3. 最初の過ち
ずっと、白の領域に興味があった。
そこへ行ってはいけないと、三柱たちに口を酸っぱくして言われていたけど、ダメと言われるたびにますます興味は増して、どんなところなんだろう、どんな生き物が暮らしているんだろうと、想像するだけで半日は暇が潰せるほどだった。
横長の四角を書いて、縦に三本、横に二本、まっすぐ線を引く。
そうして出来上がるのが、この世界の略地図だ。
壁で区切られた領域には二種類あって、白い壁に囲まれた『白の領域』と、黒い壁に囲まれた『黒の領域』が、それぞれ六つずつ、格子柄のような配置で並んでいる。
黒の隣は白、白の隣は黒、というように。
私が暮らしているのは黒の領域で、『シャド・アーヤタナ』という名前がついている。
レオが戦争すると言っていた『トルシュナー』は、私が暮らす領域の、四つあるお隣の白の領域のうちの、同じ緯度にある東側の領域だ。
それぞれの領域を区切る壁は、高くて堅くて、どうがんばっても乗り越えたり、破壊したりすることはできない。だけど、よその領域へ移動することはできる。
向かい合う同じ色の領域に移動したい時は、それぞれの領域に三つか四つ存在する角に行って、そこにあるトンネルのようなものをくぐればいい。
隣り合うちがう色の領域に移動したい時は、『門を開く』魔法を使うか、『門の跡地』と呼ばれる場所に行って、移動するための魔力を注ぎ込めばいい。
でも魔法で門を開ける人はすごく少ないから、ちがう色の領域へ行く時はたいてい、門の跡地を使う。
門の跡地には番人がついていて、門の向こうできな臭い動きがないかどうか、四六時中見張っている。レオは『攻め込まれる前に攻め込む』と言っていたから、トルシュナーで怪しい動きがあって、それで戦争をしに行くのだろう。
「……それならそうと、教えてくれたっていいのに」
自分勝手な大人たちは今日もせわしない。
『大人の事情』を盾に、私をのけ者にして、忙しそうに動き回っている。
私は仲間外れ。いつだって、ひとりぼっち。
シャド・アーヤタナで、私だけが子供だから。
……つまんない。
三日前に、ついにレオがいなくなってしまった。
動物の友達は他にもいるけど、その子たちもいつの間にかいなくなっていたり、戦争の準備に忙しかったりで、遊びに誘えるような雰囲気ではない。そのうえ、グリームまで何か頼まれたらしくて、最近は見かける機会がぐんと減ってしまった。
私と遊んでくれる人は、誰もいない。
……こうなったら、ぐれてやる。
あまりにも悲しくて寂しくて退屈で、ある日、私は秘密の遊びに挑戦しようと決めた。
こっそり、白の領域に行ってみるのだ。
お母様に教わったことがあって、私は門を開くことができる。危ないから、ひとりで勝手に白の領域へ行ってはいけないと言われているけど……。
三柱のシャックスいわく、ルールは破るためにあるそうだから。
「お嬢様、どちらへ?」
城の外に出ようとすると、いかめしい顔つきの門番に声をかけられる。
「どこにも行かないよ。退屈だから、ちょっと散歩するだけ」
「グリームさんは?」
「知らない。いないから退屈なの」
そう答えると、門番は納得したような顔をして、あっさり通してくれた。
ひとりだと心配されるのは、いつものこと。でもよくあることだから、そんなに怪しまれたりはしない。遅い時間でなければ、外出を止められることはない。
「お気を付けて。あまり遠くへは行かないでくださいね」
「はーい!」
元気よく返事をして、門番に手を振ると、私はずんずん森の中に入っていった。
城の中にいても、門を開くことはできる。
でも城には、魔力の流れに敏感なシャックスやダリオンがいるから、魔法を使うとすぐばれるのだ。門を開いても、白の領域を楽しむ間もなく連れ戻されるようじゃ意味がない。だから見つからないように、門の魔法を使う時は、なるべく城から離れたほうがいい。
「《来たれ門》!」
ということで、城を出て三十分くらい歩いてから、私は門を開いた。
呪文を唱えると、魔力が集まって、木と木の間に細長い黒い穴が現れる。
その穴に入ってまっすぐ進めば、白の領域にたどり着けるらしい。中は暗くて狭いけど、怖いものは何も出てこないとお母様は言っていた。のぞいても何も見えなくて、ちょっと怖い気持ちはあるけど……ううん、行くんだ!
すごく緊張する。
でも深呼吸して自分を励ますと、大人たちにひと泡吹かせたいという思いと、白の領域をひと目見てみたいという思いに突き動かされて、私はその黒い穴の中に足を踏み入れた。
お母様の言うとおり、その穴は真っ暗で狭かった。
まったく光がなくて、これから進む先も、自分の体さえも見えない。
触った壁はつるつるしていて、足元は少しざらざらしている。狭くて、ちょっと動いただけですぐ体が壁に当たる。だけど暑くも寒くもないし、空気が薄いこともない。道は一つしかないらしいから、きっと迷うこともない。ひたすらまっすぐ進めば大丈夫。
な、はずなんだけど……。
暗くて狭いというだけでおっかなくて、本当にこれで白の領域に行けるのかなって、歩きながらものすごくドキドキした。私の魔法、失敗していないよね?
不安だ。でもその気持ちを抑えながら、細くて暗い通路をゆっくり歩いていく。
すると体感で、もう二十分くらいは歩いたかなって頃、前に出していた左手に壁が当たった。つるつるした行き止まりの壁。両手を使って、歩いてきた道以外に進めるところがないか確認してみたけど、どこにもない。正真正銘の行き止まり。
やった! ついに到着だ!
達成感にひたり、ほっとしながら、私は行き止まりの壁をそっと押した。
通路の行き止まりに白の領域へつながるドアがあると、お母様はそう言っていた。
だからこの行き止まりの壁の向こうに、白の領域があるはずなんだけど……、あれ?
どうしてなのか、力を込めて押しているのに、壁はびくともしない。
なんで? 試しに左右の壁を押してみても、やっぱり動く感じはしない。
おかしいな。どういうこと? 私の魔法、失敗しちゃったの?
急速に不安が強くなる。そうだとしたら最悪だ。ここまで来たのに、まさか白の領域につながる肝心のドアがつくれていないなんて……。ううん、そんなわけないよ!
何かまずいことしたかなと考えながら、このまま引き下がるのは嫌で、私はどこかにドアが隠れていないか、壁のあちこちを押したり引いたりしてみた。そしたら偶然、腕が天井にぶつかって、その拍子に天井が少し動いたような気がした。
おそるおそる押し上げてみると、持ち上がった天井の隙間から、明るい光が差し込んでくる。どうやら私の魔法はちゃんと成功していたらしい。あぁよかった。
ひと安心しながら、天井の蓋のようなものを持ち上げて背伸びをする。隙間から外の様子をのぞくと、眩しい光が目にいっぱい飛び込んできて、視界が一瞬で真っ白になる。
うぅ……目が変な感じ……。
でもすぐ普通に見えるようになって、視界がはっきりした瞬間、近くにいた男の子とばっちり目が合った。うす汚れた服を着た、ぼさっとした金髪の、やせたほっぺたの男の子。
……子供! 子供だ! 本物だ!
すんごく驚いて、すぐには信じられなくて、私はその男の子を凝視した。
本当に存在していたんだ!
白の領域にも人間がいて、子供がいるってことは知っていた。だけど会えるとは思っていなくて、びっくりして、びっくりしすぎて、すごく嬉しいんだけど、どう反応したり、声をかけたりすればいいのか分からなかった。一緒に遊びたいけど、でも……。
迷って、悩んで、私が固まっている間、金髪の男の子も信じられないものを見たように固まっていた。けれどしばらくすると、どこからか誰かのしゃべる声が聞こえてきて、その途端に男の子が、はっとなって慌てだす。どうしたんだろう?
不思議に思っていると、男の子は私のほうに寄ってきて、
「見つかったらまずいよ。隠れていて」
と、ささやいてきた。
えっと……?
意味が分からない。なんでそんなことを言われるのか理解できなくて、言葉が通じることに驚きながら、私は黙って男の子の観察を続けていた。すると男の子は、私が持ち上げた蓋をぐいぐいと強引に押しはじめた。えぇ……。
押されて、仕方ないから、私は細くて暗い通路に戻った。
耳を澄ませると、慌ただしい足音と、何を言っているのか聞き取れない誰かのしゃべり声が聞こえてくる。あの子、何しているんだろう。じーっと辛抱強く待っていると、やがて蓋の上の気配がごそごそ動いて、コンコンとノックする音が聞こえてくる。
もういいの?
再びゆっくり蓋を持ち上げると、そこにはさっきと同じ男の子がいて、
「もう大丈夫。大人たちは、しばらくは来ないよ」
なんだかよく分からないけど、助けてくれたような感じだった。
うーん?
強引なやり方だったけど、大人の目につかないように隠してくれたなら、感謝しないといけない。私は知らない大人がちょっと怖いから。でも初対面のこの子が、そんなこと知っているわけないし……もしかして子供って、みんなそういうものなの?
「ありがとう」
戸惑いながら、とりあえずお礼を言うと、
「ううん、大したことじゃないよ」
少し恥ずかしそうに笑いながら、金髪の男の子は天井の蓋を大きく開けた。
「押し込めてごめんね。出てきていいよ」
やった! 言われて、私はうきうきしながら外に出ようとした。
ついに白の領域だ! 外の世界だ! 子供がいる世界だ!
ところが、魔法で少しずつ上に移動して、胸のあたりまで体が外に出たところで、
「えっ」
男の子の顔色が目に見えて変わった。
さっと顔を青くして、狼狽するように、きょどきょどと目を回している。
分かりやすく変な反応で、見ているうちに、私はなんだか妙に不安になってきた。
何かダメだった? 私、何か変なことした?
「どうしたの?」
「いや、あの……。ごめんっ」
尋ねると、男の子はいきなり謝ってきた。
何? 何に対して謝っているの?
わけが分からなくて、理由を聞こうとしたんだけど、
「ちょっと友達を呼んでくるから、もう少しそこで待っていてくれない?」
「えっ、どうして?」
「だって君のその格好、目立ちすぎるよ」
「……そうかな?」
そんなことないよ、と、すぐに言い返したかったけど、少し不安になって、私は今日の自分の格好を確認してみた。
ベージュのニットセーターに、秋色チェックのスカート。
……? やっぱり、いつもと変わらない服装だ。
普段着だし、そんなに目立つことはないと思うんだけど。
「大丈夫、俺の友達にはお姉さんがいるから。すぐ戻ってくるよ」
ところが、私が口を開くより先に男の子はそう言って、私の頭の上にまたぎゅうぎゅうと蓋をかぶせてきた。うぅ……ちょっと痛いんだけど……。
仕方ないから、私はまた頭を引っ込めて、暗闇の中で男の子を待つことにした。
男の子はあんまり力が強くなかったから、その気になれば魔法で押し返すこともできたけどね。私のことを心配して言っているような感じだったから、従ってあげるのだ。
それにしても、ひとりで待つのって退屈。
心細いのもあるし、こうなるならグリームに声をかければよかったかなって、思わないこともない。
まぁ声なんてかけたら最後、全力で止められて、ここまで来ることはできなかっただろうけどね。
暇なのきらーい。でも少し我慢だ。
数を数えながら、男の子が戻ってくるのをおとなしく待っていると、三百まで数えたあたりで、二人分の足音とひそひそ話すような声が聞こえてきた。
あの子が戻ってきたのかな?
息をひそめて、聞こえてくる音に集中する。
やがて頭上の蓋が再びノックされて、
「はぁい」
返事をして顔を出すと、そこには戻ってきた金髪の男の子と、目つきの悪い赤毛の男の子が立っていた。
子供が増えた!
飛び跳ねたいくらい嬉しかったんだけど、
「待たせてごめん。着替え持ってきたから、使って」
次の瞬間、金髪の男の子がそう言いながら、くすんだ灰色の服を差し出してきて、急激にテンションが下がった。
え……。かわいくないし、色もきれいじゃない服。
目立たないように、これを着てほしいってことなんだろうけど、やだなぁ。
でも変に目立って、大人に話しかけられるのはもっと嫌。
私の格好、そんなに目立つ?
「ありがとう」
半信半疑で、迷いながら私はその服を受け取った。
ごわごわしていて、大きくて、前を閉じた羽織みたいな形をしている服。正直、着たくない。だけど前にシャックスに、郷に入っては郷に従えって習ったんだよね。
……浮かないようにするためには仕方ない、か。
嫌だけど、何もしないでこのまま城に戻るのが一番嫌だから、とりあえず私はその服を着てみた。
頭からかぶればいいのかな、と予想して、大きい穴から小さい穴へ頭を通してみる。すると、そこまではいい感じだったんだけど、腕を出すところが見つからない。
「これ、手はどうやって出せばいいの?」
聞いてみると、目つきの悪い男の子がバカにしたように鼻を鳴らして、
「お前、そんなことも知らないのかよ」
そう言ってきたから、ちょっとむかついた。
初めてなんだから仕方ないじゃん!
でも知らない人にいきなり文句を言う勇気はないから、反論はしないでむっとしながらにらみ返す。そしたら金髪の男の子が、困ったように笑いながら服の袖を少し持ち上げて、
「ここに腕を通すところがあるんだよ」
そう教えてくれた。この子は優しい。すごくいい子だ。
「ありがとう」
心からお礼を言って、私は教えてもらったところに向けて腕を伸ばした。
でも袖が長すぎて手が出ない。すっごくぶかぶかで、だぶついている服。
不格好だろうなって思うけど……、今は見た目よりも遊びが大事。これで白の領域の人たちと同じなれるなら、妥協しよう。思っていたよりは悪くはない着心地だし。
渡された灰色の服を着ると、私はついに狭い通路の外に出た。
白の領域だ!