34. またいつか
昼寝のつもりが、気付くと夜になっていた。
室内も窓の外も真っ暗で、欠けた月と星だけが夜の空にきらきらと輝いている。草木も人も、みんなぐっすり眠り込んでいるらしく、まったく物音がしない。
あたりは不気味なくらい静かだった。
目が覚めてしまったけれど、起きて活動しようって気にはまったくならない。
朝まで寝ていよう。
そう思って、私はまたベッドの中で静かに目を閉じた。
ところが、すでにたくさん寝ていたせいか、なかなか眠気はやって来ない。ベッドの上で何度もごろごろと寝返りを打っていたら、そのうち、だんだんお腹が空いてきた。
そういえば夕飯、食べていないんだよね。
食堂に行けば何かあるかな?
空腹が気になって、このままじゃ眠れそうにない。
「グリーム」
でもこの暗闇の中、ひとりで食堂に行くのは怖い。
起きているかな、と思ってそっと呼びかけると、闇の中でグリームがもぞもぞ動く音がした。もともと起きていたのか、起こしちゃったのか分からないけど、グリームがちゃんとそばにいるって分かると、それだけで心強い。
「どうしたの?」
「お腹が空いたの。一緒に食堂まで行ってくれない?」
「いいわよ」
頼むと、グリームはすんなり了承してくれた。
よかった。
ほっとしながら起き上がって、私は《光よ》で足元を照らした。
ベッドを下りて、ドアの前まで行くと、グリームが足にすり寄ってきて、
「よく寝ていたわね」
「うん、自分でもびっくり。こんな時間になっているとは思わなかった」
「他の人を起こさないように、静かに行くのよ」
「分かっているって」
ドアを開けると、そこは未知の闇の世界だった。
もう何日も寝泊まりして、見慣れたはずの拠点だけど、まったく知らない場所のような感じがする。
窓の外の景色って、元からこんなだっけ?
立ち並ぶ木々の雰囲気が昼間とぜんぜんちがっていて、すごく不安になってくる。
夜にドアを開けたら、昼とはちがう場所につながるなんて、そんなことあり得ないはずなんだけど……。
「グリーム」
「いるわよ。大丈夫」
思わず呼ぶと、しっかりした返事が戻ってきた。
正直、進むのが怖い。でもグリームが大丈夫って言うなら大丈夫なんだろうし、行かなければ朝までお腹が空いたままだ。空腹感をずっと我慢し続けるのは、きっとつらい。
……がんばろう。
ためらったけれど、やがて私は部屋の外に出た。
一歩、二歩、三歩……。大丈夫、大丈夫と、心の中で呪文のようにつぶやきながら、大きな音を立てないよう気を付けて歩いていく。
なぜだろう。
ここにあるのは、特徴らしい特徴もない、普通のまっすぐな通路だと分かっているはずなのに、一歩間違えたら真っ暗な落とし穴に落ちちゃうんじゃないかとか、物陰から何か恐ろしいものが飛び出してくるんじゃないかとか、あり得ない想像でどんどん恐怖心が膨らんでいって、怖くてたまらない。
何もないよね? 誰もいないよね?
「グリーム」
「ここにいるわ」
心細くなってまた呼ぶと、すぐ横からグリームの優しい声がした。
「大丈夫。怖いものは何もないわ。ただ暗いだけよ」
「……うん」
励まされて、私はまた一歩一歩、慎重に歩き出した。
グリームがいてくれて、本当によかった。
ひとりだったらもうとっくに諦めて、お腹が空いたなってひもじい思いながら、ひたすら朝を待っていただろう。本当にグリームには、感謝してもしきれない。
昼間なら十秒で着く距離だけど、十分は歩いていたような気がする。
食べるものを見つけたら、早く部屋に戻ろう。
ようやく真っ暗な食堂に到着すると、私はまず、魔法の光の位置を高くして、テーブルの上を確認した。でもそこには何もなくて、片付けちゃったのかなと想像してキッチンのほうを見ると、思ったとおりそこに果物の籠が置いてある。
よし、ミッションコンプリート!
リンゴを取って、私はすぐ来た道を引き返そうとした。
ところが向きを変えたそのとき、食堂の窓の外に光るものが見えて、反射的に身がすくんでしまう。何!? 誰か外にいるの!?
「ねえ。グリーム、あれ……」
「なんでしょうね」
その光の正体は、グリームにも分からないらしい。
怖くてじっと観察していると、それはどうも松明の明かりのようで、ゆらゆら揺らめきながら移動していた。……うん。お化けじゃなくてよかった。
けど、お化けじゃないってことはつまり、こんな夜中に誰かが外を歩き回っているということで、それはそれで恐ろしい。いったい誰が? 何のために、こんな時間に?
嫌な想像ばかり浮かんでくる。
立ち止まって、謎の光の正体について考えていると、それまで一定の速度で移動していた光の動きが、急に変わった。ゆっくり左のほうへ移動していたのが、ぴたりと止まって、だんだんとこちらに近付いてくる。
見つかった!? 隠れなきゃ!
とっさに《光よ》を消して、私はその場にしゃがみ込んだ。
「ど、どうしよう……」
「落ち着きなさい」
心臓が早鐘を打っている。
真っ暗な食堂の床が、近付いてきた光に照らされてところどころ明るくなっていく。
テーブルの陰にいるから、見つからないとは思うけど……。
ここに誰かいるって、気付かれたよね!?
気のせいだってことにしてくれるかな!?
自分の心臓の音と、息を吸ったり吐いたりする音がすごくうるさい。
諦めてくれますように、と全力で祈っていたら、食堂の床を照らす光は、そのうち遠ざかっていってくれた。けれどその代わり、今度は拠点の入り口のほうからガチャガチャと音がして……。
どうして!? 拠点の入り口って、夜は閉めているものじゃないの!?
「ね、ねえ……」
怖くて不安で、ぎゅっとグリームを抱きしめると、
「落ち着きなさい」
グリームは静かに、同じ言葉を繰り返した。
「大丈夫よ。危険な相手だったら食べてあげるから」
「うん……」
そうだ。私にはグリームがいる。
グリームがいれば、怖いものなんて何もない!
……はずなんだけど、見えない何かが近付いてくる感覚って、すごく嫌だ。死角から今にも何かが飛びついてきそうで、グリームが隣にいても、ちっとも心が休まらない。
見つかりませんように!
グリームにしがみつきながら、私は必死でそう祈った。
けれどその祈りは、どこにも届かなかったらしい。
しばらくすると、誰かの足音が聞こえてきた。食堂の前で誰かが立ち止まり、ゆっくりとドアを開ける。松明の明かりがぼうっと食堂を照らし、
「誰かいるのですか?」
……あっ。
その声を聞いた途端、私はほっとして、こわばっていた全身の筋肉がゆるんでいくような感じがした。
なーんだ、怖がることなかったじゃん。
これ、サレハさんの声だ。よかったぁ。
「サレハさん?」
「……おや、ルーナさんでしたか」
問いかけると、驚いたような声が返ってきた。ほとんど確信して、《光よ》でドアのほうを照らすと、松明を持ったサレハさんが目を丸くしている。
やっぱりね。びっくりしたぁ。
「なんでこんな時間にいるんですか?」
まだちょっとどきどきしながらそう聞くと、サレハさんは食堂のドアを大きく開けて、
「夜の見回りですよ。闇に紛れ、悪魔が村に侵入してくることがあるので、教会の人間で順に見回りをしているのです。ルーナさんは、こんな時間に何を?」
「えっと、お腹が空いたから食べられるものを探しに……」
「ああ。いま起きたのですね」
私の手にあるリンゴをちらっと見て、サレハさんが納得したようにうなずく。
「驚かせてしまってすみません。この時間に人がいるのは珍しいものですから」
「……大丈夫です」
しゃべりながら、サレハさんがすっと手を差し出してくる。
自分で立てるんだけど、無視するのはなんかちょっと申し訳ないから、私はおそるおそるその手を取った。するとその瞬間、サレハさんの手が白く光ったような気がして、
「ウゥゥ……!」
即座にグリームが、低くうなって威嚇した。
……あっ。もしかして今の、白魔法?
気付いて、つかんだ手を思わず振り払うと、
「試すようなことをして、申し訳ありません」
苦笑いしながら、サレハさんはさっと手を引っ込めた。
「本物のルーナさんですね。よかったです」
「……どういうこと?」
「夜は魔の時間、知人に化けた悪魔が村に入り込むということが何度かありましたので、勝手ながら、悪魔かどうか確認させていただきました。悪く思わないでください」
「……そうなんだ」
何かされたらすぐ反応できるように、私は注意深くサレハさんを見つめた。
いきなり魔法を使ってきた理由に、一応は納得できる。けどそれって要するに、私が白魔法に弱い黒の領域の人間だったら、問答無用で消すつもりだったってことだ。
現れたのがサレハさんでよかったって、安心していた自分がバカみたい。
油断しちゃいけない。この人はすごく危険だ。
悪魔に警告して、それから戦っていたライオネルとは明らかにちがう。
この前は、サレハさんのことを優しい人だなって思った。だけど神官って、実はみんなこういう人なの? だからアースたちは、神官に近付くなって言っていたの?
私が黒の領域の人間だってサレハさんに知られたら、本当にやばそうだ。
「もう部屋に戻るね」
幸い、私は白魔法を浴びてもなんともない。
悪魔かどうかの判別方法が、私には無害な魔法でよかった。
ぱっと立ち上がると、私はサレハさんをよけて、すばやく食堂を出た。
廊下で《光よ》を出して、足元に気を付けながら小走りで部屋に戻る。そうして、ドアをしっかり閉めてから息をつく。あぁ、心臓に悪い。
「疑われていたわね」
「うん。神官は危険だってよく分かった」
もっと気を付けないといけない。
神官は危険。サレハさんは危険。要注意。……うん、忘れちゃいけない。
ばくばくしている心臓を落ち着けると、リンゴを食べて、私はまた少し眠った。




