなと期待して、早く遊ぼうという気持ちで金髪の男の子を見ていると、その子はほっとしたように少し笑った。そして、ちょっと困ったような顔をして、
「いいよ。ところで、君の名前はなんて言うの?」
そう聞いてきた。そういえば、まだ自己紹介をしていないんだった。
「ルーナ」
「ルーナ? 不思議な名前だね」
「そう? あなたはなんて言うの?」
「俺はライオネル。で、こっちはダクトベア。俺たちは親友なんだ」
「ふぅん。ライオネルに、ダクトベアね。親友ってなぁに?」
「普通の友達より、もっと仲のいい友達ってことだよ」
ライオネルが自慢げに答えて、ちらりとダクトベアに目配せする。
「じゃ、準備ができたら、森の入り口で待ち合わせってことでいい?」
「おう」
短く答えると、ダクトベアはくるりと回れ右をして、どこかへ走り去ってしまった。
あれ、ダクトベアも一緒に遊ぶんじゃないの?
「どこに行ったの?」
「家だよ。狩りのための道具を持ってくるんだ」
尋ねると、ライオネルはにっこり笑って教えてくれた。
「俺もいったん家に帰って、キノコの籠を取ってこなくちゃいけない。一緒に行こう」
なるほど、そういうことね。
「うん、分かった」
納得すると、私はどきどきしながらライオネルと一緒に歩き出した。
初めての場所、初めての景色。ちょっと見ただけで察しがついていたけど、そこはやっぱり、人がほとんどいない寂しい村だった。
たまに大人を見かけてびくっとしたけど、すごく忙しいのか、子供には見向きもせず走り去っていく。子供に構っている暇はないと言わんばかりの態度で、城の大人たちの反応に、少し似ているような気がしなくもない。大人ってみんな、そういうものなのかな?
畑と雑草に挟まれたでこぼこ道を、きょろきょろしながら歩いていると、
「ちょっと待っていて」
そう言ってふと、ライオネルが小さな家の前で立ち止まった。
そこが彼の家らしい。石積みの古そうな家で、変色したり、砕けたりした瓦が屋根を覆っている。あきらかに劣化しているのに、なんで屋根をきれいにしないんだろう?
ひと目見た瞬間、むくむくと疑問がわいてきた。
ライオネルが家の中に入っていくのを見送ると、私は少し考えてみた。
城の瓦が壊れた時は、使用人たちがすぐに交換している。なんでかっていうと、割れた瓦を放置すると、雨漏りする可能性があるからだ。要するに、瓦を交換するのは見た目だけの問題じゃなくて、住み心地の問題もあるってこと。だからなるべく早く、取り替えたほうがいいと思うんだけど……、もしかしてこの村には、屋根瓦を交換できる人がいないの?
「お待たせ」
屋根を見上げて考えていると、浅い籠を持ったライオネルが割とすぐに出てきて、なぜかすごく嬉しそうな様子で声をかけてきた。何かいいことがあったのかな?
「行こう」
「うん」
戻ってきたら、家の外装をきれいにしない理由を聞こうと思っていたんだけど……。嬉しそうなライオネルを見たら、なんとなく聞きづらくなってやめた。
そんなに興味があるわけじゃないし。
今はそれよりキノコ採りだ!
籠を持って、私たちは村はずれの森に向かった。
森の入り口では、ダクトベアがすでに待っていた。矢筒を背負い、腰に弓をぶら下げている。
原始的な方法で狩りをするつもりなんだ?
少し驚きながら合流して、茂った植物をかき分けながら、一緒に森の中へ入っていく。
森の中を歩きながら、ライオネルがキノコについて教えてくれた。
「キノコはね、木の根っことか、倒木の周りによく生えているんだ。でも見つけたらなんでも食べられるわけじゃなくて、中には毒キノコもある。たとえば、ほら、そこに生えている白いキノコ。それはホコリタケかニセショウロで、触ると割れてホコリを出すから、触らないほうがいい。ニセショウロだったら毒キノコだし、ホコリタケでもあんまりおいしくはないし。あ、これは食べられるやつ」
木の根元に茶色いキノコを見つけて、ライオネルが意気揚々と話を続ける。
「これはアミタケ。カサの裏があみあみになっているでしょ? こういうのは食べられるから、似たようなキノコを見つけたら、カサの裏を確認してみて」
「うん、やってみる」
聞いた感じでは、キノコ採りはあんまり難しくなさそうだった。
了解してうなずくと、私は枯れ葉だらけの地面をじっと見つめた。
キノコ、キノコ……。
ところが、なかなか見つからない。
白いキノコはいくつかあるのに、茶色のキノコはさっぱり見当たらない。
おかしいな?
近くにいるライオネルやダクトベアは、簡単に見つけて採取して、どんどん森の奥へ進んでいるのに。まるで私の視界にだけ、食用キノコが存在していないようだった。
どうして? 私のいる場所が悪いの?
「あっ、おい。キノコ踏むなよ」
場所を変えようと思って歩き出すと、ダクトベアに注意された。
え、と思って足元を見ると、踏みつぶされてぐちゃぐちゃになったキノコが、確かにそこにある。うそ、ぜんぜん見えていなかった……。
「ごめん」
「別にいいけど」
私が謝ると、ダクトベアはそっぽを向いて、不機嫌そうに言った。
「やる気があるなら、しゃがんで探せよ」
「え?」
「上から見ると、地面と同じ色で見つけにくいだろ」
「……あっ」
確かに!
言われて気付いた。ライオネルもダクトベアも、そういえばしゃがみながらキノコを探して前進している。私も真似すればいいんだ!
納得してしゃがんでみると、ダクトベアの目の前に、カサの裏が黄色っぽい、茶色のキノコが見えた。視線を移すと、少し離れた木の根元にも似たようなキノコが見える。
すごい! 本当に見つかった!
ちょっとしゃがむだけで、こんなに景色が変わるんだ!
びっくりして感激していると、ダクトベアは面倒くさそうな感じで、
「それと、キノコがよく生えるのはマツの木の根元だから。縦長にひびが入っている、赤っぽい木の根元。木を目印にして探せば、素人でも見つけやすいんじゃねぇの?」
そう教えてくれた。……あれ?
「ダクトベアって、意外と優しい?」
「はぁ? 意外とってなんだよ」
すごく驚いて思わずそうつぶやいたら、ダクトベアはじろりと私をにらんできた。
そしてあからさまに不本意そうな顔をして、
「別に、このくらい普通だろ。バカにこれ以上キノコつぶされたらたまんねぇし」
私をバカ扱いしてくる。でも不思議と怒りの感情はわいてこなくて、目つきも口も態度も優しくはないけど、本当は優しい子供なんだなって察しただけだった。
「ありがとう」
感謝を伝えると、
「おう。……変な奴」
ぼそっとつぶやいて、ダクトベアは何事もなかったようにキノコ採りに戻った。
私もそれ以上しゃべるのはやめて、見つけたキノコのところに向かった。裏があみあみになっていることを確認して、つぶさないように気を付けながらキノコを採る。
やった! ようやく一本!
最初は苦戦したけど、そこから先は順調だった。
一度見えるようになると、どんどん見つかって、キノコ採りはとても楽しかった。
夢中になってキノコを探し回っていると、
「!」
不意に頭上でガサガサッと音がした。思わず顔を上げると、立ち上がって空を見上げ、目を凝らしているダクトベアの姿が目に飛び込んでくる。
「どうしたの?」
「しっ。……鳥がいる」
尋ねると、ダクトベアはそう答えながらキノコの籠を地面に置いた。
弓矢にそろそろと手を伸ばし、弦を確認して、矢をつがえる。高い枝にとまる鳥をじっと見上げると、慎重に狙いを定めて、ギリギリと矢を引いて、ビュッと放つ。
「チッ」
しかし矢は木の枝にぶつかり、鳥は驚いて逃げてしまった。
「惜しかったね。もう少し近ければ仕留められたのに」
悔しそうな顔をするダクトベアに、ライオネルが励ますように声をかける。
「まだチャンスはあるよ。頑張って」
「おう。次は絶対外さない」
……うーん?
変なの。悔しいのは分かるけど、ぜんぜん共感はできない。
二人の会話を黙って聞きながら、そのやり方じゃ成功率が低いのは当たり前じゃん、と私は思った。
自分で作った弓矢のようだし、矢が飛んでいくスピードより、鳥が飛び立つスピードのほうが速いんじゃない? 鳥をつかまえたいなら、魔法を使えばいいのに。
どうして二人は、魔法を使おうとしないんだろう?
そういう遊びなのかな?
またしばらくキノコ採りに集中していると、どこからともなく鳥のさえずりが聞こえてきて、その瞬間、ダクトベアの動きがぴたりと止まった。
息を殺し、注意深く周囲を見回している。また狩りに挑戦するつもりらしい。
顔を上げ、動きを止めて、私はダクトベアの邪魔をしないよう静かに見守った。
今度はうまくいくのかな?
どきどきしながら様子を見ていると、やがて獲物を見つけたのか、ダクトベアが抜き足差し足忍び足で移動をはじめる。ばりばりに裂けた、灰色がかった黒っぽい木の幹の前で立ち止まって、鋭いまなざしを頭上に向ける。
そして、静かな落ち着いた動作で弓矢を構えて、
ビュンッ。
矢が空を切った。
それから少しして、ガサガサ音を立てながら小鳥が地面に落ちてくる。
おおっ、すごい。命中したんだ!
弓矢で鳥を狩れるとは思っていなくて、少し感心した。
地面に落ちた茶色い小鳥が、苦しそうに羽ばたいて枯れ葉をカサカサ揺らしている。ダクトベアは嬉しそうな様子で小鳥に近付くと、ナイフのようなものを取り出して、迷いなくとどめを刺した。そうして得意げに笑い、小鳥の両足を紐で縛りながら、肉が手に入ったことをライオネルと一緒に喜んでいる。
……うーん?
とても奇妙な光景だった。狩りが成功して嬉しいのは分かるけど、やっぱり共感できないんだよね。だって、小鳥一羽分の肉というのは、ほんのちょっとだ。
なのに、それでも喜んでしまうくらい、白の領域には食べ物がないの? ライオネルがやせているのはそのせい? いっぱい食べないと大きくなれないのに……。
困惑して、大丈夫なのかなって心配していると、
「おーい!」
ふと背後から、知らない誰かの声が聞こえてきた。