103. 橙翼の君主
窓から離れ、ダクトベアを探すため部屋の外に出ようとする。
するとそのとき私は、部屋のドアの近くに誰かが――髪の色と体の大きさからして多分マーコールが――横たわっていることに気付いて、心臓が飛び出るんじゃないかってくらいぎょっとした。
部屋に入ってすぐの床の上で、マーコールが穏やかに眠っている。
……え、なんで?
まったく理解できなくて、困惑が頂点を極めている。
ここがマーコール邸なら、マーコールがいてもおかしくはないんだけどね。
どうして床で寝ているんだろう? 私がベッドを占領していたせい? それなら申し訳ないなって思うけど、それでもせめてソファーで寝るべきじゃない? なんで床の上?
相変わらず理解できない人だなって思いながら、
「マーコール?」
ゆっくり声をかけてみたけれど、反応はない。
熟睡中?
それなら起こすのはよくないのかなって思うけど、この状況を無視してダクトベアを探しに出かけるのも、それはそれで勇気がいる。
まぁこういうときは起こすしかないよね。
私の存在に気付いた途端、いきなり襲いかかってきそうで怖いけど。
……はぁ。
敵認定されませんようにって祈りながら、私はおそるおそるマーコールに近付いて、ちょんちょん肩をつついてみた。そこにいると踏んじゃうよ? ねえ、起きて?
けれど、マーコールが起きる気配はない。
「マーコール? なんでこんなところで寝ているの?」
また声をかけてみても、やっぱり反応はない。
どうしちゃったんだろう?
そんなところで寝ていたら、風邪ひくかもよ?
どうでもいい人だけど、ほんの少しだけ心配になる。
ここで私を見張っていたのかな? でも疲れていて、途中で寝ちゃったのかな? そうだったらちょっとかわいいけど……。マーコールってそんな間抜けなことする?
うーん?
いろいろ考えてみたけど、マーコールが私の運ばれた部屋の床で熟睡している理由なんて、さっぱり想像できないよ。無理むり! ぜんぜん分かんない!
ほんと、なんでこんなところで寝ているんだろう?
耳を澄ませても、聞こえてくるのは規則正しい寝息の音ばかり。
どうすればいいのかな……って、んん?
「これ、もしかしてダリオンの魔法で寝ている?」
寝ているマーコールを観察しているうちに、私は気付いた。
これってこの前の状況にそっくりだ。
そうだよ! そもそも、人に遭遇していきなりナイフを投げつけてくるくらい警戒心の強いマーコールが、こんなところで無防備に寝ているなんてあり得ないよ!
……私はマーコールの普段を知らないから、多分だけどね。
寝ているときに無言で近付かれたら、問答無用で刺し殺してきそうな人だもん。
魔法で眠っているにちがいない!
だから呼んでもつついても起きないんだ!
ていうか、夢の中でダリオンが言っていた『寝ていろ』って、もしかしてマーコールに向けて言っていたのかな? 三柱がみんな、この部屋に来ていたってこと?
それならマーコールがダリオンの魔法で眠っていることに説明がつくけど……。
本当にそうなの? そんなことってある?
「私が寝ている間に、ダリオンたちが来ていたの?」
疑問に思って、グリームに確認してみると、
「どうでしょうね」
はぐらかしの返答をされた。
グリームとは長年の付き合いだから、否定しないのは肯定だって知っている。
……来ていたけど、肯定はできないってことかな。
秘密にしてくださいって、三柱に頼まれているのかもしれない。
普通にあり得そうな話だ。
ていうかていうか、夢の中で聞こえた三柱たちの声って、全部現実だったのかな。だから夢の世界では三柱の姿が見えなかったのかな。耳だけ夢の外だったのかも?
と、そんなころを考えながら、
「エリアス?」
この前と同じように、マーコールの名前を呼んでみる。
するとマーコールのまぶたがぴくっと動いて、
「……」
開眼。すぐのお目覚めだ。
しかも、またいきなりナイフを突きつけてくるかもって警戒していたけど、マーコールは私を見て目を丸くしただけだった。
過去の失敗からちょっとは学んでくれたんだね。よかった、よかった。
「どうして床で寝ているの?」
「……さぁね」
尋ねると、マーコールは床に座ったまま不愛想にそう答えた。
そして、じっと見定めるような視線を私に向けると、
「それが君の本来の姿?」
「え?」
急に変なことを聞いてきた。
何の話? 私はいつもどおりだと思うけど……。
困惑しながらマーコールを見返すと、マーコールもちょっと困ったような顔をした。
え、私がおかしいの?
……うそだぁ。
そんなわけないと思うんだけど、絶対的な自信があるわけではないから、おとなしいマーコールの困った顔を見ているうちに、私は少し不安になってきた。
そこで、自分のどこがおかしいんだろうって、触って確かめてみることにした。
でも、髪に寝癖がついているわけじゃないし、顔が汚れているわけじゃないし、服がぼろぼろになっているわけでもないし、やっぱりいつもの私と変わりないと思う。
鏡で確認したわけじゃないから、ちょっと変なところはあるかもだけど、『それが君の本来の姿?』なんて聞かれるほど変わってはいないはず。
どうしたんだろう? 寝ぼけているのかな?
……あっ。
と、少しマーコールの目と頭を心配して、それから私はひとつの違和感を見つけた。
そういえば、なぜか服がぶかぶかなんだよね。
引きずっちゃうくらい丈が長くなっていて、ちょっと歩きづらい。
いつもの白の領域の服なのに、なんでだろう?
「あっ」
と、疑問を抱いて、次の瞬間、私は気付いてしまった。
体が小さい。私、子供の姿に戻っている!
……どうしよう! まずいよ!
私は大人でいなくちゃいけないのに!
気付いた途端、私の心の中はいろんな思考でぐちゃぐちゃになった。
絶体絶命のピンチだよ! 私が子供だってバレちゃった!
でもマーコールだからセーフ? ライオネルたちには言わないでってお願いすれば、言わないでくれる? 今日はこの前みたいに、助けてあげたんだから助けてよって要求できないけど……、無理かな? みんなにバラしちゃうかな?
だけど、苦しいかもしれないけど言い訳はできる!
私が子供の姿になれることは、マシューが知っているから。危険を感じると反射的に子供の姿になっちゃうんだって説明すれば、この危機を乗り越えられるかも!
……うん、きっと大丈夫!
どうにか心を落ち着けると、息を吐いて、私はグリームのほうを見た。
ていうかグリーム、気付いていたよね? 私が子供の姿のままマーコールを起こしたら、大問題になるって分かっていたよね? なんで教えてくれなかったの⁉
火山みたいに、ドーンと不満が噴出する。
それともこれは、夢の続きなの? だからグリームはなんだかおとなしいし、マーコールは目が合っても怖い感じにならないの? ……そうだったらよかったんだけどね。
「中身にふさわしい外見だね」
あたふたしていると、マーコールがぽつりとそうつぶやいた。そして、
「なんで姿を変えているの。そのままでいたほうが安全なのに」
「え?」
また変なことを言ってきた。
子供の姿のほうが安全?
意味わかんないし、たとえ安全だとしても、私は子供のままじゃいられない。
だってライオネルたちは大人だもん。
会ったとき同じくらいだったんだから、私も大人じゃないとおかしいじゃん。
「子供じゃないよ」
むっとしながら、私はキッとマーコールをにらみつけた。
「たまたま魔法で小さくなっているだけ」
「ごまかせると思っているの?」
するとマーコールは、呆れのにじんだ声で疑いをかけてきた。
まぁそうだよね。
すんなり信じてもらえるとは、最初から思っていなかった。
怖い目に遭ったから、驚いて小さくなっただけだよって説明しようとしたら、
「寝ているときもその姿だっただろう」
「え?」
そうなの?
その前に、言い逃れしようのないことを教えられて、私はものすごく焦った。
やばいじゃん! まずいじゃん!
でも、そっか。
大人になる魔法が勝手に解けるとしたら、目を覚ました瞬間よりも、気を失った瞬間のほうが可能性は高い。私、ここのベッドに入ったときから子供だったんだ……。
って、それってつまり、ダクトベアにも子供の姿がバレているってこと⁉
どうしよう! それはもう終わりだよ! ここにはいられない!
何も言い訳しないで、今すぐ逃げたほうがよさそうだなって考えていると、
「嘘だよ」
「え?」
衝撃の発言。
……うそでしょ。はめられた⁉
どうやら私は、マーコールの罠に引っかかってしまったらしい。
ふぅ~ん? マーコールって、そういうことする人だったんだ?
信じたくなくて、ひねくれた思考がぽつぽつと生まれてくる。
話し合うより、暴力で解決するほうが早いって思っていそうな人なのに。嘘ついて私のこと引っかけてくるんだ? そんなことしちゃうんだ? 意地悪! もう嫌い!
「嘘つきは泥棒の始まりだよ」
面白くなくて、そう批判すると、
「君だって嘘つきだろう」
「うっ」
鋭いブーメランが戻ってきて、他人を批判するのはよくないねって思い直した。
時には必要な嘘だってある。
だから今回は特別に見逃してあげるよ、私を揺さぶるためのその嘘。
「みんなには内緒にしてね?」
ということで、作戦変更。
ごまかすのはもう無理そうだから、私はマーコールに協力してもらう方向へかじを切ることにした。
お願い! この前みたいに口裏を合わせて?
つぶらな瞳で見つめると、マーコールは気味悪そうに身じろぎして、
「隠すことじゃないだろう」
「秘密にしたいの! 私、ライオネルたちとちがって十年じゃ大人になれないから」
「ふぅん? あの人は気にしないと思うけど」
「気にするよ! ……ちがうって知られたら友達じゃなくなっちゃうかもしれない」
「は? 君、そんなくだらない理由で大人のふりをしているの?」
「くだらなくないよ! 私にとっては大事なの!」
もう! 否定しないで! やっぱり嫌な人!
でも思っていたよりちゃんとした会話になっていて、びっくりだ。
この前は質問に答えてくれなかったり、バカにしてきたりで、なかなか話が前に進まなかったのに。にべもなく『ノー』を突きつけてくるかもって心配していたのに。
今日は私の話をしっかり聞いてくれるし、返事もまともだ。
どうしてだろう?
「とにかく内緒なの! みんなに教えたらダメだよ!」
よく分かんないけど、なんだか押したら押せそうな気がしたから、私は一生懸命お願いしてみた。
これは秘密! 二人だけの秘密だよ? ね?
するとマーコールは、うざそうに顔をしかめて、
「もうほとんどバレている」
「え?」
そんなことを言ってきた。
疑われているってこと?
いろいろとまずいことをしてきた記憶はあるから、なんだか子供っぽいなって怪しまれていても不思議ではない。
「でも確信されたくないの!」
「なんで?」
「なんでって……。嫌われたくないから!」
「その程度のことで嫌われないよ」
「そうだったらいいけど、分かんないじゃん!」
嫌だよ。ライオネルに私が子供だってバレちゃったら……。
もしもの未来を想像して、私はぶるっと身震いした。
やっぱりダメ! 本当は子供のままなんて知られたくない。十年で大人になれない、変な人間なんだって知られたくない。嫌われたくないよ! 仲良くしていたいの!
それからしばらく、私は懇願するようにマーコールを見つめていた。
お願い、内緒にして。秘密にして。
黙っていてくれるなら、何かあったとき守ってあげるから。助けてあげるから。
本気のお願い! 私、初めての友達を失くしたくないの!
……そんな、必死の祈りが通じたのかもしれない。
ずっと渋るような顔をしていたけど、やがてマーコールはため息をついて、
「……まぁいいよ」
そうつぶやいた。
まぁいいよ?
……え、今そう言った? 聞き間違いじゃないよね?
その言葉を耳にした途端、不安がうすれて希望の光が差し込んでくる。
それってつまり、
「秘密にしてくれるってこと?」
「無意味だと思うけどね」
やった! 今日のマーコール、ちょっと優しい?
絶体絶命のピンチだと思っていたけど、一転。
秘密にしてもらえることになって、私は心底ほっとした。
粘ってみるものだね。
一度秘密を共有した仲だから、二度目も許してくれたのかな?
やったね! これでまだ白の領域にいられる!




